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大和の章
オオモノヌシ 十九
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「しかし、不本意ではあるが*3木津川の手配が思ったよりも役に立ちそうな展開になってしまったわ」
と、大物主は嘆いた。
「木津川???そのような場所に何か?」
オオナンジは、大物主の突然の嘆きを問いただした。
「あちらから今回の禅譲の後見役になっていいだくお客様が来られます。」
と、エシキが大物主に代わって答えた。
「客とは?」
「オオナンジよ、お主がここまで来るんなら奴は呼ばなくてよかったと思っていたんだが、こんなことなったお陰で正解になってしまったわ!」
と大物主はオオナンジに笑いながら語った。オオナンジとナガスネヒコは訳がわからずぽかんとしていた。
その頃、橿原にも「タカヒコ鳥見山中に現る」の報は伝えられていた。これが事実なら、イワレの村から鳥見山を抜けるコースを取ったことはイリヒコたちにも当然わかる。この報告を受け橿原勢は大和川の上流に急ごしらえで作った陣地の中で、今後の方策を練っていた。
「いつの間に!!通りぬけたのだ」
イワレヒコは、がっかりしたかのように叫んだ。
「二上山から葛城を回ったのでしょうね。あちら方面にも探索をかけたはずなのに」
「まんまと食わされたようだ」
と、イワレヒコはヒオミを睨みつけた。
「そもそも、お主が手柄をあせるゆえ取り逃がすことになったのだ!!しかも河内に撤退したという報告は何だ!これでニギハヤヒに借りができてしまったではないか!いつまでもここで数百もの軍を遊ばせておる我らは馬鹿丸だしではないか!!!」
「も、もうしわけございません」
と、ヒオミは地面に額をこすりつけながら不首尾を詫びた。
「義父上、私と兵の半分をニギハヤヒの下にいかせてください。こうなってしまってはタカヒコを大物主にするのは、不都合がありすぎます」
「半分だと?全軍で向かわねばどうする!」
「いえいえ、ヒオミがまんまと食わされたように、河内勢はタカヒコと結んでおります。ということは、彼奴らがいつ大和川を遡ってくるやわかりません。全軍を三輪山に向けた後に攻めあがってこられれば、ニギハヤヒも我々も三輪山の正面で挟み撃ちになってしまうやもしれません。今後の展開を考えてもここは死守せねばなりません。」
「解かった。イリヒコよ、しかしここの守りは50名ほどで十分だ。急ごしらえとはいえ、準備は万端整っておるしの。河内の土豪など、船で50人も来れば多いほうであろう。ワシが蹴散らしてやるわ!」
「これは、心強い!しかし50では心もとない。義兄上様方とタケヒと100の兵をここに残しまする。こちらは砦の準備もしていますので、もし50を超える兵がきても守りきれるはずです。義父上、よろしくお頼みもうします」
イリヒコはイワレヒコに一礼をし、慌てて陣屋の外へと飛び出した。イリヒコが軍勢に指示をする声が辺りにこだました。現時点で最大の500名の兵力を持つ橿原軍はこれで二つに分散された。
といってもイリヒコが率いる軍は鳥見山のタカヒコ軍とニギハヤヒ軍の十倍の兵力はある。三輪山周辺の最大動員数と比べても兵数の点で遜色はない。もちろん、今が農繁期でなかったら、三輪山の兵数の方が幾らか上回ってはいるが戦闘状態に入っていない三輪山にはそれほどの兵が動員できないことは読めている。つまりは現時点での大和盆地の最大兵力の軍勢はイリヒコに率いられ、鳥見山へと慌てて出発したのである。
一方タカヒコたちは、すでに鳥見山から穴師山の中腹に布陣していた。しかし布陣とはいってもその数はせいぜい10人ほどである。しかもカヤナルミという非戦闘員までいれての数である。
トミビコたちは別働隊として鳥見山から三輪山へと移動の最中である。こちらも20名ほどしかいない。できることならタカヒコに指定された地点までニギハヤヒに気づかれずにたどり着ければという程度である。タカヒコの命じた明朝の日の出までに・・・・・。
穴師山は、武角身がはじめて磯城纒向の地を睥睨した場所だと伝えられている。当時は、大和川の水路など整備されてはいなかったので、出雲から山陰海岸を航行し、琵琶湖を押しわたって大和の地に到達したのだ。そして神山三輪山の姿をこの山から拝み、ここに都することに決めたのだ。
タカヒコも、その神山の姿と磯城の風景をしっかり目に焼き付けておきたかったのだ。そして武角身の足跡をたどることは、大和の王である大物主に近づける道だとタカヒコは信じていた。タカヒコは日の出とともに行動を起こそうとしている。それまでは少数で隠れて、少しでも休息を取った方がいいのだ。
さて、タカヒコを探して二上山から葛城山中を徘徊していたミカヅチとタニグクの二人は、ついにタカヒコの残した「×」印をみつけ、どうやら巨勢のあたりから下山したことを突き止めた。しかし辺りは真っ暗である。二人は松明を使いなんとかタカヒコの辿ったルートを伝い、下山はできたものもここから先は目印らしきものはない。
悩みはてたタニグクは、はっと加茂武角身の伝承を思い出した。
「穴師山のタケツノミ様の陵!おそらくそこにタカヒコ様は現れるだろう」
「出雲より共をなされてきたタニグク殿のお考えに反対するのは心苦しいのですが、三輪へ向かいましょう」
と、ミカヅチは進言した。
「今はタニグク様のご推察の通りに穴師山に居られるかもしれません。しかし、また追いつけない可能性があります。しかしタカヒコ様のご気性なら」
「遅かれ早かれ三輪へ出る、と?」
「はい」
「そうですな、ミカヅチ殿。タカヒコ様はそういうお人だ」
タニグクも同意して、二人は三輪山に向かう事にした。
と、大物主は嘆いた。
「木津川???そのような場所に何か?」
オオナンジは、大物主の突然の嘆きを問いただした。
「あちらから今回の禅譲の後見役になっていいだくお客様が来られます。」
と、エシキが大物主に代わって答えた。
「客とは?」
「オオナンジよ、お主がここまで来るんなら奴は呼ばなくてよかったと思っていたんだが、こんなことなったお陰で正解になってしまったわ!」
と大物主はオオナンジに笑いながら語った。オオナンジとナガスネヒコは訳がわからずぽかんとしていた。
その頃、橿原にも「タカヒコ鳥見山中に現る」の報は伝えられていた。これが事実なら、イワレの村から鳥見山を抜けるコースを取ったことはイリヒコたちにも当然わかる。この報告を受け橿原勢は大和川の上流に急ごしらえで作った陣地の中で、今後の方策を練っていた。
「いつの間に!!通りぬけたのだ」
イワレヒコは、がっかりしたかのように叫んだ。
「二上山から葛城を回ったのでしょうね。あちら方面にも探索をかけたはずなのに」
「まんまと食わされたようだ」
と、イワレヒコはヒオミを睨みつけた。
「そもそも、お主が手柄をあせるゆえ取り逃がすことになったのだ!!しかも河内に撤退したという報告は何だ!これでニギハヤヒに借りができてしまったではないか!いつまでもここで数百もの軍を遊ばせておる我らは馬鹿丸だしではないか!!!」
「も、もうしわけございません」
と、ヒオミは地面に額をこすりつけながら不首尾を詫びた。
「義父上、私と兵の半分をニギハヤヒの下にいかせてください。こうなってしまってはタカヒコを大物主にするのは、不都合がありすぎます」
「半分だと?全軍で向かわねばどうする!」
「いえいえ、ヒオミがまんまと食わされたように、河内勢はタカヒコと結んでおります。ということは、彼奴らがいつ大和川を遡ってくるやわかりません。全軍を三輪山に向けた後に攻めあがってこられれば、ニギハヤヒも我々も三輪山の正面で挟み撃ちになってしまうやもしれません。今後の展開を考えてもここは死守せねばなりません。」
「解かった。イリヒコよ、しかしここの守りは50名ほどで十分だ。急ごしらえとはいえ、準備は万端整っておるしの。河内の土豪など、船で50人も来れば多いほうであろう。ワシが蹴散らしてやるわ!」
「これは、心強い!しかし50では心もとない。義兄上様方とタケヒと100の兵をここに残しまする。こちらは砦の準備もしていますので、もし50を超える兵がきても守りきれるはずです。義父上、よろしくお頼みもうします」
イリヒコはイワレヒコに一礼をし、慌てて陣屋の外へと飛び出した。イリヒコが軍勢に指示をする声が辺りにこだました。現時点で最大の500名の兵力を持つ橿原軍はこれで二つに分散された。
といってもイリヒコが率いる軍は鳥見山のタカヒコ軍とニギハヤヒ軍の十倍の兵力はある。三輪山周辺の最大動員数と比べても兵数の点で遜色はない。もちろん、今が農繁期でなかったら、三輪山の兵数の方が幾らか上回ってはいるが戦闘状態に入っていない三輪山にはそれほどの兵が動員できないことは読めている。つまりは現時点での大和盆地の最大兵力の軍勢はイリヒコに率いられ、鳥見山へと慌てて出発したのである。
一方タカヒコたちは、すでに鳥見山から穴師山の中腹に布陣していた。しかし布陣とはいってもその数はせいぜい10人ほどである。しかもカヤナルミという非戦闘員までいれての数である。
トミビコたちは別働隊として鳥見山から三輪山へと移動の最中である。こちらも20名ほどしかいない。できることならタカヒコに指定された地点までニギハヤヒに気づかれずにたどり着ければという程度である。タカヒコの命じた明朝の日の出までに・・・・・。
穴師山は、武角身がはじめて磯城纒向の地を睥睨した場所だと伝えられている。当時は、大和川の水路など整備されてはいなかったので、出雲から山陰海岸を航行し、琵琶湖を押しわたって大和の地に到達したのだ。そして神山三輪山の姿をこの山から拝み、ここに都することに決めたのだ。
タカヒコも、その神山の姿と磯城の風景をしっかり目に焼き付けておきたかったのだ。そして武角身の足跡をたどることは、大和の王である大物主に近づける道だとタカヒコは信じていた。タカヒコは日の出とともに行動を起こそうとしている。それまでは少数で隠れて、少しでも休息を取った方がいいのだ。
さて、タカヒコを探して二上山から葛城山中を徘徊していたミカヅチとタニグクの二人は、ついにタカヒコの残した「×」印をみつけ、どうやら巨勢のあたりから下山したことを突き止めた。しかし辺りは真っ暗である。二人は松明を使いなんとかタカヒコの辿ったルートを伝い、下山はできたものもここから先は目印らしきものはない。
悩みはてたタニグクは、はっと加茂武角身の伝承を思い出した。
「穴師山のタケツノミ様の陵!おそらくそこにタカヒコ様は現れるだろう」
「出雲より共をなされてきたタニグク殿のお考えに反対するのは心苦しいのですが、三輪へ向かいましょう」
と、ミカヅチは進言した。
「今はタニグク様のご推察の通りに穴師山に居られるかもしれません。しかし、また追いつけない可能性があります。しかしタカヒコ様のご気性なら」
「遅かれ早かれ三輪へ出る、と?」
「はい」
「そうですな、ミカヅチ殿。タカヒコ様はそういうお人だ」
タニグクも同意して、二人は三輪山に向かう事にした。
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