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第二十六話 月は太陽に輝き、砂糖は塩に甘くなる

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 使い魔が黙った事で、明日歌は口を開かざるを得なくなった。
「まず……あなたは今、過去の選択が、裏目になってしまったと後悔をして、自信を失くしている様に見えます。そして……このまま進んでも、それは、偽善的な、誰も幸せにならない未来しか見えません」
 男は表情を曇らせる。
「一方、あなたの本心は、深い絶望を経験した事で、気力を無くしている様に見えます。そして、あなたはこのままの未来に怯えています。きっと、表向きの感情のまま物事が進んでしまうと、自分も他人も幸せにはならないという未来を、分かっているからではないでしょうか……本当は、このままではいけないと考えていて、いっその事、全てが白紙になってしまう事を、あなたは望んでおられるのではないでしょうか」
 男は目を瞠《みは》り、明日歌を見つめた。
「表向きのあなたと、本当のあなたを繋ぎ止める方法は、破局させる事だと見えるのです。このままの状況を打開しなければならない様に」
「でも、僕には、そんな勇気……」
 男はテーブルクロスを握る。
「差し支えなければ、どの様な勉強をされているのか、教えて頂けませんか」
 男は目を伏せた。
「心理学……柄にもなく、福祉の大学で、臨床心理学を……」
 明日歌はただ男を見つめた。
「人の心を知りたいと、中学生の頃から、ずっと考えていて……世の為人の為になる人間に成りなさいと、親からも、じいちゃんやばあちゃんからも、よく言われていたから……先生に相談したら、高校の進路指導の先生は、臨床心理学はどうかと、教えてくれて……人の心がどういうものかを学びながら、それで人を助けられると……だけど、何となく、このままじゃダメだって、思い初めて……上辺の綺麗な事しか教えてくれない学校で、上辺の綺麗な事だけで人間を判断する臨床家に成っても、きっと、何も出来ないし、僕は……僕が殺せない」
 明日歌の胸に、鋭い何かが食い込んだ。
「僕、いつも、気が弱くて、自分の意見が言えない駄目な子だって言われてきたけど……それは、親が、僕に意見を言わせてくれなかっただけの様な、そんな気がして……親は綺麗事しか言わないんです。死刑は絶対に反対、差別をするのは猿以下のメンタリティって。でも、人を殺した人間が罪をあがなう方法は、その命を以て罪を購う事でしかないと思うし、差別をするなと言われても、異質な物に対する嫌悪や恐怖が無くなったら、人間は近い将来絶滅するだろうし……親に対する反抗と言えば、それだけかもしれないけど……それが、今の僕なんです、僕と言う物なんです。だから……自分を殺して、全部受け入れる様に話を聞くなんて事、出来ないし、僕には理解出来ない事も、理解出来るふりなんて出来ない……あなたには、ふと、メロディーが降ってくる瞬間の、不思議な感覚が、理解出来ますか?」
 明日歌は目を伏せる。そして、男の爪が、綺麗に手入れされている事に気付いた。
「……あなたの言う事、分からなくは有りません。私には、あなたが音楽を作る瞬間の感情なんて、理解し得ないから……でも、ひとつだけ分かるのは、あなたには、誰にでもあるわけではない才能があるという事です」
 顔を上げた明日歌は重ねた。
「爪、とても綺麗に手入れされていますね……ギターを演奏されるんですか?」
「え……えぇ、ピアノは、習っていた事もありますし、今は、ネットで知り合った友達に、ベースを教えてもらっています」
「素敵ですね……本当は、そういう世界で、生きていきたいと思っていたんですか」
 困惑気味だった男は、再び目を瞠った。
「……これは、個人的な事ですけど……大学なんて、辞めちゃっていいと思いますよ。お金払ってまで、やりたくない事をする必要なんてないし、あなたには才能がある。だったら……その才能に賭けてみてはどうですか? その責を全て自分が負うとしても、それであなたの人生が輝くなら……月は、太陽があるからこそ、輝く物です。だから……思い切った行動で、壁を打ち破り、太陽を上らせる事が出来たなら、あなたが未来に感じる不安は、輝く月明かりとなって、あなたを照らしてくれるのではないでしょうか」
「で、でも……」
「このまま、誰も幸せにならない未来に進むくらいなら、一度くらい、反抗してみればいいじゃないですか……あなたがあなたである為に。あなたは……自分を殺すべきではない人です。その才能を、殺してはいけません」
 男は静かに目を伏せた。
「……今からでも、遅くないんですかね。もう、大学も半分近く過ぎてしまったし……今更、辞めるなんて言って、上手くいくんでしょうか」
 ――本心の未来に、補助カード出してご覧。
 使い魔の声に導かれるまま、引かれたカードは、ワンドの七だった。
 ――孤軍奮闘になる。だけど、その立場を守る事は、きっと出来るはずだ。
「……おそらく、孤独な戦いをする事になるでしょう。ですが、あなたはきっと、その立場を守る事が出来るはずです……破局によって現れた太陽が、不安の影を月明かりに変えてくれるはずです。それに……私立の大学なら、早く決断するに越した事は有りません。まずは休学したいというくらいから、話を進めてもいいのではないでしょうか。いっその事、あえて不誠実に振る舞って放校処分を受けるとしても、それであなたがあなたで居られるなら、それでいいのではないでしょうか」
 男は並べられたカードを眺め、ふと、顔を上げた。
「僕が、僕で居る為の戦い、ですか」
 明日歌は静かに頷いた。


 カフェのサービスがあると聞いた男は二階のカフェに向かい、カウンターに腰掛けた。すると、栗色の髪の女が注文を取りに来た。
 男は抹茶ラテをひとつ頼むが、女はふと後ろを振り返り、こう言った。
「折角ですし、わらび餅なんていかがですか? もうすぐ三色わらび餅が出来ますし」
「え?」
 味の無い白い餅と、抹茶で味と色が付けられた物しか知らない男は思わず首を傾げた。
「普通のと、抹茶のと、桜のと、三種類のわらび餅のセット、たっぷり入ってドリンクとセットで八百円。いかがです?」
「桜のわらび餅?」
「えぇ。桜の葉っぱの粉で香り付けした物で……と言っても、きな粉を掛けると色は見えなくなりますけどね」
「……それにします」
「まいどありー」
 女はカウンターの向こうに引っ込み、隣の男に、きな粉に塩を入れたかと尋ねた。
 それを聞いた男は、それが不思議に思われ、注文の品を持ってきた女に問いかけた。
「あのー……きな粉って、塩を入れるんですか?」
「そうよ。お砂糖もたっぷり入れるけれど、ひとつまみの塩を入れないと、甘みが引き立たなくて、おいしくないの。特に和菓子はそうなんだけど、ほんの少しの塩を入れると、砂糖の甘さがぐっと引き立って、おいしくなるのよ」
「へー……そうだったんですか」
「きな粉の御代わり、必要なら言って下さいね」
「ありがとうございます」
 男はほんのりと桃色を帯びた餅をひとつ口にする。ほんのりと感じたのは、桜の香りだった。
 ふたつ目に口にしたのは、白い餅。きな粉をまぶして口にすると、柔らかく、甘く、少しだけ塩気を感じる味がした。
 ――月は太陽が有るからこそ輝く。
 その言葉が、男の胸に響いた。
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