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第二十七話 下された審判を彩るライチティー
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八月三十日。
夕方から一件、鑑定の予約が入ったこの日、明日歌は再び昼過ぎに家を出た。
――彼、きっと彼にとって一番の選択をするわ。こんな物を置いて行ったし。
前日鑑定した若い男は、帰り際、カウンターのミーリャに一枚の名刺を残していた。インターネット上の動画共有サイトに開設された、あるアカウントの案内だった。
――ネットで知り合った友達同士、何人かでバーチャルにバンドやってるんだーって言ってたわ。
明日歌は思った。あのまま不本意な勉強を惰性で続けるよりは、その方がずっと幸せだろう、と。そして、彼が羨ましいと。
「何か足りない物があるー?」
三階に顔を出した、薄茶色の髪の男がオリヴィーニに問い掛けた。
すると、オリヴィーニは一枚のメモを男に手渡す。
「生クリームと、チョコシロップにチョコスプレー……ソフトクリームの材料?」
男は首を傾げた。
「うん。もう一度、今度はミックスベリーとチョコシロップで作りたいって、プルートが」
「んー……ま、いっか。もう夏も終わるし」
「え? まだこんなに暑いのに?」
「一応、九月になれば秋なんだよ。とはいえ、暑いのは事実……今度はサツマイモのジェラートでも作るか。それじゃ、買い物に行って来るよ」
カウンターに座っていた明日歌は、男が足早に出てゆくのをぼんやりと見送る。
「この時間から、買い出しですか……」
「なんかね、明日の昼にソーベツカイっていうのがあるらしくて、料理を仕込んでから帰るんだって」
「送別会……どなたか辞めるんですか?」
「違う。カイシャを辞める人を、カイシャの人が送り出すんだって」
「あぁ……」
おそらく、退職する誰かの為に食事会の予約が入ったのだろうと明日歌は理解した。
「そうだ」
何かを思い出したらしいオリヴィーニは冷蔵庫を開け、グラスをひとつ取り出し、氷を浮かべた。
「これ、飲んでみて」
冷え切ったグラスがカウンターに下ろされる。
「何ですか?」
「えっと……キームンの紅茶にライチのシロップを入れたんだって」
「ライチ紅茶ですか……」
「うん。キームンの紅茶って、お香みたいな不思議な香りがするから、珍しい果物のシロップを入れて、異国情緒のある味にしてみたんだって」
「……いただきます」
明日歌はグラスに口を付ける
「わー……なんか、オリエンタル……」
「おいしい?」
「えぇ。この前の試作品のマスカットとは大違い」
「そう。じゃ、お店で出せるよって、ミエールに言っておくわ」
*
予約の時刻を少し回った、午後五時過ぎ、依頼主がタロットルームに現れた。
「あぁ、あの時の……」
それは、十一日前に鑑定した、あの男だった。
男は穏やかに会釈し、カーテンを閉めて腰を下ろした。
「あれから、いかがでしたか?」
何か、適当な事をきり出さねばならないと、明日歌は口を開いた。
「実は、会社を辞める事にしまして、今日が最後の仕事でした」
「え……」
「信じるかどうかはあなた次第ですが……私の故郷はこの世界とは違う、もうひとつの世界に有りまして、そちらに戻る事にしたんです」
「それは……また、どうしてですか?」
「私の故郷は他の領地との対立が続き、戦への流れが加速しています。ですから、出来損ないと人間界に放逐された身ではありますが、やはり、故郷の為に、同胞の為に、私も微力ながら何か尽くせればと考えたのです……人間界での仕事は、人間の部下に任せて、全て上手くいきそうでしたので、それを辞める目処もつきましたし」
「そうですか……」
「ただ、故郷に帰るにしても、少々迷いがありまして……実家に戻っても、一度放逐された身ですので、肩身の狭い思いをする事に間違いはないでしょう。そこで、故郷に帰っても、実家には戻らず、挨拶だけして、義勇軍に志願しようかと考えています。ただ、暫く魔界を離れていた身で、義勇軍とはいえ、ひとつの群に所属して上手くやっていけるのか、不安もあります。その未来を、少しばかり裏なて頂けませんかね」
尋ねるよりも先に、依頼内容は語られていた。
――ダブル・フューチャー・スコープの亜種、双子のさくらんぼで占おうか。
(ふ、双子のさくらんぼ?)
奇妙な使い魔の言葉に、明日歌は首を傾げそうになった。
――ふたつの未来と、周囲の状況を一括して占う方法だ。
「では……実家に戻られる場合と、義勇軍に志願される場合、二通りの未来について、周囲の状況を含め、鑑定させていただきます」
――山はみっつ。そうだな、今回は義勇軍への志願が左、実家への帰参が右だな。
カードがクロスの上で踊り始めた。
――真ん中の山で現状のカードを引いて、後は左右それぞれに広げていく形で二枚ずつ。ただし、今回はそれぞれにもう一枚、少し外側に倒したカードを配置して。それが、周囲の状況を現すカード。さくらんぼの果実の部分だね。
使い魔の指示通りに、カードが配置された。
――じゃあ、現状から、まずは実家に帰参する時の未来から見て行こうか。
七枚のカードが、展開されてゆく。
――現状は審判の正位置……今、チャンスを得ている状況と見ていいだろう。ただ、実家に帰るなら、ペンタクルの十の逆位置……やっぱり不名誉が障害になる。だけど、その先に有るのは、ペンタクルのエース、その先に起こる事には成功する。ワンドの三の解釈がちょっと難しいけど……取り巻く環境は慌ただしく、完成した成果がすぐに見えてくるわけではないけれど、共感してくれる者も出てくるだろうし、道は続いていきそうだ。
「まず……現状、あなたは大きなチャンスを得ている状況だと見えます。そこで、もし、実家に戻る事を選ばれたなら、やはり、不名誉さがあなたの行く手を邪魔するでしょう。ですが、それを乗り越えた先に有るのは、物事の成功です。周囲の環境は慌ただしく、成果がすぐに見えてくるわけではないでしょうが、共感してくれる方が現れるなど、道は続いて行く事でしょう」
「ほう……」
――次に義勇軍に志願する場合だけど……野心を持つ事が障害になってしまうだろうし、それ故に強く自立しようとして、帰って不信感を抱かせる事になりかねない。周りの状況も、時勢が大きく変わって、上手くいかなくなる。組織にとらわれない方が、上手くいくのかもしれない。
「一方、義勇軍に志願される事を選ばれたなら、其処で野心を持つ事が障害になり、それ故に信頼されない可能性があります。また、時勢が大きく変わる可能性もあります。組織にとらわれずに働く事の方が、あなたにとっての成功をもたらす事の様に見えます」
男は唇をほほ笑ませる。
「そうですか……やはり、カイシャにしろ軍にしろ、私には集団と言う物が、あまり向いていない様ですね」
明日歌は思った。おそらく、彼ははっきりとした意思を持つが故に、周囲と争いになりがちで、そうでなければ、自分の意見が言えなくなるのだろうと。
――紅茶でも飲んで帰れって言ってやれよ。キームンのライチティーとか。
「この結果が、あなたにとって最善の選択の一助となる事を願っています……ところで、何かお飲物でも召しあがってお帰りになりますか?」
「そうですね。なにか、お勧めの物があるのでしょうか」
「本日は異国情緒を感じられるキームン紅茶のライチフレーバーティーがお勧めです」
「そうですか。では、そうさせていただきましょう」
夕方から一件、鑑定の予約が入ったこの日、明日歌は再び昼過ぎに家を出た。
――彼、きっと彼にとって一番の選択をするわ。こんな物を置いて行ったし。
前日鑑定した若い男は、帰り際、カウンターのミーリャに一枚の名刺を残していた。インターネット上の動画共有サイトに開設された、あるアカウントの案内だった。
――ネットで知り合った友達同士、何人かでバーチャルにバンドやってるんだーって言ってたわ。
明日歌は思った。あのまま不本意な勉強を惰性で続けるよりは、その方がずっと幸せだろう、と。そして、彼が羨ましいと。
「何か足りない物があるー?」
三階に顔を出した、薄茶色の髪の男がオリヴィーニに問い掛けた。
すると、オリヴィーニは一枚のメモを男に手渡す。
「生クリームと、チョコシロップにチョコスプレー……ソフトクリームの材料?」
男は首を傾げた。
「うん。もう一度、今度はミックスベリーとチョコシロップで作りたいって、プルートが」
「んー……ま、いっか。もう夏も終わるし」
「え? まだこんなに暑いのに?」
「一応、九月になれば秋なんだよ。とはいえ、暑いのは事実……今度はサツマイモのジェラートでも作るか。それじゃ、買い物に行って来るよ」
カウンターに座っていた明日歌は、男が足早に出てゆくのをぼんやりと見送る。
「この時間から、買い出しですか……」
「なんかね、明日の昼にソーベツカイっていうのがあるらしくて、料理を仕込んでから帰るんだって」
「送別会……どなたか辞めるんですか?」
「違う。カイシャを辞める人を、カイシャの人が送り出すんだって」
「あぁ……」
おそらく、退職する誰かの為に食事会の予約が入ったのだろうと明日歌は理解した。
「そうだ」
何かを思い出したらしいオリヴィーニは冷蔵庫を開け、グラスをひとつ取り出し、氷を浮かべた。
「これ、飲んでみて」
冷え切ったグラスがカウンターに下ろされる。
「何ですか?」
「えっと……キームンの紅茶にライチのシロップを入れたんだって」
「ライチ紅茶ですか……」
「うん。キームンの紅茶って、お香みたいな不思議な香りがするから、珍しい果物のシロップを入れて、異国情緒のある味にしてみたんだって」
「……いただきます」
明日歌はグラスに口を付ける
「わー……なんか、オリエンタル……」
「おいしい?」
「えぇ。この前の試作品のマスカットとは大違い」
「そう。じゃ、お店で出せるよって、ミエールに言っておくわ」
*
予約の時刻を少し回った、午後五時過ぎ、依頼主がタロットルームに現れた。
「あぁ、あの時の……」
それは、十一日前に鑑定した、あの男だった。
男は穏やかに会釈し、カーテンを閉めて腰を下ろした。
「あれから、いかがでしたか?」
何か、適当な事をきり出さねばならないと、明日歌は口を開いた。
「実は、会社を辞める事にしまして、今日が最後の仕事でした」
「え……」
「信じるかどうかはあなた次第ですが……私の故郷はこの世界とは違う、もうひとつの世界に有りまして、そちらに戻る事にしたんです」
「それは……また、どうしてですか?」
「私の故郷は他の領地との対立が続き、戦への流れが加速しています。ですから、出来損ないと人間界に放逐された身ではありますが、やはり、故郷の為に、同胞の為に、私も微力ながら何か尽くせればと考えたのです……人間界での仕事は、人間の部下に任せて、全て上手くいきそうでしたので、それを辞める目処もつきましたし」
「そうですか……」
「ただ、故郷に帰るにしても、少々迷いがありまして……実家に戻っても、一度放逐された身ですので、肩身の狭い思いをする事に間違いはないでしょう。そこで、故郷に帰っても、実家には戻らず、挨拶だけして、義勇軍に志願しようかと考えています。ただ、暫く魔界を離れていた身で、義勇軍とはいえ、ひとつの群に所属して上手くやっていけるのか、不安もあります。その未来を、少しばかり裏なて頂けませんかね」
尋ねるよりも先に、依頼内容は語られていた。
――ダブル・フューチャー・スコープの亜種、双子のさくらんぼで占おうか。
(ふ、双子のさくらんぼ?)
奇妙な使い魔の言葉に、明日歌は首を傾げそうになった。
――ふたつの未来と、周囲の状況を一括して占う方法だ。
「では……実家に戻られる場合と、義勇軍に志願される場合、二通りの未来について、周囲の状況を含め、鑑定させていただきます」
――山はみっつ。そうだな、今回は義勇軍への志願が左、実家への帰参が右だな。
カードがクロスの上で踊り始めた。
――真ん中の山で現状のカードを引いて、後は左右それぞれに広げていく形で二枚ずつ。ただし、今回はそれぞれにもう一枚、少し外側に倒したカードを配置して。それが、周囲の状況を現すカード。さくらんぼの果実の部分だね。
使い魔の指示通りに、カードが配置された。
――じゃあ、現状から、まずは実家に帰参する時の未来から見て行こうか。
七枚のカードが、展開されてゆく。
――現状は審判の正位置……今、チャンスを得ている状況と見ていいだろう。ただ、実家に帰るなら、ペンタクルの十の逆位置……やっぱり不名誉が障害になる。だけど、その先に有るのは、ペンタクルのエース、その先に起こる事には成功する。ワンドの三の解釈がちょっと難しいけど……取り巻く環境は慌ただしく、完成した成果がすぐに見えてくるわけではないけれど、共感してくれる者も出てくるだろうし、道は続いていきそうだ。
「まず……現状、あなたは大きなチャンスを得ている状況だと見えます。そこで、もし、実家に戻る事を選ばれたなら、やはり、不名誉さがあなたの行く手を邪魔するでしょう。ですが、それを乗り越えた先に有るのは、物事の成功です。周囲の環境は慌ただしく、成果がすぐに見えてくるわけではないでしょうが、共感してくれる方が現れるなど、道は続いて行く事でしょう」
「ほう……」
――次に義勇軍に志願する場合だけど……野心を持つ事が障害になってしまうだろうし、それ故に強く自立しようとして、帰って不信感を抱かせる事になりかねない。周りの状況も、時勢が大きく変わって、上手くいかなくなる。組織にとらわれない方が、上手くいくのかもしれない。
「一方、義勇軍に志願される事を選ばれたなら、其処で野心を持つ事が障害になり、それ故に信頼されない可能性があります。また、時勢が大きく変わる可能性もあります。組織にとらわれずに働く事の方が、あなたにとっての成功をもたらす事の様に見えます」
男は唇をほほ笑ませる。
「そうですか……やはり、カイシャにしろ軍にしろ、私には集団と言う物が、あまり向いていない様ですね」
明日歌は思った。おそらく、彼ははっきりとした意思を持つが故に、周囲と争いになりがちで、そうでなければ、自分の意見が言えなくなるのだろうと。
――紅茶でも飲んで帰れって言ってやれよ。キームンのライチティーとか。
「この結果が、あなたにとって最善の選択の一助となる事を願っています……ところで、何かお飲物でも召しあがってお帰りになりますか?」
「そうですね。なにか、お勧めの物があるのでしょうか」
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