お飾り妻は離縁されたい。「君を愛する事はできない」とおっしゃった筈の旦那様。なぜか聖女と呼んで溺愛してきます!!

友坂 悠

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私の聖女。

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 ♢ ♢ ♢

 たぶんそれは、幼い頃の出来事の、そんな夢。 

 彼女がまだ六歳になったばかりの頃。
 来年には姉と同じ学校に通うものだと信じて疑っていない頃。

「お嬢様は魔力の量が多いのですから、きっと国随一の魔法の使い手になるのも夢ではないかもしれませんねぇ」
 乳母のミーシャのそんな声が聞こえる。
 赤子の頃の洗礼式の日、いかに周りの皆が驚いたのか。
 父も母もそれを誇らしく話していたか、を。
 何度も何度も口癖のように語ってくれたミーシャ。

 マーデン男爵領にスタンピードが起こったその年。
 襲いくる魔獣を食い止める為、王国騎士団が派遣され。
 激しい戦いの果て、大勢の怪我人が館に運び込まれてきた。

 そこには、シルフィーナが王子様のようだと慕っていた騎士様もいて。

 彼女は真っ赤な血に染まった防具を剥ぎ取り懸命に治療にあたる母とミーシャの手伝いをしようとしているうちに見てしまった。
 騎士様、王子様の腕が肩からざっくりとちぎれてしまっていた、その悲惨な姿を。

 かちりと、何かがずれる音がして。
 シルフィーナの心の奥底、魂の奥底が暴走を始めた。
 魔法の使い方など何も知らなかった子供であったけれど、自分の心のゲートから真那マナが溢れ出すのを止めることができなくなって。

 金色に輝く真那マナ
 そんな金の粒子が瞬く間に館中に広がっていった。

 大量に現れたキュアたちがそんなシルフィーナの真那マナを取り込んで、怪我をした人々の身体の中に吸い込まれ。
 命のキュア。金のキュアの加護が発動し、館にいた全ての怪我人を癒していく。
 再生される騎士様の腕。
 それは神の御技。欠損部位の全回復をも成し遂げたのだった。

 ♢

 それでも嵐のように湧き出るマナを抑えることができなかったシルフィーナはそのまま外に出て、スタンピードの起こっている現場の森の魔だまりに惹かれるように走り出していた。

 雪が舞い散るそこに足を踏み入れ、幼い足でひたすら走る。
 正気であったなら、多分そんなことはできなかった。
 そうでなくとも季節は冬になっていたのだ。
 極寒とまではいかないものの、幼い子供が一人で森の中に入るなど、通常だったらとても出来やしなかっただろう。
 それでも。

 領都の城壁の外に出た途端、ワラワラと溢れ出る魔獣たちは、シルフィーナに向かってグルルと唸るものの、しかしこちらを恐れるように遠巻きに距離を置いて。
 しかしそれはシルフィーナを追いかける大人たちを足止めするには十分だった。

 暴走するマナに、感情の獣のようになってしまっていたシルフィーナ。
 溢れ出るマナが吹き荒れる嵐となって。
 雪がまず凍りついていった。それは次第に魔獣たちをも凍り付かせ。

 そして。黒く黒く漆黒にうねっていた魔の沼に辿り着いた時。
 その漆黒は、シルフィーナの真那マナの嵐に溶けるように蒸発していった。
 浄化の権能。
 エメラ。
 ブラド。
 キュア。
 ディン。
 これらの四大天使の子らがそこに溢れ。
 時空を癒し光で満たした。

 残されたその空間がただただ清浄なエネルギーに満たされていくのを感じ、シルフィーナはその場に崩れ落ちた。

 自分を呼ぶ王子様の声と。
 そして、恐怖に慄く父の瞳。

 それがシルフィーナにとってのその出来事にまつわる最後の記憶。
 魔力が枯渇しそのあと数週間生死の境を彷徨ったシルフィーナは、その時のことはもう忘れてしまっていたはずだった。
 そう。
 今こうして夢に見るまで、は……。


 ♢ ♢ ♢


 朝日が差し込んでいることに気がつき、目が覚めたシルフィーナ。

 目の前には優しい瞳でこちらを覗き込む美麗な旦那様のお顔があり……。


(わたくし……旦那様のベッドの脇で意識を失ってしまっていたのでしょうか?)

 恥ずかしさで顔が真っ赤になる。

「シルフィーナ。ありがとう。そして、すまなかった」

(え? え?)

 初めて名前を呼んで貰えたことが信じられなくて。
 そのサイラスのまっすぐな瞳を何度も見返して。

 心が満たされていく。
 でも。

 身を引かなくては。
 その思いが心に突き刺さる。
 このまま。
 もしこのまま三年の期限が過ぎて、お前などもういらない言われたとしたら。
 たぶんシルフィーナの心は保たないから。
 きっと粉々に砕けて壊れてしまうだろうから。

 なら、自分から身をひこう。
 昨夜そう決意をしたところだったのに。

「お元気になられたのでしたらよかったです。最後に少しでも旦那様のお力になれたのだったら、わたくしは幸せです」

 頬を伝って涙がぽろぽろと落ちていく。

(だめ……)

 別れを切り出さなければいけないのに。
 それ以上の言葉が出てこなくって。ただただ涙が溢れてどうしようもなくて。

 泣いているシルフィーナに、ずずっと近づいてくる旦那様。
 手を伸ばして彼女の頬に手を当てて。

「泣かせるつもりなどなかったのに。私はただ、君をあの環境から救い出したかっただけだったのだ」

 優しくシルフィーナの涙を拭いながら、そう優しい瞳をこちらに向ける旦那様。
 
(だめです……それ以上優しくされたら勘違いしてしまいます……)

「だめ、です。旦那様。優しくしないで……」

(決意が揺らいでしまうから……)

 最後のこの言葉は涙に滲んで声にならなかった。


「私の命はもう尽きる寸前だった。だからせめてそれまでの間だけでも君を幸せにしてあげたかった」

(え?)

「余命三年と言われていたのだ。病が体の奥底を蝕み、医者はもう手の施しようがないと匙を投げた。そんな折だった。十年前のマーデン領における魔獣討伐の時に君に助けられたことを思い出したのは」

(ああ、ああ、まさか、旦那様は、やっぱりあの時の王子様……?)

「どうしているだろう。あの恩人の可愛い天使は幸せな人生を送っているだろうか? そう思って調べてみて愕然とした。あの才能溢れる少女はろくに教育の機会も与えられず、ひたすら使用人のような仕事に明け暮れているというではないか。まだ十六歳、花も盛りの筈なのに社交界にも顔を出すこともなく」

「私は、君を救い出したかった。でももはや命の尽きることがわかっている自分ではそれは難しい。そう思い悩んだ末、せめて三年間だけでもこの侯爵家に君を迎え入れようと思ったのだ」

「だが。私はまたしても君に助けられたようだ。君の聖なる力は私の病魔を払ってくれた。自分の体の中から悪い部分がすっかりと抜け落ちているのがわかるよ」

(はう、お顔が近いです旦那様)

「愛しているよシルフィーナ。私の聖女。どうかこの先もずっと私の妻としてここにいてくれないか」

 じっと。そうシルフィーナの目を覗き込むサイラス。

 そんな彼に、コクリ、と、頷いて。

「わたくしも……旦那様が大好きです」
 そう言葉にしたところで。

 シルフィーナの頬に、また涙がぽろぽろ、ぽろぽろと溢れて。

「ありがとう。シルフィーナ」

 そう囁いて。
 サイラスはゆっくりとシルフィーナを抱きしめた。



 さっきまでの悲しい涙とは違う。

 嬉しくっても涙は出るんだな、ってそう感じて。

 彼女の心の中がふんわりと温かくなった。


     FIN
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