大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

文字の大きさ
上 下
157 / 179
邪馬台国の滅亡

邪馬台国連合解散

しおりを挟む
沈黙を破ったのはオモイカネの一言だった。

「邪馬台国連合は解散しましょう」

鎮痛な表情でオモイカネはやっとそれだけ絞りだした。

「解散?」

会場は再びザワザワとした雰囲気にしはいされた。

オモイカネは、発言を続ける。

「もう既に吉野ヶ里以外、陥落し、解散したも同然です。邪馬台国の名はみんな使ってもらっていいが、今まで私達指導部が行ってきた事はもはやできない。各自の地域、集団で今後の方針は決めてもらいたい。出雲に着くも良い、狗奴国と同盟を結ぶのも良いでしょう」

議長のホホデミが顔を真っ赤にして叫ぶ。

「そんな勝手な!」

「勝手?ホホデミ様こそ、火神子様と並ぶ男王の地位におられて今日この時まで、何もなされてないではないですか!」

クマノクスヒが口を開く。

「まあ、そう言われると我々、天孫族は邪馬台国連合の行先というのをタカミムスビ様とオモイカネ殿に任せっきりになっていた。もちろん火の神のご加護の下。しかしタカミムスビ様らは火神子様の体制が続くのは無理だと判断され、実行に移した」

「勝手だ!火神子様を暗殺しておいてその言い分はどうだ!自分だけは邪馬台国連合の富を集めた吉野ヶ里にこもって生き延びるつもりか!」

「そうだ!」

「どう思われようと結構、ここで私を処分されるならそれも受け入れよう」

オモイカネは全員に向かって言い放った。

それをうけてアメノホヒが発言する。

「吉野ヶ里の要塞、オモイカネ様無しで動くのですか?ホホデミ様?」

ホホデミは苦虫を噛み潰したような表情で黙り込む。

アメノホヒは続ける。

「解散、良いではないですか?元々の姿に戻るということ。そもそも魏の国との通行が成立しなければ邪馬台国連合もできなかったはず。その魏の国もとうに滅び、後ろだてもありません。我々出雲と連盟されるも良いし、隣国の狗奴国とうまくやっていかれるのも良い。」

「しかし」

「しかしもクソもない!」

アメノホヒは叫んだ。

「もう無理なのです。筑紫島のほとんどを支配下に治めた邪馬台国連合はもう復活しません。続くのは我々、つまり天孫族の国だ。そうではないのですか?みなさん!」

「、、、」

誰もアメノホヒの言葉に返答できない。

ここまで黙って聞いていたイリヒコが発言を求めた。

「私は初代の火神子様に命じられ、日向の王子でありながら大和に入植されたイワレヒコ様の後継です。もし、火神子様が生きておられたとしても、邪馬台国にこだわるより天孫族という意識を持ち続けることを望まれたと推測します。」

ホホデミが問う。

「イリヒコ殿、どうしてそう思われる?」

「イワレヒコ様の故事です。火神子様は筑紫島にこだわってはらっしゃらなかった。大和へはイワレヒコ様、出雲へはアメノホヒ様にワカヒコ様も送られ、狗奴国とも交渉を頻繁に行われていたと聞きます。これは邪馬台国発展というより天孫族の発展を願われていたからではないでしょうか?邪馬台国の発展のみを願うならもっと領土を広げてもっと魏の国や半島諸勢力を後ろ立てに、倭国を蹂躙したと思いますが」

クマノクスヒが呟いた。

「国より人か」
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

帝国夜襲艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。 今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

新・大東亜戦争改

みたろ
歴史・時代
前作の「新・大東亜戦争」の内容をさらに深く彫り込んだ話となっています。第二次世界大戦のifの話となっております。

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

連合艦隊司令長官、井上成美

ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。 毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!

処理中です...