大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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大和の章

オオモノヌシ 三十七

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大物主の宮では、伊和大神の立会いの下、大物主とタカヒコの面会が行われていた。

「よう来てくれた、タカヒコ殿」

大物主は寝台に座ったまま、挨拶を終えたタカヒコの手を取って喜んだ。出雲を出発して以来、誤算続きだったタカヒコの旅も漸く最小限の目的を達成できたことになる。

出雲育ちのタカヒコにとっては、播磨、河内そして大和といった地域には出雲大国主の威勢が、神威が満ち溢れてる出雲のように行渡っていないのが実感できた貴重な旅でもあった。

ここ大和はそれらの地域の中でも、王である大物主が老齢であり、明日をも知れない命であるということで、最も揺れている。

このまま大和を放置していては、やがて出雲の玉垣でさえも揺るがしかねない事態になることも予想できた。大和の安定は即ち出雲のそして大国主に従属する全ての出雲世界の安定でもあるのだ。

「私の命はもう長くない。後のことはタカヒコ殿に任せます。本来なら夕刻から禊を行い、明朝の日の出を以って三輪山の神に誓いを立て大物主の位を禅譲するのが良いのだが、そんな状況ではないようだ。播磨のオオナンジ殿はじめ皆のものよ、三代目大物主誕生の証人になってくれい。儀式は後回しだ。」

「在り難きお言葉にございます。」

タカヒコは、感涙し、大物主にひれ伏した。大物主は、寝台の横に飾られている衣服と冠を指差し、それを着るように促した。大物主の正装である。

タカヒコは別室を用意されそこで簡略な潔斎の儀式を行ってから正装を身に纏い、改めて大物主就任の儀式を行うことになった。

タカヒコが居室を出た後、大物主はオオナンジから砦の事件の詳細を聞き、信頼を置いていたニギハヤヒとナガスネヒコの死など山の麓の情勢を聞いた。

年老いた大物主にとって、水魚の交わりを結んだニギハヤヒと股肱の臣であったナガスネヒコの死は、やはりショックだったらしく、暫し呆然とし、涙を流した。

潔斎の儀式が終わるまで、寝台で休むことを奨められ大物主は再び眠りについた。

オオナンジはエシキから、兵が向かってきているという報告を受けた。当然予想された事態ではあったが、大物主の宮を襲うという暴挙はしないかもしれないという一筋の楽観的要素はこれで完全に無くなった。

脱出するには山の頂上を越え、飛鳥方面へと出るしかない。ここで戦闘を開始しても兵力差は歴然としている以上勝ち目は毛ほどもない。かといってこの宮より上は禁足地である。道らしい道もないのだろう。あったとしても誰も道案内などはできない。

「ここに立てこもるしかないのか?」

と、問わず語りに呟くと、エシキが答えた。

「ここでは、無理でしょう。お世話や給仕のための戦闘のできない者も沢山いますし、武器は大量に保管してありますが砦のような設備は、門と敷地内の物見矢倉しかない。東の道から磯城の里方面に落ち延び、一旦脱出するしか手だてはありますまい。」

「そちらからは、兵は来てないのか?」

「はっ、南北に展開を始めているようです。光の大道には現在は敵の気配はないようです」

「そうか、東の道から脱出するしかないのか・・・・」

宮から東の道とは、イリヒコらから見れば西の道であり、主力が進撃してくる大道である。その時、宮の門を叩く音がした。

「何事だ?」

「橿原勢が上がってくるには早すぎますな。見てまいります。」

エシキが門の外を覗くと、そこにはトミビコと、彼の配下の20名の兵がいた。
エシキは彼らを招き入れ、オオナンジのもとへ連れていった。

「何!!!東の道から主力の大軍が上がる準備をしているだと!!」

トミビコたちからの報告を聞き、オオナンジは思わず叫んでしまった。トミビコたちは磯城の里から砦の裏手を回り東の道を通ってここまでやってきたのだが、途中で橿原勢の動きを察知したのだった。

橿原勢は里人の集団のため、脚が遅く、追いつかれたりはしなかったが確実にこちらに向かっているらしい。

そこへ、潔斎と着替えを済ませたタカヒコが現れた。

「おおトミビコ殿、応援に来てくれたのだな」

正装をしているタカヒコを見て吃驚したトミビコだったが、諌めるようにタカヒコに返答した。

「タカヒコ様、何を暢気なことをおっしゃっております。逃げ道は完全にふさがれたのですよ?私も弟、ナガスネヒコに負けないよう奮戦いたす所存ではありますが・・・・」

「勝ち目がないと?」

「・・・・・・」

オオナンジが口を挟んだ。

「タカヒコ殿には何か妙案がございますのか?」

「妙案?大物主様はご高齢、移動などとんでもない。ここで待ち受けるしかないでしょう。」

「そんな無茶な・・・。この宮を囲まれては一たまりも、ありますまい。」

と、オオナンジ、エシキ、オトシキ、そしてトミビコは顔を見合わせた。

一人タニグクだけが(またか)という顔して、黙って俯いていた。タニグクはここ中ではタカヒコの性格を一番良く知っていた。
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