俺様は黒猫だ、愛を教えろ

鈴本 龍之介

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#3

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 今泉は近くのスーパーに買い物に出かけた。
 腕を奮うとは言ったものの、ジンの好きな物は抽象的すぎた。何を作ろうかイマイチ定まらないまま食品売り場をウロウロする。
 魚も肉も好きだと言っていたが、やっぱり猫なら魚の方が……迷った挙句どちらもカゴの中に入れた。普段は一人分しか買わないが、今回は二人分。今泉は二人の生活をカゴの重みで感じながら徘徊を続けた。
 ほかにジンが好きな物は何かと探し回り、おそらく無駄になるであろう物までカゴに入れていく。ダメなら自分が食べれば良い。その優しさが今泉の良いところでもある。
 重いカゴを手持ちからカートに変え、さらに徘徊していると今泉は後ろから聞き馴染みのある声をかけられた。

「店長ー! 買い物ですかっ?」
「あれ、千恵ちゃんじゃん! 見ての通り買い物だよ」

 愛嬌抜群の声で話しかけてきたのは今泉が店長をしている居酒屋の高校生アルバイト、千恵だ。

「それにしても量が多いですねー」
「そうかなー?」
「店長って一人暮らしですよね?」
「そうだよ」
「んー……彼女でも出来ました?」
「え!? な、なんで?」
「いやー、一人にしては多いけど二人分ならちょうど良いかなーって思って!」

 この千恵という子、とても感が鋭い。今泉は、彼女ではないが見知らぬ男と一緒に住んでいるのを知られたくなかった。
 誰しも知り合いに、猫が人になって一緒に暮らしてるんだよねなんて話したところで、頭がおかしくなったと思われること受け合いだからだ。なんとか話を逸らそうと今泉は千恵に用事を聞き返した。

「ち、千恵ちゃんは何買いにきたの?」
「そうだ、醤油買ってきてってお母さんに頼まれてたんだった!」

 慌ててレジに向かおうとする千恵だが、すぐさま戻ってきて一言こう言った。

「店長、彼女出来たら紹介してくださいねっ!」

 そしてまた風の如くレジに向かって行った。

 今泉は生まれてこの方、彼女がいた事がない。その理由はいくつかある。それは今泉が優しすぎるから。優しすぎると人は時にその人の事を恋愛対象から外してしまう。
 さらにもう一つ、今泉が奥手だからだ。
 好きな人がいなかったわけではない今泉だが、どうにも知り合いや友人からその先に発展させるのが苦手だった。
 遊びに誘うのも躊躇し、話しかけるのも怖がっていた。そんな人間には天から自分を好きな人が降ってくることでもない限り、彼女ができる事は難しい。

 彼女ね……と、心の中で落ち込みつつも、お腹を空かせて待っているジンの為に早く帰ることにする。
 重たい荷物を両手に持つ帰り道。
 先ほどのことを思い出し、彼女がいたらこんな気持ちなのかな……と今泉はふと思う。
 しかし、それを思う相手は猫から人になった男だ。きっとこの気持ちはまやかしなのだと、そっと心の奥に隠す。

 大量の買い物を済ませ家に着いた今泉は玄関のドアを開ける。
 するとそこには、ジンの姿が。

「ただいま、もしかしてずっと待ってたんですか?」
「俺様がそこまでするわけないだろ。音でわかるんだよ音で」
「へぇー、すごいですね」
「なんてったって猫と人のハイブリッドだからな!」

 そう言ったジンは、今泉が靴を脱いでいる間に荷物をキッチンへと運ぶ。今泉はその善意にほんの少しだけ見直した。

「すごい量買ってきたなー」
「何が食べたいか分かんなかったから、色々買ってきちゃったよ」
「ご主人様は優しいのになんで彼女がいないんだろうなー」
「それは俺が聞きたいよ!」
「俺様が彼女になってやろうか?」
「え……」
「じょーだんじょーだん」

 下らない話を少し真に受けてしまった事を悟られないようにしつつ、今泉は晩ご飯の準備をする。

「ジンはゆっくりしてて良いよ」
「いや、俺様はご主人様がきちんと作るか見張っている」
「ひどいなー! ちゃんと作るってー」

 会って間もない二人だが、この休みで距離がグッと近づいた。
 そんな楽しい時間も今日で終わり。明日から今泉は仕事なのだ。

 晩ご飯は旬のサンマの塩焼き。部屋中にサンマの焼ける良い匂いが充満しだす。二人は生唾を飲み込みながら今か今かと晩御飯の時を待つ。

「美味そうだな」
「でも焼くだけの料理なんかでごめん」

 腕を振るってやろうとは思ったが、ただ焼くだけのこの料理に今泉は謝った。

「俺様のサンマの骨を取ってくれるなら許してやろう!」

 今泉は、ならば喜んでと言わんばかりに焼きたてのサンマから背骨やら腹骨やら小骨を取ってあげた。その様子をジンは恍惚の表情で見つめる。

 男二人だが普段とは違い楽しく食べる食卓に今泉の顔には笑みが絶えなかった。

 お腹いっぱいなった二人はテレビを見て順番にお風呂に入り寝る時間。ベッドの上の今泉と、床に敷いた布団で寝るジン。悲しいかなようやくの休みももう終わる。

「明日から仕事だからジンは留守番頼むよ」
「そうか……寂しくなるな」
「つっても何日も会えないわけじゃないんだから、そんな落ち込まないでよ」
「そうだな……」

 ジンは少し寂しそうな表情を見せ、布団に潜り込んだ。
 そんな顔を見てしまった今泉は早くジンに服を買って外に出してやりたいと思い、眠りについた。
 季節は本格的に寒くなっていく。
 だが、ジンのおかげで今泉は少しだけ心が暖かくなった。

 安息の休日も終わり、仕事が始まる朝。今泉はアラームよりも早く目が覚める。心配性な性格からか、いつもこうなのである。
 ジンのことを起こさない様にそっとベッドから降り、洗面所へと向かう。顔を念入りに洗い今日も一日頑張るぞ、というような気合いを入れて朝食の準備をする。
 まだジンは起きてこない。冷蔵庫を開ける音、包丁を使う音、フライパンの音……静かに朝ごはんを食べ、食器を片し、ジンの分のご飯を冷蔵庫にしまう。
 すべてを最小限の音で済まし、家を出る支度をする。ジンへの書き置きを忘れずに残し靴を履いている途中だった。

「あれ……ご主人様……? もう、行くのか?」
「ごめん、起こしちゃったかな。ご飯は冷蔵庫入れといたから勝手に食べといて」
「さすがご主人様……ふぁあ……」
「寝てていいのに。じゃあ行ってくるね」

 ジンはほんの少しの物音で起きてしまい、今泉の出勤を見送った。まだまだ寝ぼけて目が半開きのジンの事を気遣い、颯爽と今泉は家を出た。
 ふらふらに手を振りながら見送ったジンの姿に少々心を痛めながら仕事場への道を行く。家から仕事場までは徒歩で15分弱だ。
 
 今泉の仕事場は居酒屋「表と裏」
 昼は定食屋、夜は居酒屋に姿を変える二毛作営業だが、決して大きい店ではなく席は八席ほどの小さいお店だ。
 今泉が学生の頃にバイトをしていた店だが、就職に失敗したのを見かねてオーナーが店長として雇う事にしたのだ。

「おはようございまーすって誰もいないんだよな」

 いつも朝は一人だ。
 この飲食店には今泉とオーナー、そしてアルバイトの二人で回っている。主に今泉とオーナーが店に入り、その手伝いという形でアルバイトがいる。
 店は11時から23時まで営業しているが、そのうち今泉が働く時間は朝の仕込みの10時から19時までで、そこからはオーナーにバトンタッチをする。そのため10時半にアルバイトが来るまでは一人なのである。

 一人きりで定食のメニュー用に野菜を切り、肉を切り、魚の下ごしらえをしてる最中にアルバイトがやってきた。

「おはよーっざっす」
「おー、おはよー」
「今日寒いっすね」
「風邪ひかないでよー」

 チャラそうな見た目だが遅刻せずに出勤したのは近藤という男。歳は二十代半ばで、夢を追いかけてるバンドマンだ。彼はお昼の時間ここでアルバイトをして生計を立てている。

 近藤は制服に着替えた。制服と言ってもただのエプロンをつけるだけ。そのまま近藤はホウキとちりとりを持ち外に掃きに出て、戻ってきたらテーブルを拭くという毎回の作業をこなす。そうこうしているうちに時刻は11時前。

「近藤くん、店開けるよー」
「うぃーっす」

 店の入り口にある札を営業中に変え、客を待つ二人。今泉はお昼のピークに備え、下準備を続ける。
 近藤は何かを口ずさみながらリズムに乗り、時折首を傾げていた。

 開店から遅れて少し経つが、客は突然やってくる。

「いらっしゃいませー! お一人でよろしいですか?」

 近藤はさっきまでのキャラとは打って変わって口調が180度豹変する。さすがに客の前だという事を弁えるようだ。
 近藤がオーダーを聞き、今泉に伝える。それを受けて料理を作り、近藤が運ぶ。片付けは近藤、お会計も近藤。
 これを繰り返して一日が終わる。

 どういう口コミだか分からないが、この店は異様に繁盛する。お昼前には満席で、店の外には行列ができることもしばしば。
 ピークが過ぎるのはいつも14時を回ってからだった。この頃には客も来なくなり、二人で少しの休憩を取る。労働基準をギリギリ守る程度の休憩を取ったのち、今泉は居酒屋の営業用に少しの準備と明日のお昼の分の仕込みを少し進める。近藤はその間、皿洗いなどの雑用をこなす。
 夕方に差し掛かるとまばらに客が入ってきて、遅めの昼食なのか早めの晩ご飯を食べていく。そして定食屋としての営業が終わる17時、二人は後片付けに移る。
 この時間になると客もいないため、雑談をしながら作業をする。

「近藤くん、休み何してたの?」
「曲書いてたっす」
「へー、どんな曲?」
「ガチガチにイカしてる曲っすね」
「そうなんだー、いいね」
「店長は何してたんすか?」
「俺か、俺は」

 一昨日からの謎の男のいる生活を思い出して、思わず口に出してしまいそうになったが話がややこしくなりそうだったので飲み込んだ。それと同時に、今ジンが何をしてるのか少し心配になった。

「まあいつも通りのんびりしてたわ」
「店長もつまらないっすね」

 当たり障りのない返しに、キツいカウンターを食らったが残り数時間少しだけ頑張ろうと気合が入ったのだった。
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