崇神朝そしてヤマトタケルの謎

桜小径

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崇神朝の謎8

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常陸国風土記に記された「倭武天皇」。一般的な解釈によれば、「ヤマトタケルのことで、本当に天皇(大王)に即位したという意味ではなく常陸国が天皇と縁のある国だとするために使われた名称。または地方の人は皇太子とか天皇に近しい皇族を、天皇の代理人として天皇本人と同一視していた。」であるらしい。


そんなことが本当に起こり得るのだろうか?


「常陸国風土記」といえば、大和朝廷を実質的に牛耳っていた藤原氏の手によるものとされている。藤原氏ほどの高級官僚が天皇とそうでないものとを、たとえ古老の言い伝えという伝聞形式であったとしても注意書きもせず、同一視したまま本当の天皇のもとへと提出するものであろうか?


そこで、私は「ヤマトタケルは本当に天皇であった」と解釈してみたが、タケル以外にもう一人「倭武天皇」の号にふさわしい人物がいる。


その名は「倭王武(雄略天皇・和風諡号をオオハツセワカタケルノミコト。といっても武=雄略にも諸説あって定かではないので、注意していただきたい)」こそ実在した「ヤマトタケル」のモデルではなかったか?ということについて考えてみたい。


この説は、ヤマトタケルに関して考察されている古代史本(含・トンデモ本)では良く目にする考察でもある。ご存知の方も多いと思う。私の古代史に対する全体像(系譜主義=内容はともかく、系譜自体に大きな改変つまり同族でないものを同族としたりすることはない。)とは食い違ってくるので、十分に消化しきれていない説なのだが、ここで少しこの説について考えてみたいと思う。


「倭王武」とは、俗に言う「倭の五王」の最後にあたる倭国王のことで、五王はそれぞれ中国の皇帝に遣使して国交を結び中国皇帝の臣下として将軍位などを得たものもいる。武は中国の南北朝時代の南朝の王朝である「宋」に上表文を送り、安東大将軍の位を手に入れた大王であり、河内朝の7代目で歴代21代目(この代数自体が後世に振り分けられたもので、当人たちに「私は何代目の大王である」という意識が古代天皇にあったかどうかというと、記紀が編纂される前にはなかったのではないかと思う。またそうでなければ「将軍位」を欲することはないだろう)の天皇雄略天皇に比定されている。以下上表文の内容を簡単に【】内に示してみよう。


【私の藩国は皇帝の居られる中国からは遠い辺境にあり、皇帝の国の外壁となっております。
私の祖先は自ら甲冑を着て山川を乗り越え休む間もなく戦いつづけてきました。
東に毛人の国征服55国を、西に夷の国を66国を、海北の国を95国を平定しました。
王道を広め王の威の届くところを広げています。

私はまだ至らぬものではありますが、先代の倭王の後を継ぎ、宋の皇帝陛下の威光をもって倭国の民を統治させてもらっています。
百済から船を仕立てて皇帝陛下の元に参上したいと思います。
しかし無道の高句麗が半島の各地を併呑し、辺境の倭の領地まで侵略してきました。
このせいで、私から皇帝陛下への贈り物とした珍品などが届かなくなっております。
それでも、どうにか宋朝に参内のしたいと思い使者を送りました。
高句麗のせいで、進路が塞がれているためいつも参内できるかどうかはわからなくなりました。

亡き父済は寇が宋朝への道を塞ぐのに怒り、倭国百万の兵隊をもって皇帝陛下の正義を行う事を励みに思い高句麗に攻め込もうとしたのです。

しかし私の父と兄が死にましたので、すんでのところでうまく事が運びませんでした。
このままにはできないと思いつつ、私は喪に服すため、兵を動かせませんでしたが、今、既に兵を鍛え準備をし、父兄の遺志を実現しようとしております。
たとえ白刃が身にせまろうと、兵たちはゆるぎない正義の心を奮い立て、大功をたてるつもりです。

もし私が敵を倒し、難を除くことができても、それは天下を覆う皇帝陛下の大きな徳のおかげであり、私の功ではありませんがこれまでとおりに父と同じ官位を名乗ることをお許しいただきたいと思います。三司(俗にいう三公)と同等の官位をいただければ、幕府を開き宋朝に対しより一層の忠節を行うつもりです。

秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍 倭王武】

(補足(憶測??)を加えただいたいの訳なので、ちゃんとした訳本を読んでもらったらありがたいです)


あたりまえだが、とてもへりくだった上表文である。官位を皇帝陛下に所望している厚かましさを覆うためか憐憫の情さえ感じる。中国の威が倭を助けているようにも見える(つまり倭の中国の一部であり、倭王は家臣であり、半島諸国の王とは同僚関係のようなも)がごまかされてはいけない。軍事・経済の面では完全にそれぞれが独立しているのだ。


この上表の一番の目的は「打倒高句麗」であるのはいうまでもないだろう。高句麗の事を「無道」と訴えたところからみても、百済・新羅に対してよりも明らかに敵対心丸出しである。半島北部の勢力である高句麗を敵対視して南韓の軍事を纏めようとする意思が感じられるということは、百済や新羅といった南韓諸国には各論的な利益対立はあっただろうが、その一方で総論的なシンパシーを感じていたのかもしれない。それは交易を通じて経済基盤を同じくした南韓と倭国の関係を表しているのではないか?経済基盤が同じといってもそれは環日本海市場のようなものがあったということであり、港湾を擁する地域(天然の潟湖などを含む)ごとに支配者がいて軍兵がそれぞれの権益を守るために存在していたはずである。


つまり、半島=倭国が同一国家とか、半島諸国が日本列島に支配地をもっていたとか、倭国が実質的に半島六国の軍事の大権を握っていたなどということはありえないと思う。臨機応変に合従連衡を繰り返し問題(戦乱)の解決にはあたっていたかもしれないし、文化レベルや武力の優劣、経済圏の大小はあれども、それは一方が一方を支配するような関係ではない。


そのために高句麗の南下によってずたずたにされた百済・新羅を含む南韓一帯に指導力を発揮し、日本列島や南韓の倭国権益を防御するための大義名分として宋朝の官位がほしいのであって、本気で宋朝に尽すことが第一義ではないのである。高句麗と激突した場合、戦場は南韓諸国の領土になる可能性が高い。戦闘が激化した場合いちいち日本列島から戦闘員補充をする間はない。南韓諸国の王族が納得する形で南韓の民から戦闘員を徴発するための名目が要ると考えたのかもしれない。もしそうだとすると、相当東アジア内を意識し、それに対応する政治力を倭国王の政府は持っていたことになる。上表文とは倭国側が作成したものである。ということは「謎の四世紀」には漢文に対する知識、中華皇帝に対する外交策、東アジアに対する覇権意識も半島諸国に並ぶほど十二分に持ち合わせていた裏返しでもある。


そんな中で、高句麗は南征を開始するのである。また半島北端ということもあり大陸の動きにも一層敏感であったに違いない。その高句麗を食い止めるには大陸から何かしらの圧力がかかるのが一番手っ取り早いのである。高句麗がいくら強大であろうと一時期に南北両端で戦端を開くわけにはいかないだろう。


この上表の一番の意味は「高句麗牽制」であるが、もう一つ、「半島南部と倭国には手出し無用」ということを宋朝に認識させることもある。宋朝の使節や、軍隊には来てほしくなかったのだ。だからこそ、「六国諸軍事」と「開府」を宋朝への忠誠と同時に報せているのだ。


「これだけの【忠誠心】と【実力】を持った【私=倭王武】に中華の東の辺境である日本列島と半島南部のことはお任せあれ」といった感じを言外に滲ませていると感じるのは私だけであろうか?もちろん高句麗が引っ込んだ後のことだろうが・・・・・。


もしそうであるなら、武はまさに自信満々である。
これだけの自信を持つからには、武の痕跡は日本列島各地に刻まれているはずである。しかも

【昔祖禰躬手環甲冑跋渉山川不遑寧處。東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國】

と本人も言っているのだ。


倭王武を雄略天皇つまりオオハツセワカタケルだとすれば、その痕跡として最も有名なのが埼玉の「稲荷山鉄剣銘」という遺物である。ちなみに、稲荷山古墳の築造年代は土器(須恵器)編年、馬具、造成の土(火山灰など?)などからの科学的分析においても5世紀末頃のものとされている。以下銘文を記しておく。

【辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比危其児多加利足尼其児名弖巳加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比其児名加差披余其児名平獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支歯大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也】

冒頭の辛亥年には471年説以外に531年説があります。後者は大和朝廷の東国支配は6世紀以降であるとの説につながっていきます。


この鉄剣銘は、オワケという人物の系譜(先祖は四道将軍の一人、大彦)と、先祖代代「磯城の朝廷」に杖刀人(武官?)として仕えていたことが記されている。彼本人が仕えているのはワカタケルとなっており、書紀ではオオハツセに都していたとされるワカタケルも「斯鬼(磯城)」に都していたように解釈ができる。(ちなみに磯城もオオハツセもすぐ近くではあるので、同じことかもしれないが)


この時期、東国まで河内王朝のワカタケルの威が及んでいたという明確な考古資料である。


埼玉といえば東国、東国の風土記といえば常陸国風土記。その常陸国風土記には前に述べたように「倭武天皇」という人物の名が記されている。これは偶然「武」という名が一致しただけなのでろうか???


ちなみに、常陸国風土記の倭武天皇は、行方の郡の相鹿の里の記述に、
【倭武天皇の后の大橘比売命が倭から降ってきてこの地でめぐり遇われた。だから安布賀(あふか)の邑といっている。】

とあるように、記紀のいうところの弟橘姫(穂積氏)を妻とするヤマトタケルと同一人物とされているのだ。
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