大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

文字の大きさ
上 下
138 / 179
邪馬台国の滅亡

オモイカネの憂鬱

しおりを挟む
アメノホヒは大国主に許可をとり、オモイカネらと会談をする事にした。

今後の邪馬台国について、話し合うのだ。

主導権はアメノホヒにある。圧倒的な戦力を背景に交渉するのだ。

もはや解体状態の邪馬台国連合の首都であった阿蘇の西で行う事となった。

狗奴国も立ち合いとして参加する。

筑紫一帯には天孫族が各地の王族として君臨して、それらが邪馬台国連合を形成していたのだ。

オモイカネにとっては、火神子を暗殺した後ろめたい場所。アメノホヒにとっては故郷でもあり、狗奴国は喉から手が出るほど欲しい場所でもある。

阿蘇にはタヂカラヲが駐留し、よく周辺をまとめている。戦乱の中の空白地帯の様相を呈していた。

タヂカラヲはオモイカネのやった事は今でも腑に落ちてない。自分は邪馬台国の将軍であると同時にオモイカネの率いる邪馬台国連合には反感に近い感情ももっていた。

連合の解体は会談前から既定路線でもある。もうまとめるチカラはオモイカネにはないのだ。

しかしオモイカネにしても、吉野ヶ里に集まってくれた自分を支持してくれた民や王族を守る義務もある。

ただ蹂躙されるわけにはいかない。

短時間で大陸の都市を意識した城域も吉野ヶ里につくり上げた。ここを殲滅するには攻撃側とて、かなりの犠牲を強いられる。

大戦争をこのまま続けるか否かが問われる会談だ。味方であるはずの天孫族の王たちはオモイカネを最早、信用していない。

孤立無縁に近い状態のオモイカネに助け舟を出した形をアメノホヒはとったのだった。

この会談の主役はアメノホヒと言っていいだろう。天孫族の王たちにとっても彼は親戚にあたる。

邪馬台国とそれ以外を結ぶのはアメノホヒなのだ。

アメノホヒは大和へ使いを出して、ワカヒコつまりホアカリも召集した。勿論ホアカリ一人ではない。大和からの遠征軍も一緒である。

オモイカネと決裂した場合、一気に邪馬台国、いや旧伊都国を滅亡させるつもりなのだ。

そのため、出雲軍の進軍はゆっくりとしている。ホアカリが来る前にはタケミナカタも当然、筑紫に上陸しているだろう。

圧倒的な戦力差である。

オモイカネとアメノホヒにとっては、立ち合いを引き受けた狗奴国だけが不確定要素である。

その狗奴国も、どっちに着くかで意見が分かれている。

以前、オモイカネに騙されたキクチヒコは隙あらば出雲をだし抜いてまで邪馬台国を攻撃したい。

客分として狗奴国王、キクチヒコの双方から信頼を得て、今回の会談にも出席するヒルコの意思が反映されてくるのは間違いない。












しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

新・大東亜戦争改

みたろ
歴史・時代
前作の「新・大東亜戦争」の内容をさらに深く彫り込んだ話となっています。第二次世界大戦のifの話となっております。

帝国夜襲艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。 今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

処理中です...