17 / 17
黒田官兵衛登場
しおりを挟む
黒田官兵衛と光姫が結婚した頃、備前の浦上氏が再び勢力を伸張しようとしてた。八朔のひな祭り事件で滅ぼされた浦上本家の政宗の弟の浦上宗景である。
彼は対尼子政策の違いから兄と別行動をとっていたが、1561年の尼子晴久の死以降、兄の政宗との和議をすすめ、兄弟の相克状態を克服し、備前において有数の戦国大名に成長していたのだった。
尼子晴久の死後、激変した中国道情勢の中で着実に地盤を固め、備前一国支配を完成する目前だったのだ。
反尼子の中核の一つだった毛利方の備中の三村氏を滅ぼし、また、何代にもわたって浦上氏と抗争を繰り返し、備前国内での対抗勢力だった松田氏をも滅ぼした備前浦上氏は室津の本家浦上氏の幼年の継嗣をも暗殺し、わずかに残された浦上庄内部の浦上氏本家の被官らを支配下におき、再び強大化していたのである。
その反面、三村氏を滅ぼしたことで、備前浦上と毛利との関係も悪化を始める。
その戦力的中心となったのは、宇喜多直家。
備前浦上勢は、本領の浦上庄奪回のために、龍野の赤松政秀を次の標的とすることになったのであった。
浦上宗景は、そのため、旧主の赤松本家の赤松義祐・則房親子に従う姿勢を見せ、八朔のひな祭りの被害者のもう一方である小寺政職と結び、「龍野赤松包囲網」を作り上げる。
赤松義祐と則房親子はこの通交を機に目の上のたんこぶ的存在へと成長してきた政秀を浦上の力を借りて叩こうと決意する。
婚姻ごと、また養女ごと殺された小寺氏も、赤松政秀の伸張を快く思っていないのは当然で、この包囲網に参加したのだった。
再び風雲急を告げる播磨の国。ついに浦上勢は龍野赤松へと襲い掛かることとなる。
浦上本家の領地を奪い成長していた赤松政秀だったが西播磨で孤立した状況に追い込まれてしまった上、浦上の直接攻撃をうけるというこのピンチに将軍を動かすことを画策する。
政秀は自分の娘を将軍家に侍女として差出し、協力の約束を取り付ける。将軍の協力というのはすなわち織田信長の協力である。
これを察した赤松義祐・則房親子は、本家の頭越しに将軍家と直接結ぼうとする政秀に対し激怒する。御着城主の小寺政職に命じ、政秀の娘の上洛行列を襲わせ生け捕りにすることに成功する。
この政秀息女奪取事件は、将軍・足利義昭を激怒させた。ということは、織田信長をも怒らせたのと同義である。将軍と織田の面目を潰したのだから当然だ。
義昭と信長は、赤松守護家をこの機会を口実に潰してしまおうと、攻撃準備を始めることとなるのだった。
義祐、則房親子は仰天し将軍足利義昭に詫びを入れ釈明することによって、一旦矛先は収まったが、次なる動きが織田軍団の播磨攻めを、決行させることとなる。
毛利元就の動きである。播磨情勢とは別に備中情勢つまりは対浦上の戦争打開のために将軍の出陣を求めたのだった。毛利の標的は備前浦上氏である。この要請に足利義昭・織田信長は乗ることに決定する。
毛利の要請によって、義昭と信長の標的の中心は、赤松本家から浦上氏へとスライドしている。
備前浦上氏としては、播磨に政秀包囲網を作り上げ、その打倒にあと一歩という段階である。
赤松本家と小寺氏が西進してくれば政秀の息の根を止めることができたはずだったが、織田軍団の播磨入り決定のため赤松本家と小寺氏はその対応に追われ、政秀攻撃どころではなくなったのである。
政秀に劣らず、義昭と信長に恭順の意をしめしていた三木別所が赤松本家・小寺打倒の先兵となったのだった。
まさにオセロのような逆転劇である。
龍野赤松を包囲したはずの備前浦上・赤松本家・御着小寺の三家連合が、毛利元就、織田信長、足利義昭、三木別所に包囲されてしまったのだった。
ここで、一旦、整理してみよう。
抗争の名義的中心は龍野赤松vs赤松本家。
抗争の実態的中心は龍野赤松vs備前浦上。
龍野赤松側は足利義昭・織田信長・毛利元就・三木の別所。
赤松本家側は備前浦上、御着小寺。
圧倒的な差である。小さな包囲網ごと包囲してしまった状態なのだ。
息の根を止められる寸前だった龍野赤松氏は、大きく息を吹き返す。
逆に息の根を止められそうになったのが備前浦上氏と御着小寺氏である。
本国備前は毛利の調略の的となり、重臣の宇喜多直家が叛旗を翻した。
宇喜多は毛利のみならず織田側とも連絡をとっており、どちらかというとこれまで争ってきた毛利よりも織田方に近づこうとして叛旗を翻したらしい。
小寺氏も正に「風前のともし火」となってしまったのだ。東からは織田軍の池田勝正と三木の別所氏が押し寄せる。西からは一気に優位にたった龍野の赤松政秀が小寺攻めを開始する。
若き日の官兵衛、最大のピンチの開幕である。
彼は対尼子政策の違いから兄と別行動をとっていたが、1561年の尼子晴久の死以降、兄の政宗との和議をすすめ、兄弟の相克状態を克服し、備前において有数の戦国大名に成長していたのだった。
尼子晴久の死後、激変した中国道情勢の中で着実に地盤を固め、備前一国支配を完成する目前だったのだ。
反尼子の中核の一つだった毛利方の備中の三村氏を滅ぼし、また、何代にもわたって浦上氏と抗争を繰り返し、備前国内での対抗勢力だった松田氏をも滅ぼした備前浦上氏は室津の本家浦上氏の幼年の継嗣をも暗殺し、わずかに残された浦上庄内部の浦上氏本家の被官らを支配下におき、再び強大化していたのである。
その反面、三村氏を滅ぼしたことで、備前浦上と毛利との関係も悪化を始める。
その戦力的中心となったのは、宇喜多直家。
備前浦上勢は、本領の浦上庄奪回のために、龍野の赤松政秀を次の標的とすることになったのであった。
浦上宗景は、そのため、旧主の赤松本家の赤松義祐・則房親子に従う姿勢を見せ、八朔のひな祭りの被害者のもう一方である小寺政職と結び、「龍野赤松包囲網」を作り上げる。
赤松義祐と則房親子はこの通交を機に目の上のたんこぶ的存在へと成長してきた政秀を浦上の力を借りて叩こうと決意する。
婚姻ごと、また養女ごと殺された小寺氏も、赤松政秀の伸張を快く思っていないのは当然で、この包囲網に参加したのだった。
再び風雲急を告げる播磨の国。ついに浦上勢は龍野赤松へと襲い掛かることとなる。
浦上本家の領地を奪い成長していた赤松政秀だったが西播磨で孤立した状況に追い込まれてしまった上、浦上の直接攻撃をうけるというこのピンチに将軍を動かすことを画策する。
政秀は自分の娘を将軍家に侍女として差出し、協力の約束を取り付ける。将軍の協力というのはすなわち織田信長の協力である。
これを察した赤松義祐・則房親子は、本家の頭越しに将軍家と直接結ぼうとする政秀に対し激怒する。御着城主の小寺政職に命じ、政秀の娘の上洛行列を襲わせ生け捕りにすることに成功する。
この政秀息女奪取事件は、将軍・足利義昭を激怒させた。ということは、織田信長をも怒らせたのと同義である。将軍と織田の面目を潰したのだから当然だ。
義昭と信長は、赤松守護家をこの機会を口実に潰してしまおうと、攻撃準備を始めることとなるのだった。
義祐、則房親子は仰天し将軍足利義昭に詫びを入れ釈明することによって、一旦矛先は収まったが、次なる動きが織田軍団の播磨攻めを、決行させることとなる。
毛利元就の動きである。播磨情勢とは別に備中情勢つまりは対浦上の戦争打開のために将軍の出陣を求めたのだった。毛利の標的は備前浦上氏である。この要請に足利義昭・織田信長は乗ることに決定する。
毛利の要請によって、義昭と信長の標的の中心は、赤松本家から浦上氏へとスライドしている。
備前浦上氏としては、播磨に政秀包囲網を作り上げ、その打倒にあと一歩という段階である。
赤松本家と小寺氏が西進してくれば政秀の息の根を止めることができたはずだったが、織田軍団の播磨入り決定のため赤松本家と小寺氏はその対応に追われ、政秀攻撃どころではなくなったのである。
政秀に劣らず、義昭と信長に恭順の意をしめしていた三木別所が赤松本家・小寺打倒の先兵となったのだった。
まさにオセロのような逆転劇である。
龍野赤松を包囲したはずの備前浦上・赤松本家・御着小寺の三家連合が、毛利元就、織田信長、足利義昭、三木別所に包囲されてしまったのだった。
ここで、一旦、整理してみよう。
抗争の名義的中心は龍野赤松vs赤松本家。
抗争の実態的中心は龍野赤松vs備前浦上。
龍野赤松側は足利義昭・織田信長・毛利元就・三木の別所。
赤松本家側は備前浦上、御着小寺。
圧倒的な差である。小さな包囲網ごと包囲してしまった状態なのだ。
息の根を止められる寸前だった龍野赤松氏は、大きく息を吹き返す。
逆に息の根を止められそうになったのが備前浦上氏と御着小寺氏である。
本国備前は毛利の調略の的となり、重臣の宇喜多直家が叛旗を翻した。
宇喜多は毛利のみならず織田側とも連絡をとっており、どちらかというとこれまで争ってきた毛利よりも織田方に近づこうとして叛旗を翻したらしい。
小寺氏も正に「風前のともし火」となってしまったのだ。東からは織田軍の池田勝正と三木の別所氏が押し寄せる。西からは一気に優位にたった龍野の赤松政秀が小寺攻めを開始する。
若き日の官兵衛、最大のピンチの開幕である。
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−
皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。
二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

奇妙丸
0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
赤松氏ってよくわからないなあ。
逆賊だから?