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夜の街灯り。
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外に出るともう日が暮れるところだった。目の前には街の城壁が見えるからそこまで走って、って考えたところでまだ今夜の宿も決めていないのに気がついた。
どうしよう。宿を決めてからの方がいいのかな……。
そうも思ったけれどだめ。あんな状況で店主さんがもう営業をやめてしまったらそれこそおしまいだもの。
ショーケースは壊れちゃってたけど、そこもなんとかするアイデアはある。
だから。
なんとかまだ城壁の門が開いてるうちに街にたどり着いた。
これが閉まっちゃった後だと身分証だのなんだの調べられる。日中はそこまで厳しくはないけれど、夜の闇に紛れやってくる悪い人はやっぱり多い。
元々この街の住人であればいいけれど、あたしみたいな旅行者は咎められ街に入れてもらえない可能性だってあったから、ちょっと安心して。
そういえば、と、思うけど、騎士様はあたしのこと貴族かもって疑っていたのかな?
あの守りの魔法のせいだろうか。
まあ、しょうがないよね。
今のあたしのこの喋り方や歩き方、醸し出す雰囲気まで貴族っぽくならないように気をつけてるし、たとえお父様や妹マリアンネや、ましてやパトリックさまと会ったってあたしセリーヌだと見破られない自信もある。
顔は変えようがないけど人がその人を判断する場合の雰囲気とか見た目とか話し方とか、そういうものが今のあたしとセリーヌとして過ごしてきた十六年間とは全く違ってるから。
周囲の侍女さんの前だって、あたしの地は見せたことはないはず。
幼い頃に支えてくれていた乳母のマリーに徹底的に矯正されたから、それ以降は完璧な淑女を演じていたのだもの。
だけど。
その分、根無草なのも確かなことで。
あたしをあたしだと認めてくれる存在がもうこの世界にはないんだって思うと、ちょっと寂しさも感じていた。
すんなりどこか働き口が見つかれば、そこの従業員としての身分が手に入る。
そんなふうに簡単に考えてたけどそれもなかなか難しいかもしれない。
まあ最悪、冒険者登録に逃げるっていう手もある。
冒険者であれば間口も広い。
田舎からあぶれてきた人が都会で暮らすためにもまず働き口が必要だものね。
そうじゃなきゃ人はどんどん地下に流れていっちゃう。
治安もどんどん悪くなっちゃうから。
そういう意味でも、冒険者ギルドっていうのはそういう無職な人の受け皿になっていたのだった。
大通をゆく頃には陽もすっかり落ちて、街は夜の風情を醸し出し。
思ったよりもお酒を出す食堂が多いのか、街灯の明かりだけでなくお店の窓から覗く楽しそうな声に眩しい光。
通りを歩いているだけで、そんな陽気な雰囲気が伝わってくる。
1日の糧を得てこうして英気を養っているんだな。
そう思うと微笑ましい。
貴族の社会では考えられないけれど、あちらが毎夜、パーティで盛り上がるように、平民社会ではこうした酒の席が人々に好まれているのだなぁと、ちょっと感慨深い。
前世の現代日本で溢れていたような娯楽はここにはない。
人々の楽しみがこうした飲食に向かうのも、当たり前のことなんだろうなぁ。そう思って。
マロンの前にたどり着いたあたし。
その変貌ぶりに、ちょっと驚いていた。
昼間見た時はおしゃれな喫茶店といった雰囲気だったのに、今は暖色の灯りに彩られた看板を掲げていて。
窓から見える飲食スペースにもぎゅうぎゅうではないけれどそれなりに人がいて、食事にお酒に盛り上がっているようだった。
(はう。どういうこと?)
そうは思ったけど漂ってくる美味しそうな匂いに負け、あたしは暖簾をくぐった。
「いらっしゃい! ごめんねお客さん、今カウンターしか空いてないんだ。それでもいい?」
そう明るい声で出迎えてくれたおかみさん? そんな感じの女性。
昼間の店主さんってどうしちゃったんだろう。そう疑問に思いつつ、あたしは勧められたカウンターの椅子に座った。
「さあ、なににするね?」
そう明るい声で聞いてくれたおかみさん。
でも?
周りを見渡してもメニューらしきものが見当たらない。
昼間来た時と一緒で、壁にも何も書かれていなかった。
まあ昼間も目の前のマフィンとありそうなドリンクを注文しただけ。やっぱりメニューなんか無かったんだけど。
「えっと、メニュー、は?」
「はい? メニュー? あんたどこのお嬢さんだい? ここにはあいにくコックは一人しかいないんだ。肉か魚、スープにサラダ、ああもちろんガレットはつけるよ。夕食だしね。酒はエールに葡萄酒蒸留酒、ああお子様にはミルクだってあるけどね」
と笑う。
ああ。
そっか。気が付かなかった。
ここ、平民の街ではそもそも誰もが文字を読めるわけじゃない。
読めてもごく一部の仕事で必要な文字しか読めない人だっている。
だから、メニューってわざわざ文字にしておく習慣もないのかも?
「じゃぁ、おすすめを。それと、果実水はありますか?」
「ああ、じゃぁ今夜のおすすめ定食に、今日はゆず水があるよ。それでいいかい?」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃぁまってな。アラン! おすすめ一つ入ったよ」
「おーマロン。ちょっと待っておくれすぐ用意する!」
奥の厨房にそう声をかけるおかみさん。って、中からした声はあの真っ白な店主さんの声? でもってこのおかみさん、マロンさん??
どうしよう。宿を決めてからの方がいいのかな……。
そうも思ったけれどだめ。あんな状況で店主さんがもう営業をやめてしまったらそれこそおしまいだもの。
ショーケースは壊れちゃってたけど、そこもなんとかするアイデアはある。
だから。
なんとかまだ城壁の門が開いてるうちに街にたどり着いた。
これが閉まっちゃった後だと身分証だのなんだの調べられる。日中はそこまで厳しくはないけれど、夜の闇に紛れやってくる悪い人はやっぱり多い。
元々この街の住人であればいいけれど、あたしみたいな旅行者は咎められ街に入れてもらえない可能性だってあったから、ちょっと安心して。
そういえば、と、思うけど、騎士様はあたしのこと貴族かもって疑っていたのかな?
あの守りの魔法のせいだろうか。
まあ、しょうがないよね。
今のあたしのこの喋り方や歩き方、醸し出す雰囲気まで貴族っぽくならないように気をつけてるし、たとえお父様や妹マリアンネや、ましてやパトリックさまと会ったってあたしセリーヌだと見破られない自信もある。
顔は変えようがないけど人がその人を判断する場合の雰囲気とか見た目とか話し方とか、そういうものが今のあたしとセリーヌとして過ごしてきた十六年間とは全く違ってるから。
周囲の侍女さんの前だって、あたしの地は見せたことはないはず。
幼い頃に支えてくれていた乳母のマリーに徹底的に矯正されたから、それ以降は完璧な淑女を演じていたのだもの。
だけど。
その分、根無草なのも確かなことで。
あたしをあたしだと認めてくれる存在がもうこの世界にはないんだって思うと、ちょっと寂しさも感じていた。
すんなりどこか働き口が見つかれば、そこの従業員としての身分が手に入る。
そんなふうに簡単に考えてたけどそれもなかなか難しいかもしれない。
まあ最悪、冒険者登録に逃げるっていう手もある。
冒険者であれば間口も広い。
田舎からあぶれてきた人が都会で暮らすためにもまず働き口が必要だものね。
そうじゃなきゃ人はどんどん地下に流れていっちゃう。
治安もどんどん悪くなっちゃうから。
そういう意味でも、冒険者ギルドっていうのはそういう無職な人の受け皿になっていたのだった。
大通をゆく頃には陽もすっかり落ちて、街は夜の風情を醸し出し。
思ったよりもお酒を出す食堂が多いのか、街灯の明かりだけでなくお店の窓から覗く楽しそうな声に眩しい光。
通りを歩いているだけで、そんな陽気な雰囲気が伝わってくる。
1日の糧を得てこうして英気を養っているんだな。
そう思うと微笑ましい。
貴族の社会では考えられないけれど、あちらが毎夜、パーティで盛り上がるように、平民社会ではこうした酒の席が人々に好まれているのだなぁと、ちょっと感慨深い。
前世の現代日本で溢れていたような娯楽はここにはない。
人々の楽しみがこうした飲食に向かうのも、当たり前のことなんだろうなぁ。そう思って。
マロンの前にたどり着いたあたし。
その変貌ぶりに、ちょっと驚いていた。
昼間見た時はおしゃれな喫茶店といった雰囲気だったのに、今は暖色の灯りに彩られた看板を掲げていて。
窓から見える飲食スペースにもぎゅうぎゅうではないけれどそれなりに人がいて、食事にお酒に盛り上がっているようだった。
(はう。どういうこと?)
そうは思ったけど漂ってくる美味しそうな匂いに負け、あたしは暖簾をくぐった。
「いらっしゃい! ごめんねお客さん、今カウンターしか空いてないんだ。それでもいい?」
そう明るい声で出迎えてくれたおかみさん? そんな感じの女性。
昼間の店主さんってどうしちゃったんだろう。そう疑問に思いつつ、あたしは勧められたカウンターの椅子に座った。
「さあ、なににするね?」
そう明るい声で聞いてくれたおかみさん。
でも?
周りを見渡してもメニューらしきものが見当たらない。
昼間来た時と一緒で、壁にも何も書かれていなかった。
まあ昼間も目の前のマフィンとありそうなドリンクを注文しただけ。やっぱりメニューなんか無かったんだけど。
「えっと、メニュー、は?」
「はい? メニュー? あんたどこのお嬢さんだい? ここにはあいにくコックは一人しかいないんだ。肉か魚、スープにサラダ、ああもちろんガレットはつけるよ。夕食だしね。酒はエールに葡萄酒蒸留酒、ああお子様にはミルクだってあるけどね」
と笑う。
ああ。
そっか。気が付かなかった。
ここ、平民の街ではそもそも誰もが文字を読めるわけじゃない。
読めてもごく一部の仕事で必要な文字しか読めない人だっている。
だから、メニューってわざわざ文字にしておく習慣もないのかも?
「じゃぁ、おすすめを。それと、果実水はありますか?」
「ああ、じゃぁ今夜のおすすめ定食に、今日はゆず水があるよ。それでいいかい?」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃぁまってな。アラン! おすすめ一つ入ったよ」
「おーマロン。ちょっと待っておくれすぐ用意する!」
奥の厨房にそう声をかけるおかみさん。って、中からした声はあの真っ白な店主さんの声? でもってこのおかみさん、マロンさん??
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