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第一章 The war ain't over!
5-3 トラウマ掘削機(2022年春)
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レインはふたつめのアーモンドスカッチを手に取る。
「そこで考えた。何故アマミ君はこうも落ちぶれてしまったのか……原因は僕だった。僕が彼の頭でシンバルを叩き割った後、彼は本当に浮気をしなくなった。だが、それと同時に彼は品行方正で売れ筋に拘るただのミュージシャンになり下がった……マキタ君に言わせれば、アマミ君は不幸な幼少期の所為で、他者に適切な愛着を持てずにいるんだろうと言っていた」
レインは人文分野の延長で履修した心理学の講義を思い出す。そして、ケリーの不運な身の上に思い至る。
「それ故に、言い寄ってくる相手は自分に関心が有るとみなし、見境なく付き合ってしまう……そして人間関係はどこか依存的になりがちだとな。しかし、こうなると、何が正しかったのかは分からない」
四つ目のキャンディを手に取り、レインは思いとどまった。色味からしていちごミルク味らしいが、果たしてそれは口に入れてもよい代物なのか、と。
「道義的には妊娠させた相手と籍を入れ、父親にならなければならないし、結婚した以上、浮気をするもんじゃない。事実、あの一件からアマミ君の奥さんは泣かされずに済んでいる。だが、方やバンドは解散の危機だ。僕だってこれ以上彼が俗物になり下がるのであれば、廃業してもいいと思っている。とはいえ、責任が有るのは僕でもある……ユウキ君、アマミ君は君に半ば惚れていた。実際、止めはしたんだが、彼はキミに会いに行ったんだろう?」
「何が言いたいんだよ」
レインはルーシーの顔を見た。
「もしキミが戻って来たならば、アマミ君はキミへの慕情に駆られ、本来あるべき才能を発揮してくれると思うんだよ」
「ふざけんなよ」
レインはピンク色の包みを手放し、大層不味かったプラリネ味のキャンディを一つ手に取った。
「悪いけど、ツアーで死にかけたのはトラウマだし、此処まで来て親より先に死にたくはないし、音楽的にも、確かに今もヘアメタルは好きだけど、あれからメロデスにハマって、今はブラックゲイズ系のデプレッシブブラックが創作のメインになってるんだ、とてもついていけないし、向こうも願い下げだと思うよ」
「ブラック?」
「あぁ、隆君は其処までメタル詳しくなかったね……今作ってるのはブラックゲイズ、シューゲイザーとブラックメタルのミクスチャーで、多分一番知られているのはフランスのアルセスト」
「そもそもそのブラックメタルって言うのがいまいち想像できないんだが」
「ブラックメタルっていうのはスラッシュ・メタルからパンク的に派生したデスメタルと対になっている、メタルらしいエクストリーム・メタルのジャンルで、反キリスト、サタニズム的な思想が特徴的だ。先駆けになっているバンドはいくつかあるけど、90年代のノルウェイジャン・ブラックメタルがブラックメタルを象徴的にしたムーブメントで、メイヘムが最もアイコニックといえるかな」
「聴いたことが無いな」
「じゃあ、エンペラーやサテリコンは知ってる? サテリコンのフロストはブラストビートの名手の一人だけど」
「それなら覚えが有る」
「そっか。じゃあ話が早いかな。で、今俺が作ってるのはデプレッシブ・ブラックメタルよりのブラックゲイズ……その、デプレッシブブラックっていうのは、その名の通り、憂鬱なテーマに基づいたブラックメタルで、ザスターなんかも此処にくくられることが有るけど、スローテンポでメタルらしからぬポストロックやポストブラックメタルみたいなバンドも多い」
「また妙な物を作ってるんだな」
「確かに奇妙かもしれないけど、ブラックメタルはポストロックみたいなバンドも有るし、エクスペリメンタルやアバンギャルドと表現されるバンドもあって、何でもありなジャンルなんだ」
「有象無象の素人が作るボカロみたいだな」
「確かにそうだね。一人で全部演奏するバンドも多いし、好き勝手作れるからこそクリエイティブで面白いとも言えるよ。まあ、俺はさ、何時かはヘルフェストやヴァッケンみたいな海外の大規模フェスに出たいと思ってるわけだけど」
「ヴァッケン?」
聴きなれない言葉にルーシーは首を傾げる。
「ヴァッケン・オープン・エア、ドイツの田舎、ホルスタイン牛の産地で開かれてるメタルフェスだよ。とはいえ、俺達みたいなジャンルだと、フランスのヘルフェストの方がしっくりくるかな」
「そうか……キミの言い分は大体わかったよ。ただ、助けて欲しい事に変わりはない。僕は今、このまま廃業して警備員にでもなろうかと思っているんだ」
「思い詰め過ぎだよ。バンドなんて人間関係で成り立ってる部分もあるし、続かないと思ったら他に相棒を探す事も必要だ。ただ……それで割り切れずに辞めるにしても、そうやって将来のビジョンが有るなら別にいいと思う。俺は俺の人生に責任持たずに生きてるから、それだけで立派だよ」
「だが」
「仕事と割り切って好きな事は別に好きな様にするか、割り切れないならいっそ辞めるのもいいと思うよ。俺は諦めが悪いからずるずると音楽を続けて、今はバーチャル配信者の運営手伝いながらバンドやってるんだ」
「そういう問題じゃあ」
言いかけたルーシーの口に、プラリネ味のキャンディが突っ込まれた。
「そういう事。俺はもう戻らないし、隆君は自分の人生を自分で決めればいいと思う。ただ……このプラリネキャンディはいただけないな。次に買うならアーモンドスカッチにしなよ」
ルーシーの鼻腔に、油脂の匂いが広がってゆく。二人だけだからとマスクを外していたのが間違いだったと思った時には、手遅れだった。
「じゃ、俺は帰るよ。悪いね、人助けにならなくて」
「そこで考えた。何故アマミ君はこうも落ちぶれてしまったのか……原因は僕だった。僕が彼の頭でシンバルを叩き割った後、彼は本当に浮気をしなくなった。だが、それと同時に彼は品行方正で売れ筋に拘るただのミュージシャンになり下がった……マキタ君に言わせれば、アマミ君は不幸な幼少期の所為で、他者に適切な愛着を持てずにいるんだろうと言っていた」
レインは人文分野の延長で履修した心理学の講義を思い出す。そして、ケリーの不運な身の上に思い至る。
「それ故に、言い寄ってくる相手は自分に関心が有るとみなし、見境なく付き合ってしまう……そして人間関係はどこか依存的になりがちだとな。しかし、こうなると、何が正しかったのかは分からない」
四つ目のキャンディを手に取り、レインは思いとどまった。色味からしていちごミルク味らしいが、果たしてそれは口に入れてもよい代物なのか、と。
「道義的には妊娠させた相手と籍を入れ、父親にならなければならないし、結婚した以上、浮気をするもんじゃない。事実、あの一件からアマミ君の奥さんは泣かされずに済んでいる。だが、方やバンドは解散の危機だ。僕だってこれ以上彼が俗物になり下がるのであれば、廃業してもいいと思っている。とはいえ、責任が有るのは僕でもある……ユウキ君、アマミ君は君に半ば惚れていた。実際、止めはしたんだが、彼はキミに会いに行ったんだろう?」
「何が言いたいんだよ」
レインはルーシーの顔を見た。
「もしキミが戻って来たならば、アマミ君はキミへの慕情に駆られ、本来あるべき才能を発揮してくれると思うんだよ」
「ふざけんなよ」
レインはピンク色の包みを手放し、大層不味かったプラリネ味のキャンディを一つ手に取った。
「悪いけど、ツアーで死にかけたのはトラウマだし、此処まで来て親より先に死にたくはないし、音楽的にも、確かに今もヘアメタルは好きだけど、あれからメロデスにハマって、今はブラックゲイズ系のデプレッシブブラックが創作のメインになってるんだ、とてもついていけないし、向こうも願い下げだと思うよ」
「ブラック?」
「あぁ、隆君は其処までメタル詳しくなかったね……今作ってるのはブラックゲイズ、シューゲイザーとブラックメタルのミクスチャーで、多分一番知られているのはフランスのアルセスト」
「そもそもそのブラックメタルって言うのがいまいち想像できないんだが」
「ブラックメタルっていうのはスラッシュ・メタルからパンク的に派生したデスメタルと対になっている、メタルらしいエクストリーム・メタルのジャンルで、反キリスト、サタニズム的な思想が特徴的だ。先駆けになっているバンドはいくつかあるけど、90年代のノルウェイジャン・ブラックメタルがブラックメタルを象徴的にしたムーブメントで、メイヘムが最もアイコニックといえるかな」
「聴いたことが無いな」
「じゃあ、エンペラーやサテリコンは知ってる? サテリコンのフロストはブラストビートの名手の一人だけど」
「それなら覚えが有る」
「そっか。じゃあ話が早いかな。で、今俺が作ってるのはデプレッシブ・ブラックメタルよりのブラックゲイズ……その、デプレッシブブラックっていうのは、その名の通り、憂鬱なテーマに基づいたブラックメタルで、ザスターなんかも此処にくくられることが有るけど、スローテンポでメタルらしからぬポストロックやポストブラックメタルみたいなバンドも多い」
「また妙な物を作ってるんだな」
「確かに奇妙かもしれないけど、ブラックメタルはポストロックみたいなバンドも有るし、エクスペリメンタルやアバンギャルドと表現されるバンドもあって、何でもありなジャンルなんだ」
「有象無象の素人が作るボカロみたいだな」
「確かにそうだね。一人で全部演奏するバンドも多いし、好き勝手作れるからこそクリエイティブで面白いとも言えるよ。まあ、俺はさ、何時かはヘルフェストやヴァッケンみたいな海外の大規模フェスに出たいと思ってるわけだけど」
「ヴァッケン?」
聴きなれない言葉にルーシーは首を傾げる。
「ヴァッケン・オープン・エア、ドイツの田舎、ホルスタイン牛の産地で開かれてるメタルフェスだよ。とはいえ、俺達みたいなジャンルだと、フランスのヘルフェストの方がしっくりくるかな」
「そうか……キミの言い分は大体わかったよ。ただ、助けて欲しい事に変わりはない。僕は今、このまま廃業して警備員にでもなろうかと思っているんだ」
「思い詰め過ぎだよ。バンドなんて人間関係で成り立ってる部分もあるし、続かないと思ったら他に相棒を探す事も必要だ。ただ……それで割り切れずに辞めるにしても、そうやって将来のビジョンが有るなら別にいいと思う。俺は俺の人生に責任持たずに生きてるから、それだけで立派だよ」
「だが」
「仕事と割り切って好きな事は別に好きな様にするか、割り切れないならいっそ辞めるのもいいと思うよ。俺は諦めが悪いからずるずると音楽を続けて、今はバーチャル配信者の運営手伝いながらバンドやってるんだ」
「そういう問題じゃあ」
言いかけたルーシーの口に、プラリネ味のキャンディが突っ込まれた。
「そういう事。俺はもう戻らないし、隆君は自分の人生を自分で決めればいいと思う。ただ……このプラリネキャンディはいただけないな。次に買うならアーモンドスカッチにしなよ」
ルーシーの鼻腔に、油脂の匂いが広がってゆく。二人だけだからとマスクを外していたのが間違いだったと思った時には、手遅れだった。
「じゃ、俺は帰るよ。悪いね、人助けにならなくて」
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