大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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播磨の章

アシハラシコヲ

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アラシト達は、突撃態勢のまま待ち構えたが、どうやら向かってはこないようだ。しばしの間にらみ合いが続いたがシコオ達が馬首を北に向けた。彼らの本拠地に戻るようだ。アラシトらは胸を撫で下ろしたが、このままではまずいことに気がついた。シイネツヒコとの会談までは時間を稼がなくてはいけない。仇敵であるシコオの軍が伊和の里から押し寄せてきては、作戦もくそもない。戦いは避けられず混乱状態になるだけだ。

「今、やつらにここにいる事を知られるとまずいな・・・・。よし、全員やつらを追え!伊和の砦に奴らが帰り着くまでに討ち果たすのだ!突撃だ!」

アラシトの号令のもと、日矛たちは馬を駆ってシコオたちを追った。日矛たちの馬は半島産の駿馬揃いで、倭国の野馬から育てたシコオの乗る馬より数段早い。伊和の砦までには十分に追いつくだろう。

ここ伊和の砦は、因幡と播磨を結ぶ山道沿いにある谷に作られた砦である。伊和の里は揖保川の上流域全ての民を統括する。播磨国内でも人口の多いところだ。播磨の海岸沿いは瀬戸内の海人との交易で賑わってはいるがだだっ広い平野は守るに難しい。そこでここ伊和の地が選ばれたのである。

交易の中心地は伊和から10里ばかり下った日女道というところで、ここはかつてスクナヒコナが開いた市が今でも続いている。播磨は稲作文化が広まっている豊かな国ではあるが周囲が敵だらけということもあり、政治的には空白地帯になりやすいのである。しかし陸上経済の発展は進んでおり、山陽道、因幡道などが交差する交通の要地である。播磨の伊和の大神はこの広い播磨平野を守護していた。

播磨には大きな川が幾流かあり、その川の流れを利用して筏や小船で移動し、交易もしていた。山の民でも海人でもない、まさに平野の民である。吉備から播磨の平野部分を中心に稲作を行う民が大陸などから移住してきていた。移住者が多いというのは、豊かな反面無法地帯にもなりやすい。ここで得られた収穫は伊和の大神が集めその利益により「アシハラシコオ」とよばれる兵を養い治安の維持も請け負っていた。伊和の大神は出雲系の豪族であり、初代大国主がスクナヒコナと共に国造りと倭国統一のため倭国各地を移動していたときに播磨の王に指名されそのままここに居座ったのである。

その伊和の砦に出雲からの客が来ていた。タカヒコ一行である。タカヒコは播磨に留まらず一気に大和入りする事を望んでいる。大物主の危篤の報が出雲に届いてからもう丸三日となった。大和からは近江まわりの早舟だったのでタカヒコたちの山越えより1日早くついたのだがそれでも使者が大和の地を出発しておよそ5日間は経っている。わざわざ陸路を選んだのはアシハラシコオの軍を大和へ同道するためである。

「何!100名も出せぬだと!!」

タカヒコは応対に出た、伊和の古老に怒鳴った。

「何故じゃ!大国主様より命はうけておられよう。100騎と歩兵200の合わせて300の軍を用意しておくようにとの仰せだったと思うが?」

「そ、それが出石に不穏な動きありとの報せが参り、オオナンジ様が殆どの兵を率いて行かれたので、ここには150名の兵しか残っておりませぬ。」

タカヒコは天を仰いで嘆息した。出石といえば吉備の日矛と誼を通じたタジマモリの本拠である。確かに吉備と出石の両側から攻めこまれては播磨のシコオも八方ふさがりである。吉備のアラシトが軍を動かしていない今、但馬を攻めるのには文句は言えない。しかし大国主の命を破って300の兵も出せぬとはタカヒコには信じられなかったが、ここまで来て後戻りはできない。大和はもうすぐそこである。

「しようがない。しからば連れていけるだけの兵を全部御借りしたい。伊和のオオナンジ様にもご挨拶したかったが、我らにはもう時間がない。伊和の古老よ無理を申してすまぬ。」

「いえいえ、伊和のオオナンジ様もさぞやあなた様にお会いしたかったことでしょう。では騎馬を50騎と、馬を別に100頭御渡し申そう。途中で乗りかえられるがよかろう。明石の厩にすでに100頭用意してござる」

「忝い、ここから明石までは如何程かかる?」

「馬を飛ばせば1日も掛かりますまい。そうじゃ途中の日女道の市におよりになられ兵を募られよ。あそこには農夫も海人も大勢おり、暇を持て余した荒くれもいろんな者がおります。中には役に立つものもおるやもしれません。」

「解り申した。在りがたき助言痛み入るが、あいにく人を集めておる時間ももったいない。ところでこの前に流れておる川を下ることは出来ぬか?」

「できまする。筏に馬に乗れぬものを乗せ下流の揖保の里で落ち合った方が早かろうとおもいます」

「では、手はずを頼む、」

タカヒコは、アカルヒメとホアカリらを別働隊として筏に乗せ、自らは加茂の民と伊和の民を率い騎馬で進むことにした。目標は揖保の里、相野である。ここは陸路が交差し、揖保の川も流れる地点でもある。山の民と平野の民の交易も行われる集落で筏の到着場所でもある。
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