大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径

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出雲国譲りの基礎知識(おまけ)

伊豫之二名島の土佐

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イザナギ、イザナミによる国産み神話の伊豫之二名島(いよのふたなしま)とは四国の名とされています。伊予洲・伊予二名洲とも表記される。

天の御柱やオノゴロ島は天降りの前に、天の浮橋から天の沼矛で潮をかいたときにでき、そこにイザナギとイザナミが降り立ち八尋の神殿をつくり、国産みが始まる。

その最初に生んだのが水蛭子(ひるこ)であり、葦舟で流されます。そして淡島(あわしま、淡路島ではないとされる)。この二柱の神は儀式を間違って産んだ神として、イザナギ、イザナミの産んだ子神(国土になる神)ではないとされる。

儀式を正し、その最初に産んだ国土が淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけしま)で淡路島の事とされ、最初の国土の神、次に生まれたのが、伊豫之二名島つまり、四国。

儀式の間違ったところは女神から声をかけたという点で、淡路島以降は男神からの声掛けで始まった儀式により誕生した。

国土を産み出すという壮大極まる話であると同時に、男から行為を始めねばならないという人間社会の掟っぽいものの反映も感じさせる。

伊豫之二名島には身体が一つに四つの顔があるとされる。後の伊予の国は愛比売(エヒメ)、のちの讃岐の国は飯依比古(イヒヨリヒコ)。 
阿波の国は大宜都比売(オオゲツヒメ)。 土佐の国は建依別(タケヨリワケ)といいます。

九州方面から瀬戸内沿いに回り四国を時計回りに1周した並びである。スタートが阿波国とはなるが八十八箇所巡りに呪術的に繋がるのかもしれない。古代の先進地の筑紫により近い伊予から始まり、大和王権確立以後はそれに近い阿波から始まるようになった。

四国全体の呼び名だった伊予が、愛媛県に位置する場所に限定されたのは、吉備が備前、備中、備後、美作と各地の発展に応じて分割されていったのと同じなのかもしれない。

と、すると四国島で最初に発展し勢力が根付いたのが愛媛のあたりで、もっとも最後に勢力が発展したのが高知あたりなのかもしれない。

四国の旧国名で、土佐というのが語源がよくわからない。伊予というのはいよいよではないが始まりを感じさせ、讃岐は神武天皇の幼名さぬのみことやスサノヲを分解したときのサノなど狭い土地の意味を感じさせる。阿波は食物の粟や、海の泡など。

しかし「トサ」はもう1つ想像しにくい。一説によると門狭(とさ)で入口の狭い湾状の土地を指すともいわれている。

この土佐に葛城の神であるヒトコトヌシは流されるのである。一説(続日本紀)によるとヒトコトヌシは賀茂別雷の別名であり、雄略天皇と葛城で狩りの獲物を巡り、諍いを起こしたからだとされる。なんとも不思議である。土佐の国が流刑地として有名だったからとも説明されるが、、、。

ヒトコトヌシ、コトシロヌシそしてヒルコ、エビスのそれぞれの対比。それに加えて「かも」である。

現在、ヒトコトヌシを祭祀した土佐神社には、ヒトコトヌシと共に、本編の主人公である味鋤高彦根尊(アジスキタカヒコネノミコト)が祭祀されている。
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