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動けない理由

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*明記は避けていますが、気分の悪くなる表現があります。




「今日はどのような用件で?」
「嫌だなあ、そんなに警戒しないで下さいよ。
 人生の先輩であるミルズ公爵閣下に、お訊きしたいことがあるだけですから」

 初めて訪れた応接室だとは思えない様子で寛ぎながら、すっとぼけた顔で話す若き侯爵。そんな彼をマイケルは複雑な気分で見ている。
 この若者を前にすると居た堪れない気分になるのだ。彼に限らず、過去の己をそっくり写し取ったような若者が目の前に現れたら、誰でもそうなるだろう。
 この二人は内面が似すぎている。


「もうすっかり侯爵として様になっているようで」
「そうですか? ありがとうございます。でも僕としては残念でならないんですよ」
「ああ、ご両親の件は残念なことでしたな」
「そうなんですよ! 二人が突然あんなことになったおかげで、妻とゆっくり過ごす時間がなくなってしまったんです」
「ほう」

 流石のマイケルも二の句が継げない。彼の言葉が嘘偽りのない本心だと分かったからだ。
 若き侯爵、クリストファー・カーティスが半年前の両親の事故死について悲しむ理由は、愛する妻と共に過ごす時間が大幅に減ってしまうから。
 彼らの死そのものについては、命にはいつか終わりが来るものだと割り切っている。
 そもそもが高位貴族らしい淡々とした間柄。憎悪もなければ、温かい親子の情愛も存在しなかった。

「でも、少し離れる時間がある方が、妻も新鮮な気持ちで僕と向き合ってくれるかなと期待しているんです」
「ああ、なるほど。そうなると良いですね」
「ええ、頑張ります。
 妻の話のついでという訳ではありませんが、僕は正直なところ、義妹が誰に嫁ごうが関係ないと思っていました。
 ですが、ワイルド辺境伯閣下と義理の兄弟になれるなら、こんなに光栄なことはありません。初めて義妹に感謝したくなりましたね」

 先ほどまでより遥かに楽しそうに語るその様子に、少しばかり警戒を強める。この話の着地点は一体どこだ。

「まあ率直に言って、子爵との縁組みを検討していると知った時は、グリーヴ家との絶縁を考えましたが」
「それは無理もないかと」
「ですよね? あんな正気の沙汰とは思えない縁談を放置していては、どんな火の粉が飛んでくることか。
 もし次も変なのを見繕ったら、いっそのこと伯爵を消そうかと……いえ、あの方で良かったですよ」

 侯爵が言うには、ただ縁を切るだけでは妻がどんな行動に出るか分からない。彼女がどんなに隠そうとしても、妹を愛しているのは明白だから。
 なので義兄である自分がジュリアを保護しようかと思ったらしい。だが、それも難しいようだ。

 まず、伯爵は法を犯してはいない。
 そしてジュリアに対し衣食住は過不足なく満たし、教育も受けさせている。
 手を上げると言っても、傷が残る程に酷く殴る訳でもない。あくまでも躾だと言われてしまえば、引き下がるしかないのが現状だ。
 グリーヴ伯は外聞を気にしない部分もあるが、当主としての仕事には手を抜かず、それを誇りに思っている。ジュリアに対する保護責任を負っている間は、それを果たそうとするだろう。
 ならばカーティス家に入り浸ることは許さない筈だ。虐待をしていると認定されない親の主張には逆らえない。

 だからと言って、あんな家で成人まで、場合によってはそれよりも長く過ごさせるのは気が咎める。それなら他の者が責任者となり、彼女を保護する方が良いだろう。
 おまけにその相手が彼女におかしな欲を持たず、あらゆる面で力のある人物なら安心だ。例えばワイルド辺境伯のような。
 なので二人の縁談は、彼にとって歓迎すべきものらしい。


 彼の話は納得いくものではあったが、マイケルにはどうしても確かめたいことがある。その返答によって、今後の対応を変えると決めた。

「お訊きしたいのだが、今まで興味のなかった義妹を急に保護する気になった理由は、本当に奥方だけで?」
「そうですよ、僕の行動原理は全て妻に根差しているんですから」

 堂々と言い切る彼の目は誇らしげに輝いていて、マイケルでさえ少しばかり腰が引けてしまう。

「実を言うと、今でもジュリア嬢に対する興味は皆無ですよ。
 ただ、妻が彼女を大切だと思い、守りたいと願うのなら、僕はそれを何としても叶えたいんです」

 分かりやすくて良い。そして彼の言葉には嘘がない。恐らく、嘘をついてもマイケルにはバレると分かっているのだろう。
 似た者同士は、腹の探り合いや騙し合いには向かない。


 ここまで聞いた時点で、マイケルは侯爵を巻き込むと決めた。もう彼の前で取り繕うのもやめる。

「ところで閣下。婚約から一月が経ったというのに、お二人が未だに情報操作をしていない理由をお訊きしてもよろしいですか?」
「やっぱり気になるか?」
「それはそうです。お二人がその気になれば、今頃とっくにこの縁談の実態が知れ渡っている筈ですからね」

 暗部を取り仕切るミルズ公爵家に、戦に長けたワイルド辺境伯家。情報戦は得意なのに、どうして何の手も打たないのか。

「最初は即座にやるつもりだったが、ニコラスが待ったをかけた」
「それはどうして?」
「話が知れ渡った結果、へそを曲げたグリーヴが破談にするのを危惧したからだ」

 カーティス侯の反応が、マイケルの予想通り、彼はまだ詳しい事情を知らないのだと語る。

「恐らく、お前の細君が表立って妹を守ろうとしない、いや、出来ないのも同じ理由だ」
「それは何ですか?」

 先ほどまでとは打って変わって落ち着いた声と表情、そして肌を刺すような空気。彼の本気が伝わってきた。

「落ち着け、ちゃんと教えるから。
 多分、グリーヴはジュリア嬢が自分以外の誰かの元で幸せになることを恐れている。らしい」
「まさか、それは」
「ニコラスが言うには、恐らく本人も気付いちゃいない。と言うか、無意識のうちに気付かないよう目を逸らしているとのことだ」


 ニコラスが気付いたきっかけは、子爵との縁談だ。
 ジュリアを見舞ってすぐに、実は許婚の第一候補は子爵で、それを諦めたからニコラスを標的にしたという事実を知った。
 その時に感じたのは、既に消えた縁談を利用してまでジュリアを押し付けたことへの不快感。だがそれ以上に、話を持ちかけられたのが自分で良かったという安堵の方が大きかった。
 自分ならあの子を守ってやれる。伯爵風情にどうにか出来るような人間ではないのだから。

 それにしても、今回の件はおかしい。

 ニコラスとしては、伯爵は本気でジュリアを子爵に嫁がせるつもりはなく、あくまでも自分を頷かせるための方便だと思っていた。ところが実際は子爵こそが本命だったのだ。
 いくら支度金が多いからと言って、あんな男に娘を嫁がせたら、家の評判はガタ落ちだろう。今までの被害者、もとい花嫁たちの場合は、家の窮地を救うという大義名分があった。
 だが、安定しているグリーヴ家は違う。なのに幼いジュリアを嫁がせたら、そして彼女が過去の犠牲者と同じ結果になってしまったなら。
 とんでもない非難の嵐が巻き起こり、家が傾くほどの大打撃を受ける可能性も大いにある。支度金では割に合わない。
 あの伯爵は、それが分からない程に愚かな男ではない筈だ。

 おまけに子爵との縁談を諦めた後に選んだのはニコラスだ。
 誰が見てもジュリアの相手には釣り合わない。美貌の令嬢として名高い彼女なら、支度金や家格は少しばかり落ちても、もっと年の近い令息が手を挙げる筈なのに。
 ヤツは彼女が幸せな結婚生活を送れないように仕向けているのではないか。
 縁談を受けた時から気になっていたが、彼女について言及する伯爵の様子は常軌を逸していた。まるで必死に何かを抑え込もうとしているようで、不気味に感じたのを覚えている。

「ニコラスが言うには、伯爵が彼女を虐げる理由もそれだ。自分の欲を見ないように、彼女を遠ざけようとしているらしい」

 それも最近は限界が近付いていると察せられる。
 その証拠に、以前は彼女の寝顔を見ている時は穏やかだった伯爵が、近頃は寝ている彼女に罵声を浴びせると聞く。
 そもそも、もう幼児でもない娘の部屋を、男親が毎晩のように寝顔を見に訪れるものだろうか。
 それが娘を溺愛する親ならまだ分かる。だが、罵声を浴びせ暴力をふるうだけのあの伯爵が、欠かさずジュリアの寝顔を見る必要がどこにあるのだ。
 昼間、彼女が起きている時間に顔を合わせるのは、月に一度あるかないかだと聞くのに。
 何より、お気に入りだった筈の長女に対しては、そのような行動を見せなかったと調べはついている。

「他の男の元へ旅立とうとしている彼女を手放したくないという隠れた欲求の表れか、あの時期の少女に見られる急激な成長が原因か。
 何にせよ、ヤツが自分の中に潜む欲望に気付くのも時間の問題だ。そして、もしソレを認めてしまったら、最悪な行動をとるかもしれない」

 今はまだ無自覚だ。
 それでも伯爵はジュリアが誰かを頼り、自分から完全に巣立つことを許さない。自分の妻であるアラベラ夫人については、幼い次男のいる家から離れられないから警戒していないようだ。
 が、ヤツは長女すら、それと気付かないままに恐れている。


「お前の伴侶は人の欲を見抜く力に長けている。だから妹に対する愛情を周囲に悟らせないよう振る舞っているらしい。
 ニコラスの評価だがな」
「それは違うでしょう、彼女は疎い方です。
 その証拠にいつも僕の行動に驚いていますよ」
「お前には警戒を緩めている。つまり信頼しているんだろう、きっと自覚はしていないが」

 その瞬間、絶句した侯爵の顔が真っ赤に染まり、口元が緩む。

「本当でしょうか?」
「俺たち、特にニコラスは、人の願望には気付きやすい。俺だけなら心許ないが、アイツが言うなら確かだろう」

 抑えようとしながらも全身から喜びが滲み出ている若き侯爵を見て、意外と可愛いところがあるんだなと、マイケルは見直した。

(ニックがコイツを気に入っているのは、仲間にしたら便利だからなのかと思っていたが、それだけじゃなさそうだな)

 実のところニコラスが侯爵を気に入っている最大の理由は、友人に似ているからだ。それをマイケル本人に言うことは絶対にないだろうが。


「今はニコラスだけでなく、ジュリア嬢も面白おかしく噂されているだろう? 幸せからは程遠い状態だ」

 しかしニコラスたちが実情を知らしめると、ジュリアに同情が集まる。彼女に手を貸そうとする者が現れたら、伯爵は何としても接触させないようにする筈だ。
 それだけでなく、ニコラスが単なる同情ではなく、積極的に彼女を守ろうとしていると察したならどうなるか。いつか彼女が問題なく、釣り合いのとれる相手と結ばれる可能性もあると気付くだろう。

「それをあの伯爵が許すとは思えないんだよ」
「それは間違いないのでしょうか?」
「夫人に訊いてみたらどうだ?
 お前が何もかも知っていると伝えてみろ。その上で絶対に裏切らないと誓えば打ち明ける。
 …………かもしれないぞ」

 彼女をどうやって納得させるかが一番の問題だ。
 最近は義妹の話をふると、決まって全身の毛を逆立てた猫のようになってしまう愛妻を思い浮かべる。そして抑えきれない溜め息をこぼした。
 それでも自分は彼女の信頼を得ているという人生の先輩の言葉を信じ、やり遂げるしかない。

 若き侯爵の心の内を思い、そっと応援するマイケルの目は、かつてない程に優しかった。
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