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西遷の章
ナクサトベ
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イリヒコ一行は族長の館に連なる祭祀のために作られた建物に通された。建物といっても出雲や大和や筑紫の貴族達がくらすような高床式の建物ではない。
所謂竪穴式住居の形式であるが、とにかく広い。中央の柱は見たことも無いくらいに太く、それを中心に放射状に柱が建てられ、その上にテントのように萱の屋根が覆い被さっている。
数十人が一度で入れるくらいの広さである。そこで思い思いの場所に座り込み待っているとやがて、族長らしき老女と先ほどのヒメが輿にのって現れた。
担いでいるのは武装した屈強な男達である。中央の柱前で輿は止まり、柱を背にした形で輿がおろされる。男たちのリーダーらしき男が、イリヒコたちに向かって尋ねた。
「代表者の方は御前へ」
と、老女の前の空間を顎で指し示した。男達は、女達とは違い態度や言葉の使い方に棘がある。とつぜん現れた武装集団をいぶかしがっている以上の咋で無礼な振る舞いである。イリヒコは、嫌な雰囲気を感じたが、イワレヒコと並び族長らしい女性の前に座り柏手をうち、大和から筑紫方面に旅に出ると挨拶をした。挨拶を受けた族長は深々と頭を下げ、娘を助けたことについて礼を述べ、今晩はここでゆっくりするようにと言った。
「私は、この荒川村の族長アラカワトベと申します。」
イリヒコらは、名を明かすのに抵抗があったが下手に身分を偽るのも帰って面倒なことになるかと思い、名を名乗った。
「私は、大和の橿原のミマキイリヒコ、こちらは義父のイワレヒコと申します。」
「橿原ぬイワレヒコ?」
と、イワレヒコの名を聞くと族長の顔が曇った。族長はイワレヒコの顔をじっと覗きこむ。イワレヒコは何が何だかわからないようで、黙っている。
イリヒコはタカヒコからの伝令がこの村にもきているのかと緊張した。挨拶のため、武装は解いてある。ここで襲いかかられたら一巻の終わりである。身体に力を入れいつでも動ける体勢をとろうとしたときアラカワトベは口を開いた。
「イワレヒコ様とやら、そなたはもしかして筑紫の日向から数10年前にお越しになったイツセノミコト様の弟のイワレヒコ様なのでしょうか?」
イワレヒコは驚いた顔で頷く。
「如何にも、イツセは私の死んだ兄です。」
「なんと!」
アラカワトベは、憤怒の表情を表したが、感情を押さえるように言葉を続けた。
「そうですか、貴方は私のことをお忘れなのですね?」
イワレヒコはそう言われてじっとアラカワトベの顔を見つめたが思い出せない。
「ナクサトベという名は覚えてらっしゃいませんか?私の姉です。」
そう言われてイワレヒコは漸く思い出した。ナクサトベとは兄・イツセノミコトの最期を看取った女性で、河内沿岸の名草村の女性族長の名である。イワレヒコたちが日向から河内に向かい、先代のナガスネヒコに撃退されたときにイツセは矢傷を負った。
命からがら逃げ出した一行が辿りついたのがナクサトベ率いる名草村だったのである。まだ若かったイワレヒコたちはナクサトベに助けてもらったのだ。重傷を負った兄はその心細さから大和入を諦めようとした。
だが大和入りに拘ったイワレヒコは重傷の兄イツセを置き去りにして熊野灘に向かった。本来はイツセが大和入りのリーダーだったのだ。兵達も河内の敗戦が堪えやる気を無くしていた。イワレヒコは兵達の士気を鼓舞し、目的を遂行させるためにあえて兄を見放し、それを食いとめようとしたナクサトベにも怪我を負わせたのである。そして自分に従う兵を集めて名草を後にしたのだった。
アラカワトベによると、名草村はその事件がもとで崩壊したという。河内からの圧迫もあり、ナクサトベは村を分けイワレヒコを逃がした責任を一人でとるという形を選んだ。トベというのは族長の意味である。
アラカワトベその事件の後名草を離れ、荒川の上流のここ荒川に新田を作り、村を作ったのだ。その苦労はなみなみならぬものだったらしく、荒川の洪水で愛娘を失ったそうだ。ヒメはその娘の残した忘れ形見だ。
イツセは怪我が治りきらずに一年後に、ナクサトベは三つ子を産んで死んだ。三つ子はイツセとナクサトベ子だという。三人が名をチグサ、オハラ、ウガベという。今は全員が熊野のオオヤビコの庇護下にあるそうだ。
アラカワトベとオオヤビコの境界にあたる場所にナクサトベの三人の娘の支配するそれぞれの邑がある。同族なので事ある時は協力は欠かさないが、普段は別の村という扱いだ。
イツセは最期に「ナクサトベを、この村を愛してしまった私が悪いのだからイワレヒコを恨むな」と、妹のアラカワトベに言い残したらしい。しかし、残された者達はそう簡単に割り切れるものでもない。
所謂竪穴式住居の形式であるが、とにかく広い。中央の柱は見たことも無いくらいに太く、それを中心に放射状に柱が建てられ、その上にテントのように萱の屋根が覆い被さっている。
数十人が一度で入れるくらいの広さである。そこで思い思いの場所に座り込み待っているとやがて、族長らしき老女と先ほどのヒメが輿にのって現れた。
担いでいるのは武装した屈強な男達である。中央の柱前で輿は止まり、柱を背にした形で輿がおろされる。男たちのリーダーらしき男が、イリヒコたちに向かって尋ねた。
「代表者の方は御前へ」
と、老女の前の空間を顎で指し示した。男達は、女達とは違い態度や言葉の使い方に棘がある。とつぜん現れた武装集団をいぶかしがっている以上の咋で無礼な振る舞いである。イリヒコは、嫌な雰囲気を感じたが、イワレヒコと並び族長らしい女性の前に座り柏手をうち、大和から筑紫方面に旅に出ると挨拶をした。挨拶を受けた族長は深々と頭を下げ、娘を助けたことについて礼を述べ、今晩はここでゆっくりするようにと言った。
「私は、この荒川村の族長アラカワトベと申します。」
イリヒコらは、名を明かすのに抵抗があったが下手に身分を偽るのも帰って面倒なことになるかと思い、名を名乗った。
「私は、大和の橿原のミマキイリヒコ、こちらは義父のイワレヒコと申します。」
「橿原ぬイワレヒコ?」
と、イワレヒコの名を聞くと族長の顔が曇った。族長はイワレヒコの顔をじっと覗きこむ。イワレヒコは何が何だかわからないようで、黙っている。
イリヒコはタカヒコからの伝令がこの村にもきているのかと緊張した。挨拶のため、武装は解いてある。ここで襲いかかられたら一巻の終わりである。身体に力を入れいつでも動ける体勢をとろうとしたときアラカワトベは口を開いた。
「イワレヒコ様とやら、そなたはもしかして筑紫の日向から数10年前にお越しになったイツセノミコト様の弟のイワレヒコ様なのでしょうか?」
イワレヒコは驚いた顔で頷く。
「如何にも、イツセは私の死んだ兄です。」
「なんと!」
アラカワトベは、憤怒の表情を表したが、感情を押さえるように言葉を続けた。
「そうですか、貴方は私のことをお忘れなのですね?」
イワレヒコはそう言われてじっとアラカワトベの顔を見つめたが思い出せない。
「ナクサトベという名は覚えてらっしゃいませんか?私の姉です。」
そう言われてイワレヒコは漸く思い出した。ナクサトベとは兄・イツセノミコトの最期を看取った女性で、河内沿岸の名草村の女性族長の名である。イワレヒコたちが日向から河内に向かい、先代のナガスネヒコに撃退されたときにイツセは矢傷を負った。
命からがら逃げ出した一行が辿りついたのがナクサトベ率いる名草村だったのである。まだ若かったイワレヒコたちはナクサトベに助けてもらったのだ。重傷を負った兄はその心細さから大和入を諦めようとした。
だが大和入りに拘ったイワレヒコは重傷の兄イツセを置き去りにして熊野灘に向かった。本来はイツセが大和入りのリーダーだったのだ。兵達も河内の敗戦が堪えやる気を無くしていた。イワレヒコは兵達の士気を鼓舞し、目的を遂行させるためにあえて兄を見放し、それを食いとめようとしたナクサトベにも怪我を負わせたのである。そして自分に従う兵を集めて名草を後にしたのだった。
アラカワトベによると、名草村はその事件がもとで崩壊したという。河内からの圧迫もあり、ナクサトベは村を分けイワレヒコを逃がした責任を一人でとるという形を選んだ。トベというのは族長の意味である。
アラカワトベその事件の後名草を離れ、荒川の上流のここ荒川に新田を作り、村を作ったのだ。その苦労はなみなみならぬものだったらしく、荒川の洪水で愛娘を失ったそうだ。ヒメはその娘の残した忘れ形見だ。
イツセは怪我が治りきらずに一年後に、ナクサトベは三つ子を産んで死んだ。三つ子はイツセとナクサトベ子だという。三人が名をチグサ、オハラ、ウガベという。今は全員が熊野のオオヤビコの庇護下にあるそうだ。
アラカワトベとオオヤビコの境界にあたる場所にナクサトベの三人の娘の支配するそれぞれの邑がある。同族なので事ある時は協力は欠かさないが、普段は別の村という扱いだ。
イツセは最期に「ナクサトベを、この村を愛してしまった私が悪いのだからイワレヒコを恨むな」と、妹のアラカワトベに言い残したらしい。しかし、残された者達はそう簡単に割り切れるものでもない。
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