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出雲の章

ヨモツヒラサカ

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タカヒコの乗る諸手舟は中海を渡る。先を行く灯籠舟は吸い込まれるように黄泉比良坂と呼ばれる中海の対岸の岸壁の横穴に入っていった。

「あそこで舟を降りたようだ」

タカヒコは漕ぎ手たちに横穴を指差し、そこに舟を付けるよう命じた。

諸手舟の上から見ていると、灯籠舟は横穴の手前で舟を繋いでいるようだ。タカヒコたちの舟も遅れて灯籠舟の横に舟を付けた。その先には不気味な洞窟がみえている。

松明の明かりが作り出す影がゆらゆらとほのめき、二人はその洞窟に入って行ったようだ。タカヒコは漕ぎ手達を舟で待機させ、一人で後を追い洞窟にはいることにした。

松明をかざし、洞窟に入ると意外と歩き安い。あちこちに手が加えられていて人の出入りがある場所のようだ。慎重に奥へと歩をすすめると人が話している気配がしてきた。

声の主は老人のようだった。いっしょにいるはずのトシロの声は聞こえないが、老人は独り言ではなく会話をしているようだった。タカヒコはただならぬ雰囲気に気おされ、奥へと進むのを躊躇った。その場で諸手舟に戻り漕ぎ手の者を呼ぼうかと逡巡したが、奥の様子を伺うことにしてしばし老人(サルタヒコ)の声を聞いていた。

何やら講義をしているようだった。幼き日、父である大国主に何度か教わったことのある兵法を老人はトシロに聞かせているようだ。当時はトシロにはまだ早いということでタカヒコだけが父からの教えを受けていたのだ。老人はトシロの疑問にも答えているようだがトシロの声は小さすぎるのかタカヒコには聞こえなかった。その講義に興味をひかれたタカヒコは穴の奥へ少しだけ小船を近づけ更に間近で老人の講義を聞いた。

タカヒコがやってきてから相当の時間が経ったが老人の講義は父から受けた講義よりも、より実際的でより理解しやすいものだった。タカヒコはふと気がついた。美保での生活がなぜ大国主になるものにとって必要なのかを。

「そうか、ここでの講義を受けるためだったのか!」

と心の中で呟いた。トシロだけが大国主自らの講義をうけなかったのは美保での講義の前に間違った知識に染まらないためだ。兄のタケミナカタもタカヒコが学ぶ前に大国主の講義を受けたに違いない。末子相続が掟の出雲では、下に兄弟姉妹ができるたびに出雲の国とそれに従う国々を統治する手助けとなるための専門知識を学ばされ、父である大国主の手足となって働くのだ。男子は兵法と商法、女子は法家や祭祀の教育を受け婚姻や戦争などの外交、国造りに役立つ知識を得るのである。

タカヒコは、母タギリヒメの事を思い出した。もう少しこの講義を聴きたいと思ったが何時までも漕ぎ手を放っておくわけにもいかず、この場を去ることにした。すると奥から老人がタカヒコの名を呼んでいるのが聞こえてきた。振り返ると老人はトシロを従えタカヒコの方に向かって手招きしていた。

「やあ、そこを行くはアジスキタカヒコネノミコトではないか!お主の探しておるコトシロヌシノミコトはここにいるぞ!」

とサルタヒコは洞穴中に響く大音声で呼びかけた。タカヒコは声の方を振り返ったが一瞥しただけで穴の外を向いたまま答えた。

「大国主になるものは、美保の禊では縁者たりとて話してはいけないのが掟でこざる。どなたか知らぬが引き合わせていただかなくて結構。無事な様子を確かめられただけでよいのです。トシロのことよろしくお頼みいたします。」

「タカヒコ殿、あなたも大和の大物主の跡を継ぐと聞き及んでおります。あなたもここで国の主たる知識を学びませぬか?」

「いや、結構でこざる。大和の大物主とはいえ出雲の支配下です。大国主の知識をもつことは国を奪うことにもなりかねません。私が大国主の知恵をもつということは将来に禍根を残すことにもなりかねません。してあなたの御名は?」

「トシロ殿は良い兄をもたれた。タカヒコ殿、わしはサルタヒコまたの名を沙汰の大神と申す。スクナヒコナノカミが海の向こうのからもたらした知恵の全てを管理するもの。トシロ殿のことはお任せあれ。今までで一番の大国主に育てて進ぜる所存でこざる。ただしトシロ殿にその器量がないときはこのスクナヒコナの大智も無駄になります。もしトシロ殿に大智をうける器量なきと判断したときはこの大智の結晶を出雲の敵方にわたすやもしれませぬ。それだけはご了承あれ」

「サルタヒコ殿、我が弟をみくびっては困ります。もしあなたが出雲に敵対するものに味方するのであれば、まずこのタカヒコがお相手致します。そのことだけはご了承あれ」

「はっはっはっ、タカヒコ殿はなかなかの器量ですな。あなたが大国主になればよいかもしれませぬな」

「何を無礼な、スクナヒコナノカミの大智を管理するとはいえ、大国主の地位をそなたにうんぬんされる覚えはござらん。私の存在がトシロの邪魔になるのであれば、喜んで常世の国へ渡る覚悟はできておる。無用の焚き付けはご遠慮あれ。」

それだけ言い残すと、タカヒコはトシロを振り向きもせず洞窟から出ていった。その後姿に向かってサルタヒコは声をかけた。

「タカヒコ殿、その意気や良しでござる。トシロ殿は今夜から次の満月までの間この黄泉の穴にて私がお預かり致す。約束の日には立派な大国主の後継ぎにしてご覧に入れよう!」
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