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大和の章
オオモノヌシ 十八
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ニギハヤヒは、金色に眩く光る『鏡』という当時はまだ目新しかった祭器を使って、倭の人々の心を捉え、なびかせようとしていた。筑紫の火神子は『鏡』を死者の魂のよりどころとてして利用した。
たとえば、「まつりごと」にたいして迷いが生じたとき、神仙世界にいる父母の霊魂を鏡に呼び出し、問い掛けるのだ。そうして憑依状態になり「まつりごと」についての決済をする。この段階では『銅鐸』と似た使用法であった。
この利用法は火神子から筑紫の邪馬台国配下や使役の通じる西日本各地の主たる王に鏡が贈られたことで、早くから知られていた。しかしニギハヤヒは鏡を神仙世界との通信に使うのではなく鏡の中に神仙世界ごと個人霊を鏡に留めようとしている。
そのためにも三角縁神獣鏡でなくてはならないのだ。しかし霊魂が留まる鏡は、個人のものでもある。だから呪術具だけでなく副葬品として利用された。この概念は『墓』と『仏壇』に通じるものだ。持ち主またはその家族以外が鏡を利用することは避けられたのである。
しかしニギハヤヒは『鏡』を万能の祭器『銅鐸』の変りとして新しい倭国を作り上げようとしたのだ。人の魂は海に飛んでいく。知識層である支配者たちにもそう信じられていた時代、霊魂の依り代としての『鏡』の登場は鮮烈であった。
何しろ偉大の王の魂を留め置くことができるのだ。こうなれば、王の子孫がもし居なくなっても前王の魂を呼び出せるものが権力を握ることができる。幸いニギハヤヒは配下にコヤネという憑依術のエキスパートや、モノノベという道教の呪術者も抱えている。
つまりは王権の簒奪をしやすい背景をつくり上げようとしたのだ。そのため三輪山に集められた銅鐸の材料である鉱石や金属を全て鏡に変えようとしたのだ。そして火神子の鏡を模倣して作られた倭国製の三角縁神獣鏡は、すでにニギハヤヒによって各地の豪族、実力者たちに多数贈られていた。
特に、ずっとニギハヤヒの政敵であった橿原を取り囲む地域、大物主王権に距離を置きつづける木津川上流の山城方面に重点的に贈られていた。もちろん受け取った相手の中には「宝物」としてしか理解していなかった者も多数いたであろう。
『銅鐸』を依り代として呼び出す神は精霊や祖先霊の集合体ではあっても明確な意思を持った個人霊ではない。神の声がどう聞こえるかは鳴らしてみないと解からないのだ。『銅鐸』を鳴らしすことによって決められた決定事項は王といえども庶民と同じように従わなくてはならない。
だから出雲大国主、大和大物主は利用が終わった銅鐸を地中に封印せねばならなかったのだ。王の権力を揺るがすほどの神器は通常の「まつりごと」には不要なのだ。鏡の祭祀とは銅鐸の祭祀に比べると為政者にとって都合の良い祭祀でもあるのだ。呼び出す相手がはっきりしているのだから・・・・。
一方、銅鐸の方も鏡の登場で微妙にその扱いが変ってきた。『鳴る』ということが王権にとってマイナスになる場合があるのなら、『最初から鳴らないように作る』という意識が見られるようになったのだ。鏡祭祀の広がりの副作用でもある。
『鳴らない銅鐸』には鏡に似た『幾何学的な美しさ』がより強く求められるようになったのだ。この*2『美しくかつ鳴らない銅鐸』を作り出す技術と『三角縁神獣鏡』を複製する技術は競うように進歩していった。どちらかが無ければこれほど倭国内で青銅製品生産技術が進歩することはなかったといえるだろう。
大物主とエシキが会話している所へオトシキがオオナンジと傷ついたナガスネヒコを連れて戻ってきた。オトシキらは、実はずいぶん前に近くまでやってきていたのだが、どうやって大物主と二人を会わせようかと悩んでいた。
ナガスネヒコは船倉に隠れたまま、鳥見山に報せを送っていたのだ。船着場に括られた船の船倉で待たされるのもそろそろ限界に近づいてきた時、ちょうど良い具合にニギハヤヒが兵を連れて出て行った。それを幸いにオトシキは堂々と二人を宮へと導いたのである。
大物主とオオナンジは旧知の仲である。もちろんナガスネヒコと大物主は面識が十分にあった。再会の挨拶もそこそこに、ニギハヤヒの謀反とそれに呼応したらしい橿原対策について語り合った。
ナガスネヒコはヒオミに刺された傷のせいでいつもの元気がないがオオナンジは窮屈な船倉から抜け出した開放感もあり、機嫌良く大物主との再会を喜んだ。
オオナンジからみれば大物主は遥か年上ではあるが、オオナンジは屈託なく対応している。つまり彼は年上、年下に関わらず誰に対しても遠慮がないのである。
それが彼のいいところでもあり、悪いところでもある。しかし事態が逼迫してきた今となっては大物主も彼の無礼を咎める気さえなくなっていた。今は兵は連れていないにしても、歴戦のつわものであるオオナンジにへそを曲げられることは得策ではない。
たとえば、「まつりごと」にたいして迷いが生じたとき、神仙世界にいる父母の霊魂を鏡に呼び出し、問い掛けるのだ。そうして憑依状態になり「まつりごと」についての決済をする。この段階では『銅鐸』と似た使用法であった。
この利用法は火神子から筑紫の邪馬台国配下や使役の通じる西日本各地の主たる王に鏡が贈られたことで、早くから知られていた。しかしニギハヤヒは鏡を神仙世界との通信に使うのではなく鏡の中に神仙世界ごと個人霊を鏡に留めようとしている。
そのためにも三角縁神獣鏡でなくてはならないのだ。しかし霊魂が留まる鏡は、個人のものでもある。だから呪術具だけでなく副葬品として利用された。この概念は『墓』と『仏壇』に通じるものだ。持ち主またはその家族以外が鏡を利用することは避けられたのである。
しかしニギハヤヒは『鏡』を万能の祭器『銅鐸』の変りとして新しい倭国を作り上げようとしたのだ。人の魂は海に飛んでいく。知識層である支配者たちにもそう信じられていた時代、霊魂の依り代としての『鏡』の登場は鮮烈であった。
何しろ偉大の王の魂を留め置くことができるのだ。こうなれば、王の子孫がもし居なくなっても前王の魂を呼び出せるものが権力を握ることができる。幸いニギハヤヒは配下にコヤネという憑依術のエキスパートや、モノノベという道教の呪術者も抱えている。
つまりは王権の簒奪をしやすい背景をつくり上げようとしたのだ。そのため三輪山に集められた銅鐸の材料である鉱石や金属を全て鏡に変えようとしたのだ。そして火神子の鏡を模倣して作られた倭国製の三角縁神獣鏡は、すでにニギハヤヒによって各地の豪族、実力者たちに多数贈られていた。
特に、ずっとニギハヤヒの政敵であった橿原を取り囲む地域、大物主王権に距離を置きつづける木津川上流の山城方面に重点的に贈られていた。もちろん受け取った相手の中には「宝物」としてしか理解していなかった者も多数いたであろう。
『銅鐸』を依り代として呼び出す神は精霊や祖先霊の集合体ではあっても明確な意思を持った個人霊ではない。神の声がどう聞こえるかは鳴らしてみないと解からないのだ。『銅鐸』を鳴らしすことによって決められた決定事項は王といえども庶民と同じように従わなくてはならない。
だから出雲大国主、大和大物主は利用が終わった銅鐸を地中に封印せねばならなかったのだ。王の権力を揺るがすほどの神器は通常の「まつりごと」には不要なのだ。鏡の祭祀とは銅鐸の祭祀に比べると為政者にとって都合の良い祭祀でもあるのだ。呼び出す相手がはっきりしているのだから・・・・。
一方、銅鐸の方も鏡の登場で微妙にその扱いが変ってきた。『鳴る』ということが王権にとってマイナスになる場合があるのなら、『最初から鳴らないように作る』という意識が見られるようになったのだ。鏡祭祀の広がりの副作用でもある。
『鳴らない銅鐸』には鏡に似た『幾何学的な美しさ』がより強く求められるようになったのだ。この*2『美しくかつ鳴らない銅鐸』を作り出す技術と『三角縁神獣鏡』を複製する技術は競うように進歩していった。どちらかが無ければこれほど倭国内で青銅製品生産技術が進歩することはなかったといえるだろう。
大物主とエシキが会話している所へオトシキがオオナンジと傷ついたナガスネヒコを連れて戻ってきた。オトシキらは、実はずいぶん前に近くまでやってきていたのだが、どうやって大物主と二人を会わせようかと悩んでいた。
ナガスネヒコは船倉に隠れたまま、鳥見山に報せを送っていたのだ。船着場に括られた船の船倉で待たされるのもそろそろ限界に近づいてきた時、ちょうど良い具合にニギハヤヒが兵を連れて出て行った。それを幸いにオトシキは堂々と二人を宮へと導いたのである。
大物主とオオナンジは旧知の仲である。もちろんナガスネヒコと大物主は面識が十分にあった。再会の挨拶もそこそこに、ニギハヤヒの謀反とそれに呼応したらしい橿原対策について語り合った。
ナガスネヒコはヒオミに刺された傷のせいでいつもの元気がないがオオナンジは窮屈な船倉から抜け出した開放感もあり、機嫌良く大物主との再会を喜んだ。
オオナンジからみれば大物主は遥か年上ではあるが、オオナンジは屈託なく対応している。つまり彼は年上、年下に関わらず誰に対しても遠慮がないのである。
それが彼のいいところでもあり、悪いところでもある。しかし事態が逼迫してきた今となっては大物主も彼の無礼を咎める気さえなくなっていた。今は兵は連れていないにしても、歴戦のつわものであるオオナンジにへそを曲げられることは得策ではない。
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