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Third Movement : Lust form Pride
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思いつかない。
思い浮かばない。
思い描けない。
律子は紙とペンを前に、ただぼんやりと座っていた。
昨夜、松島から聞かされた話を思い出せば、何かを書かなくてはならないと思いつつ、同時に、既存の物に手を加え、替え歌を作る為に自分の言葉を消費する事への不満が、拭いきれなかった。
無論、律子は理解していた。自分の立場は、松島と近しいのだと。
そして、松島の置かれている立場は、更に切羽詰まった状況にある事も。
松島はかつてレーシングドライバーを目指し、その夢が叶った矢先のクラッシュでその夢を絶たれてしまった。
それも、他人によって。
死者が出たほどの大きなクラッシュの中、彼とて無事では済まなかった。しかし、治らない傷でも無いと、次のシーズンへの出場は決めていたという。だが、親より先に死ぬつもりかと両親から責め立てられ、消える様に引退する事になった。
あまり乗り気ではないまま、所帯を持って落ち着けと言われて結婚し、自動車学校の教官として生きる事を選んだ。だが、それもまた彼は奪われてしまった。同じ仕事に就く妻の妊娠をきっかけに、頑なに仕事を辞めようとしない妻に代わって、自分が家庭に入ると言わざるを得なくなったのだ。
子供の誕生を喜ぶ一方で、自分の人生を見失った彼が辿り付いたのが、アルタイルのオーディションであり、劇団員という生き方だった。
競い合う事でも無ければ、自分の望んだ人生でもない。しかし、なんとなく受けたオーディションが、彼に新たな希望をもたらした。
だが、年齢に反してキャリアは短く、大きな作品に係わる事は出来ないまま、子供が小学校に入った後には、妻の実家の畑を手伝いに来て欲しいとも言われたのが、つい最近の事。
松島は葉山弦一郎が音楽を手掛ける舞台で自身の名を知らしめる事に、一縷の望みを抱いていた。
律子自身も、家を追い出され、殆ど見ず知らずの男性の部屋に間借りする事態にはなったが、図らずも伝説の音楽家の名作に言葉を添え、自分のキャリアを華々しくスタートさせるチャンスを手にしている事には変わりがなかった。
そして、それは彼女自身が望む人生への第一歩でもあるはずだった。
だが、彼女は胸の奥で何かがもつれている様な気がして、手が動かせずに居た。
「あれ……真っ白……」
「あ……」
食材の買い出しから戻った天津は、食卓で作業する律子の手元を机越しに見ていた。
「あ、いえ、その……」
「……英語の曲だし、言葉、はまらないよね」
「ま、まぁ……」
伏し目がちに呟く天津に、律子は曖昧な返答を返す。
「どんな感じに、して欲しいって、何か、言われた?」
「え……」
唐突な問いに、律子は目を丸くする。
「こういう単語は、使わないで、とか」
「あ……何と言うか、全体的に、喜劇的と言うか、滑稽と言うか、暗くならない様に……こう、永遠の命を持つエルフは年老いる体に振り回されて、終わりの見える悲しみに終わりの見えないエルフは感情に振り回されるけど、喜びの感情が薄くなって、悲観的になってばかりだと気付く様に、良い所を探して……元の曲のイメージも取り入れて欲しいと言われたので、こう、神様の存在を如何に取り入れようかっていうのは、難しいです。そもそも、不老不死のエルフの概念を作ったトールキンがクリスチャンでも、その概念のベースになった物語における神の存在は一般に広まってないですし、そういう宗教観が失われた不老不死の美しい種族という概念がエルフですし……」
「そう……」
天津はそう言い残すと、手にしていた袋の食材を冷蔵庫へと片付ける。
「本当は……」
律子はこらえきらず、天津の背中に言葉を投げた。
「出来あいの曲に、言葉を乗せるなら……貴方の曲が、良かったです」
天津は手を止め、息を呑んだ。
「プリズム・オブ・サインの音楽には、もう、固定のイメージがあって、それを、覆す様な言葉は、思い浮かびません。だけど……まるで、朝焼けか夕焼けか分からない、何色とも言い難い空の色の様な、貴方の音楽……ニルヴァーナ・ドリームの音楽なら、なんとなく、そう、出来そうな気がするんです。何の言葉も無くて、悲しい様な、明るい様な、あの、ぼんやりとした雰囲気なら……その」
天津は奥歯を噛み締め、震える息を吐いた。
「そんな事、言っちゃ、駄目だよ……君は……君は、アルタイルの、脚本家、なんだから」
律子は目を伏せる。
「もし……作詞、どうしても、出来ないなら……麻野さんに、相談、して……」
開け放たれたままの冷蔵庫から、解放状態を警告する音が鳴り始める。
「あの人は……葉山さんが認めた、作詞家、だったから」
手にしていた物を押し込み、天津は押さえつける様に扉を閉める。
「きっと……知恵を、貸してくれるから……」
言って、天津は律子に背を向けたまま、再び外へと出て行った。
何の作業も出来ないまま、時間だけが過ぎたその日の夜、天津と律子は住宅街の外れにあるイタリアン・レストランの二階に居た。
同席するのは座長の大石と、楽曲制作に関与するミュージシャン達、そして、一人の若い女性。
「実は……弦一郎君の娘さんから、ひとつ提案があってな」
一同は顔を見合わせる。
「もし、残されたあの主旋律を主題歌に使うなら……歌わせてもらえないか、と言う事だ」
片桐と麻野は目を瞠った。
「正直……憎いんです、皆さんの事が。だって……こんなプロジェクトが無かったら……パパは無理をして、曲を書く必要なんて、無かったから」
絞り出す様な声の後に残るのは、沈痛な静寂。
最期を看取った弦一郎の妻から伝えられた死因は、脳腫瘍の後遺症である癲癇の発作から生じた呼吸困難だった。
「でも……もし、その曲を、公表するのが、パパの遺志で、皆さんの、意見だと言うなら……私には、その曲を、歌う権利が、あると思うんです。パパの命を奪った音楽に、私は……復讐、したいんです」
律子にはまるで意味の分からない理論であったが、その意味を大石達は理解している様で、顔を見合わせ、小さく頷いた。
「……もう、キャスティングは決まっているし、舞台の上は暗くて、足元も悪い。目の不自由な空ちゃんには良い条件ではないかもしれない。だが、アンサンブルの一員として歌ってもらう事なら出来る。空ちゃんも、無理をする事は承知で、条件を理解してくれた……異論はないかね」
俯いて押し黙っていた天津はゆっくりと視線を上向かせ、片桐と麻野を見る。
「陽平は、まだ納得しきれない様だけど、俺に異論はない。むしろ、空ちゃんが歌ってくれるなら、それが一番だと思う。一番傍で、弦一郎の音楽を聞いていた人が歌うのが、最善だと」
天津は片桐へと視線を向ける。
「俺はさ……こう、家族が関与したら、傍から見たとき、それが売名になっちまう様な気がして、それだけが気懸りなんだけど……残された音楽と、残された人がひとつの物を作るのは、悪くないのかなって……アイツは誰にも曲を聞かせずに死んじまったけど、弦一郎は未完成の音楽でさえ、俺達には残してくれたわけだし……空ちゃんのおかげで、弾こうって気になれたのは、確かなんだ」
天津は再び目を伏せた。
「アンサンブルのハモりを少し変える事にはなるけど、アレンジ自体に変更をしてもらう予定はないから、このまま作業は」
「……ません」
天津の消え入りそうな声が、大石の言葉を遮った。
「え、天津君、今なんと」
「……出来ません」
天津は顔を上げ、怨念すら帯びた眼差しを一同に向けた。
「天津君」
「僕は……僕は、もう……もう葉山源一郎の付属品なんかに、なりたくないんです!」
律子は、声を張り上げた天津を隣から凝視した。
「もう、いやなんです……僕は葉山源一郎のギタリストで、彼の思い通りの演奏をする為だけのギタリストなんて……もう金輪際ごめんなんです!」
消え入らんばかりに語り出したかと思えば、グラスが震えそうな程声を張り上げるその様に、一同の表情は凍り付いていた。
「僕は……僕の作りたい物を作りたかったんだ!」
悲鳴の様な声を残し、天津は席を立って、そのまま店から出て行った。
その場に取り残された律子は、呆気に取られる一同を見回した。
そして、僅かに息を飲んで、言葉を紡ぎ出した。
「……私には……天津さんの気持、分かります」
その言葉に、一同の視線が律子へ向けられる。
「自分の作りたい物が、思い通りに作れない事のもどかしさも……既存の物を、無理やりに作り直す事の苛立ちも……彼の創る音楽と、葉山さんが残した音楽が、噛み合わない事も……」
「君」
「私、ずっと、聞いていたんです。高校生の頃、初めてプリズム・オブ・サインを聞いて、感動しました。だけど、大学生になって、嫌な物をいっぱい見聞きして、気が狂いそうなほど苛立っていた時、初めて聞いたニルヴァーナ・ドリームの音楽に……感情と言う感情を、攫われました。言葉にならない悲愴さと、温かさと、優しく絶望に溶けてどうかして行く静けさが……私の感情を、攫いました」
律子の発現に眉間の皺を深くしていた麻野は、続く言葉に目を伏せた。
「確かに……天津君の作る音楽は、弦一郎の音楽と噛み合うかと言えば、そうではなかった……バンドを辞めると言った時、止められなかったのは、その所為だった。勿論、全てが良い音楽かどうかは分からない。時に喚き散らしてるだけのヴォーカルに意味があるのか、何の盛り上がりも無い音楽に意味があるのか、分からない事だって多い。ただ……時々見える彼の才能に、不思議な魅力がある事は、確かだった」
「陽平……」
「気の狂った音楽だって断罪した弦一郎の感性に、限界を感じたのも、確かだった……彼は、煌びやかで前向きな音楽にだけ全てを捧げてしまって、自分の作品のハードルを上げ過ぎていた……最後のアルバムがあれだけ難産になったのは、弦一郎が病気だったからじゃなかったんだよ、きっと……」
片桐の言葉に、言葉を続ける者は居なかった。
ただ、言葉にせずとも、大石と麻野、そして、律子は同じ様な事を考えていた。
人生は、前向きなばかりではない。日向の裏にある影に目を向けた時、視界は本当の意味で開けるのだ、と。
「……大石さん、麻野さん」
律子は静かに切り出した。
「やっぱり、歌詞、書けないです……天津さんを、探してきます」
耐えきれなくなり、律子もまた店を出た。
思い浮かばない。
思い描けない。
律子は紙とペンを前に、ただぼんやりと座っていた。
昨夜、松島から聞かされた話を思い出せば、何かを書かなくてはならないと思いつつ、同時に、既存の物に手を加え、替え歌を作る為に自分の言葉を消費する事への不満が、拭いきれなかった。
無論、律子は理解していた。自分の立場は、松島と近しいのだと。
そして、松島の置かれている立場は、更に切羽詰まった状況にある事も。
松島はかつてレーシングドライバーを目指し、その夢が叶った矢先のクラッシュでその夢を絶たれてしまった。
それも、他人によって。
死者が出たほどの大きなクラッシュの中、彼とて無事では済まなかった。しかし、治らない傷でも無いと、次のシーズンへの出場は決めていたという。だが、親より先に死ぬつもりかと両親から責め立てられ、消える様に引退する事になった。
あまり乗り気ではないまま、所帯を持って落ち着けと言われて結婚し、自動車学校の教官として生きる事を選んだ。だが、それもまた彼は奪われてしまった。同じ仕事に就く妻の妊娠をきっかけに、頑なに仕事を辞めようとしない妻に代わって、自分が家庭に入ると言わざるを得なくなったのだ。
子供の誕生を喜ぶ一方で、自分の人生を見失った彼が辿り付いたのが、アルタイルのオーディションであり、劇団員という生き方だった。
競い合う事でも無ければ、自分の望んだ人生でもない。しかし、なんとなく受けたオーディションが、彼に新たな希望をもたらした。
だが、年齢に反してキャリアは短く、大きな作品に係わる事は出来ないまま、子供が小学校に入った後には、妻の実家の畑を手伝いに来て欲しいとも言われたのが、つい最近の事。
松島は葉山弦一郎が音楽を手掛ける舞台で自身の名を知らしめる事に、一縷の望みを抱いていた。
律子自身も、家を追い出され、殆ど見ず知らずの男性の部屋に間借りする事態にはなったが、図らずも伝説の音楽家の名作に言葉を添え、自分のキャリアを華々しくスタートさせるチャンスを手にしている事には変わりがなかった。
そして、それは彼女自身が望む人生への第一歩でもあるはずだった。
だが、彼女は胸の奥で何かがもつれている様な気がして、手が動かせずに居た。
「あれ……真っ白……」
「あ……」
食材の買い出しから戻った天津は、食卓で作業する律子の手元を机越しに見ていた。
「あ、いえ、その……」
「……英語の曲だし、言葉、はまらないよね」
「ま、まぁ……」
伏し目がちに呟く天津に、律子は曖昧な返答を返す。
「どんな感じに、して欲しいって、何か、言われた?」
「え……」
唐突な問いに、律子は目を丸くする。
「こういう単語は、使わないで、とか」
「あ……何と言うか、全体的に、喜劇的と言うか、滑稽と言うか、暗くならない様に……こう、永遠の命を持つエルフは年老いる体に振り回されて、終わりの見える悲しみに終わりの見えないエルフは感情に振り回されるけど、喜びの感情が薄くなって、悲観的になってばかりだと気付く様に、良い所を探して……元の曲のイメージも取り入れて欲しいと言われたので、こう、神様の存在を如何に取り入れようかっていうのは、難しいです。そもそも、不老不死のエルフの概念を作ったトールキンがクリスチャンでも、その概念のベースになった物語における神の存在は一般に広まってないですし、そういう宗教観が失われた不老不死の美しい種族という概念がエルフですし……」
「そう……」
天津はそう言い残すと、手にしていた袋の食材を冷蔵庫へと片付ける。
「本当は……」
律子はこらえきらず、天津の背中に言葉を投げた。
「出来あいの曲に、言葉を乗せるなら……貴方の曲が、良かったです」
天津は手を止め、息を呑んだ。
「プリズム・オブ・サインの音楽には、もう、固定のイメージがあって、それを、覆す様な言葉は、思い浮かびません。だけど……まるで、朝焼けか夕焼けか分からない、何色とも言い難い空の色の様な、貴方の音楽……ニルヴァーナ・ドリームの音楽なら、なんとなく、そう、出来そうな気がするんです。何の言葉も無くて、悲しい様な、明るい様な、あの、ぼんやりとした雰囲気なら……その」
天津は奥歯を噛み締め、震える息を吐いた。
「そんな事、言っちゃ、駄目だよ……君は……君は、アルタイルの、脚本家、なんだから」
律子は目を伏せる。
「もし……作詞、どうしても、出来ないなら……麻野さんに、相談、して……」
開け放たれたままの冷蔵庫から、解放状態を警告する音が鳴り始める。
「あの人は……葉山さんが認めた、作詞家、だったから」
手にしていた物を押し込み、天津は押さえつける様に扉を閉める。
「きっと……知恵を、貸してくれるから……」
言って、天津は律子に背を向けたまま、再び外へと出て行った。
何の作業も出来ないまま、時間だけが過ぎたその日の夜、天津と律子は住宅街の外れにあるイタリアン・レストランの二階に居た。
同席するのは座長の大石と、楽曲制作に関与するミュージシャン達、そして、一人の若い女性。
「実は……弦一郎君の娘さんから、ひとつ提案があってな」
一同は顔を見合わせる。
「もし、残されたあの主旋律を主題歌に使うなら……歌わせてもらえないか、と言う事だ」
片桐と麻野は目を瞠った。
「正直……憎いんです、皆さんの事が。だって……こんなプロジェクトが無かったら……パパは無理をして、曲を書く必要なんて、無かったから」
絞り出す様な声の後に残るのは、沈痛な静寂。
最期を看取った弦一郎の妻から伝えられた死因は、脳腫瘍の後遺症である癲癇の発作から生じた呼吸困難だった。
「でも……もし、その曲を、公表するのが、パパの遺志で、皆さんの、意見だと言うなら……私には、その曲を、歌う権利が、あると思うんです。パパの命を奪った音楽に、私は……復讐、したいんです」
律子にはまるで意味の分からない理論であったが、その意味を大石達は理解している様で、顔を見合わせ、小さく頷いた。
「……もう、キャスティングは決まっているし、舞台の上は暗くて、足元も悪い。目の不自由な空ちゃんには良い条件ではないかもしれない。だが、アンサンブルの一員として歌ってもらう事なら出来る。空ちゃんも、無理をする事は承知で、条件を理解してくれた……異論はないかね」
俯いて押し黙っていた天津はゆっくりと視線を上向かせ、片桐と麻野を見る。
「陽平は、まだ納得しきれない様だけど、俺に異論はない。むしろ、空ちゃんが歌ってくれるなら、それが一番だと思う。一番傍で、弦一郎の音楽を聞いていた人が歌うのが、最善だと」
天津は片桐へと視線を向ける。
「俺はさ……こう、家族が関与したら、傍から見たとき、それが売名になっちまう様な気がして、それだけが気懸りなんだけど……残された音楽と、残された人がひとつの物を作るのは、悪くないのかなって……アイツは誰にも曲を聞かせずに死んじまったけど、弦一郎は未完成の音楽でさえ、俺達には残してくれたわけだし……空ちゃんのおかげで、弾こうって気になれたのは、確かなんだ」
天津は再び目を伏せた。
「アンサンブルのハモりを少し変える事にはなるけど、アレンジ自体に変更をしてもらう予定はないから、このまま作業は」
「……ません」
天津の消え入りそうな声が、大石の言葉を遮った。
「え、天津君、今なんと」
「……出来ません」
天津は顔を上げ、怨念すら帯びた眼差しを一同に向けた。
「天津君」
「僕は……僕は、もう……もう葉山源一郎の付属品なんかに、なりたくないんです!」
律子は、声を張り上げた天津を隣から凝視した。
「もう、いやなんです……僕は葉山源一郎のギタリストで、彼の思い通りの演奏をする為だけのギタリストなんて……もう金輪際ごめんなんです!」
消え入らんばかりに語り出したかと思えば、グラスが震えそうな程声を張り上げるその様に、一同の表情は凍り付いていた。
「僕は……僕の作りたい物を作りたかったんだ!」
悲鳴の様な声を残し、天津は席を立って、そのまま店から出て行った。
その場に取り残された律子は、呆気に取られる一同を見回した。
そして、僅かに息を飲んで、言葉を紡ぎ出した。
「……私には……天津さんの気持、分かります」
その言葉に、一同の視線が律子へ向けられる。
「自分の作りたい物が、思い通りに作れない事のもどかしさも……既存の物を、無理やりに作り直す事の苛立ちも……彼の創る音楽と、葉山さんが残した音楽が、噛み合わない事も……」
「君」
「私、ずっと、聞いていたんです。高校生の頃、初めてプリズム・オブ・サインを聞いて、感動しました。だけど、大学生になって、嫌な物をいっぱい見聞きして、気が狂いそうなほど苛立っていた時、初めて聞いたニルヴァーナ・ドリームの音楽に……感情と言う感情を、攫われました。言葉にならない悲愴さと、温かさと、優しく絶望に溶けてどうかして行く静けさが……私の感情を、攫いました」
律子の発現に眉間の皺を深くしていた麻野は、続く言葉に目を伏せた。
「確かに……天津君の作る音楽は、弦一郎の音楽と噛み合うかと言えば、そうではなかった……バンドを辞めると言った時、止められなかったのは、その所為だった。勿論、全てが良い音楽かどうかは分からない。時に喚き散らしてるだけのヴォーカルに意味があるのか、何の盛り上がりも無い音楽に意味があるのか、分からない事だって多い。ただ……時々見える彼の才能に、不思議な魅力がある事は、確かだった」
「陽平……」
「気の狂った音楽だって断罪した弦一郎の感性に、限界を感じたのも、確かだった……彼は、煌びやかで前向きな音楽にだけ全てを捧げてしまって、自分の作品のハードルを上げ過ぎていた……最後のアルバムがあれだけ難産になったのは、弦一郎が病気だったからじゃなかったんだよ、きっと……」
片桐の言葉に、言葉を続ける者は居なかった。
ただ、言葉にせずとも、大石と麻野、そして、律子は同じ様な事を考えていた。
人生は、前向きなばかりではない。日向の裏にある影に目を向けた時、視界は本当の意味で開けるのだ、と。
「……大石さん、麻野さん」
律子は静かに切り出した。
「やっぱり、歌詞、書けないです……天津さんを、探してきます」
耐えきれなくなり、律子もまた店を出た。
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