大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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大和の章

オオモノヌシ 九

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しかも烽火台の精鋭三十名はナガスネヒコ一人にやられてしまっている。ヒオミはこの作戦が中途半端に終わるかも知れないと思い始めていた。あれほど強いとは計算外だったのだ。

ヒオミ自身、老齢に近づいたとはいえ、イワレヒコの筑紫島からの脱出に随行して以来、幾つもの戦いを切り抜けてきた歴戦の「つわもの」である。そういう自負を持っていたが、ナガスネヒコのべらぼうな迫力と強さは経験した事のない世界である。恐らく邪馬台国にも狗奴国にもあれほどの将兵はいないだろう。

「全員を殺すことは無理だ」

山を駆け上がりながら、そう結論を出した。そして次なる行動は、タカヒコのみを殺すことに集中しなくてはいけない。幸い分断は成功した。あとはタカヒコのみを誘い出して殺すか、または射殺すしか手は残されていないのだ。ヒオミはここで死ぬわけにはいけない。橿原へ戻って作戦の結果を報告する義務があるのだ。

やっと別働隊と落ち合う場所までやってきたとき、ヒオミに絶望的な事態が起こった。河内砦の兵と、遅れて付いて来ていた加茂の民やアシハラシコヲたちの陸行部隊が中継所に到着したのだ。

河内の兵は烽火台での定期連絡が無かったため様子を見にきたのだった。こうなっては撤退するより仕方がない。別働隊の一部を割いてタカヒコらの見張りと尾行を命じ、自らは葛城の道へと通じる山道を下り、橿原を目指した。

「タカヒコさま!!!」

ミカヅチは何度も、タカヒコの名を叫んで辺りを見まわしていた。ミカヅチに向かって飛んできた石の破片を遮るために自らの身でミカヅチを庇ったタカヒコはその衝撃をもろに受けたため川に流されてしまったのか、ミカヅチの視界から消えうせてしまったのだ。

しばらくそのあたりの川べりや、川の中に潜ってまで探したが見つからない。さらにミカヅチは陸行部隊や川下からやってきた河内兵にタカヒコを見なかったか問うたがだれもタカヒコの姿を見ていなかった。烽火台に上がっていた伊和大神やナガスネヒコらも、戻ってきて全員で捜索したが、加茂の民やシコヲの死体が数体発見されただけだった。

川原の休憩所いや休憩所の残骸の跡で残ったものたちは車座になっていた。

「この期に及んでタカヒコがいなくなるとは!」

オオナンジが怒りを含んだ口調で嘆いた。

「申し訳ありませぬ。私が盾になればよかった」

涙を溜めながら呟くように言ったミカヅチの言葉を聞いたオオナンジは尚もミカヅチを叱り付けた。

「殊勝なそぶりを見せてはおるが、お主の仕業ではないのか?」

「まっ、まさか!」

傷の痛みに耐えながらナガスネヒコが助け舟を出した。

「オオナンジさま、ミカヅチは単純な男ではありますが、そのような卑怯な手を使うはずはありません」

「解かっておるわ!これは戒めだ。自らの武勇を誇りすぎると油断が生まれる。今回もミカヅチが油断なく動いておれば、タカヒコを見失うことなどなかったろう。」

「・・・・・・」

「タカヒコはきっと生きておる。このような理不尽な戦いで総大将が命を落すなどあってはならぬ事だ。ミカヅチよ、タカヒコが戻ってきたら今まで以上にタカヒコに尽くせ。そうすることによってしかこの油断からの失態は取り返せぬぞ!」

「はい・・・。」

「さて、今からどうしたものか・・・。」

オオナンジは考え込みながら一人言のように呟いた。

「とりあえず、三輪へ行かねばなりますまい。」

半身を起こした状態のナガスネヒコが答えた。 

「そうじゃな。わしとナガスネそれとシコオ全員で乗り込むしかないの・・。ミカヅチと加茂の者たちは引き続きタカヒコを探すのだ。」

「問題は橿原の動きです。ここまでの事をやるからには、素通りはできますまい」

「うーむ。。手負いのナガスネでは無理か・・・・。」

「いえ、橿原の弱卒など・・・」

「無理をするな!しかし、ニギハヤヒを相手にせねばならぬ故、三輪の内情に詳しいナガスネを連れて行かねば成るまい。とすると橿原から遠く離れた道を通るか?」 

「ここからでは無理です。当然、大和川の出口である葛城の道も抑えられているでしょうから・・・」

「ここからは?というたな??どこからなら橿原、葛城を通らずに三輪に行けるのだ?」

「一旦河内にもどり、枚方から回るのです。あの道筋は湿地が多く船の通られぬ場所も多いので橿原の注意もニギハヤヒの注意も手薄でしょう。大和川を下る分には時間もかかりませぬ」

「しかし、枚方を溯上するのも時間がかかろう」

「・・・・・・・・」

「ふーむ・・・・」

オオナンジたちはまさに八方ふさがりであった。タカヒコが元気でここにいれば隊を二つに分けて戦うことも可能だし、兵力のなさを補う戦術を駆使することだってできたかもしれない。

「オオナンジ様、私達はタカヒコ様を探しにまいります」

と、タケミカヅチとタニグクら加茂の民は車座が離れていった。
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