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大和の章
オオモノヌシ 十一
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エシキ、オトシキ兄弟によってオオナンジらが救助された頃、タカヒコは二上山中に居た。
いや、居たというより倒れていたという方があたっている。川に流されたあと自力で岸にたどり着いたタカヒコの目にヒオミが二上山へと逃げ込むところが映りヒオミの後を追ってきたのだ。
が、山中移動に慣れたヒオミの姿を途中で見失い、彼自身は、石飛礫によって受けた傷による体力消耗もあり、見失ったあたりにあった恐らく山の民たちの道しるべであろう大きな石の影で意識を失いかけていた。
ここで余談ではあるが、巨石について語らせていただく。
巨石の下には銅矛などの青銅器が隠されていることがおおく、またその山の麓には銅鐸が埋納されている場合がある。銅鐸・銅矛による国土把握とは、小さくいうと、集落域つまり縄張りの主張でもある。
土地を把握するために使用された銅鐸・銅矛は使用後、巨石などの下の地中に埋納される。道しるべとしての巨石に魂を注入するのだ。
こういった道しるべのための巨石は、「塞の神」としての認識を一層強めて行く。また巨石は「鎮守の神」に代表される自然神信仰の表面上の祭祀対象となっていくのだ。塞の神としての巨石はいずれ、仏教色の強い地蔵尊にその存在意義の半分以上を奪い取られて行く。
この、銅鐸と銅矛と巨石による「塞の神」は、やがて土器祭祀によるそれにとって代わられる。
それは農業技術により人口が増し集落が増加してきたことで、「岐」つまり道路とそれを表す境界線を主張する必要とその機会が増えたこともある。貴重な青銅器を使うには、『塞の神』の需要が増えすぎたのかもしれない。
この小説の出雲の章に登場するサルタヒコのモデル「猿田彦」は八衢の神、つまり道祖神の最上位のような扱いをうけている。
天孫降臨神話において、神武天皇の祖父、瓊瓊杵尊を道案内する場面で登場する。国津神ではあるが、この案内によって猿田彦は神話で重要な位置にいるとされる。
祭などで神輿や屋台の巡行時に天狗が先導しているのを見た方も多いだろう。それは天狗ではなく、猿田彦大神なのだ。
神話に登場する猿田彦の記述を造型すると天狗に近くなるのだ。天狗がさきか猿田彦か先か?
いずれにしても神々の先導するのが天狗や猿田彦の仕事なのである
銅鐸は、国土把握の用途を知らない者達にとっては「万能の祭器」でもあった。金色に輝くその姿は、部族統合の象徴でもあり、また銅鐸に記された紋様や絵画、形式の違いによって銅鐸を通し交信したり祈りを奉げる対象つまり『神や精霊の姿』が違ってくるのだ。
太陽に祈り、雲(つまり水神)に祈る。また地中に埋めることにより大地を崇める。祭器としての最初は『天・地・水』つまり万物の始源を表していた。これは、やがて『祭器』としての意匠の発達と祭祀する人々の共同体の発展により、無意識ではあったかも知れないが、天(太陽・雲)と地(大地)と人(部族統合の象徴として)の『三元』に対して祭祀に移行するのである。
後、王権の伸張の影響により、部族が国家の下に統合されていくと、その中から『人』(王者)だけが突出してくるが、それと同時に『鏡』の信仰が流行し、銅鐸は『祭器』としての役目を徐々に失っていく。
猿田彦は鏡のような光る目をもち、行く先を指し示す長い鼻をもつ。また 鏡そのものを飾りのように首に掛けていたりする。
閑話休題
なんとか気力を振り絞り、その大石に「×」印を付けた。自分が道に迷わないため、後を追ってきた仲間に自分の足跡を理解させるためである。
しかし、石飛礫によって受けた傷の痛みと多少の出血は強力にタカヒコを眠りに誘った。薄ぼんやりとした意識の中で、何か大きな籠のようなものに入れられ、籠ごと誰かの背に担がれたのをなんとなく覚えている。
その「誰か」は山道を歩きながら、しきりに自分に話かけているのがわかったが、彼には答える気力は残されてなかった。籠の揺れ具合はさらに眠気を誘い、ついに完全に眠りに陥ったのだ。
タカヒコが次に目を覚ましたのは床の上であった。どうやら小屋のような建物に寝かされているようだ。半身を起こし小屋の中を伺ったが誰もいない。
傷ついたタカヒコの体には手当てが施されていた。当然、肩当や鎧は脱がされている。着ていた鎧や腰にしていた剣は寝床の横に置かれていた。それを身につけ剣を手に取り床の上に座りなおした。
(ここはどこだ??誰かに助けられたような気がする・・・)
記憶をたどってみたがよくわからない。すると、小屋の扉が「ぎぃ」と音をたて開け放たれた。
「おっと、目を覚まされたか。出雲の人だよな。体中傷だらけだったぞ」
と、言いながら満面の笑みを浮かべた若者が小屋へと入ってきた。かなり大柄な男で、タケミカヅチと同じくらいの背格好である。
その後ろには彼の妹らしき少女が彼の衣服に縋りつき、半分だけ顔を覗かせタカヒコの様子をうかがっている。出で立ちから、どうやらこの辺りの山の民の兄妹らしいが若者の体躯はタカヒコが今まで見てきた山の民とは比べものにならないくらい大きい。
いや、居たというより倒れていたという方があたっている。川に流されたあと自力で岸にたどり着いたタカヒコの目にヒオミが二上山へと逃げ込むところが映りヒオミの後を追ってきたのだ。
が、山中移動に慣れたヒオミの姿を途中で見失い、彼自身は、石飛礫によって受けた傷による体力消耗もあり、見失ったあたりにあった恐らく山の民たちの道しるべであろう大きな石の影で意識を失いかけていた。
ここで余談ではあるが、巨石について語らせていただく。
巨石の下には銅矛などの青銅器が隠されていることがおおく、またその山の麓には銅鐸が埋納されている場合がある。銅鐸・銅矛による国土把握とは、小さくいうと、集落域つまり縄張りの主張でもある。
土地を把握するために使用された銅鐸・銅矛は使用後、巨石などの下の地中に埋納される。道しるべとしての巨石に魂を注入するのだ。
こういった道しるべのための巨石は、「塞の神」としての認識を一層強めて行く。また巨石は「鎮守の神」に代表される自然神信仰の表面上の祭祀対象となっていくのだ。塞の神としての巨石はいずれ、仏教色の強い地蔵尊にその存在意義の半分以上を奪い取られて行く。
この、銅鐸と銅矛と巨石による「塞の神」は、やがて土器祭祀によるそれにとって代わられる。
それは農業技術により人口が増し集落が増加してきたことで、「岐」つまり道路とそれを表す境界線を主張する必要とその機会が増えたこともある。貴重な青銅器を使うには、『塞の神』の需要が増えすぎたのかもしれない。
この小説の出雲の章に登場するサルタヒコのモデル「猿田彦」は八衢の神、つまり道祖神の最上位のような扱いをうけている。
天孫降臨神話において、神武天皇の祖父、瓊瓊杵尊を道案内する場面で登場する。国津神ではあるが、この案内によって猿田彦は神話で重要な位置にいるとされる。
祭などで神輿や屋台の巡行時に天狗が先導しているのを見た方も多いだろう。それは天狗ではなく、猿田彦大神なのだ。
神話に登場する猿田彦の記述を造型すると天狗に近くなるのだ。天狗がさきか猿田彦か先か?
いずれにしても神々の先導するのが天狗や猿田彦の仕事なのである
銅鐸は、国土把握の用途を知らない者達にとっては「万能の祭器」でもあった。金色に輝くその姿は、部族統合の象徴でもあり、また銅鐸に記された紋様や絵画、形式の違いによって銅鐸を通し交信したり祈りを奉げる対象つまり『神や精霊の姿』が違ってくるのだ。
太陽に祈り、雲(つまり水神)に祈る。また地中に埋めることにより大地を崇める。祭器としての最初は『天・地・水』つまり万物の始源を表していた。これは、やがて『祭器』としての意匠の発達と祭祀する人々の共同体の発展により、無意識ではあったかも知れないが、天(太陽・雲)と地(大地)と人(部族統合の象徴として)の『三元』に対して祭祀に移行するのである。
後、王権の伸張の影響により、部族が国家の下に統合されていくと、その中から『人』(王者)だけが突出してくるが、それと同時に『鏡』の信仰が流行し、銅鐸は『祭器』としての役目を徐々に失っていく。
猿田彦は鏡のような光る目をもち、行く先を指し示す長い鼻をもつ。また 鏡そのものを飾りのように首に掛けていたりする。
閑話休題
なんとか気力を振り絞り、その大石に「×」印を付けた。自分が道に迷わないため、後を追ってきた仲間に自分の足跡を理解させるためである。
しかし、石飛礫によって受けた傷の痛みと多少の出血は強力にタカヒコを眠りに誘った。薄ぼんやりとした意識の中で、何か大きな籠のようなものに入れられ、籠ごと誰かの背に担がれたのをなんとなく覚えている。
その「誰か」は山道を歩きながら、しきりに自分に話かけているのがわかったが、彼には答える気力は残されてなかった。籠の揺れ具合はさらに眠気を誘い、ついに完全に眠りに陥ったのだ。
タカヒコが次に目を覚ましたのは床の上であった。どうやら小屋のような建物に寝かされているようだ。半身を起こし小屋の中を伺ったが誰もいない。
傷ついたタカヒコの体には手当てが施されていた。当然、肩当や鎧は脱がされている。着ていた鎧や腰にしていた剣は寝床の横に置かれていた。それを身につけ剣を手に取り床の上に座りなおした。
(ここはどこだ??誰かに助けられたような気がする・・・)
記憶をたどってみたがよくわからない。すると、小屋の扉が「ぎぃ」と音をたて開け放たれた。
「おっと、目を覚まされたか。出雲の人だよな。体中傷だらけだったぞ」
と、言いながら満面の笑みを浮かべた若者が小屋へと入ってきた。かなり大柄な男で、タケミカヅチと同じくらいの背格好である。
その後ろには彼の妹らしき少女が彼の衣服に縋りつき、半分だけ顔を覗かせタカヒコの様子をうかがっている。出で立ちから、どうやらこの辺りの山の民の兄妹らしいが若者の体躯はタカヒコが今まで見てきた山の民とは比べものにならないくらい大きい。
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