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 今泉は固い表情のまま口だけを動かし話し始める。

「急にこんな事言うのもあれなんだけどさ……」

 長い沈黙は1分ほど続いただろうか。
 いつもとは違う今泉の姿にジンも何か感じ取った。

「どうしたの、ご主人様?」
「いや、別に何かあったわけじゃないんだよ」

 何も起こっていない、動いたのは気持ちだけ。この気持ちの置き場所を今まさに決めようともがいている今泉は、続きを口にした。

「なんかよく分かんないんだけど……好き、だと思うんだ」
「好き? って何を?」
「あ、その……まあ、ジンの……ことを……」
「えっ、今なんて……?」

 途切れながらも、ジンの事を好きだと言った今泉は顔を真っ赤にしながらテレビを見つめる。
 ジンも突然の出来事に今泉と同様に、テレビを見たまま固まってしまった。
 テレビのバラエティ番組では、二人の嫌いなタレントがつまらない話を繰り返している。二人はいつもはすぐにチャンネルを変えるのに、今日はそのタレントの一挙手一投足に目が離せない。
 しばらくの沈黙はジンの一言によって破られる、

「正直に言うよ」

 この言葉にはいくつもの可能性を秘めている。
 そのすべてに今泉は覚悟をし、うなずいた。

「俺様は好きとかそういうのよく分かんないんだ」
「分かんないって?」
「元々猫だし、そこら辺の感情はよくわかんない」
「そうだよね」
「ご主人様にこういう風に言われるのって特殊な事なんだろうなってのはわかるよ」
「ごめん、変なこと言って」
「別に謝る事はないよ、好きって言ってもらえたら嬉しいし、俺様もご主人様の事好きだしね」
「……ありがとう」
「でも、それがどういう好きかは分かんないからきっとご主人様の期待する答えは今すぐには出せないかな」
「そうだよね、突然ごめん」
「いいっていいって、これで嫌いになるような俺様じゃないって!」

 ジンは今泉から受けた告白は一旦保留にした。
 男性から男性への告白は珍しいものではあるが、さらにその相手が元々猫なら尚のこと珍しいだろう。
 今泉は突然の告白に対し謝罪をしたが、ジンは笑ってそれを受け入れた。

 それからはいつも通りに時間は流れ、就寝前。
 今泉の顔にはあまり元気がないのか、表情として顕著に現れていた。それぞれ布団に潜り、電気を消した後ジンは今泉に話しかけた。

「なあ、ご主人様? さっきの事気にしてるのか?」
「気にしてるっていうか……んー、まあ……気にしてるかな」
「何を気にしてるんだよ」
「……あんな事言って嫌われたら嫌だなって」
「だから気にしてないって」

 ジンが気に留めていないと話しても、今泉は気持ちの置き場所にしっくりきていない。モヤモヤしたままさっきの告白をまだ引きずっていた。
 見かねたジンはベッドに上がり、今泉に馬乗りになった。

「な、なに突然!?」

 気が抜けていたのか想定外の出来事に今泉は度肝を抜かれた。
 ジンはそんな今泉の目を手で覆う。

「ちょ、ちょっとこれなに!?」
「いいから静かに!」

 今泉の顔に自分の顔を近づけ、そして自分の鼻と今泉の鼻をくっつける。

「ご主人様、これが何かわかるか?」
「鼻と鼻がくっついてる……」
「そうだ、これは猫同士の挨拶だ」
「……あいさつ?」
「俺様がこれをする相手はご主人様くらいだ。つまりご主人様と俺様はそれだけ心を許した仲だって事だよ」

 猫同士、鼻と鼻をくっつける事は敵対心がなくそれほど相手に心を許している証なのだ。
 今泉は堪えていたものが溢れたのか、涙を流しジンにお願いをした。

「……も、もう少しだけこのままで居させて欲しい」
「もちろん、喜んで」

 少し口を近づければキスなど容易いものだろう。
 好きならばキスの一つ、したくなるのが本望だ。
 だが、今泉はこの気持ちをぐっと堪え代わりにジンの有り余る優しさを胸の奥にしまい込む。今泉にとっての一世一代の告白は、始まりもせず、そして終わることもなかった。
 ジンの気持ちが傾くことを、一日千秋の思いで待つことにする。それが今泉に出来る最大限の勇気だった。

 ジンはそっと今泉の鼻から離し、自分の布団へと戻る。
 今泉は、少し恥ずかしそうにジンとは反対の方を向く。

「なあ、ジン」
「どうしたご主人様?」
「明日からはいつも通りな!」
「……わかった」

 この妙な空気も今日だけだと、今泉は振り払うように返事をした。
 きっと二人は今日という日を忘れないだろう。
 背中合わせの二人は眠りに落ちていった……
 明日、変わらない二人は前よりも距離が縮まり、少し変わった変わらない毎日が始まっていく。

 いつもと変わらないがいつもとは少し違う一日が始まった。とは言っても二人に何か変わったわけではない。
 今泉はいつも通りに朝の支度をして仕事に向かう。ジンはいつも通りにお昼ご飯を食べて家で待つ。
 ほんの些細な事だが、ひとつだけ変わった事がある。
 それは、今泉が仕事に向かう直前の話。ジンが今泉を見送る時、いつもはそのまま送り出すのだが今日は呼び止めたのだ。

「ご主人様」
「ん? どうした?」
「ずっと家でのんびりしてるのも悪いから家事でもしようかなーって」
「それにしても突然だな」
「まあ、たまにはご主人様の世話でもしてあげないとな」
「世話ってなんだよ世話って」
「ほれほれ、遅刻するぞー」

 突っかかって来ようとする今泉の事を制止しながら、玄関の外へと追い出したジン。
 彼には昨夜の事が気がかりで仕方なかった。起きてみて少しは今泉の気持ちは落ち着いたかと思っていた様だが、現実は憎し。
 ジンの目から見ると、どうにも空元気に見えたそうだ。原因はあからさまに分かるが、それをどう解消すればいいのかは分からない。
 そこで打って出たのが「家事」だった。気休めではないが、今泉の気持ちが少しは楽になるようにとジンなりの気遣いをしていた。

 意気揚々と今泉を送り出したが、ここからが困りもの。ジンは元は猫だ。猫に家事が出来るのなら、まさに猫の手も借りたい事だろう。簡潔に述べてしまえばジンは家事の経験がない。
 とりあえずの目標として掲げたのは、洗濯だ。この一点に今日は全てを捧げるようだ。まず、最初に洗濯する服などを選別していく。

「どれが洗濯してないやつなんだ……」

 思わず漏れた独り言も仕方ない。
 なぜならば、今泉は朝着て行く服を探すのにタンスの中から目当ての服を掻き分けながら進んでいく。その際に飛び出た服やら何やらでタンスの前はひっ散らかっているためだ。
 とりあえず出てしまった服を、洗って有る無し関係なく洗濯機にぶち込めば良いと思うのだが、ここは猫であった事が幸いした。
 ジンは散らばった服を一着手に取り、匂いを嗅ぐ。

「ん!? これは洗剤の匂いがする!!」

 洗剤の匂いがするかしないかを持ち前の嗅覚を生かして選別していく。
 結果、何故だか洗濯してないのにタンスに入っていた服も見つかり今日の目標洗濯数が決まった。
 ジンはカゴに洗濯物を詰め、洗濯機へと向かう。全てまとめて洗濯機へ入れ、テレビの見よう見まねで洗剤を入れスイッチを押す。
 動き出す洗濯機、回り出す洗濯物、それを見つめるジン。きちんと洗えてる事を確認して、ひと段落つく。
 洗濯機の様子にそわそわしながら昼のワイドショーを見て、おすすめスイーツのプリンよだれを垂らす。朝から食べていないジンのお腹が鳴るのとほぼ同時に、洗濯機も終了の合図を告げた。
 ジンはすぐさま洗濯物を干し、お昼ごはんの準備をする。見よう見まねで干した洗濯物は、若干傾きつつも風に吹かれている。

 今泉はいつもお昼ごはんをキッチンに用意してくれている。それをいつも食べる直前まで中身を見ないようにしている。見てしまうとすぐ食べたくなってしまうのと、直前までドキドキを味わいたいからだ。
 一つ家事をこなしたジンは、今日は格別美味しくなりそうだとかけ足でキッチンへと向かう。キッチンに近づいたジンは目を瞑り、見ないように手探りでお昼ごはんを探す。
 いつもの場所までたどり着き、手を伸ばし探るもご飯らしきものはない。ジンの手がいろいろとキッチンを冒険すると、ようやくあるものにたどり着く。
 そこには一枚の紙があった。

「今日のお昼ごはんは冷食! 冷食だけどすごく美味しいからオススメ! 今泉」

 ジンは落胆した。
 たまにある今泉の手抜き回に当たってしまったらしい。仕方なくレンジで温め、冷凍チャーハンを貪ったジンはそのまま不貞寝した。

 ジンが目を覚ましたのは、今泉が帰って来た時だった。

「ただいまー!」

 今泉の声に気がついたジンは急いで玄関へと向かう。

「お、おかえりなさいご主人様」
「どうした? 寝てたのか?」
「ちょっと疲れちゃって」
「そういえば朝言ってたアレ、どう?」
「あ!! まだ干しっぱなしだ!!」

 慌てて洗濯物を取り込むジンの姿を笑いながら今泉も横で手伝う。

「まあ初日でここまで出来たら上出来だよ」
「……ま、まあ俺様にかかればちょろいもんだよ」
「じゃあご褒美として……これ!」
「ご褒美……?」

 今泉は紙袋の中からある物を取り出した。

「ご主人様これって?」
「なんか帰り道にワゴンでプリン売っててさ、珍しくて買って来ちゃった」
「これめちゃくちゃ人気のやつだよ!!」
「え? そうなの?」
「今日テレビでやってた!」
「へー、なら良かった。じゃあ晩ご飯の後のお楽しみって事で」
「やったー!!!」

 お昼ごはんのショックは、ジンの中から一瞬で消え去っていった。
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