大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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序章

出雲にて

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~山林、川谷、丘陵、能く雲を出ず、風雨と為り、怪物あらわる。皆、神と曰う~               
                                                                                                           礼記より


ある秋の日、出雲の政庁を兼ねる熊野の宮は人でごったがえしていた。全身に入れ墨をいれた者、中国大陸北部風の胡服を着た者、腰巻きをまきつけただけの者など、この列島の国々に暮らす全て代表者が集まってきていた。 

今日は新しい出雲の大王の誕生の日である。

出雲では王権の末子相続が掟であったため、まだ子供であるトシロ(ヤエコトシロヌシノミコト)が次ぎの大国主となるための儀式が行われる日と言った方がよいだろう。

人々はこの平和が次ぎの代に続くようにと祈り願うために集まってきたのだ。熊野の宮の宮前は出雲中の人、そして大国主の威が届く全ての国からの代表者であふれていた。 

儀式の指揮はトシロの長兄ミナカタ(タケミナカタノカミ)によって執り行われる。この栄誉をつつがなく行うことによりミナカタはミナカタで新しい王の座に就く。

ミナカタは出雲、いや倭国に轟く武名をもって越の国をはじめとした列島北東部の王も兼ねるのだ。

大国主の下、先代から出雲の宰相として「まつりごと」を司るのは、ホヒ(アメノホヒノミコト)である。熊野はホヒと先代大国主の根拠地でもある。

熊野の宮に時をつげる鐸の音が鳴り響いた。いよいよ儀式の始まりである。各国の代表者達は序列の順に大国主の前に通される。一番乗りは初代の大国主の御世に枝分かれをした大和の国である。

大和の始祖は加茂武角身という初代大国主の長男で、鋭気が盛んすぎるため出雲から大和に移り独立したのだった。加茂武角身に付き従ったのがオオトシつまり初代の大物主である。

加茂武角身は子をなさなかったため、大和での大国主の直系血筋は途絶えてしまっていたが始祖スサノヲを同じくする大物主の子孫が出雲の祭祀をうけつぎ、こちらも先日代替わりが行われた。

今の大物主はトシロの同母兄のアジスキタカヒコネノミコトである。

今回の使節はコヤネ(アメノコヤネノカミコト)という東国常陸の国出身の男が代表で、大和のタカヒコの名代として、その長子ミカヅチと共に大和から出雲へ寿詞を伝えにやってきたのだ。

大和は出雲系の国の中でもいまや本国出雲を凌ぐほどの国威をもっており、太平洋側の大和以東の諸国は大和を通じて出雲に臣従している形をとっていた。

大国主とトシロは大きな柱一本が床から突き出ている以外何もない政庁の二階大広間の一番奥に並んで座っていた。後に大社造りと呼ばれるこの地方独特の広間だ。

大和からの使者コヤネは平伏の姿勢のまま大きな柱の反対側へじりじりとひざたてでたどり着き、大きな柏手を一回打ち顔をあげ大国主の方を向き恭しく挨拶の詞を唄いあげ大国主とトシロの前へと進みでた。ミカヅチはその背後で礼拝の姿勢をとり控えていた。

ミカヅチは父の後ろ姿に視線を向け深呼吸しながら出雲から受け継がれた大和王権の象徴「トツカノツルギ」のはいった木箱を両手で頭上に差し上げた。「トツカノツルギ」は初代大国主が加茂武角身に授けた剣で当時まだ珍しかった鉄剣であり、銅剣より殺傷能力が高いため切り付けられると瞬時に生を死にかえる事から「神宿る剣」として、単なる武器でなく畏れの対象として扱われていた。

新しい大国主による儀式によってこの剣に新しい幸魂を向かえ、それを奉ることにより出雲の国の傘下国の一つとして大和の祭祀を行うのだ。 

ミカヅチは両手を床につけ礼拝の姿勢のまま、大和での出来事、そして自分がこれから巻き起こす混乱とその始末を思い描きなから、床に汗で滲んだ額をこすりつけた。
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