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第十二話 隠者の食卓

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 八月二十一日。
 ランチタイムの客が入り始めた頃、明日歌は三階のカフェのカウンターの隅に居た。
「どうしたの、浮かない顔して」
 タロット占いの手順書を、読むでも無く広げて俯いていた明日歌の隣へ、レジをプルートに任せたロディアがやって来た。
「いえ、その……今日の鑑定、気が進まないんです」
 本来であれば黙っておくべきだと分かっていた。だが、このままでは良い事にならないだろうと、明日歌は口を開いた。だが、返されたのは、叱責では無かった。
「どうして?」
「え……」
 仕事なのだから許されないだろうと身構えていた明日歌は拍子抜けした。
「わざわざそんな事言うんだから、気の進まない理由、あるんでしょ?」
 明日歌は少し目を伏せて続けた。
「あの、今日のお客様って……昨日、ルーン占いのお客さんって仰ってましたから、あの、ルーン占いをされた就職活動中のお嬢さんですよね……しかも、最高のルーンを引き当てた……」
「そうよ。けど、それがどうかしたの?」
 眉を顰め、明日歌は口を開いた。
「私がどういう経緯いきさつでこうなったか、ロディアさんはご存じないでしょうけど……私とくだんのお嬢さんには天と地の差があるんです。就職に恋愛に順調な生活なんてしていないんです、私は。それなのに、そんな人の相手なんて、正直したくありません、いえ、出来ません」
 伏せられていた瞳が、恨めしげにロディアに向けられる。
「あら、そのお嬢さんだって、悩みがあるから鑑定依頼なんてしたんじゃないの?」
「でも、私には出来ません。私なんかよりもずっと明るい未来のある人の幸せなんて願えません」
 ロディアは妖しげにほほ笑みを浮かべる。
「そんなに嫌?」
「嫌ですよ。大学に行っても何の意味も無くて、一面的な考えから外れた考えを持っていると、ただただ居心地が悪くて、だけど、それを変えてしまったら、私と言う存在その物が存立しなくなってしまうから、ずっと苛立っていて……恋人を作って、就職活動をして、あからさまにキラキラしている意識の高い人なんて、占えません」
 ロディアは吐息をこぼす様に笑う。
「あなたは真面目なのね……こっちにいらっしゃい」
 立ち上がり、ロディアはタロットルームに明日歌を連れていく。
「そういえば、あなたの事は占ってなかったわね」
 カーテンを閉め切り、奥の席に腰を下ろすと、明日歌が腰を下ろすよりも先にロディアはクロスを広げ、用意されていたデッキを脇のスペアデッキと入れ替え、カードの山を崩した。
「あなたは特別な人間……人間の世の輪廻を脱し、私達と同じ魔界の眷属となるべき選ばれた魂の持ち主……それだけは知っていたけど、あなたという現世の人間に関しては、ちょっと無関心過ぎたわね」
 崩されたカードの山が、ひとまとまりになる。
 そして、まとめられたカードの山の頂点が、その場で展開された。
「隠者か、それも、さかさまの……」
 腰を下ろした明日歌に、ロディアの目が向けられる。
「成熟すれば、無欲で慈愛に満ちた知性の持ち主。それでいて、なおも過去を顧みる謙虚な賢者。だけど、未熟であればこそ、嫉妬に駆られながら、貪欲に智を求める研究者。だけど、全てを捨ててしまった隠者には未来が無い……今のあなたね」
 笑う様に語るロディアに、明日歌は眉を顰めた。
「でも……それでいいの。あなたは貪欲に智を求めながらついえるからこそ意味のある存在になるの。潰えなければ、新しい始まりに辿り着かないから……だけど、あなたの中には慈愛に満ちた知性が既にあるのかもしれない。隠者が照らすのは足元であって、自分の内面ではないのだから……今日の依頼主は順風満帆に生きているからこそ、些細な事につまづいて、オカルトに手を出した人間よ。あなたの様に、人生の暗黒を味わった人間にしか分からない苦しみを知らない……だけど、それを知っていなければ分からない答えだってきっとあるはずよ。だって、光に照らされる世界しか知らない人間は、見えない闇に何があるのかを知らないのだから。そう、ランプに照らされなければ分からない世界を、彼女は知らないの。だから、それを教えてあげなさい、ランプの持ち主として、ね」
 ロディアは唇を不敵に歪ませた。
「さ。そろそろお客が来る頃ね、準備して」
 元のデッキをクロスの中央に据えると、ロディアは立ち上がった。



 ランチタイムの客が二階にも入り始めた正午過ぎ、その依頼者はやって来た。
「すみません、タロット鑑定をお願いした吉川と申しますが、鑑定はこちらですよね?」
「えぇ、どうぞこちらに」
「今日はよろしくお願いします」
 デニムのショートパンツにレースのシャツ姿という気軽な服装の割に、その態度は酷く気まじめそうだった。現に、ゲスト用のスツールの左後ろに直立したまま、座る気配は無かった。
「どうぞ、お掛けになって下さい」
 就職活動マニュアルの読み過ぎだと内心思いながら、明日歌は苦笑いを浮かべて立ち上がり、カーテンを閉める。
「あ、す、すみません、気づきませんで」
「構いませんよ。それに、面接では無いのですから、肩の力を抜いて、気軽にお話し下さい」
 カーテンに仕切られただけでも空気の流れが変わり、ほのかなバラの香りが狭いタロットルームを満たす。
 吉川は左手にあるランプ台に目を向けた。
「アロマテラピーに興味をお持ちなんですか?」
 クロスを広げるより先に、明日歌は吉川に尋ねてみた。
「あ、す、すみません、貴重なお時間に」
「そう緊張しないで下さい。変わった形のポプリですから、気になりますよね」
「え……あの、それ、ポプリなんですか? なにか、いい香りがするとは思ったんですけど」
「ええ。ストーブ・トップ・ポプリの応用で、乾燥させた素材を煮出して香りを立たせる物なんです」
 ――今日は自家製ローズウォーターとバラの花びらの匂いだよ。
「今日は自家製ローズウォーターを使っているんですよ」
「すごい。お花は好きだけど、そんな使い方もあったんですね、知りませんでした」
「お花は食べられる物だってありますから、まだまだ使い道の多い植物ですよね……それじゃあ、お話を聞かせて頂けますか?」
「あ、すみません……それじゃあ、よろしくお願いします」
 吉川は相変わらず堅苦しい態度で、座ったまま頭を下げた。
「ご予約の際には、今お付き合いされている方の事とお伺いしておりましたが……」
「はい。実は、お恥ずかしい事に、現在交際しております方と、上手くいっていない、具体的には、彼の態度に不信感を覚える事が度々あって、特に、今年に入ってから、あ、いえ、学年が上がってからなので、五月の連休頃からでしょうか、なんだか、彼にとって、私は恋人なのかどうかが疑わしく思われる事が続いて……もちろん、別の女性と二股交際をしているというわけではないのですが、なんとなく、私は本命の女性では無いのではないかと感じてしまいがちで、私の思い過ごしだとは思っても、払拭できず、卒業が迫っている事もあって、この先も交際が続くのかどうか、なんだか、良く分からなくなってしまったんです」
 内容が口調と噛み合わない様子に、思わず溜息を吐いたのは誰でもないタロットの使い魔だった。
 ――なーんか、厄介だなー。とりあえず、フューチャー・ハートを広げてみて。
「では、今回は、あなたと恋人の将来について鑑定するという事でよろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
 吉川は再び深々と頭を下げた。
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