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崇神朝の謎9ヤマトタケルの正体
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倭王武が雄略天皇であり、雄略天皇が倭武天皇だとすれば、ヤマトタケルの正体は倭王武でなくてはいけない。しかしながら、神功皇后紀に登場する七支刀から河内朝の成立(応神即位)の年代を推定すれば370年以降のこととなる。ヤマトタケルは記紀の天皇の代数から見るとそれより以前の人でなくてはいけない。しかし倭王武は470頃の人であり、記紀からのヤマトタケルの推定年代とは百年以上の差があるのである。
したがって、「倭武天皇」は雄略天皇のことではないということになる。すると、風土記・記紀のヤマトタケルが別に存在しなくてはいけない。
さて、ここからさらにトンデモの加速度をあげてみよう。
10でヤマトタケル神話は英雄誕生説話の類型に当てはまると考えてみた。つまり、特定の人間の一生を示したのではなく、部族、民族ごとにもっていたであろう成人儀式を説話化したものであるということだ。この考えにのっとれば、スサノオ・オオクニヌシ・神武天皇の説話も同じく成人儀式の説話であり、それぞれの説話が根本的に似ていてあたりまえなのである。部族ごとに習俗の違いはあるだろうから微妙な差はあるとはいえベースは同じなのである。
誕生>父母世代からの独り立ち>ライバルの淘汰(兄弟間の葛藤から生き残る)>流浪(修行・征伐)>回帰(即位儀式)>帰還・達成(歓迎)>英雄(神・成人・首長)。
この、英雄説話に倭王武つまり雄略天皇による東国支配を重ね合わせたものが「ヤマトタケル神話」ではなかったか?
日本を統一したのは崇神朝であって河内王朝の雄略天皇の功績ではないとしたかったのかもしれない。
出雲神話はヤマトタケル神話につられて巨大化した。ヤマトタケル神話は継体即位の不自然さを隠すために巨大化した。つまり河内王朝の徳のなさを述べるためである。応神を除く河内王朝の歴代の王の中にあまり大きな神格を創ってしまうと雄略の死後から暗躍する継体の即位を正当化できないのである。
そしてヤマトタケルには、他の英雄誕生神話の主人公にはある即位神話がない。
当然である。即位したのはヤマトタケルの実像であるオオハツセワカタケルなのだから・・・・・・。
系譜主義社会の常識では架空のタケルと実像のタケルに分離されたとはいえ二度もタケルを王位につけることはできなかったのではないだろうか?だからタケルは草薙剣を手放したことで王座につけなくなったということを暗示したのだ。
雄略天皇の男系の血筋・皇統は、清寧天皇で途切れる。しかし雄略の娘春日大郎女は播磨朝天皇とも言われる仁賢天皇の后となる。そして仁賢と春日大郎女の産んだとされる悪帝・武烈の非道により、空想の王=ヤマトタケルつまりは河内王朝=倭王武(雄略)の命脈は絶たれ、日本列島の統治権は継体天皇主導による豪族連合体=新大和朝廷に奪われていくのである。
ヤマトタケルが弟橘姫(穂積氏)と宮簀姫(尾張氏)に恋心を持っていたというのも、両姫の出身氏族であり、河内王朝内部にいながら河内王朝を裏切り、滅亡への道を進むのに一役買った物部氏系豪族の尾張氏によって挿入された慰めと、自己満足にすぎないのではないだろうか?尾張氏・穂積氏を含む物部系氏族は継体朝では巨大氏族となり、皇族とも何重にも婚姻を重ね権勢をもつようになるのである。尾張氏出身の目子郎女が継体の后となり、安閑天皇・宣化天皇の二人の天皇の母であることがそれを物語っている。そうして強大化していった物部系氏族が崇神朝と河内朝にまたがる謎の存在・武内宿禰の流れを名乗る蘇我氏に実権を奪われて衰退していくのも興味深い。
さて、長々と、ヤマトタケルについて考えてきたが、トンデモな上に面白くない解釈になってしまった。
以下、私の結論を言うと、崇神朝と応神朝は時間的にかなり重なりあっているのではないかと思う。つまり直線系譜で綴られている記紀の系譜は後世(継体以降)の造作であり、そこに綴られている話もすべては継体即位に向けての前振りではなかったかと思う。崇神朝と応神朝で起こったことを一つにまとめ継体即位の不自然さを隠すために、継体の登場の不自然さを少しでも薄めていくために伝わっていた話を都合のよいように割り振ったのである。
景行天皇のときに武内宿禰が初登場する。死ぬのは仁徳期である。
景行天皇の時代には、崇神朝はすでに分解していたことを不老不死の武内宿禰の存在が微かに匂わせているのではないだろうか?
もしくは、系譜としては正しくとも、内包する説話の組替えが行われていると考えたらよいのだろうか?いずれにしても、ヤマトタケル神話と神功皇后神話の挿入と武内宿禰の異常な寿命は、何かをごまかしているような気がする。
何をごまかしているのかといえば「万世一系」の思想で彩られた記紀にとって重要なのは「系譜」であり、ごまかす必要があるのも系譜しかないのである。これについては、「武内宿禰と河内王朝の謎」として、いずれ別稿で考えてみたいと思う。
タケルと継体即位の周辺事情は記紀を纏めるときに主導的立場にあった藤原氏の立場から見ても何か面白いものが見つかるかもしれない。
継体天皇の即位はそれまでの天皇、またそれ以降の天皇と比べてひどく中華的である。「血筋(系譜)」でなく「徳」(といっても本来は実力主義なのであろうが)が最大限に表現されている。こういった変化は倭の五王の対中国外交によって持ち込まれた変化であり、古代の東アジア情勢の中で隆盛を極めた倭王武(ヤマトタケルの実像)にとっては夢にも思わなかったであろう自らの血筋の滅亡につながったのではなかったか??
天下を纏める特効薬安東大将軍の副作用、といったところだろうか?
以上を以って「崇神朝とヤマトタケルについて」は一応終了とさせていただきます。
自分の持っている基本的な古代史観=「系譜主義」とは整合性も十分にはとれていませんし、まだまだ勉強不足のトンデモなので数日で考えが変わってしまうかもしれません。最初から読んでいただいた皆様ありがとうございました。感想はとても励みになりました。ありがとうございました!!!
したがって、「倭武天皇」は雄略天皇のことではないということになる。すると、風土記・記紀のヤマトタケルが別に存在しなくてはいけない。
さて、ここからさらにトンデモの加速度をあげてみよう。
10でヤマトタケル神話は英雄誕生説話の類型に当てはまると考えてみた。つまり、特定の人間の一生を示したのではなく、部族、民族ごとにもっていたであろう成人儀式を説話化したものであるということだ。この考えにのっとれば、スサノオ・オオクニヌシ・神武天皇の説話も同じく成人儀式の説話であり、それぞれの説話が根本的に似ていてあたりまえなのである。部族ごとに習俗の違いはあるだろうから微妙な差はあるとはいえベースは同じなのである。
誕生>父母世代からの独り立ち>ライバルの淘汰(兄弟間の葛藤から生き残る)>流浪(修行・征伐)>回帰(即位儀式)>帰還・達成(歓迎)>英雄(神・成人・首長)。
この、英雄説話に倭王武つまり雄略天皇による東国支配を重ね合わせたものが「ヤマトタケル神話」ではなかったか?
日本を統一したのは崇神朝であって河内王朝の雄略天皇の功績ではないとしたかったのかもしれない。
出雲神話はヤマトタケル神話につられて巨大化した。ヤマトタケル神話は継体即位の不自然さを隠すために巨大化した。つまり河内王朝の徳のなさを述べるためである。応神を除く河内王朝の歴代の王の中にあまり大きな神格を創ってしまうと雄略の死後から暗躍する継体の即位を正当化できないのである。
そしてヤマトタケルには、他の英雄誕生神話の主人公にはある即位神話がない。
当然である。即位したのはヤマトタケルの実像であるオオハツセワカタケルなのだから・・・・・・。
系譜主義社会の常識では架空のタケルと実像のタケルに分離されたとはいえ二度もタケルを王位につけることはできなかったのではないだろうか?だからタケルは草薙剣を手放したことで王座につけなくなったということを暗示したのだ。
雄略天皇の男系の血筋・皇統は、清寧天皇で途切れる。しかし雄略の娘春日大郎女は播磨朝天皇とも言われる仁賢天皇の后となる。そして仁賢と春日大郎女の産んだとされる悪帝・武烈の非道により、空想の王=ヤマトタケルつまりは河内王朝=倭王武(雄略)の命脈は絶たれ、日本列島の統治権は継体天皇主導による豪族連合体=新大和朝廷に奪われていくのである。
ヤマトタケルが弟橘姫(穂積氏)と宮簀姫(尾張氏)に恋心を持っていたというのも、両姫の出身氏族であり、河内王朝内部にいながら河内王朝を裏切り、滅亡への道を進むのに一役買った物部氏系豪族の尾張氏によって挿入された慰めと、自己満足にすぎないのではないだろうか?尾張氏・穂積氏を含む物部系氏族は継体朝では巨大氏族となり、皇族とも何重にも婚姻を重ね権勢をもつようになるのである。尾張氏出身の目子郎女が継体の后となり、安閑天皇・宣化天皇の二人の天皇の母であることがそれを物語っている。そうして強大化していった物部系氏族が崇神朝と河内朝にまたがる謎の存在・武内宿禰の流れを名乗る蘇我氏に実権を奪われて衰退していくのも興味深い。
さて、長々と、ヤマトタケルについて考えてきたが、トンデモな上に面白くない解釈になってしまった。
以下、私の結論を言うと、崇神朝と応神朝は時間的にかなり重なりあっているのではないかと思う。つまり直線系譜で綴られている記紀の系譜は後世(継体以降)の造作であり、そこに綴られている話もすべては継体即位に向けての前振りではなかったかと思う。崇神朝と応神朝で起こったことを一つにまとめ継体即位の不自然さを隠すために、継体の登場の不自然さを少しでも薄めていくために伝わっていた話を都合のよいように割り振ったのである。
景行天皇のときに武内宿禰が初登場する。死ぬのは仁徳期である。
景行天皇の時代には、崇神朝はすでに分解していたことを不老不死の武内宿禰の存在が微かに匂わせているのではないだろうか?
もしくは、系譜としては正しくとも、内包する説話の組替えが行われていると考えたらよいのだろうか?いずれにしても、ヤマトタケル神話と神功皇后神話の挿入と武内宿禰の異常な寿命は、何かをごまかしているような気がする。
何をごまかしているのかといえば「万世一系」の思想で彩られた記紀にとって重要なのは「系譜」であり、ごまかす必要があるのも系譜しかないのである。これについては、「武内宿禰と河内王朝の謎」として、いずれ別稿で考えてみたいと思う。
タケルと継体即位の周辺事情は記紀を纏めるときに主導的立場にあった藤原氏の立場から見ても何か面白いものが見つかるかもしれない。
継体天皇の即位はそれまでの天皇、またそれ以降の天皇と比べてひどく中華的である。「血筋(系譜)」でなく「徳」(といっても本来は実力主義なのであろうが)が最大限に表現されている。こういった変化は倭の五王の対中国外交によって持ち込まれた変化であり、古代の東アジア情勢の中で隆盛を極めた倭王武(ヤマトタケルの実像)にとっては夢にも思わなかったであろう自らの血筋の滅亡につながったのではなかったか??
天下を纏める特効薬安東大将軍の副作用、といったところだろうか?
以上を以って「崇神朝とヤマトタケルについて」は一応終了とさせていただきます。
自分の持っている基本的な古代史観=「系譜主義」とは整合性も十分にはとれていませんし、まだまだ勉強不足のトンデモなので数日で考えが変わってしまうかもしれません。最初から読んでいただいた皆様ありがとうございました。感想はとても励みになりました。ありがとうございました!!!
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