大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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邪馬台国の滅亡

紛糾

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阿蘇の会談場には、まだオモイカネは顔を出していない。孤立無縁になるのが見えている。

オモイカネとしては要塞化した吉野ヶ里に籠る気持ちが高い。

一方でオモイカネの味方であるはずの天孫族の王達は厭戦気分でいっぱいの上、火神子暗殺という禁忌を犯したオモイカネは許せない。

タカミムスビが生きていたら様相は変わっていただろうが、オモイカネ処刑で出雲とは和睦というのが天孫族たちの意見だ。



一方で出雲は戦わず勝利を得たい。アメノホヒは同族の天孫族の後押しをしつつ、邪馬台国連合を解散させたい。

天孫族たちも、オモイカネ処刑はともかく、邪馬台国連合解散までは考えていない。狗奴国への恐怖があるからだ。

狗奴国としては、解散した邪馬台国連合を飲み込んでいけばいい。

いや、すでに吉野ヶ里以外は切り取り自由のような状況なのである。

狗奴国にとっての脅威はオモイカネの知略、フツヌシ、タヂカラヲの実践能力の高さ、伊都国軍の精強さである。

三者三様の思惑が渦巻いている。

阿蘇の議場では天孫族たちが、サロン活動に励んでいる。

到着した狗奴国使節からは、キクチヒコの登場は天孫族を刺激するので、ヒルコとイリヒコを議場に送りこんでいる。

ヒルコはこの会議の議長、副議長となるであろう天孫族の族長、ホホデミと歴戦の長老であるクマノクスヒを探していた。

ヒルコは自分たちが第三者的立場なのは理解しているが、この混乱に乗じて、狗奴国の版図を広げ、世話になっている狗奴国に利益をもたらす義務がある。それは同行者に選ばれたイリヒコも同じである。

イリヒコは大和における天孫族の代表でもあるのだ。イリヒコはこの機会に自分たちの拠点が切実に欲しい。できればイワレヒコが出発した日向の一部。それが希望だ。

肝心のアメノホヒとオモイカネが現れないので天孫族のサロン活動は延々と続いている。

ヒルコもイリヒコも広い意味では天孫族だ。邪馬台国連合ではないが。

イリヒコは大和に返り咲くのを諦めたわけではない。イワレヒコの開拓した橿原の地を取り戻し、マキヒメを救い出さねばならない。

ヒルコとイリヒコはヒルコと顔見知りの邪馬台国連合の天孫族といろいろと会談して回っている。

天孫族は出雲と和睦を目指し貢物を大国主の元に運びこんだ者たちも多い。阿蘇の噴火で被害を受けた豊の国には出雲から救援物資が配られる有様だ。

火神子暗殺が広まった今、もはや邪馬台国連合はなくなったも同然だろう。

議場は紛糾している。
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