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第二章 成り行き任せ、異世界ライフ
35.貴族商人ボスウェリア:もてなし
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ジーナへの軽食を持ってきたのは、もう一人の女中プトーシ―だった。
「大したおもてなしは出来ませんが」
プトーシ―が机に出した皿の上には、茶色いパンのサンドイッチと焼き菓子が載せられている。
「何かあればお声がけ下さい」
プトーシ―はジーナへの食事と二人分の飲み水、味の付いていない炒った木の実の皿を机に並べる。
メテオーロはグラスを差し出すプトーシ―を見上げた。プトーシ―はメテオーロがエルフである事を知っている様に微笑む。
「では、失礼いたします」
プトーシ―が部屋を出ると、ジーナは見慣れない料理と食器に首を傾げる。メテオーロは黙ってボウルの水に指先を入れる。
「おい! それは」
「こうやって使うもんなんだよ。本来は食事の間に汚れた指を洗うもんなんだが……俺達の身なりを見て、気を使ってくれてんだよ」
ジーナはメテオーロの行為を不思議そうに眺めながらも、それに倣った。そして、生まれて初めて食べるパンを頬張り、眉根を寄せる。水分の少ない食材が干した果物や魚くらいしかない島で育ったジーナには、口の中の水分を奪われる食品はあまりなじみが無かった。祭りの際に作られる焼き菓子の様な物は食べた事が有ったが、それは粉っぽいもので、綿の様に口の中の水分を奪う物ではない。
口の中に張り付くパンくずを洗い流すべく、ジーナはグラスの水を口に含んだ。
「……なぁ、この水、なんか変だ」
「ん?」
メテオーロは自分のグラスに口を付け、ジーナの違和感を理解する。
「あぁ、こりゃ薔薇の香りを付けた水だな。腐ってるわけじゃねぇよ」
「なんでわざわざ飲み水にそんな事をするんだ?」
「薔薇の香りのする水は体にいいと信じられてるんだよ、人間には」
「はー……人間ってのはよく分かんねぇよ。このパンとやらも不思議だが、この間に有るやたらしょっぱい肉は何なんだ?」
「それはハムだ。塩漬けにして熱を加えて保存が効くようにしてんだよ」
「へー……」
ジーナは初めて食べる者や目にする物ばかりで困惑気味だったが、食事その者に不満は無い様だった。
「……ところでよぉ、この黒焦げの焼き菓子みたいなものは何だ?」
「ビスコッティだよ……それと、おそらくそれは黒焦げじゃあなくて、カカオが入ってるんだ」
「カカオ?」
「南の大陸で収穫される珍しい木の実で、油が多くてしっとりした粉になって出回ってる。飲み物にしたり、焼き菓子なんかに混ぜて使われてるんだよ」
「はぁ……この大陸はどうなってんだ、物が多すぎて訳が分からねぇよ」
目にする物、口にする物、ありとあらゆる物に馴染みのないジーナを前にして、メテオーロは一抹の不安を覚えた。
エルフや吸血鬼といった人間と異なる種族は人間と同じ生活圏に暮らす事の少ない種族ではあるが、それぞれの文明は緩やかに混ざり合いながら発展し、人間との交流が極端に少ないドワーフであっても人間の生活様式や言語の影響を受けている。
しかし、ジーナが暮らしていた南方の島嶼群は一つの島を一つの氏族が支配し、外部との接触が極端に少ない状態が長く続いていた。大陸と南大陸の交易が始まってからは、その航路上にある大きな島は外部文明との接触を余儀なくされたが、航行の中継地点として交易の文明が定着するにつれ共通語を話す翻訳者が生まれ、大陸の文化も知られるようになった。だが、航路を外れた島々は文明との接触が乏しかった。
ただ、言語だけは共通語が広まっている。それは交易が始まると共に、氏族ごとの方言による生活では隣り合う島との交流にも支障をきたすようになり、島の住民自らが船乗りに言葉を教えるよう訴えたのが始まりだった。当初は航路上で物資補給に協力する大きな氏族それぞれに言語学者が派遣されていたが、次第に航路を外れた島々に対しても近隣氏族が言語を教えるようになった。
ジーナの暮らしていたしまもそうして言語を獲得する機会は得ていたものの、その言語は大陸の文明や文化を伝えていない。ジーナにとっての共通語は、あくまでも別の島の人間と円滑に意思疎通を図り、諍いを起こさない為の手段でしかないのだ。
(言葉はともかく、何も知らないとなると、この先大丈夫か……?)
しかも、ジーナは無一文のまま都に上り、メテオーロと出会った時には保存食の一つも持ち合わせてはいなかった。そのことを思い返したメテオーロは、彼女に金銭の概念が有るのかどうかも不安に思い始める。魔獣退治ギルドは拠点の都市を離れて仕事を探す事になるが、その折には旅費が必要で、依頼料と旅費の収支が釣り合うか、倒した魔獣から得られる副収入がどれほど見通せるかを勘案する必要に迫られる。それらの決定権は頭領にあるものの、個々の従業員が道具や薬の調達を行い、その額の補填を請求することはこの先起こりうる。
(先が思いやられるぜ……)
水分の無いパンに悪戦苦闘するジーナを前にして、メテオーロは静かに溜息を吐いた。
「大したおもてなしは出来ませんが」
プトーシ―が机に出した皿の上には、茶色いパンのサンドイッチと焼き菓子が載せられている。
「何かあればお声がけ下さい」
プトーシ―はジーナへの食事と二人分の飲み水、味の付いていない炒った木の実の皿を机に並べる。
メテオーロはグラスを差し出すプトーシ―を見上げた。プトーシ―はメテオーロがエルフである事を知っている様に微笑む。
「では、失礼いたします」
プトーシ―が部屋を出ると、ジーナは見慣れない料理と食器に首を傾げる。メテオーロは黙ってボウルの水に指先を入れる。
「おい! それは」
「こうやって使うもんなんだよ。本来は食事の間に汚れた指を洗うもんなんだが……俺達の身なりを見て、気を使ってくれてんだよ」
ジーナはメテオーロの行為を不思議そうに眺めながらも、それに倣った。そして、生まれて初めて食べるパンを頬張り、眉根を寄せる。水分の少ない食材が干した果物や魚くらいしかない島で育ったジーナには、口の中の水分を奪われる食品はあまりなじみが無かった。祭りの際に作られる焼き菓子の様な物は食べた事が有ったが、それは粉っぽいもので、綿の様に口の中の水分を奪う物ではない。
口の中に張り付くパンくずを洗い流すべく、ジーナはグラスの水を口に含んだ。
「……なぁ、この水、なんか変だ」
「ん?」
メテオーロは自分のグラスに口を付け、ジーナの違和感を理解する。
「あぁ、こりゃ薔薇の香りを付けた水だな。腐ってるわけじゃねぇよ」
「なんでわざわざ飲み水にそんな事をするんだ?」
「薔薇の香りのする水は体にいいと信じられてるんだよ、人間には」
「はー……人間ってのはよく分かんねぇよ。このパンとやらも不思議だが、この間に有るやたらしょっぱい肉は何なんだ?」
「それはハムだ。塩漬けにして熱を加えて保存が効くようにしてんだよ」
「へー……」
ジーナは初めて食べる者や目にする物ばかりで困惑気味だったが、食事その者に不満は無い様だった。
「……ところでよぉ、この黒焦げの焼き菓子みたいなものは何だ?」
「ビスコッティだよ……それと、おそらくそれは黒焦げじゃあなくて、カカオが入ってるんだ」
「カカオ?」
「南の大陸で収穫される珍しい木の実で、油が多くてしっとりした粉になって出回ってる。飲み物にしたり、焼き菓子なんかに混ぜて使われてるんだよ」
「はぁ……この大陸はどうなってんだ、物が多すぎて訳が分からねぇよ」
目にする物、口にする物、ありとあらゆる物に馴染みのないジーナを前にして、メテオーロは一抹の不安を覚えた。
エルフや吸血鬼といった人間と異なる種族は人間と同じ生活圏に暮らす事の少ない種族ではあるが、それぞれの文明は緩やかに混ざり合いながら発展し、人間との交流が極端に少ないドワーフであっても人間の生活様式や言語の影響を受けている。
しかし、ジーナが暮らしていた南方の島嶼群は一つの島を一つの氏族が支配し、外部との接触が極端に少ない状態が長く続いていた。大陸と南大陸の交易が始まってからは、その航路上にある大きな島は外部文明との接触を余儀なくされたが、航行の中継地点として交易の文明が定着するにつれ共通語を話す翻訳者が生まれ、大陸の文化も知られるようになった。だが、航路を外れた島々は文明との接触が乏しかった。
ただ、言語だけは共通語が広まっている。それは交易が始まると共に、氏族ごとの方言による生活では隣り合う島との交流にも支障をきたすようになり、島の住民自らが船乗りに言葉を教えるよう訴えたのが始まりだった。当初は航路上で物資補給に協力する大きな氏族それぞれに言語学者が派遣されていたが、次第に航路を外れた島々に対しても近隣氏族が言語を教えるようになった。
ジーナの暮らしていたしまもそうして言語を獲得する機会は得ていたものの、その言語は大陸の文明や文化を伝えていない。ジーナにとっての共通語は、あくまでも別の島の人間と円滑に意思疎通を図り、諍いを起こさない為の手段でしかないのだ。
(言葉はともかく、何も知らないとなると、この先大丈夫か……?)
しかも、ジーナは無一文のまま都に上り、メテオーロと出会った時には保存食の一つも持ち合わせてはいなかった。そのことを思い返したメテオーロは、彼女に金銭の概念が有るのかどうかも不安に思い始める。魔獣退治ギルドは拠点の都市を離れて仕事を探す事になるが、その折には旅費が必要で、依頼料と旅費の収支が釣り合うか、倒した魔獣から得られる副収入がどれほど見通せるかを勘案する必要に迫られる。それらの決定権は頭領にあるものの、個々の従業員が道具や薬の調達を行い、その額の補填を請求することはこの先起こりうる。
(先が思いやられるぜ……)
水分の無いパンに悪戦苦闘するジーナを前にして、メテオーロは静かに溜息を吐いた。
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