大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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播磨の章

アメノヒボコ

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アラシトは野営のためのテントの中で、旧天之日矛の面々と謀議していた。シイネツヒコと別れた昨日の朝から少しの仮眠だけしかとっていない。吉備の報告はすでに上がってきていた。あとは大和へやった者の帰りを報告を待ち最終決断を下すだけである。

吉備の様子は表向き平穏無事であったが児島の民たちは半分近くがすでに逃げ出していた。シイネツヒコと争う事をしたくない者が早々と逃散していた。シイネツヒコ配下の舟は児島の周辺にに早くも配備され、シイネツヒコからの攻撃開始の命令をまつばかりである。戦えばアラシトが数年かけて造営した児の港も風前の灯火であった。

吉備を取ったときも内陸に城を造営しそこを本拠地とし数々の謀略と港での陸上戦闘を繰り返すことによりやっとの思いで吉備沿岸の海人たちを配下にすることができたのだ。吉備の陸の民アラシトの持つ先端技術に敬意を表し王として仰いでいたが、海人たちの側からみれば、アラシトらは彼らの王というより、荷主のようなものだった。

本当の海人の王シイネツヒコが動いた以上アラシトに対する義理立ては必要ない。アラシトらと直接婚姻を結んだ海人の部族以外は殆どがシイネツヒコに着いたのである。

歴戦の兵である日矛たちも今回は戸惑っていた、海戦の経験も積んではいるがもともとが陸兵である彼らは出雲との山陰から越かけての上陸戦でも無残にやられている。敵に海戦で作戦行動を取られれば勝てる自信はない。

何よりアラシトらが留守にしている間に吉備海軍の半分は敵に寝返ってしまっているのだ。数の上でも太刀打ちできない。勿論敵が陸に上がれば話しは違うがシイネツヒコはそんな愚は犯さないことは目に見えていた。内陸の城に篭れば負ける気はしないがそんな局面にはなりそうもない。

「どうしてこんなに簡単に寝返りされてしまったのだ!」

アラシトは怒気を含んだ声で叫んだ。

「それが、倭人の掟なのでしょう。何より血縁を重んじるという。我らはあせり過ぎたのかもしれません。大和や出雲、筑紫の勢力に目が行きすぎました。もっと地元を固めるべきでした。」

と吉備児島から合流してきた者が答えた。

「血縁?そうか!一旦出石に落ちるか。あそこのタジマモリのところには我の子も嫁もいる」

「しかし、それにはアシハラシコオの前を通らねばならぬでしょう。この小人数の所を襲われれば無事に出石につけるかどうか・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「どうなさいます?」

「・・・・・・・・・・・」

流石のアラシトも今回の予想もしなかった敵の登場には困惑していた。はなからシイネツヒコが敵に廻るのがわかっていたのならここまで惨めなことにはなるわけがなかった。大山祇の死後、空中分解したと思っていた瀬戸の海人がこんなにも簡単にまとまるとは思いもよらなかったのだ。しかも彼らは筑紫とは好意的な付き合いをしていた。 

「吉備に戻るか?」

とアラシトはぽつりとつぶやいた。自ら吉備にもどれば吉備をシイネツヒコに奪われるという最悪の事態は免れるだろう。しかし出雲との戦に全てを賭けているオモイカネたちを見捨てることになるし、何より今まで倭国統一に動いてきた全てを白紙に戻さねばならない。

筑紫と大和を利用して倭国の実権を握るという計画は水泡に帰すのである。ここに居るだれもが沈黙してしまった。気まずい沈黙を破るように馬の足音が近づいてきた。大和からの報告かと思いアラシトは幔幕の外に大和方面である東の方を見た。

「うん?」

アラシトの後をついて幔幕からでてきた者たちも訝しげに東の方を見ていたが、どうやら東からの音ではなく、北つまり揖保川の上流方向からの音らしい。北に向き直ったが、蛇行して流れている川沿いの木々が邪魔してよく見えない。しかし1頭や2頭の馬でないことは足音からも十分理解できた。

「まずい!」

誰かが大きな声で叫んだ。その声で我に返ったアラシトは、一瞬の内に何がこちらに向かって来ているのか理解した。

「アシハラシコオだ!!!!!!」

誰かがまた叫んだが、流石歴戦の天之日矛の面々である。アシハラシコオたちの姿が見えるまでには10名全員が馬に跨っていた。上流から姿を現したのは5・6騎のシコオである。数では日矛たちの方が上だ。向こうも日矛たちに気付いたようで、少し離れたところで馬の脚をとめた。
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