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気がつくとそこは見覚えのあるベッドの上。
見覚えのある天井。
飾りっ気はないし小さいけれどアリサが日常を過ごした寝室。
公爵家の屋敷としてはかなり小さな部屋。
それもそのはず。元々はここはアリサの母親アマリエの衣装部屋であったところだったから。
母の寝室は今はマリサの部屋となっていた。
他にももっと部屋はあるはずだけれど、女性らしい彫刻やシャンデリアの装飾、壁紙の作りなどがやはり贅を凝らしたものになっているからか、マリサかマリサの母のどちらがこの部屋を使うか競って。
結局はマリサのものとなったのだった。
アリサは当然のように、その部屋選びには参加していない。
それよりも。
母の衣装の匂いが残った今の狭い部屋の方がよかったし、父もそんなアリサの希望は叶えてくれたのだった。
窓も小さな出窓があるだけの、本当に小さい部屋で。
ベッドも使用人が使うような質素なもの。
家具、といえば母が使っていたタンスが一応一棹残されていたからそれを使うだけ。
ドレスなどは、母が着ていた古いものが納戸に少し残されていたから、それを使っていた。
当然アリサの専用の使用人なんかはいなかった、はずだった、けれど?
「おはようございますお嬢様」
そう、ノックして入ってきた男の人。
え? 男の人?
執事服に身を包み、いかにもこの屋敷の執事そうろうとしているけれど、見覚えがない。
「え? あなた、誰?」
ベッドから半身だけ起こし、思わずそう言い放っていた。
本当にお屋敷の従業員だったら、ものすっごく失礼だろう。でも。
——こんな男の子は、あたしは知らない。
「俺のこと、もう忘れたの?」
そう、ウインクする彼。
漆黒の髪、浅黒い肌に切長の瞳。
口元は真一文字に開くけれど、妙に色っぽいその赤い唇。
——まさか!
「あなた、魔王? 魔王クロムウェルなの?」
「は。やっとわかった? 俺、君付きの侍従ってことになってるからよろしく」
「ちょっと待ってよ。だって、あたしこれでも未婚の女性なのよ? それなのにこんな部屋の中まであなたみたいな人が入ってきたらどう思われるか」
「そっか、一応そんなこと気にするんだ。じゃぁ、こうしようか」
そういうと。
彼の周囲にブワッと黒い霧が巻きおこる。
一瞬ののちに現れたのは、今度は黒いメイド服に身を包んだ女性だった。
「これなら、いいでしょう?」
そう、怪しく笑うその顔。真っ赤な唇の口角をニッとあげ、妖艶にその場でくるっと回る、彼女?
スカートが円形に膨らんで、閉じる。
少し見えた足元も、完全に女性のそれに見える、そんな姿。
「お父様や他の皆が怪しんだりは、しないのよね?」
「ええ。その辺は任せておいて。アタシの存在は認識阻害の魔法で目立たなくなっているし、それに。周囲の人たちの記憶には少しだけ干渉しておいたから。周りにはただのモブにしか見えないから」
「ただのモブって、あなた……」
「ふふ。楽しいわ」
「なんだか、まるでロマンス小説の登場人物のような言い草ね」
「ふふ。だってそうでしょう? あなただって、こんなふうに人生をやり直しているんだもの」
そう言って。フワッとアリサに向けて魔法をかける。
一瞬で身支度が整うその奇跡に。
「今は、いつなのかしら?」
窓の外を眺め、今更ながらにそう呟く。
「うーんとね。今はちょうどあなたの15歳の誕生日。春生まれのあなたがこれから学園最後の一年間を送る、そんな、刻、よ」
「そっか。クロム。ありがとう」
そう、少しだけはにかんで。
アリサは、クロムウェルに右手を差し伸べた。
「そうね、クロム。いい響きだわ。アタシのことはこれからそう呼んでちょうだい。あくまでアタシはあんたのメイドのクロム。それで行きましょう」
そう言って、クロムもアリサの手を握る。
——卒業パーティまでは一年、ないか。ううん、それまでにやれることをやるのよ。
もう二度と、あんな思いをしないために。
アリサはそう決意を胸にして、窓の外の青い空を眺めた。
♢ ♢ ♢
「で、具体的にどうするつもり? やられる前にやっちゃう?」
「ううん、それじゃぁ逆行しないで復讐しても一緒じゃない。あいつらには自分の行いを後悔してもらわなくちゃ気が済まないわ」
「まさか何にもしないであいつらが何か仕掛けてくるのを待つの?」
「そこは。一応考えはあるのよ」
学園に向かう馬車の中で。
アリサはそう小声でクロムと話をしながら。
実は元の時間軸ではアリサが通うのは聖女宮であって学園ではなかった。
というのも、聖女宮でのお勤めやそれに伴う準備、そしてそのための修行などなど。
そういったことが忙しく、学園に通うための時間が取れなかったことと。
それ以上に。
学園で女王然として振る舞うマリサと、自分に冷たく当たるルイスの顔をみたくなかった、というのも大きかった。
空いた時間には本を読んでいた方がよかった。ただそれだけのことだったけれど。
そのせいで。
結局あの断罪劇で皆のアリサを見る目が冷ややかだったのも。
周りがみんな敵であったのも。
そうやっていつも周囲から逃げていた自分も悪かったのかもしれない。
そんなふうにも思えていた。
もっと積極的に周囲と触れ合っていれば、もしかしたら。
状況は少しくらいは変わったんじゃないだろうか。そんなふうに。
もちろんそれだけであの断罪が回避できるなんて思ってはいない。
そのためにはもっと、積極的な根回しが必要になるはず。そう考えて。
だから。まず、自分を卑下しいつも控えめでいたせいで、聖女宮でも誰かに言われたことしかしていなかったそんな聖女の仕事を頑張った。
あんなふうに「偽聖女」だなんて呼ばれたことを、アリサは許すことができなくて。
「あたしが本物の聖女だって、もっとちゃんと実力を見せていれば。あんなふうに偽聖女だなんて言われずに済んだんだわ」
「まあ、それは間違いない。君の魔力、その辺の人間とは比較にならないからさ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。自信、持っていい。このアタシが保証してあげるよ」
そんなふうに煽てられやる気になれて。
自信を持てて、積極的に聖女の仕事に取り組んだおかげか、あんなにもたくさんだった聖女の仕事を次々と片付けていくことができるようになった。
雨乞いの儀式も、病の救済も。
そして魔から人々を護る結界も。
そこまでの時間を使わなくともこなせるようになって。
「頑張ったわね、アリサ」
そう大聖女様からも褒められて。
「あなたが王太子妃になるんじゃなかったら、次代の大聖女に推薦するんだけれど」
そう言われるまでになった。
聖女宮で実力を示すことでシンパを増やし、そんなふうに夏頃にはかなり自分の時間も持てるようになったことで学園に通う時間をも捻出できるようになったわけで。
「君の金色のオーラがアタシは好きよ」
クロムのそんな言葉が、アリサにはとても心強く思えた。
聖なる力を使うときに纏う金色のマナ。
それを、常にふんわりと纏うように放出する。
マナぎれなんか、考える必要はなかった。
アリサの場合、そうして常にマナを放出したところで、それが枯渇することは無かったから。
大気から補充、吸収するスピードの方が早かったのと、元々のマナの保有量が桁違いに多かったのもある。
「不思議だね、君の魂は、きっと世界一つ分くらいのマナをその中に内包しているよ」
そんなことを言うクロム。
冗談、お世辞、そんな言葉だとは思うけれど、それでもそれが嬉しくて。
頑張れた。
学園では慎ましく。
あくまで大人しく。
それでいて気品を忘れず。
聖女のオーラは、常に纏って。
気後れして寄ってこない男子と違って、令嬢方のうち、割とおとなしい部類の子たちとはそれなりに交流を持てた。
マリサの取り巻きにはいつも嫌味を言われたりいじめめいたことをされたりもしていたけれど、それでも反抗したりせず、ひたすらにお淑やかに過ごして。
——イメージ作りはやっぱり大事よね。
——そうだよね。アリサは元が美人なんだから、そうしているとほんとお姫様みたいだよ。
そんなクロムの耳打ちに、ほんのりと頬を赤らめる。
その姿がまた、周囲からは好感を持たれて。
——あの、周り中から冷ややかな目で見つめられた時は、悲しくて怖くて。もうどうしていいかわからなかったから。
それも。やり直したい。
そう願った結果だった。
あの断罪の一番の名目が、アリサがマリサに対して暗殺未遂事件を起こしたと、そういう話だった。
「それも、回避したいんだけど」
「でも、それがなかったらあんな断罪劇は起きないんじゃない?」
「そうね。でも、あたしにはその未遂事件の犯人にも心当たりもなければ、どんな事件だったのかさえわからないのよ」
そう。前回の断罪は、あっという間に済んだので。
弁解の機会も、詳細を尋ねる暇も、アリサには与えられなかった。
証拠がある。
そういう王子のセリフだけ。
「うーん。そこだけは、ちょっとだけ力を貸してあげようか?」
「え? クロム。いいの?」
「まあね。大サービス、かな。本当は見ているだけのつもりだったけど、そこの部分が起きなかったら逆に面白くないしね」
「もう、クロムったら」
「未然に防ぐわけじゃ、ないよ? どんな経緯なのかをあの妹をこっそり見張ることで解き明かしたいだけさ」
「それでも、ありがたいわ。そこだけはもうどうしようもなかったから」
「もちろんアリサの切り札はそれだけじゃないんでしょう?」
「ふふ。クロムにも細かいところは教えてあげない。っていうか、知っちゃったらつまらないでしょ?」
「それもそうか。アタシは退屈が解消されればそれでいいんだから」
そうして。
時が流れ。
卒業パーティのその日が来た。
運命の、その日が。
♢ ♢ ♢
「アリサ・ブランドーよ。王太子ルイス・カロラインの名において、そなたとの婚約を破棄することをここに宣言する!」
突然のそんなルイスの宣言に。
周囲の目が一斉に、アリサに向けられた。
「申し訳ありません殿下。理由を、お聞かせ願いませんでしょうか」
そう、口にするアリサ。
ここまでは、前回と一緒。
殿下の背後にはマリサが控えている。
こちらに向けて、いじわるな瞳を向けて。
「白々しいぞ、この悪女、いや、魔女め! お前のようなものが聖女とは、いささか我が国の教会の面々も、目が曇っていると見える!」
「いったい、何を……」
「お前が実の妹であるマリサ・ブランドー公爵令嬢を暗殺しようとした証拠は上がっている。犯人の証言も取れているのだ。もはや言い逃れはできるとは思うな!」
「わたくしは、存じませんわ。そもそもわたくしに妹を暗殺しようとする理由がありませんでしょう?」
「っく、お前はマリサに嫉妬したのだろう? 自分と違い周囲の愛情を一身に受ける妹に。だからあんな騎士崩れのものを雇ってマリサを亡き者にしようとしたのだ!」
「あんな騎士崩れ、と申しましても。わたくしにはわかりませんけれど。証言、と、申しましたわね。もしよろしければそのものをここに連れてきていただけませんでしょうか?」
「強がっても無駄だ。もう犯人は処刑されている頃だ。お前に依頼を受けたとの証言は警邏のものがちゃんと聴いている!」
声がちゃんと出るのはもちろん先ほど渡された飲み物を飲む前に無毒化したから。
——あれを、殿下が毒を盛った証拠にしてもよかったのですが、それでは少し弱いですから。
その時。
バタバタと騎士たちが一人の罪人らしき人を連れ、広間へと入ってきた。
警護署長ライデンバーク氏が指揮をとっている。
「聖女様。お連れいたしました。あなた様に罪をなすりつけようとした罪人にございます」
そう、礼をして先ほどから話されている犯人を目の前に転がすライデンバーク。
「そうですか。ありがとうございますライデンバーク様。殿下? あなたがおっしゃった犯人というのはこの者のことでしょうか?」
いきなりの出来事に、目を白黒させる王子、と、後ろにいるマリサ。
「助けてくれ!! 俺はそこの娘に頼まれたんだ! 自分と同じ顔をした娘がもうじきそこを通るから、そうしたら少し脅してやってくれ、って。殺すつもりなんて、本当になかった。ただ刃物をちらつかせて脅せばいいと言われて」
そうして、王子の後ろに隠れているマリサを指差す犯人。
「嘘! わたくしは襲われたのよ! だったらあんたにそう言ったのはそこのアリサでしょ!!」
「ああああ、見間違えるもんかよ。確かにあんたらの顔はよく似ている。顔だけなら。でも、纏っているオーラが違いすぎるじゃねえか! あんな、聖なる氣を纏った聖女様、ひと目見ただけで恐れ多くて近づけやしねえよ!!」
「そういうことでしたの。実は先ほど殿下にいただいたお飲み物に毒が入っておりました。喉を焼く程度の軽い毒でしたけど。わたくしでなければ声も出なくなっていたことでしょう。殿下とマリサ、二人で共謀してわたくしを貶めようとした。ということでよろしいのでしょうか?」
「な!!」
小首をかしげ、コケティッシュにそう話すアリサ。驚愕の表情をするルイスの顔が、もう一段と驚きに塗れるそんな人物がそこに現れた。
「何の騒ぎかと思ってきてみれば。ルイスよ。先ほどそこの聖女アリサ殿より、婚約を辞退したい旨を告げられた。そなたが愛しているのが妹のマリサ嬢だから、その愛を認めてあげてほしい、と。それなのに。なんだこの失態は!!」
「父上、いや、これは何かの間違いなのです!」
「間違いなどであるものか! お前がアリサ殿に向かって婚約破棄を告げるところをわしが見ていなかったとでも思うのか!!」
項垂れる殿下。
——これで、君は満足、かい?
アリサの心に、そんな声が聞こえて。
——ええ。そうね。これで。
そう、目を瞑ってそれまでの感慨に耽った、ーその時だった。
背後からガシャんと金属の嵌った皮のようなもので首を絞められたアリサ。
——え? 何?
「お前なんか、死んじゃえ!!」
いつの間に背後に回ったのか。
マリサが、ケーキを切り分けるためにテーブルに置いてあった、そんなナイフを手にして。
アリサの背中にそのナイフを深く突き刺す。
——あたし、失敗、しちゃった?——
薄れゆく意識。
世界が、反転するのがわかった。
■■■■
あたし、失敗しちゃったのね? っていうか、もしかして今までのことは全部あなたが見せてくれた。夢?
いや。そうじゃないよ。あれもちゃんと現実。一つの世界だから。でも。
でも?
たとえ時間軸を改変して、別の世界でお前が幸せになったとしても。それはこの世界のお前が報われるわけじゃない。
この、世界?
ああ。ここは、元のお前がいた世界。最後の瞬間、あの世界でお前の魂が大霊に飲まれてしまうのを阻止するために、俺がここまで攫ってきた。
ここは、もとの時間、なの?
そうだ。この世界で結局そのまま死ぬか、それとも魔力を解放しこの世界を滅ぼし、復讐を果たすか。お前はどうしたい?
あたし、は。
可能性の世界は確かに魅力的、だった。
あたしはあの世界で初めて生きている喜びを感じたのかもしれない。
だけど。それでも。
そうね。
あたしっていう人間は、あたししかいないのだもの。
ねえ、クロム。
あたしはあなたと一緒に居たい。未来永劫、共に過ごしていきたい。
だめ、かな?
俺と、一緒に?
もう、この世界には未練がないのか?
きっと、あたしが望めばあなたはまたあたしを過去に跳ばしてくれるんでしょう?
きっと、あなたにはそれだけの力があるのだもの。
だけどね。
もう、いいわ。
それよりも。
あたしは、もっと別の世界を見てみたい。
あなたと一緒に。
退屈、だぞ?
退屈?
ああ。
ただ見ているだけの世界だなんて、退屈極まりない。
じゃぁ。
あたしがあなたに退屈じゃない日々をあげる。
それじゃ、だめ?
ふふ。
やっぱりお前は面白いな。
いいよ。お前と二人なら。どこに行っても楽しそうだ。
そうね。
好きよ。クロム。
ああ。俺も、だよ。
漆黒が二人を包み込んだ。
外の世界は、ただただ白く。雪に覆われていく。
FIN
見覚えのある天井。
飾りっ気はないし小さいけれどアリサが日常を過ごした寝室。
公爵家の屋敷としてはかなり小さな部屋。
それもそのはず。元々はここはアリサの母親アマリエの衣装部屋であったところだったから。
母の寝室は今はマリサの部屋となっていた。
他にももっと部屋はあるはずだけれど、女性らしい彫刻やシャンデリアの装飾、壁紙の作りなどがやはり贅を凝らしたものになっているからか、マリサかマリサの母のどちらがこの部屋を使うか競って。
結局はマリサのものとなったのだった。
アリサは当然のように、その部屋選びには参加していない。
それよりも。
母の衣装の匂いが残った今の狭い部屋の方がよかったし、父もそんなアリサの希望は叶えてくれたのだった。
窓も小さな出窓があるだけの、本当に小さい部屋で。
ベッドも使用人が使うような質素なもの。
家具、といえば母が使っていたタンスが一応一棹残されていたからそれを使うだけ。
ドレスなどは、母が着ていた古いものが納戸に少し残されていたから、それを使っていた。
当然アリサの専用の使用人なんかはいなかった、はずだった、けれど?
「おはようございますお嬢様」
そう、ノックして入ってきた男の人。
え? 男の人?
執事服に身を包み、いかにもこの屋敷の執事そうろうとしているけれど、見覚えがない。
「え? あなた、誰?」
ベッドから半身だけ起こし、思わずそう言い放っていた。
本当にお屋敷の従業員だったら、ものすっごく失礼だろう。でも。
——こんな男の子は、あたしは知らない。
「俺のこと、もう忘れたの?」
そう、ウインクする彼。
漆黒の髪、浅黒い肌に切長の瞳。
口元は真一文字に開くけれど、妙に色っぽいその赤い唇。
——まさか!
「あなた、魔王? 魔王クロムウェルなの?」
「は。やっとわかった? 俺、君付きの侍従ってことになってるからよろしく」
「ちょっと待ってよ。だって、あたしこれでも未婚の女性なのよ? それなのにこんな部屋の中まであなたみたいな人が入ってきたらどう思われるか」
「そっか、一応そんなこと気にするんだ。じゃぁ、こうしようか」
そういうと。
彼の周囲にブワッと黒い霧が巻きおこる。
一瞬ののちに現れたのは、今度は黒いメイド服に身を包んだ女性だった。
「これなら、いいでしょう?」
そう、怪しく笑うその顔。真っ赤な唇の口角をニッとあげ、妖艶にその場でくるっと回る、彼女?
スカートが円形に膨らんで、閉じる。
少し見えた足元も、完全に女性のそれに見える、そんな姿。
「お父様や他の皆が怪しんだりは、しないのよね?」
「ええ。その辺は任せておいて。アタシの存在は認識阻害の魔法で目立たなくなっているし、それに。周囲の人たちの記憶には少しだけ干渉しておいたから。周りにはただのモブにしか見えないから」
「ただのモブって、あなた……」
「ふふ。楽しいわ」
「なんだか、まるでロマンス小説の登場人物のような言い草ね」
「ふふ。だってそうでしょう? あなただって、こんなふうに人生をやり直しているんだもの」
そう言って。フワッとアリサに向けて魔法をかける。
一瞬で身支度が整うその奇跡に。
「今は、いつなのかしら?」
窓の外を眺め、今更ながらにそう呟く。
「うーんとね。今はちょうどあなたの15歳の誕生日。春生まれのあなたがこれから学園最後の一年間を送る、そんな、刻、よ」
「そっか。クロム。ありがとう」
そう、少しだけはにかんで。
アリサは、クロムウェルに右手を差し伸べた。
「そうね、クロム。いい響きだわ。アタシのことはこれからそう呼んでちょうだい。あくまでアタシはあんたのメイドのクロム。それで行きましょう」
そう言って、クロムもアリサの手を握る。
——卒業パーティまでは一年、ないか。ううん、それまでにやれることをやるのよ。
もう二度と、あんな思いをしないために。
アリサはそう決意を胸にして、窓の外の青い空を眺めた。
♢ ♢ ♢
「で、具体的にどうするつもり? やられる前にやっちゃう?」
「ううん、それじゃぁ逆行しないで復讐しても一緒じゃない。あいつらには自分の行いを後悔してもらわなくちゃ気が済まないわ」
「まさか何にもしないであいつらが何か仕掛けてくるのを待つの?」
「そこは。一応考えはあるのよ」
学園に向かう馬車の中で。
アリサはそう小声でクロムと話をしながら。
実は元の時間軸ではアリサが通うのは聖女宮であって学園ではなかった。
というのも、聖女宮でのお勤めやそれに伴う準備、そしてそのための修行などなど。
そういったことが忙しく、学園に通うための時間が取れなかったことと。
それ以上に。
学園で女王然として振る舞うマリサと、自分に冷たく当たるルイスの顔をみたくなかった、というのも大きかった。
空いた時間には本を読んでいた方がよかった。ただそれだけのことだったけれど。
そのせいで。
結局あの断罪劇で皆のアリサを見る目が冷ややかだったのも。
周りがみんな敵であったのも。
そうやっていつも周囲から逃げていた自分も悪かったのかもしれない。
そんなふうにも思えていた。
もっと積極的に周囲と触れ合っていれば、もしかしたら。
状況は少しくらいは変わったんじゃないだろうか。そんなふうに。
もちろんそれだけであの断罪が回避できるなんて思ってはいない。
そのためにはもっと、積極的な根回しが必要になるはず。そう考えて。
だから。まず、自分を卑下しいつも控えめでいたせいで、聖女宮でも誰かに言われたことしかしていなかったそんな聖女の仕事を頑張った。
あんなふうに「偽聖女」だなんて呼ばれたことを、アリサは許すことができなくて。
「あたしが本物の聖女だって、もっとちゃんと実力を見せていれば。あんなふうに偽聖女だなんて言われずに済んだんだわ」
「まあ、それは間違いない。君の魔力、その辺の人間とは比較にならないからさ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。自信、持っていい。このアタシが保証してあげるよ」
そんなふうに煽てられやる気になれて。
自信を持てて、積極的に聖女の仕事に取り組んだおかげか、あんなにもたくさんだった聖女の仕事を次々と片付けていくことができるようになった。
雨乞いの儀式も、病の救済も。
そして魔から人々を護る結界も。
そこまでの時間を使わなくともこなせるようになって。
「頑張ったわね、アリサ」
そう大聖女様からも褒められて。
「あなたが王太子妃になるんじゃなかったら、次代の大聖女に推薦するんだけれど」
そう言われるまでになった。
聖女宮で実力を示すことでシンパを増やし、そんなふうに夏頃にはかなり自分の時間も持てるようになったことで学園に通う時間をも捻出できるようになったわけで。
「君の金色のオーラがアタシは好きよ」
クロムのそんな言葉が、アリサにはとても心強く思えた。
聖なる力を使うときに纏う金色のマナ。
それを、常にふんわりと纏うように放出する。
マナぎれなんか、考える必要はなかった。
アリサの場合、そうして常にマナを放出したところで、それが枯渇することは無かったから。
大気から補充、吸収するスピードの方が早かったのと、元々のマナの保有量が桁違いに多かったのもある。
「不思議だね、君の魂は、きっと世界一つ分くらいのマナをその中に内包しているよ」
そんなことを言うクロム。
冗談、お世辞、そんな言葉だとは思うけれど、それでもそれが嬉しくて。
頑張れた。
学園では慎ましく。
あくまで大人しく。
それでいて気品を忘れず。
聖女のオーラは、常に纏って。
気後れして寄ってこない男子と違って、令嬢方のうち、割とおとなしい部類の子たちとはそれなりに交流を持てた。
マリサの取り巻きにはいつも嫌味を言われたりいじめめいたことをされたりもしていたけれど、それでも反抗したりせず、ひたすらにお淑やかに過ごして。
——イメージ作りはやっぱり大事よね。
——そうだよね。アリサは元が美人なんだから、そうしているとほんとお姫様みたいだよ。
そんなクロムの耳打ちに、ほんのりと頬を赤らめる。
その姿がまた、周囲からは好感を持たれて。
——あの、周り中から冷ややかな目で見つめられた時は、悲しくて怖くて。もうどうしていいかわからなかったから。
それも。やり直したい。
そう願った結果だった。
あの断罪の一番の名目が、アリサがマリサに対して暗殺未遂事件を起こしたと、そういう話だった。
「それも、回避したいんだけど」
「でも、それがなかったらあんな断罪劇は起きないんじゃない?」
「そうね。でも、あたしにはその未遂事件の犯人にも心当たりもなければ、どんな事件だったのかさえわからないのよ」
そう。前回の断罪は、あっという間に済んだので。
弁解の機会も、詳細を尋ねる暇も、アリサには与えられなかった。
証拠がある。
そういう王子のセリフだけ。
「うーん。そこだけは、ちょっとだけ力を貸してあげようか?」
「え? クロム。いいの?」
「まあね。大サービス、かな。本当は見ているだけのつもりだったけど、そこの部分が起きなかったら逆に面白くないしね」
「もう、クロムったら」
「未然に防ぐわけじゃ、ないよ? どんな経緯なのかをあの妹をこっそり見張ることで解き明かしたいだけさ」
「それでも、ありがたいわ。そこだけはもうどうしようもなかったから」
「もちろんアリサの切り札はそれだけじゃないんでしょう?」
「ふふ。クロムにも細かいところは教えてあげない。っていうか、知っちゃったらつまらないでしょ?」
「それもそうか。アタシは退屈が解消されればそれでいいんだから」
そうして。
時が流れ。
卒業パーティのその日が来た。
運命の、その日が。
♢ ♢ ♢
「アリサ・ブランドーよ。王太子ルイス・カロラインの名において、そなたとの婚約を破棄することをここに宣言する!」
突然のそんなルイスの宣言に。
周囲の目が一斉に、アリサに向けられた。
「申し訳ありません殿下。理由を、お聞かせ願いませんでしょうか」
そう、口にするアリサ。
ここまでは、前回と一緒。
殿下の背後にはマリサが控えている。
こちらに向けて、いじわるな瞳を向けて。
「白々しいぞ、この悪女、いや、魔女め! お前のようなものが聖女とは、いささか我が国の教会の面々も、目が曇っていると見える!」
「いったい、何を……」
「お前が実の妹であるマリサ・ブランドー公爵令嬢を暗殺しようとした証拠は上がっている。犯人の証言も取れているのだ。もはや言い逃れはできるとは思うな!」
「わたくしは、存じませんわ。そもそもわたくしに妹を暗殺しようとする理由がありませんでしょう?」
「っく、お前はマリサに嫉妬したのだろう? 自分と違い周囲の愛情を一身に受ける妹に。だからあんな騎士崩れのものを雇ってマリサを亡き者にしようとしたのだ!」
「あんな騎士崩れ、と申しましても。わたくしにはわかりませんけれど。証言、と、申しましたわね。もしよろしければそのものをここに連れてきていただけませんでしょうか?」
「強がっても無駄だ。もう犯人は処刑されている頃だ。お前に依頼を受けたとの証言は警邏のものがちゃんと聴いている!」
声がちゃんと出るのはもちろん先ほど渡された飲み物を飲む前に無毒化したから。
——あれを、殿下が毒を盛った証拠にしてもよかったのですが、それでは少し弱いですから。
その時。
バタバタと騎士たちが一人の罪人らしき人を連れ、広間へと入ってきた。
警護署長ライデンバーク氏が指揮をとっている。
「聖女様。お連れいたしました。あなた様に罪をなすりつけようとした罪人にございます」
そう、礼をして先ほどから話されている犯人を目の前に転がすライデンバーク。
「そうですか。ありがとうございますライデンバーク様。殿下? あなたがおっしゃった犯人というのはこの者のことでしょうか?」
いきなりの出来事に、目を白黒させる王子、と、後ろにいるマリサ。
「助けてくれ!! 俺はそこの娘に頼まれたんだ! 自分と同じ顔をした娘がもうじきそこを通るから、そうしたら少し脅してやってくれ、って。殺すつもりなんて、本当になかった。ただ刃物をちらつかせて脅せばいいと言われて」
そうして、王子の後ろに隠れているマリサを指差す犯人。
「嘘! わたくしは襲われたのよ! だったらあんたにそう言ったのはそこのアリサでしょ!!」
「ああああ、見間違えるもんかよ。確かにあんたらの顔はよく似ている。顔だけなら。でも、纏っているオーラが違いすぎるじゃねえか! あんな、聖なる氣を纏った聖女様、ひと目見ただけで恐れ多くて近づけやしねえよ!!」
「そういうことでしたの。実は先ほど殿下にいただいたお飲み物に毒が入っておりました。喉を焼く程度の軽い毒でしたけど。わたくしでなければ声も出なくなっていたことでしょう。殿下とマリサ、二人で共謀してわたくしを貶めようとした。ということでよろしいのでしょうか?」
「な!!」
小首をかしげ、コケティッシュにそう話すアリサ。驚愕の表情をするルイスの顔が、もう一段と驚きに塗れるそんな人物がそこに現れた。
「何の騒ぎかと思ってきてみれば。ルイスよ。先ほどそこの聖女アリサ殿より、婚約を辞退したい旨を告げられた。そなたが愛しているのが妹のマリサ嬢だから、その愛を認めてあげてほしい、と。それなのに。なんだこの失態は!!」
「父上、いや、これは何かの間違いなのです!」
「間違いなどであるものか! お前がアリサ殿に向かって婚約破棄を告げるところをわしが見ていなかったとでも思うのか!!」
項垂れる殿下。
——これで、君は満足、かい?
アリサの心に、そんな声が聞こえて。
——ええ。そうね。これで。
そう、目を瞑ってそれまでの感慨に耽った、ーその時だった。
背後からガシャんと金属の嵌った皮のようなもので首を絞められたアリサ。
——え? 何?
「お前なんか、死んじゃえ!!」
いつの間に背後に回ったのか。
マリサが、ケーキを切り分けるためにテーブルに置いてあった、そんなナイフを手にして。
アリサの背中にそのナイフを深く突き刺す。
——あたし、失敗、しちゃった?——
薄れゆく意識。
世界が、反転するのがわかった。
■■■■
あたし、失敗しちゃったのね? っていうか、もしかして今までのことは全部あなたが見せてくれた。夢?
いや。そうじゃないよ。あれもちゃんと現実。一つの世界だから。でも。
でも?
たとえ時間軸を改変して、別の世界でお前が幸せになったとしても。それはこの世界のお前が報われるわけじゃない。
この、世界?
ああ。ここは、元のお前がいた世界。最後の瞬間、あの世界でお前の魂が大霊に飲まれてしまうのを阻止するために、俺がここまで攫ってきた。
ここは、もとの時間、なの?
そうだ。この世界で結局そのまま死ぬか、それとも魔力を解放しこの世界を滅ぼし、復讐を果たすか。お前はどうしたい?
あたし、は。
可能性の世界は確かに魅力的、だった。
あたしはあの世界で初めて生きている喜びを感じたのかもしれない。
だけど。それでも。
そうね。
あたしっていう人間は、あたししかいないのだもの。
ねえ、クロム。
あたしはあなたと一緒に居たい。未来永劫、共に過ごしていきたい。
だめ、かな?
俺と、一緒に?
もう、この世界には未練がないのか?
きっと、あたしが望めばあなたはまたあたしを過去に跳ばしてくれるんでしょう?
きっと、あなたにはそれだけの力があるのだもの。
だけどね。
もう、いいわ。
それよりも。
あたしは、もっと別の世界を見てみたい。
あなたと一緒に。
退屈、だぞ?
退屈?
ああ。
ただ見ているだけの世界だなんて、退屈極まりない。
じゃぁ。
あたしがあなたに退屈じゃない日々をあげる。
それじゃ、だめ?
ふふ。
やっぱりお前は面白いな。
いいよ。お前と二人なら。どこに行っても楽しそうだ。
そうね。
好きよ。クロム。
ああ。俺も、だよ。
漆黒が二人を包み込んだ。
外の世界は、ただただ白く。雪に覆われていく。
FIN
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