大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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邪馬台国の滅亡

ヒルコとアメノホヒ

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狗奴国からの一団はキクチヒコを筆頭に、ヒルコ、イリヒコ、カムヤイが会談に出席する。

キクチヒコ以外は天孫族だ。

邪馬台国のいく先に興味のある面々であり、発言権もあるだろう。

アメノホヒは狗奴国からの一団に自ら名乗り、ヒルコを呼び出した。

「お初にお目にかかります。邪馬台国から出雲に鞍替えしたアメノホヒです」

「私は天孫族とはいえ流浪の民、何故に私を呼びだされた?」

ヒルコはかなり警戒している。狗奴国はあくまで立ち合い、それもヒルコ本人やイリヒコらが同行したのはキクチヒコの気まぐれである。

「天孫族の故郷を取り返そうと思いまして」

「?出雲の宰相、アメノホヒ様がですか?邪馬台国を叩き潰すというのならともかく、そんな事を聞かされるとは思いもよりませんでした。狗奴国がこの前手に入れた日向のことですね?」

「そうです。狗奴国には代わりにこの阿蘇、吉野ヶ里、奴国をと考えております。」

「邪馬台国が、いやオモイカネらが納得しないでしょう」

「断るなら邪馬台国の吉野ヶ里を叩き潰すのみという意思を大国主様はお持ちです。」

「あの頑健な要塞を?」

「はい狗奴国と同盟を結んで両面から攻撃します。」

「初対面から脅しですか?」

「いえそんな事はありません。私も元はと言えば天孫族の邪馬台国の人間です。できるだけ無残な真似はしたくありません。」

「天孫族は残すが邪馬台国は潰す。と聞こえますが」

「そのつもりです。今の邪馬台国は火神子様を自ら葬った本分を失った亡国です。邪馬台国のとどめを刺してやるのは我々天孫族の者ではないですか?むしろ、邪馬台国の中心部を固める天孫族のやるべき断るです。大国主様やヒミクコ様にはそのお手伝いをしていただくのです。」

「うーむ。邪馬台国の天孫族たちは納得しますか?」

「納得はしないでしょうが、倭国の代表邪馬台国を諦めさせる事はできるでしょう。実際、いまや出雲、大和の方が充実しております。海人たちの情報網を保たれているヒルコ様ならそれはご承知かと」

「つまり、天孫族に吉野ヶ里を明け渡させ、日向に押し込める。邪馬台国の残滓を日向にもって行くという事ですね?」

「はい、北から出雲、西と南から狗奴国、東からは瀬戸内を通じて大和で押し込めます。それしか天孫族が集団のまま生き延びる道はない。オモイカネは道を誤ったのです。」

「それを糾すと」

「そのつもりです。狗奴国が協力してもらえなくても、近々奴国に集結している出雲軍は吉野ヶ里目指して動きます。」

「しばらくまたれよ。キクチヒコ将軍らと協議させてほしい。一日二日の会談で決めることができるような問題ではない」

「狗奴国が喉から手が出るほど欲しかった筑紫島北部に進出する機会とお考え下さい。」

「出雲は筑紫に大和のような分国を残すつもりですか?」

「いえ、今回はオモイカネの邪馬台国を滅ぼす。それが目的です。筑紫島への駐屯は長く行うつもりはないと、大国主様は仰せです。」

ヒルコは返事をできる立場ではない。アメノホヒもそれは百も承知だろう。それなのに最初にヒルコに方針を漏らしたのは意図的なものだ。

邪馬台国というシステムはなくなっても、天孫族は命を守れる。

これは吉野ヶ里内部の結束のタガを外すためわざと中立者である狗奴国、そのまた客分であり天孫族でもあるヒルコに漏らしたのである。

ヒルコの話ならば筑紫島全体に広がるだろうというアメノホヒの考えである。

















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