眠らぬ夜空に陰る朧月

叶けい

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第七話 知りたくなかった

scene7-2

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―雅孝―
車の窓を叩く雨脚が、強くなった気がした。
「主任、またため息をつきましたね」
運転席でハンドルを握る五十嵐が苦笑する。思わず口元を抑えた。
「悪い、無意識だった」
「休日出勤でお疲れですか?それとも」
ちらり、と五十嵐がバックミラー越しにこちらを見てくる。
「宮城さんの事でも考えてました?」
今度はわざと、大仰にため息をついた。
「からかってるのか」
「いえ、まさか。でも主任、ため息のつき方が疲れている感じではないんですよね」
「ため息に種類なんかあるのか」
「ありますよ。主任のため息は、色気がだだ漏れです」
「黙って運転してろ」
少々強めの口調で返すが、慣れてる五十嵐は、はいはい、と苦笑混じりに返してくるだけで動じない。
またため息が出そうになり、咳払いで誤魔化す。
五十嵐の言うことは図星だ。さっきからずっと、慶一さんの事ばかり考えている。
いや、さっきからじゃない。昨日の夜からずっと、朝早く慶一さんをマンションまで送り届けてからずっと、休日のはずだったのに急用で会社に呼びだされてからずっと、ずっと彼の事しか考えていない。
今だって、雨粒に覆われた窓越しに道行く人を眺めながら、無意識に姿を探して……。
「……五十嵐」
「はい?」
「停めろ」
「はいっ?いや、そんな無茶な」
タイミング良く信号が赤になり、五十嵐がブレーキを踏む。
「どうしたんですか、急に」
こちらを向いた五十嵐の視線が、窓の向こう側に立つ人影に向けられる。
「あ、宮城さんじゃないですか」
「……」
視線が釘付けになったまま、体が動かなかった。
傘を差して立ち話をしているのは、間違いなく慶一さんだった。そして慶一さんの向かい側に立って話している、細身で背の高い青年に俺は見覚えがあった。
「車、出しますよ?」
五十嵐がそう言うや否や、信号が変わり車が走り出す。慶一さんの姿が遠ざかっていく。
「どうされたんですか?」
五十嵐が困惑した様子で聞いてくる。
「あいつ……」
「あいつ?宮城さんと話していた方ですか?」
「……」
「主任、お知り合いなんですか?」
「知り合いなんかじゃない……」

―去年の春。
大学の先輩だった、渡辺先輩から突然電話を貰った。
何の用事かと思ったら、朔也の部屋の合鍵をまだ持っているかと問われて。
『桃瀬の具合が、悪いらしい―』
それを聞いただけで、体の奥が竦み上がる思いがした。
『どういう事ですか』
『悪い、説明している暇は無いと思うからすぐ行ってくれ。会社の後輩から連絡があって、どうもかなり具合が良くないみたいなんだ。また発作でも起こしたら……』
訳がわからないまま、とにかく朔也の部屋へ急いだ。ずっと返せないまま持っていた合鍵を使って扉を開けると、奥から驚いたように飛び出してきたのは。

「さっき慶一さんと話していた、若いのは」
「はい」
「朔也と……俺が昔付き合っていた相手と、今付き合ってるらしい」
「はあ」
どう反応したらいいか分からないのか、五十嵐はそれきり何も言わなくなった。
どういう事だ。どうしてあの若いのが、慶一さんと。
『―浮気されて、振られたんだ』
初めて一緒に酒を飲んだ時、自嘲気味に言っていた事を思い出す。
『ひどいと思わない?』
潮風に吹かれて、悲しげに遠くを見ていた横顔も。
『俺、結構本気で好きだったんだよ―』
カレンダーに書かれていた、柔らかく丸っこい文字。
慶ちゃん、という呼び方から勝手に年下の彼女を想像していた。でも。
もしかして、あの若いのが。
慶一さんを振った、元恋人なのか……?
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