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第十八話 正義の天秤にカルダモン

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 八月二十七日。
 相変わらず暑い日差しが照りつける中、明日歌は新しく用意された深い青色のドレスを着て、三階のカウンターの隅に座っていた。
「……暇だねぇ」
「えぇ、とても……」
 前日の繁忙ぶりとは打って変わって、殆ど客の来ない十二時前、プルートと明日歌はオリヴィーニがタンドリーチキンを焼き上げるのを眺めていた。
 鶏の焼き上がりが間もなくになった時、突然、厨房の内線電話が鳴った。
「あー、はいはい」
 プルートはカウンターの向こうに手を伸ばし、受話器を取った。そして、すぐにそれを下ろした。
「占いのお客さんくるって」
「いってきます」
 明日歌は立ち上がり、タロットルームに向かった。
「鑑定をご依頼のお客様ですね?」
 エレベーターから降りて来たのは、アクセサリー販売会場には似つかわしくない、三十代ほどに見えるスーツ姿の男だった。
「はい」
「鑑定は私が担当させていただきます。どうぞ、こちらに」
 明日歌は男をタロットルームに案内し、灯りを付けた。そして、芳香に気付いた。ポプリのランプを見ると、乾いたグラスの中に、スパイスらしき乾燥した植物が三種類ほど入っていた。
 カーテンを閉め、明日歌はクロスを広げた。
「それでは、占いたい内容についてお伺いします」
「よろしくお願いします」
 男は小さく頭を下げると、その内容を語り始めた。
「実は、今転職を考えておりまして……出来る事なら、この十月くらいから働ける会社を探し、出来るだけ早く今の職場を離れたいと思っています。ただ、任されている仕事について、引き継ぎが出来なくはないのですが、今年度いっぱい続くプロジェクトを離れるというのも、考えものですし、まだ結婚して間が無いものですから、手当のいい職場を離れる事にも、迷いがあります。このまま転職活動を始めるべきかどうか、迷っています」
 ――するかしないかきっぱり二択のスリーカード・オルタネイティブだね。説明書は下から三枚目あたり。ただ、完全に引き止めるというよりは、少し先延ばしにして考えてみる、くらいの鑑定だな。
 ウサギ型クッキーになった使い魔の声を聞きながら、明日歌は展開法の解説書を取り出した。
 ――過去、現在、未来を総合鑑定しつつ、正位置が多いならするべき、そうじゃなきゃしないべきの占い。
「では、今回はするか、しないかという二択を占う方法で鑑定いたします」
 ――山はみっつ、それぞれから一枚引いて、横並び。左から展開な。
 山が崩され、三つの山に整えられる。
 そして、並べられたカードが開かれた。
 左側はペンタクルの二が逆位置にあり、中央には正義が逆位置にあって、右側にはワンドの四があった。
 ――結論は、しない方がいい。過去にあったのは対人関係の揉め事、現状は不満がある。ただし、将来的には調和と成功が訪れる。
「結論から申し上げますと、転職活動は急がれない方がいいでしょう。これまでの間には、対人関係上良くない事があり、それが、現在感じられている不満に繋がっていると見えます。ですが、今後は緊張感のある関係は和らぎ、今のお仕事の成功による繁栄があると見えます。ですから、もう少し、様子を見られてはいかがでしょうか」
「もう少し……どのくらいでしょうか。転職となると、出来るだけ忙しい時期を外して、円満退職するべきですから、その点が分かれば」
 ――そんなの知らない。ただ現状を示す正義の逆位置は急ぐべきではないという意味もある。それと、問題に見舞われているなら、その裁きを待つ必要もある。本人は気真面目な人だろうから、説得して。
「……タロットカードは、具体的な時期を探る為の手段ではありません。しかし、あなたの様に、大変気遣いの行き届く気真面目な方には、少し不満のある事かも知れません。ですが、現状を示しているカードからは、今、急いで行動しない方がいい、というメッセージも感じられます。ですから、もし、今現在、何らかの良くない事態に見舞われているのであれば、その結果が示されるまで、辛抱しなくてはならないでしょう」
 男は心当たりがあるのか、少しだけ目を伏せる。
「しかし、今を乗り切れば、明るい未来があります。ですから、もし、今職場を離れる事に引け目があるとお考えなら、今のお仕事に区切りがつくまで、その責任を全うされる方が、あなたにとっても良い事の様に感じられます」
「……確かに、投げ出す形での退職は、やはり気が引けます」
「今はお辛いかもしれませんが、あなた御自身にやましい事が何も無いのであれば、堂々と構えていて下さい」
 男は顔を上げた。
「わかりました。今は、今の仕事に専念しようと思います……また、迷った時には、その時考えます」
「それでよろしいですよ」
 ――ランチの宣伝して。サービスはセイロンのカルダモンとキャンディ茶葉のチャイ。渋みが無くて甘い。
「ところで、お昼はもうお決まりですか?」
「え、あぁ……このまま下のカフェで済ませようかと」
「でしたら、鑑定のお客様へのドリンクサービスもございますし、タンドリーチキンのサンドイッチはいかがですか?」
「タンドリー……」
「インド風の鳥肉料理で、カレー系のスパイス風味のローストチキンです」
「此処、エスニック料理も出すんですね」
「えぇ。それと、本日のドリンクサービスはセイロンのキャンディ茶葉とカルダモンを使ったチャイです。こちらもインド風の甘い紅茶です」
「へぇ……でも、どんな味何ですか、それ」
 ――カルダモンの甘いけどすっきりした香りがする。カルダモンには口臭予防や内臓の働きを良くする効果がある。
「お茶自体は甘口で、カルダモンというスパイスの、甘くてもすっきりした香りが特徴です。カルダモンには口臭予防や内臓の働きを促進させる効果がありますので、スパイスの効いたお料理の後には最適です」
「なんだかおもしろそうですね、そうさせていただきます」
「ありがとうございます」
 明日歌は笑顔で男を送り出した。



人間界こちらの夏は暑くて敵いませんね」
 三階のカウンターに座る髪の長い男は溜息がちに呟いた。
「特にこの辺りは温かい地域だし、元々涼しい森の中に生まれたあなたには拷問でしょうね」
 ロディアは煮立てていたミルクパンの中身を、氷に満たされたグラスへ注ぐ。
「疲れも吹き飛ぶアイス・チャイよ」
「それはありがたいのですが、生姜を入れたりしてはいないでしょうね」
「えぇ。この前、牛乳に生姜を入れるなんて理解出来ないって、散々厭味を言われましたから」
 冷たいチャイのグラスがカウンターに下ろされる。
「暑いし、カルダモンを効かせてみたわ」
「今回はおいしいですよ」
「そう。それじゃ、冬はシナモンを効かせましょうか」
「そうですね」
 男はグラスを引き寄せた。
「ところで、スフェーラからロフォスの娘が一人、奉公先から逃げ出し、あるエルフの御屋形様が大層ご立腹だそうですが、あなたならどうされますか」
「どうって、何を」
「守りを固める為に、魔獣を放逐しますか」
 ロディアは眉を顰めた。
「ヤツ等が私達の制御を離れてしまうと、こちらへの出入り口にも影響が及ぶわ」
「では、堺の土地に更なる魔法を掛けますか」
 ロディアは不透明なグラスに目を落とす。
「そうなると、渡り鳥さえ出入り出来なくなるんじゃないの? 最高位の連中は、そうした下位の生物を殺し尽くしてしまう……警備を増やすしかないわ」
 男は静かにグラスに口を付け、そして、再び語った。
「エルフの小娘の為に戦争が起きたと言いませんかね」
「言うでしょうね。だけれど……それを望んでいる者は少なくないでしょう。何らかの破局をきっかけに、上位への反逆を望む者は」
「あなたも?」
「私は……人間界こんなところに居る以上、口出しできた物じゃないけれど……もし、魔界そちらに居るなら、そう願うわ」
 ふと、男は口元をほほ笑ませ、脇に視線を向ける。
「おや、占いの巫女が戻って来る様で」
「フトゥールではないけど」
「占ってもらいましょうか」
 男は立ち上がった。
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