36 / 37
36 あなたがそうおっしゃったのですよ?
しおりを挟む
コンコンコン
コンコンコン
扉を叩く音。
「エーリカ、すまない。どうしてもあれで終わりにはしたくないんだ!」
そんな声に身を起こす。
どうしよう。と逡巡しつつも手元においておいたガウンを纏い扉の手前まで歩いて。
部屋の扉に鍵はかけていない。だからジークハルトがその気になれば入ってくることも可能で。
それをしないということは自分の気持ちを優先してくださっているのだろう、と、少し嬉しくなる。
扉の内側のノブを右手の手のひらで触れて。
「ジークハルト、様?」
そのまま扉を開けるのは躊躇われそう声をかける。
「ああ。エーリカ。すまなかった。俺は君の気持ちも考えもせずに、エリカと呼び続けてしまって」
「あなたが好きになったのがメイドのエリカなんですもの。しょうがないです……」
「そうじゃない、そうじゃないんだよエーリカ」
「だって、あなたがそうおっしゃったのですよ? メイドに扮したわたくしに。妻のエーリカだとは知らずに。好きだエリカ、と」
そう。そこから履き違えている。
エーリカにとってエリカとは自分が演じていただけの存在であり自分自身とは違う。
でも、ジークハルトにとってはそのエリカが好きになった対象なのだ、と。
ジークハルトが愛しているのは自分ではなくてエリカという虚像なのだと。
どうしても、その思いから抜け出すことができずにいたエーリカ。
「確かに、最初はメイドだと思っていた。君じゃないんだと、貴族じゃない女性だと。でも、違ったんだ。あの、一晩中看病してくれた時の温かい手は現実の君、エーリカだった。『旦那様、また来ますね』と言ってくれた君の、その時の笑みに、俺は恋をした。真実を知った時、それがよくわかったんだ。あの時の君はメイドのエリカではなく俺の妻のエーリカだったろう? あれが演技だとは俺には思えなかったんだ」
そう懇願するジークハルトの真剣な声に。
手にかけた扉のノブをまわし開けて、手前に開ける。
「エーリカ」
「旦那様、中にお入りになって」
そう招き入れていた。
「お飲み物、飲まれますか?」
ソファーを勧め、棚からグラスをふたつ取り出す。
(ママレードにしてあるユズがあったからお水で溶かしてユズ水でも作りましょうか。お酒があったらよかったのでしょうけど、あいにくここには置いていませんし)
返事を聞く前にママレードをスプーンでひとさしグラスに入れ、水差しからお水をそそぎいれる。
そのまま軽く混ぜてジークの待つソファーの横のチェストに一つ置いた。
そして。
自分はもう一つグラスを持ったまま、そのソファーの反対の端にちょこんと腰掛ける。
ジークと並んで腰掛ける形となったところで、パーティーでアナスターシアの隣に腰掛けた時のことを思い出していた。
あの時も。なんだか彼女をほかっておけなかったんだったっけ。
そう呟いて。
「ありがとう、美味しいよこれ。だけどどうせなら」
グラスに手をかざすジークハルト。カランと氷の塊がグラスの中に落ちた。
「こうして冷たくしたら、きっともっと美味しいよね、君のもどう?」
「氷の魔法、ですか?」
「ああ。俺は一応、全属性の加護があるからね。これくらいはできるんだ」
「じゃぁ、お願いします」
そう云ってグラスを差し出す。ジークハルトがさっと手をかざすと、カランとグラスを揺らす氷。
一瞬、じっとその揺れる液面を眺め、グラスにくちづけるエーリカ。
冷たくて、ユズの香りがより際立って美味しい。
「美味しいです。ありがとうございます旦那様」
「よかった。こんな魔法を身近にできるように、今俺は魔法具の研究をしているんだ。それが俺の、こんなふうに全ての属性の加護を与えられた俺の使命のような気がして」
彼の、こんな気持ちを聞くのは初めてだった。
というか、今までジークハルトのそんな気持ちどころか彼のことを何も知ろうとしてこなかった自分に気がついて。
もうちょっとだけ、彼のことを知りたい。
もうちょっとだけ、ここに居たい。
「わたくし、まだ旦那様の妻でいても、いいのでしょうか?」
そう口に出していた。
「いいに決まってる! 愛しているんだ、エーリカ!」
コンコンコン
扉を叩く音。
「エーリカ、すまない。どうしてもあれで終わりにはしたくないんだ!」
そんな声に身を起こす。
どうしよう。と逡巡しつつも手元においておいたガウンを纏い扉の手前まで歩いて。
部屋の扉に鍵はかけていない。だからジークハルトがその気になれば入ってくることも可能で。
それをしないということは自分の気持ちを優先してくださっているのだろう、と、少し嬉しくなる。
扉の内側のノブを右手の手のひらで触れて。
「ジークハルト、様?」
そのまま扉を開けるのは躊躇われそう声をかける。
「ああ。エーリカ。すまなかった。俺は君の気持ちも考えもせずに、エリカと呼び続けてしまって」
「あなたが好きになったのがメイドのエリカなんですもの。しょうがないです……」
「そうじゃない、そうじゃないんだよエーリカ」
「だって、あなたがそうおっしゃったのですよ? メイドに扮したわたくしに。妻のエーリカだとは知らずに。好きだエリカ、と」
そう。そこから履き違えている。
エーリカにとってエリカとは自分が演じていただけの存在であり自分自身とは違う。
でも、ジークハルトにとってはそのエリカが好きになった対象なのだ、と。
ジークハルトが愛しているのは自分ではなくてエリカという虚像なのだと。
どうしても、その思いから抜け出すことができずにいたエーリカ。
「確かに、最初はメイドだと思っていた。君じゃないんだと、貴族じゃない女性だと。でも、違ったんだ。あの、一晩中看病してくれた時の温かい手は現実の君、エーリカだった。『旦那様、また来ますね』と言ってくれた君の、その時の笑みに、俺は恋をした。真実を知った時、それがよくわかったんだ。あの時の君はメイドのエリカではなく俺の妻のエーリカだったろう? あれが演技だとは俺には思えなかったんだ」
そう懇願するジークハルトの真剣な声に。
手にかけた扉のノブをまわし開けて、手前に開ける。
「エーリカ」
「旦那様、中にお入りになって」
そう招き入れていた。
「お飲み物、飲まれますか?」
ソファーを勧め、棚からグラスをふたつ取り出す。
(ママレードにしてあるユズがあったからお水で溶かしてユズ水でも作りましょうか。お酒があったらよかったのでしょうけど、あいにくここには置いていませんし)
返事を聞く前にママレードをスプーンでひとさしグラスに入れ、水差しからお水をそそぎいれる。
そのまま軽く混ぜてジークの待つソファーの横のチェストに一つ置いた。
そして。
自分はもう一つグラスを持ったまま、そのソファーの反対の端にちょこんと腰掛ける。
ジークと並んで腰掛ける形となったところで、パーティーでアナスターシアの隣に腰掛けた時のことを思い出していた。
あの時も。なんだか彼女をほかっておけなかったんだったっけ。
そう呟いて。
「ありがとう、美味しいよこれ。だけどどうせなら」
グラスに手をかざすジークハルト。カランと氷の塊がグラスの中に落ちた。
「こうして冷たくしたら、きっともっと美味しいよね、君のもどう?」
「氷の魔法、ですか?」
「ああ。俺は一応、全属性の加護があるからね。これくらいはできるんだ」
「じゃぁ、お願いします」
そう云ってグラスを差し出す。ジークハルトがさっと手をかざすと、カランとグラスを揺らす氷。
一瞬、じっとその揺れる液面を眺め、グラスにくちづけるエーリカ。
冷たくて、ユズの香りがより際立って美味しい。
「美味しいです。ありがとうございます旦那様」
「よかった。こんな魔法を身近にできるように、今俺は魔法具の研究をしているんだ。それが俺の、こんなふうに全ての属性の加護を与えられた俺の使命のような気がして」
彼の、こんな気持ちを聞くのは初めてだった。
というか、今までジークハルトのそんな気持ちどころか彼のことを何も知ろうとしてこなかった自分に気がついて。
もうちょっとだけ、彼のことを知りたい。
もうちょっとだけ、ここに居たい。
「わたくし、まだ旦那様の妻でいても、いいのでしょうか?」
そう口に出していた。
「いいに決まってる! 愛しているんだ、エーリカ!」
7
お気に入りに追加
662
あなたにおすすめの小説

公爵家の赤髪の美姫は隣国王子に溺愛される
佐倉ミズキ
恋愛
レスカルト公爵家の愛人だった母が亡くなり、ミアは二年前にこの家に引き取られて令嬢として過ごすことに。
異母姉、サラサには毎日のように嫌味を言われ、義母には存在などしないかのように無視され過ごしていた。
誰にも愛されず、独りぼっちだったミアは学校の敷地にある湖で過ごすことが唯一の癒しだった。
ある日、その湖に一人の男性クラウが現れる。
隣にある男子学校から生垣を抜けてきたというクラウは隣国からの留学生だった。
初めは警戒していたミアだが、いつしかクラウと意気投合する。クラウはミアの事情を知っても優しかった。ミアもそんなクラウにほのかに思いを寄せる。
しかし、クラウは国へ帰る事となり…。
「学校を卒業したら、隣国の俺を頼ってきてほしい」
「わかりました」
けれど卒業後、ミアが向かったのは……。
※ベリーズカフェにも掲載中(こちらの加筆修正版)

【完結】恋を失くした伯爵令息に、赤い糸を結んで
白雨 音
恋愛
伯爵令嬢のシュゼットは、舞踏会で初恋の人リアムと再会する。
ずっと会いたかった人…心躍らせるも、抱える秘密により、名乗り出る事は出来無かった。
程なくして、彼に美しい婚約者がいる事を知り、諦めようとするが…
思わぬ事に、彼の婚約者の座が転がり込んで来た。
喜ぶシュゼットとは反対に、彼の心は元婚約者にあった___
※視点:シュゼットのみ一人称(表記の無いものはシュゼット視点です)
異世界、架空の国(※魔法要素はありません)《完結しました》

【完結】白い結婚はあなたへの導き
白雨 音
恋愛
妹ルイーズに縁談が来たが、それは妹の望みでは無かった。
彼女は姉アリスの婚約者、フィリップと想い合っていると告白する。
何も知らずにいたアリスは酷くショックを受ける。
先方が承諾した事で、アリスの気持ちは置き去りに、婚約者を入れ換えられる事になってしまった。
悲しみに沈むアリスに、夫となる伯爵は告げた、「これは白い結婚だ」と。
運命は回り始めた、アリスが辿り着く先とは… ◇異世界:短編16話《完結しました》

【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》

あなたが幸せになるために
月山 歩
恋愛
幼馴染の二人は、お互いに好きだが、王子と平民のため身分差により結婚できない。王子の結婚が迫ると、オーレリアは大好きな王子が、自分のために不貞を働く姿も見たくないから、最後に二人で食事を共にすると姿を消した。

【完結】地味令嬢の願いが叶う刻
白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。
幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。
家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、
いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。
ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。
庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。
レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。
だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。
喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…
異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

忘れられた薔薇が咲くとき
ゆる
恋愛
貴族として華やかな未来を約束されていた伯爵令嬢アルタリア。しかし、突然の婚約破棄と追放により、その人生は一変する。全てを失い、辺境の町で庶民として生きることを余儀なくされた彼女は、過去の屈辱と向き合いながらも、懸命に新たな生活を築いていく。
だが、平穏は長く続かない。かつて彼女を追放した第二王子や聖女が町を訪れ、過去の因縁が再び彼女を取り巻く。利用されるだけの存在から、自らの意志で運命を切り開こうとするアルタリア。彼女が選ぶ未来とは――。
これは、追放された元伯爵令嬢が自由と幸せを掴むまでの物語。

旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる