Innocent Noise

叶けい

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ACT05.リアル・ラブソング

19.ナイトアクアリウム

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―碧生―
逆さまになって泳いできたイルカと目が合って、思わず声が出てしまった。
「わあ、こっち見てる」
ね、と同意を求めるように後ろを振り返ったら、先生は意外そうな表情で俺を見ていた。
「随分、楽しそうですね」
「え、うん。まあ」
そんな冷静に言われると、急激に恥ずかしさが込み上げてくる。
水族館といったら小さい子供がはしゃぐ場所と思っていたけれど、時間帯のせいもあるのか大人同士で来ている人の方が多い印象だった。
巨大な水槽の中を泳ぎ回るイルカを見て、こんなにはしゃいでいるのは俺くらいかも知れない。
「小さい頃、こういう所に来た事は無いんですか?」
「無いね。地元にこんな大きい水族館無いもん」
「そうなんですか」
「うん。だからイルカなんて初めて……あ」
話している間にも、また一頭のイルカが目の前に近づいて来た。泳いで遠ざかっても、またすぐに目の前に戻って来る。もしかして、俺が面白がっているのが分かるんだろうか。
「牧野さんて、実家はどこでしたっけ」
俺と同じように、イルカを視線で追いながら先生が聞いてくる。俺も水槽から目を離さないまま答えた。
「長野。観光地とかじゃなくて、本当に山の中」
話しながら、記憶の片隅に何か引っかかった気がして首を傾げた。
「もしかしたら、水族館は連れて行ってもらった事あるかも。でも、はっきり覚えてないや」
ずっと目で追っていたイルカの姿が遠ざかる。繋がっている別の水槽へ泳いで行ってしまったらしい。
「先生は、よく来るの?」
聞いてみると、いいえ、とあっさり否定された。
「初めて来ました」
「えーうそ。ほんとに?」
「ほんとに」
またさっきのイルカが戻って来る。傍らにもう一頭、一回り小さな身体のイルカを伴っていた。
他にも何頭か泳ぎ回っているから、巨大な水槽が手狭に見えてくる。
「こんなにたくさんイルカが泳いでいるところ、僕も初めて見ました」
「誰かとデートで来たんじゃないの?」
「いえ」
先生は首を横に振ると、衝撃の発言をした。
「そもそも、付き合ったことがない」
「えっ。いやいや、うそでしょ」
「本当です」
だから、と少し戸惑う様に声が揺れた。
「これが初デート、なのかな」
初デート。
随分と小っ恥ずかしい響きにむず痒くなる。
「意外ですか?」
「いや、てっきり先生の定番デートコースを辿ってってんだとばかり……」
すると、先生は少し考えるように首を傾げた。
「定番というか、憧れかな」
「憧れ?」
「うん。……来てみたかったから」
水槽を見上げる先生の横顔に、照明が当たって陰影が浮かぶ。
「子どもの頃に来なかったの?」
「日本に来たのは中学生の時だったから。アメリカにいた頃も、あまり記憶に無くて」
「え?先生、アメリカ生まれなの?」
それは初耳だった。
「帰国子女ってこと?あー、そっか。なるほどね」
「……ええと」
「そういうことか。どうりで英語上手だと思っ……」
口をつぐむ。
水槽から視線を外さない先生の表情が、強張って見えた。
「……ごめんなさい」
謝ると、先生は我に返った様子で俺の方を向いた。
「何で謝るの」
「いや、触れちゃいけなかったかなって……」
先生を見ると、目が合った。一重の奥の瞳が揺れ動く。
何だか目を逸らせずに見つめ合ったまま、館内を静かに流れるBGMが鼓膜を震わせてくる。
先に視線を外したのは、先生の方だった。
「もう少し、先に進みませんか」
「あ、うん」
歩き出した先生の背中を追いかける。
色鮮やかな熱帯魚が泳ぎ回るトンネルを抜け、暗い照明の中で幻想的に揺れるクラゲを横目に通り過ぎて行く。
やがて、氷の上をたくさんのペンギンたちが歩き回る水槽前に辿り着いた。
「座りますか」
先生が指さした先には、階段状になっている場所があった。座ってペンギンを鑑賞している客が何人かいる。
端っこの空いたスペースに先生と並んで座り、深い水槽の中を縦横無尽に泳ぎ回るペンギンの様子を黙って見つめた。
「いろんな種類がいるんだね」
「そうですね」
「でもやっぱり、同じ種類同士で群れるんだな。性格も違うし」
一番多くいる嘴の黄色いペンギン達はよく動き回るけれど、体の大きい種類は氷の上でじっとしたまま微動だにしない。あいつら何考えてるんだろうな、と思いながらぼんやり見つめる。
「もう、牧野さんには話したつもりでいました」
頬杖をつき、先生が静かに話し出す。
「僕が、アメリカ生まれだと」
「いや、初耳」
「そうだったみたいですね。……僕は」
次の言葉を続ける前に、小さく息を吸う気配がした。
「ハーフなんです」
「……そうなんだ?」
どういう反応をしたら正解なのか分からず、返事がぎこちなくなる。先生は、うん、と頷いた。
「父親は中国にルーツを持つアメリカ人で、母親は日本人です。母親は、中国の大学で日本語を教えていました」
「へえ……」
「父親とは、仕事の都合で中国に来ていた時に偶然知り合ったらしいです。結婚して、アメリカに渡ってから僕が生まれた。だから、家の中の会話は中国語が中心で、学校とか外では英語を話していました。日本語は母親から少し教わっていたけれど、実際にこちらへ来るまでは慣れていなくて。だから少し、発音がぎこちないしょ?」
「う……や、ううん。そんな事ないよ」
頷きかけ、首を横に振る。
「それで、どうして日本に?」
「離婚したから」
何でもないことの様に、淡々とした口調のまま先生は話し続ける。
「父親が事業に失敗したんです。それだけではなく、浮気もしていた。それを知った母親が愛想を尽かして、僕を連れて日本に帰ったんです。その母親も、もう死んでしまったけれど」
自嘲する様な響きが混ざる。
「だから僕は、この国で一人ぼっち。父親の消息も知りません。まあ……特に会いたいとも思っていませんが」
「……」
ずっとペンギンの方を見ていた先生の視線が、俺の方を向く。
「ごめん、余計な話をして。そろそろ行こうか」
「あ、うん」
立ち上がり、先に歩き出した先生の後を慌てて追いかける。
ペンギンのエリアを抜けると、途端に人の量が多くなった。どうやらちょうど、最後のイルカショーが終わったタイミングだったらしい。
人の流れにまごついている内に、先生の背中が遠ざかって行く。
「せ、先生っ」
聞こえないかもと思ったけれど、ちゃんと届いたらしい。先生が振り返る。
立ち止まってくれたので急いで近づくと、手を握られる感触がした。
え、と驚いている内に人混みを抜け、開けた空間に出た。
「すごい人でしたね」
「うん……」
握られた手を見ていたら、先生も気づいたのか急いで離されてしまった。
「ごめんなさい、つい」
謝ってくる先生の手を、自分から握った。
驚いた様子の先生から目を逸らす。
「い、いいんじゃない。別に……」
不意に高鳴り出した鼓動のせいでつっかえながら、口に出す。
「今日は、デートなんでしょ」
「……はい」
戸惑っているのが分かる先生の返事を背に、ぎこちなく握った手を引いて歩き出す。
さっき、先生が呟いていた言葉が心に引っかかっていた。
『―僕は、一人ぼっち……』
そんな事ない。
先生は一人じゃないよ。
俺がいるよ。
そんな恥ずかしい台詞は言えなくて、代わりに強く手を握った。
さすがに出入り口は人が多くて、気づけばどちらからともなく、手を離していた。
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