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神仏混淆とは?日本の信仰
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日本の古来の神々というのは、古代豪族たちの先祖神であるという側面を除くと、自然神、精霊神に近いものです。こういった神霊を「アミニズム」と呼んだりします。
太陽に月、海に島、陸地に、風に、山川草木に、水や火、石、器、食料、酒、植物、動物、天体の動き、天候、そして薬などなど。。。
それらすべてを古代の人々が「当時の科学によって解明し意識したそれらに宿るモノ」を神として認識、その理屈を考え記したものでもあるのです。
つまり古代の日本人とそれを取り巻く環境を「神」として考え、祈り、利用し、また感謝し、また相克してきたものが日本列島の八百万の神々のもう一つの姿であり、記紀や朝廷の系譜作成以前の本来的な姿でもあるのではないかと思います。
日本の場合、それらの神が豪族の政治的要素を含んだ形の祖先神としての側面もあり、アミニズムとも微妙に違うような気もします。
そういった八百万の神々への祭祀を「日本の神道の起源」とした場合、確かに古いのですが、長きに渡る神仏混交時代を経て、古代の神道の祭式というものは社家や寺院などによる神道研究の文献の中にしか存在していませんでした。
それら文献から想像して、明治期に国家的規模で作り直したものが現在の神社神道の基となる国家神道です。
もちろん天皇家内部に伝わる祖先神への祭祀、各社家、地域の鎮守の祭式などに残されている地主神への作法、祭式もありますがそれらは今我々が知っている神社の作法とは微妙に違います。柏手の打ち方ひとつにしても伊勢は八開手、出雲、宇佐などは四拍手と古式を残していますが、明治期に統一された柏手の打ち方は二拍手です。
神仏習合、混交の歴史というのは、明治までの日本史そのものです。
最初は、仏教が藩国(となりくに)の神として認識され、神道のというか日本古代信仰の一部が仏という「神」を信仰する形でした。
といっても、それが記述されている最初の歴史書、日本書紀の成立時点で、初期の編修、執筆にかかわったとされる僧呂・道慈(遣唐使でもあり、現在流行り?の聖徳太子架空論のキーマンの一人)の影響が既にあります。日本書紀自体が既に仏教的な影響を受けることにによって成立したとも言えることになります。
百済滅亡時に百済王族、貴族が日本列島に流れ込んだ形跡があるため、それらの人間らと同時に仏教先進国の百済の知識も大量に流入したことでしょう。
その後、弓削道鏡(仏教伝来以前の古代の神道祭祀の代表格、総責任者的豪族とされる物部氏の子孫であるが僧侶)に絡む宇佐八幡神託事件など神仏両者の絡む政治体制が確認されます。神への祭祀を担当した氏族の末裔が仏教に帰依するということは、それだけ古代祭祀的なものが仏教的にも理解されていっていたということを表しているのだと思います。
さらに、聖武天皇の時代に社や神殿は祖先神や地主神、自然神への祭祀の祭式の場となり、人間社会に対しての教義的性格を持つ仏教が国教化を始めます。奈良の大仏建立、国分寺、国尼寺の設立という形でそれが決定付けされます。
また平安京開都の直後に最澄、空海が入唐しそれぞれに経典を持ち帰り、鎮護国家、王城守護の任にあたります。
このあたりから、仏教の仏と社で祭祀される神々を同一視しようとする考えも同時に発生を始めます。
例えば、奈良の大仏は、盧舎那仏ですがこれは光明遍照という仏名をもつことから太陽神と同一視され天照大神と習合していきます。アマテラスは大日如来ともその名の同一性から同一視されます。
その後は、日本書紀にある神々の名や各地の大社の神々がその功徳や祭祀の内容、現世利益の種類などによって、仏教の神々の化身として考えられるようになります。
本地垂迹というやつです。
また、主客逆転した形で日本の神々が主体で仏教神というのが化身だという考えも後々芽生えだします。
これは、鎌倉中期からはじまり、江戸期の習合神道に影響を与えます。しかし、鎌倉期というと、日蓮宗に代表される鎌倉新仏教というくらいに宗派が発生し、仏教が庶民までいきわたる時代の始まりでもあるので、日本全体的にみれば仏教主体の神解釈が優勢のままです。
神仏習合時代というのはこのように、神道と仏教が別々に伝えられたものではなく、ほぼ同じものとして認識されて一つへと収斂されていく時代なのです。またこういう神々と仏は同一のモノであるという解釈研究は仏教側の研究によってより深く、広く進められていきます。
例えば両部神道というものは真言宗の立場から、日本の神々を解釈しなおしたものです。
神仏習合の流れは、山王一実神道(比叡山僧侶の神道)によって江戸期に「完全に僧侶が創造し作った神社」として徳川家康を神として祭祀するための「日光東照宮」という形でピークを迎えます。これは、「僧侶による僧侶のための宮」といっても過言ではないでしょう。
僧侶は「呪術」というものに対して仏を直接りようするより、八百万の神々の神性や霊性を利用する方法を選んだのかもしれません。
その反面、東照宮建立と同時期の出雲大社でも本殿造営が完了したのち、自発的な神仏分離が始まっていきます。これは、出雲大社から別当寺の僧侶を追い出すというものでした。
スサノヲからオオナムチ=アメノシタツクラシシオオカミへの祭神変更といった出雲神道理論的なものが背景にあると同時に、出雲大社自体の収益性が、全国にひろがる出雲講や大名たちの寄進により、かなり良かったからなのかもしれませんが。。。
仏教が中心というのは、あくまで文献から推察されるもののと、各時代の政府の対応制度を眺めるとという意味であって、庶民の神や社、お宮にたいする信仰がどのようなものであったかとはまた違う話でもありますが、庶民の信仰の様子というのは、江戸中期以前については、それこそ仏教文献を見ないとわからないといったような状況です。
また、奈良、平安初期の朝廷祭式として有名なのは神道や仏教ではなく、陰陽道ですよね。
この陰陽道に神道的な祭式は吸収されていきます。でこれも仏教興隆につれて廃れていき民間信仰や修験信仰という形に変化していきます。陰陽道的なものは今も易断のような形で残っています。
で、神に対する信仰、研究というものも仏教側にゆだねられるかたちとなっていくと同時に、天皇家の先祖供養の祭祀も仏教寺院に預けられていくこととなっていきます。泉涌寺がその担当になり桓武天皇以降の皇室先祖供養は仏式となります。
太陽に月、海に島、陸地に、風に、山川草木に、水や火、石、器、食料、酒、植物、動物、天体の動き、天候、そして薬などなど。。。
それらすべてを古代の人々が「当時の科学によって解明し意識したそれらに宿るモノ」を神として認識、その理屈を考え記したものでもあるのです。
つまり古代の日本人とそれを取り巻く環境を「神」として考え、祈り、利用し、また感謝し、また相克してきたものが日本列島の八百万の神々のもう一つの姿であり、記紀や朝廷の系譜作成以前の本来的な姿でもあるのではないかと思います。
日本の場合、それらの神が豪族の政治的要素を含んだ形の祖先神としての側面もあり、アミニズムとも微妙に違うような気もします。
そういった八百万の神々への祭祀を「日本の神道の起源」とした場合、確かに古いのですが、長きに渡る神仏混交時代を経て、古代の神道の祭式というものは社家や寺院などによる神道研究の文献の中にしか存在していませんでした。
それら文献から想像して、明治期に国家的規模で作り直したものが現在の神社神道の基となる国家神道です。
もちろん天皇家内部に伝わる祖先神への祭祀、各社家、地域の鎮守の祭式などに残されている地主神への作法、祭式もありますがそれらは今我々が知っている神社の作法とは微妙に違います。柏手の打ち方ひとつにしても伊勢は八開手、出雲、宇佐などは四拍手と古式を残していますが、明治期に統一された柏手の打ち方は二拍手です。
神仏習合、混交の歴史というのは、明治までの日本史そのものです。
最初は、仏教が藩国(となりくに)の神として認識され、神道のというか日本古代信仰の一部が仏という「神」を信仰する形でした。
といっても、それが記述されている最初の歴史書、日本書紀の成立時点で、初期の編修、執筆にかかわったとされる僧呂・道慈(遣唐使でもあり、現在流行り?の聖徳太子架空論のキーマンの一人)の影響が既にあります。日本書紀自体が既に仏教的な影響を受けることにによって成立したとも言えることになります。
百済滅亡時に百済王族、貴族が日本列島に流れ込んだ形跡があるため、それらの人間らと同時に仏教先進国の百済の知識も大量に流入したことでしょう。
その後、弓削道鏡(仏教伝来以前の古代の神道祭祀の代表格、総責任者的豪族とされる物部氏の子孫であるが僧侶)に絡む宇佐八幡神託事件など神仏両者の絡む政治体制が確認されます。神への祭祀を担当した氏族の末裔が仏教に帰依するということは、それだけ古代祭祀的なものが仏教的にも理解されていっていたということを表しているのだと思います。
さらに、聖武天皇の時代に社や神殿は祖先神や地主神、自然神への祭祀の祭式の場となり、人間社会に対しての教義的性格を持つ仏教が国教化を始めます。奈良の大仏建立、国分寺、国尼寺の設立という形でそれが決定付けされます。
また平安京開都の直後に最澄、空海が入唐しそれぞれに経典を持ち帰り、鎮護国家、王城守護の任にあたります。
このあたりから、仏教の仏と社で祭祀される神々を同一視しようとする考えも同時に発生を始めます。
例えば、奈良の大仏は、盧舎那仏ですがこれは光明遍照という仏名をもつことから太陽神と同一視され天照大神と習合していきます。アマテラスは大日如来ともその名の同一性から同一視されます。
その後は、日本書紀にある神々の名や各地の大社の神々がその功徳や祭祀の内容、現世利益の種類などによって、仏教の神々の化身として考えられるようになります。
本地垂迹というやつです。
また、主客逆転した形で日本の神々が主体で仏教神というのが化身だという考えも後々芽生えだします。
これは、鎌倉中期からはじまり、江戸期の習合神道に影響を与えます。しかし、鎌倉期というと、日蓮宗に代表される鎌倉新仏教というくらいに宗派が発生し、仏教が庶民までいきわたる時代の始まりでもあるので、日本全体的にみれば仏教主体の神解釈が優勢のままです。
神仏習合時代というのはこのように、神道と仏教が別々に伝えられたものではなく、ほぼ同じものとして認識されて一つへと収斂されていく時代なのです。またこういう神々と仏は同一のモノであるという解釈研究は仏教側の研究によってより深く、広く進められていきます。
例えば両部神道というものは真言宗の立場から、日本の神々を解釈しなおしたものです。
神仏習合の流れは、山王一実神道(比叡山僧侶の神道)によって江戸期に「完全に僧侶が創造し作った神社」として徳川家康を神として祭祀するための「日光東照宮」という形でピークを迎えます。これは、「僧侶による僧侶のための宮」といっても過言ではないでしょう。
僧侶は「呪術」というものに対して仏を直接りようするより、八百万の神々の神性や霊性を利用する方法を選んだのかもしれません。
その反面、東照宮建立と同時期の出雲大社でも本殿造営が完了したのち、自発的な神仏分離が始まっていきます。これは、出雲大社から別当寺の僧侶を追い出すというものでした。
スサノヲからオオナムチ=アメノシタツクラシシオオカミへの祭神変更といった出雲神道理論的なものが背景にあると同時に、出雲大社自体の収益性が、全国にひろがる出雲講や大名たちの寄進により、かなり良かったからなのかもしれませんが。。。
仏教が中心というのは、あくまで文献から推察されるもののと、各時代の政府の対応制度を眺めるとという意味であって、庶民の神や社、お宮にたいする信仰がどのようなものであったかとはまた違う話でもありますが、庶民の信仰の様子というのは、江戸中期以前については、それこそ仏教文献を見ないとわからないといったような状況です。
また、奈良、平安初期の朝廷祭式として有名なのは神道や仏教ではなく、陰陽道ですよね。
この陰陽道に神道的な祭式は吸収されていきます。でこれも仏教興隆につれて廃れていき民間信仰や修験信仰という形に変化していきます。陰陽道的なものは今も易断のような形で残っています。
で、神に対する信仰、研究というものも仏教側にゆだねられるかたちとなっていくと同時に、天皇家の先祖供養の祭祀も仏教寺院に預けられていくこととなっていきます。泉涌寺がその担当になり桓武天皇以降の皇室先祖供養は仏式となります。
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