上 下
1 / 8

第一話 笑顔がニチャついていた

しおりを挟む
 士丈新しじょうあらたは最後の昭和人間だ。渋々ジムに通って年齢に抗い、部下と上司に挟まれ、疲労困憊のなか無為な時間を…

「過ごしているのであった…じゃないんだよなぁ」
「ん? なんか言ったか?」
「うん? 俺何か言ってたか」
「『じゃないんだ』 とか…」

 会社から出て五反田駅に向かうべく、雑踏の中を歩いていく。
 かけいは、いろいろ薄いクセに耳聡い男だ…

「いやぁ最近、自分でもびっくりするくらい独り言いってるらしいんだよ…」
「らしいって?」
「中矢に酒の席でツッコまれた」
「はは、相当疲れてんな」
「そーなー」

 口に出した自分の言葉でへこむ。務める会社は五反田で6フロア使えるくらいの中堅どころ。順風満帆といえばそうかもしれないが、
 皆さんご存知中間管理職。部下を持って5年ちょっとの俺は、早くも上下のプレッシャーで潰れかけている。

「そーいや、あいつら置いて来ちゃったけど、いいのか? ほら、いるじゃん 香乃ちゃんだっけ? おっぱいの」
「おまえ、固有名詞をおっぱいとか、ポリス沙汰だぞそれ」
「ハハハハ、部下にビビりすぎだよ。いちいちそんなんで騒がないって」
「セクハラ案件に俺を巻き込むな。おっぱいは自分で何とかしてくれ…」
「へーへー。じゃぁ来週あたりオレがあのでっかいのに吸い付くことにしよう。アレはウチん所でも有名」
「彼氏、自衛官だってよ。射殺されないようにな」
「マジか!!」

 今日は珍しく部下に誘われたが、やんわり断った。なんかあの子たち怖えーのよ。飲みの席での会話が半分くらい意味不明。全然入ってこない。マジ異世界。

「はぁ、今年の新人、アラフォーおじさんには荷が重い… まぁとりあえずは残業1時間に収まった今日の快挙を喜ぼう」
「えー…あんなぽやぽやした子が…カレシいるんだ…そりゃいるか…毎日あのおっぱいを…」
「なにブツブツ言ってんだ」

 どうせこいつは、深刻な顔して女の事しか考えていないんだよ。仕事しろ。
 しかし、残業が1時間ってだけで、なにこのプレミアム感。いつもの街並みがなぜだかキラキラしてるぜ。

「おっと、んなこと言ってる場合じゃなかった」

 赤信号で立ち止まった筧が交差点を右へ進もうとした。

「どした?」
「あー、今日はちょっと大崎から帰るわ」
「歩きでか? タクシー拾えば」
「いや、天王洲行くんよ。大崎から電車乗る。駅まで大した距離じゃないし、健康にもいい」
「セクハラしたり、身体に気を使ったり忙しいヤツだな」
「ってことで、オレはここでドロンさせていただきやす」

 五郎〇のルーティンみたいなポーズを取りやがった。ちょっとイラっとする。

「…もう一生『ドロン』なんて聞かないと思ってたよ」
「ほんじゃ、またな」
「おう。俺ちょっと飲んで帰るわ」
「ほどほどにな。早く帰れよ」

 筧が楽しそうに大崎へ向かって歩いていく。 ありゃ女だな。 おっさんがウキウキしていて見苦しい。

「早く帰ったからといって、誰か待ってるわけじゃないんだけどな」

 再び自分の言葉でへこむ。独身。いや、いたよ彼女。少々遅いスタートだが、大学時代はそれなりに。
 就職してしばらくすると、いなくなったねー彼女。なんでかなぁ。Webマンガのあの会社、いいなぁ、俺もあそこに転職したいなぁ。
 あぁ、背の低いかわいい部下に慕われたい、上司に褒められたい。でも、今の新人はいらねー。

「7時過ぎ…さっさと飲んで帰るか… もつ煮だな」

 駅に向かう人の流れからちょっと外れて脇道に入ると、少しだけ心が解れた。俺の五反田最強伝説始まる。

「ん、このビル、建て替えなんだ」

 目黒川沿いの雑居ビルが防音シートとパネルで囲われていた。

「気が付かなかったなぁ なにができるのか…」

 なんとなく見上げた解体中のビル。防音シートが風にたなびいている。
 急に重苦しい感じがした。風が止む。雑踏や車道の音が突然消える。

「ドゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォン」

 全方向から圧力をもった大音響が襲ってくる。思わず耳を塞いで蹲る。

「な、なん…」

 バンという音と共に街中の明かりが消えた。

「なんだ!なんだ!なんだ!なんだ!!」

 ホントに真っ暗だ! 右も左もわからねぇ!

 周りから悲鳴や怒声が聞こえてくるが、不思議と交通事故のような音は聞こえてこない。
 と、とにかく動いたらヤバそうだ。リュックを下ろして頭の上に置き万が一に備えるくらいしかできない。
 訳の分からない時間が過ぎていく。3分か、10分か、1時間か、重苦しい闇の中でじっとするしかない。

 頭上にあった得体の知れないプレッシャーがふっと消えると、街に明かりが戻る。

「何だったんだ、今のは何だ…」

 リュックはそのままにゆっくり立ち上がって周りを見渡す。

「マジヤベー こわー」

 一人ブルってキョロキョロしてると向いにOLさん3人組がいることに気付いた。3人ともが俺の頭上を見て指さしている。
 内の一人が俺に何か叫んできた。

「何?」

 リュックを下ろして笑顔を向ける。ちょっとニチャついた笑顔になったかな。
 OLさんたちが走り出す。

「俺の笑顔そんなにキモかったか」

 離れた所にいたサラリーマン的な人たちも何か叫んでいる。
 上の方で『ガゴン』という音がした気がする。

「ん?」

 見上げると目の前に足場らしきものが迫っていた。

「あ」

 一瞬ですべての『諦め』がついた。体が全く動かない。避けられない。
 次の瞬間、頭が熱いと感じて視界が再び真っ暗になる。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁあ」

 悲鳴が聞こえたなと思ったらすべての感覚がなくなり、何も分からなくなった。
 ずっと耳鳴りがしていた気がする。





つづく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。

夢草 蝶
恋愛
 侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。  そのため、当然婚約者もいない。  なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。  差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。  すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう

天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。 侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。 その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。 ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

王太子妃が我慢しなさい ~姉妹差別を受けていた姉がもっとひどい兄弟差別を受けていた王太子に嫁ぎました~

玄未マオ
ファンタジー
メディア王家に伝わる古い呪いで第一王子は家族からも畏怖されていた。 その王子の元に姉妹差別を受けていたメルが嫁ぐことになるが、その事情とは? ヒロインは姉妹差別され育っていますが、言いたいことはきっちりいう子です。

処理中です...