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『歪な世界でもう一度』(2020)
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それは典型的な戦争の最後となった大戦の頃、女装芸人のスズは男勝りの娘に恋心を抱いていた。その娘は名をカナと云い、男子に恵まれなかった家での不遇な暮らしに耐えかねて家を出た下働きの女だった。
スズは女の身で独り生きようとする逞しいカナに憧れながら、女のなりをして笑いを取る事しか出来ない無学で貧しい自分を恨み、自分が男である事をカナに言えずに居た。一方のカナは女である事を恨み、男に養われる事を拒絶し、慕情を口にする事の出来ない女だった。
そんな関係は迫る戦火により終止符を打たれ、スズは一人の男に戻され、カナは実家へと戻らざるを得なくなった。そして、スズは鈴木十丸として召集令状を受け取り、出征する旨をカナに告げる事となった。
カナが実家で父親からの暴力に耐えるしかなかったある日、彼女は鈴木スズの名で届いた一枚の葉書を受け取り、親しかった女芸人が男であった事と、出征した事を知った。スズが抱いていたカナへの慕情の告白と共に。
その翌日、カナの妹のミナは町の病院へと動員される事が決まり、家族は女でもお国の為に働けるのだと喜んだ。だが、それから程無くしてミナが務めていた病院は空襲の被害を受け、その報せを受けたカナは姿を消した。
数日の後、混乱のまま寮を離れて逃げる事になったミナは、焼け跡を逃れる集団と共に行き着いた先から実家へと帰され、一枚の葉書を見つけた。そこには、差出人とは別の筆跡で書かれた言葉が残されていた。
生まれ変わったらあなたのお嫁さんになりたい、と。
それから果てしない時間が流れ、世の中は男女の性差が忌むべき物となっていた。
男女の権利の平等だけでは不十分と考えられた挙句、男が子供を産めるようにしろとおかしな議論が巻き起こり、その果てに男女は均一化される事になったのだ。それは、女にハイヒールを履かせるなと騒動になった時代が、笑い話になる様な現実だった。その均一化の結果、女性がスカートを履く事が、男性が髭を蓄える事が、性を誇示する咎められるべき行為になってしまったのだ。
そんな時代のある日、お手製のメルヘンなワンピースを着た鈴音は東京駅に降り立った。学校祭の代休と週末の連休を使い、通信制の服飾専門学校の見学へと向かう為に。
(折角の原宿なのに……)
年に何度も通わない学校見学を口実に上京し、一度は歩いてみたかった街並みは、この数年激化している男女均一化の影響ですっかり殺風景になっていた。女性らしい可愛さは街行く人にも殆ど見られず、飾られているのは男女差の無いストリート系の商品ばかりだった。無論、パステルカラーは男性差別という風潮の為、表立って飾られているのは暗色ばかり。
東京の学校に通えない事が少し残念だった鈴音の心境は、通信制で正解だったと変わっていた。そんな時だった、彼女の前に、男女の分からない身なりの若者が立ちはだかったのは。
若者達はスカートを履くのは男性差別だと叫び、鈴音の胸倉に手を伸ばそうとした。
「いい加減にしやがれ! 其処は俺の客席だ」
若者達を制止したのは、彼女の足元でギターを弾いていた無精髯の若い男だった。
「まったく、おたくらは相手がオカマだって心配しねぇのか?」
飛び出した言葉に思わず鈴音は男を見下ろすが、若者達はばつが悪そうに立ち去って行った。
「悪かったな。あんたは女だろ?」
「え、えぇ……あ、ありがとうございます……」
鈴音は引き攣った表情を浮かべながらも、路上のギタリストが物珍しくなり、男の傍らにしゃがみ込む。
「別にチップならいらねぇよ」
「聴いてないからそれは無いですけど……珍しくて」
「あぁ……今日日音楽をやるってのも、少なくなったからな」
「それもですけど……若い人が髭伸ばしてるのも、珍しくて」
「じろじろ見たくなるほどに?」
「えぇ」
男は溜息を吐いた。男の髭が暴力の象徴の様に叫ばれて久しい事を憂う様に。
「……俺の先祖の戦死したじぃさんの兄弟ってのが、食うに食えずに女装して長唄を謳ってたらしくてな。その所為かな、歌うのは好きだけど、男が男と言えないのが、胸糞悪くてさ」
「それを言うなら……私のおばあちゃんのおばあちゃんくらいの世代で、女として生きていく事が苦痛で、自殺してしまった人が居ると聞かされました。だから私も、女に生まれても幸せだったはずなのに、また、女が女である事を否定されるのはおかしいって思います」
「だから、そんなお人形さんみたいな恰好を?」
「お人形……確かに、そうですけど……」
鈴音は言いながら、不意に向けられた男の視線に不思議な感情を覚えていた。
「どうかしたか?」
「いえ、なんとなく……初めて会った様な気がしなくて」
「へぇ……俺もだ」
鈴音は目を瞠った。
「……あの、お名前、聞いていいですか」
「カナト。明日も此処に居るから、また来てくれよ」
スズは女の身で独り生きようとする逞しいカナに憧れながら、女のなりをして笑いを取る事しか出来ない無学で貧しい自分を恨み、自分が男である事をカナに言えずに居た。一方のカナは女である事を恨み、男に養われる事を拒絶し、慕情を口にする事の出来ない女だった。
そんな関係は迫る戦火により終止符を打たれ、スズは一人の男に戻され、カナは実家へと戻らざるを得なくなった。そして、スズは鈴木十丸として召集令状を受け取り、出征する旨をカナに告げる事となった。
カナが実家で父親からの暴力に耐えるしかなかったある日、彼女は鈴木スズの名で届いた一枚の葉書を受け取り、親しかった女芸人が男であった事と、出征した事を知った。スズが抱いていたカナへの慕情の告白と共に。
その翌日、カナの妹のミナは町の病院へと動員される事が決まり、家族は女でもお国の為に働けるのだと喜んだ。だが、それから程無くしてミナが務めていた病院は空襲の被害を受け、その報せを受けたカナは姿を消した。
数日の後、混乱のまま寮を離れて逃げる事になったミナは、焼け跡を逃れる集団と共に行き着いた先から実家へと帰され、一枚の葉書を見つけた。そこには、差出人とは別の筆跡で書かれた言葉が残されていた。
生まれ変わったらあなたのお嫁さんになりたい、と。
それから果てしない時間が流れ、世の中は男女の性差が忌むべき物となっていた。
男女の権利の平等だけでは不十分と考えられた挙句、男が子供を産めるようにしろとおかしな議論が巻き起こり、その果てに男女は均一化される事になったのだ。それは、女にハイヒールを履かせるなと騒動になった時代が、笑い話になる様な現実だった。その均一化の結果、女性がスカートを履く事が、男性が髭を蓄える事が、性を誇示する咎められるべき行為になってしまったのだ。
そんな時代のある日、お手製のメルヘンなワンピースを着た鈴音は東京駅に降り立った。学校祭の代休と週末の連休を使い、通信制の服飾専門学校の見学へと向かう為に。
(折角の原宿なのに……)
年に何度も通わない学校見学を口実に上京し、一度は歩いてみたかった街並みは、この数年激化している男女均一化の影響ですっかり殺風景になっていた。女性らしい可愛さは街行く人にも殆ど見られず、飾られているのは男女差の無いストリート系の商品ばかりだった。無論、パステルカラーは男性差別という風潮の為、表立って飾られているのは暗色ばかり。
東京の学校に通えない事が少し残念だった鈴音の心境は、通信制で正解だったと変わっていた。そんな時だった、彼女の前に、男女の分からない身なりの若者が立ちはだかったのは。
若者達はスカートを履くのは男性差別だと叫び、鈴音の胸倉に手を伸ばそうとした。
「いい加減にしやがれ! 其処は俺の客席だ」
若者達を制止したのは、彼女の足元でギターを弾いていた無精髯の若い男だった。
「まったく、おたくらは相手がオカマだって心配しねぇのか?」
飛び出した言葉に思わず鈴音は男を見下ろすが、若者達はばつが悪そうに立ち去って行った。
「悪かったな。あんたは女だろ?」
「え、えぇ……あ、ありがとうございます……」
鈴音は引き攣った表情を浮かべながらも、路上のギタリストが物珍しくなり、男の傍らにしゃがみ込む。
「別にチップならいらねぇよ」
「聴いてないからそれは無いですけど……珍しくて」
「あぁ……今日日音楽をやるってのも、少なくなったからな」
「それもですけど……若い人が髭伸ばしてるのも、珍しくて」
「じろじろ見たくなるほどに?」
「えぇ」
男は溜息を吐いた。男の髭が暴力の象徴の様に叫ばれて久しい事を憂う様に。
「……俺の先祖の戦死したじぃさんの兄弟ってのが、食うに食えずに女装して長唄を謳ってたらしくてな。その所為かな、歌うのは好きだけど、男が男と言えないのが、胸糞悪くてさ」
「それを言うなら……私のおばあちゃんのおばあちゃんくらいの世代で、女として生きていく事が苦痛で、自殺してしまった人が居ると聞かされました。だから私も、女に生まれても幸せだったはずなのに、また、女が女である事を否定されるのはおかしいって思います」
「だから、そんなお人形さんみたいな恰好を?」
「お人形……確かに、そうですけど……」
鈴音は言いながら、不意に向けられた男の視線に不思議な感情を覚えていた。
「どうかしたか?」
「いえ、なんとなく……初めて会った様な気がしなくて」
「へぇ……俺もだ」
鈴音は目を瞠った。
「……あの、お名前、聞いていいですか」
「カナト。明日も此処に居るから、また来てくれよ」
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