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第一話 落とし物を届けに
scene3 出会い
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―大知―
バスを降り、大学の門をくぐる。
なるべく人通りの少ない所を選びながら、悠貴が指定したカフェテラスを目指して歩いた。
一応変装のつもりでキャップを被ってきていたけれど、あまり俺に注意を向ける学生はいなかった。騒ぎになっても困るが、気づかれないのも何となく寂しい。これが瞬だったら大騒ぎになっていたかもしれないな、と想像する。瞬は某有名コスメブランドのアンバサダーに就任してから、ますます人気と知名度を上げていた。
他の研究棟と比べると真新しい建物のガラス戸を押して中へ入る。もう昼時のピークを過ぎたからか、すれ違う学生の数は少ない。廊下を奥へ進んでいくと、カフェテラスの入り口で、そわそわと周りを見ている悠貴の姿が目に入った。
「ハルー、お待たせ」
声をかけると、気づいた悠貴が俺に向かって手を振った。黒縁の、レンズが大きな眼鏡をかけている。
「大知くん!ごめん、こんなとこまで来させて」
「いいよ。はい、これ」
手に持っていたパスケースを渡す。
「ありがとう!試験受けられなくなるとこやったわ」
「うん、試験頑張ってね。じゃ、俺はこれで」
立ち去ろうとしたら、素早く腕を掴まれた。
「何?」
「大知くん、お礼にコーヒー奢らせて!」
「え?いいよ、別に」
「遠慮せんといて!ほら」
遠慮とかそういう事じゃないのだが、気づいたら悠貴に腕を引かれるがまま、カフェテラスの中へ足を踏み入れていた。せっかちで人の話をしっかり聞かないのは、悠貴の悪いクセだ。言ってもしょうがないから諦めるしかない。
窓際の明るく陽が差し込んでいる席は空きが無かったけれど、悠貴は構わずそっちの方へ俺を引っ張っていき、教科書やらノートやらが雑多に広げられた、とある席の前でようやく俺の腕を離した。
「ここにおって!コーヒー買ってくるわ」
「え?ちょっと、ハルっ」
「座っとってー!」
人の制止も聞かず、注文口のカウンターへ小走りで行ってしまう。
「座ってて、って……」
席を振り返る。四人掛けの席で、目の前の椅子の上には悠貴のものらしき教科書の詰まったリュックが、口が開いたまま置かれていた。
そして―その向かいのソファ席には、先客がいる。
「あの……」
仕方なく声をかけながら相手の顔を見る。目が合うと、あれ、と思った。
柔らかそうな猫毛の黒髪から覗く、たれた二重の目元に見覚えがあった。
さっき悠貴に届けたパスケースの裏に入っていた、ツーショット写真の相手と面影が重なる。
両手で挟んだら包み込めてしまいそうな小さな顔が、少し困ったように傾いた。
「あっ、ごめんなさい。じろじろ見ちゃって……」
目を逸らし、机の上を見る。
「勉強してたんだよね。邪魔して申し訳ない」
「……」
何も返事が返って来ない。不思議に思って顔を上げると、再び目が合った。ゆっくりと瞬きをしてから控えめに微笑み、彼は自分の左側の席をぽんぽん、と叩いた。
「あ……座るの?」
どうぞ、と言うように手で指し示され、遠慮がちに隣に腰かける。すると目の前に広げられていた教科書を片付け始めたので、慌てて止めた。
「大丈夫、すぐ帰るから」
けれど、声をかけても彼は反応しなかった。思わず肩に触れる。
「聞いてる?」
すると、弾かれたように彼がこちらを向いた。黒目がちな瞳と目が合う。
「……えっと」
言葉に詰まる。近くで見ると、本当に整った顔立ちをしていた。肌が白すぎて、血管が浮いて見えてきそうだった。
あ、と彼の口が少し開いた。体をひねり、自分の右耳を指し示してくる。
耳の穴から透明な管が伸びていた。そのまま視線を辿っていくと、肌色の小さな機械が耳の後ろへ向かって掛けられているのに気付く。
「補聴器……?」
そういえば、と記憶がよみがえる。
悠貴が以前、話していた事があった。耳の不自由な幼なじみがいる、と。
一生懸命、動画を見ながら手話を勉強していた悠貴の姿を思い出す。その幼なじみというのが、どうやら今目の前にいる彼らしい。
道理でいくら話しかけても反応しないはずだった。一気に脇汗が吹き出す。
見ると、悠貴はまだカウンターの注文口のところにいた。早く戻って来い、と心の中で焦って念じる。
すると、隣でスマホを出して操作している気配を感じた。俺の前に、何かのアプリを起動させた状態のスマホが置かれる。
何だろう、と思って顔を見ると、彼は自分の目の前で手をぱくぱくさせる動作をした。しゃべって、と唇の形が動く。
「こ、こんにちは?」
戸惑いながら声を発してみる。すぐさま、画面に『こんにちは』とテキストが表示された。
「うわ、すごいね」
思わず感嘆の声を上げる。それもまたすぐに、画面に表示された。
「そっか、喋ると文字にしれくれるんだ…あ、これも出ちゃった。うわあ、すごいすごい。やっほー」
ふふ、と隣で笑う気配がした。見ると、可笑しそうに肩を揺らして笑っている。頬に小さくえくぼが出来ていた。
―あ、可愛い。
そう思ったら不意に胸がざわついた。心臓が少し、痛い。
「なになに、楽しそうやね」
両手にコーヒーの入った紙コップを持った悠貴がようやく戻ってきた。テーブルの空いたところにコップを置く。
すると、彼は悠貴に向かって素早く手を動かして見せた。手話だ。
何を言っているのか俺にはさっぱり分からないが、悠貴は、ごめんごめん、と苦笑して手刀を切ってみせた。
「大知くん、ブラックで良かった?」
「あ、うん」
「はい、どうぞ」
差し出された紙コップを受け取る。
「ありがとう、いただきます」
「どーぞ。…あ、眞白ごめん、ミルク忘れたわ」
悠貴が喋りながら、素早く手話もつけて伝える。
「ん、分かった。待っとってな」
取ってきてとでも言われたのか、頷くと悠貴はミルクを取りに再び席を離れた。
「ましろ、っていうんだね」
スマホに少し顔を近づけて言ってみる。スマホにテキストが表示された。
気づいたのか、眞白はスマホを手に取ると文字を打ち込み始めた。そっと俺の前に置かれたスマホの画面に、視線を落とす。
『雪村眞白です』
「……ゆきむら、ましろ」
呟くように名前を読む。彼の雰囲気に、よく似合う名前だと思った。
眞白は再びスマホを手に取り文字を打つと、今度は置かずに自分の顔の横にスマホをくっつけて画面をこちらに見せてきた。口元には笑みが浮かんでいる。
『桐谷大知くん、でしょう?』
「俺のこと知ってるの」
思わずそう言うと、眞白は画面を確認してから、こちらを見て頷いた。文字を打つ。
『ハルがいつもお世話になってます』
「あ……そっか」
自分の友だちが在籍しているグループのメンバーくらい、知っていてもおかしくないに決まってる。
「でも、すごいね」
言うと、眞白が小さく首を傾げたので、眞白が打ったテキストを指さした。
「名前、ちゃんと合ってる。よく漢字間違われるからさ」
大知、ではなく大地、に間違われることは少なくなかった。眞白が再び文字を打った。
『ちゃんと覚えてます。いい名前ですよね』
「……あ、りがとう」
思わず口が緩む。
「えっと、眞白も」
「お待たせー」
悠貴の声が割り込んできた。眞白の前にポーションを置き、向かいの席に腰かける。
「セルフで置いてあるところ、ちょうど無くなっちゃっててさー。出してもらってたら時間かかってまった」
「あ、そうだったんだ」
眞白はポーションをコーヒーの中に落としてマドラーでかき混ぜ、蓋をすると立ち上がった。
自分の鞄と上着を手に持ち、スマホに文字を打って俺に向けてくる。
『ごゆっくり』
「あ……」
眞白は、にっこり笑って俺に会釈すると、悠貴に向かって悪戯っぽい表情を作り、何か手話で伝えた。分かっとるわ、と悠貴が唇を突き出して見せる。
「何て?」
「勉強せな留年やで、って」
「あ、そうじゃん。今から試験なんじゃ」
「そうなんよ!やからこれ教えて、大知くん!」
慌てて悠貴が英語の教科書とノートを広げ始めるので驚いた。
「は、え?今から勉強?!」
「早く!試験始まってまう」
「嘘でしょ」
結局、試験開始の時間ぎりぎりまで悠貴の勉強に付き合わされる羽目になってしまった。
バスを降り、大学の門をくぐる。
なるべく人通りの少ない所を選びながら、悠貴が指定したカフェテラスを目指して歩いた。
一応変装のつもりでキャップを被ってきていたけれど、あまり俺に注意を向ける学生はいなかった。騒ぎになっても困るが、気づかれないのも何となく寂しい。これが瞬だったら大騒ぎになっていたかもしれないな、と想像する。瞬は某有名コスメブランドのアンバサダーに就任してから、ますます人気と知名度を上げていた。
他の研究棟と比べると真新しい建物のガラス戸を押して中へ入る。もう昼時のピークを過ぎたからか、すれ違う学生の数は少ない。廊下を奥へ進んでいくと、カフェテラスの入り口で、そわそわと周りを見ている悠貴の姿が目に入った。
「ハルー、お待たせ」
声をかけると、気づいた悠貴が俺に向かって手を振った。黒縁の、レンズが大きな眼鏡をかけている。
「大知くん!ごめん、こんなとこまで来させて」
「いいよ。はい、これ」
手に持っていたパスケースを渡す。
「ありがとう!試験受けられなくなるとこやったわ」
「うん、試験頑張ってね。じゃ、俺はこれで」
立ち去ろうとしたら、素早く腕を掴まれた。
「何?」
「大知くん、お礼にコーヒー奢らせて!」
「え?いいよ、別に」
「遠慮せんといて!ほら」
遠慮とかそういう事じゃないのだが、気づいたら悠貴に腕を引かれるがまま、カフェテラスの中へ足を踏み入れていた。せっかちで人の話をしっかり聞かないのは、悠貴の悪いクセだ。言ってもしょうがないから諦めるしかない。
窓際の明るく陽が差し込んでいる席は空きが無かったけれど、悠貴は構わずそっちの方へ俺を引っ張っていき、教科書やらノートやらが雑多に広げられた、とある席の前でようやく俺の腕を離した。
「ここにおって!コーヒー買ってくるわ」
「え?ちょっと、ハルっ」
「座っとってー!」
人の制止も聞かず、注文口のカウンターへ小走りで行ってしまう。
「座ってて、って……」
席を振り返る。四人掛けの席で、目の前の椅子の上には悠貴のものらしき教科書の詰まったリュックが、口が開いたまま置かれていた。
そして―その向かいのソファ席には、先客がいる。
「あの……」
仕方なく声をかけながら相手の顔を見る。目が合うと、あれ、と思った。
柔らかそうな猫毛の黒髪から覗く、たれた二重の目元に見覚えがあった。
さっき悠貴に届けたパスケースの裏に入っていた、ツーショット写真の相手と面影が重なる。
両手で挟んだら包み込めてしまいそうな小さな顔が、少し困ったように傾いた。
「あっ、ごめんなさい。じろじろ見ちゃって……」
目を逸らし、机の上を見る。
「勉強してたんだよね。邪魔して申し訳ない」
「……」
何も返事が返って来ない。不思議に思って顔を上げると、再び目が合った。ゆっくりと瞬きをしてから控えめに微笑み、彼は自分の左側の席をぽんぽん、と叩いた。
「あ……座るの?」
どうぞ、と言うように手で指し示され、遠慮がちに隣に腰かける。すると目の前に広げられていた教科書を片付け始めたので、慌てて止めた。
「大丈夫、すぐ帰るから」
けれど、声をかけても彼は反応しなかった。思わず肩に触れる。
「聞いてる?」
すると、弾かれたように彼がこちらを向いた。黒目がちな瞳と目が合う。
「……えっと」
言葉に詰まる。近くで見ると、本当に整った顔立ちをしていた。肌が白すぎて、血管が浮いて見えてきそうだった。
あ、と彼の口が少し開いた。体をひねり、自分の右耳を指し示してくる。
耳の穴から透明な管が伸びていた。そのまま視線を辿っていくと、肌色の小さな機械が耳の後ろへ向かって掛けられているのに気付く。
「補聴器……?」
そういえば、と記憶がよみがえる。
悠貴が以前、話していた事があった。耳の不自由な幼なじみがいる、と。
一生懸命、動画を見ながら手話を勉強していた悠貴の姿を思い出す。その幼なじみというのが、どうやら今目の前にいる彼らしい。
道理でいくら話しかけても反応しないはずだった。一気に脇汗が吹き出す。
見ると、悠貴はまだカウンターの注文口のところにいた。早く戻って来い、と心の中で焦って念じる。
すると、隣でスマホを出して操作している気配を感じた。俺の前に、何かのアプリを起動させた状態のスマホが置かれる。
何だろう、と思って顔を見ると、彼は自分の目の前で手をぱくぱくさせる動作をした。しゃべって、と唇の形が動く。
「こ、こんにちは?」
戸惑いながら声を発してみる。すぐさま、画面に『こんにちは』とテキストが表示された。
「うわ、すごいね」
思わず感嘆の声を上げる。それもまたすぐに、画面に表示された。
「そっか、喋ると文字にしれくれるんだ…あ、これも出ちゃった。うわあ、すごいすごい。やっほー」
ふふ、と隣で笑う気配がした。見ると、可笑しそうに肩を揺らして笑っている。頬に小さくえくぼが出来ていた。
―あ、可愛い。
そう思ったら不意に胸がざわついた。心臓が少し、痛い。
「なになに、楽しそうやね」
両手にコーヒーの入った紙コップを持った悠貴がようやく戻ってきた。テーブルの空いたところにコップを置く。
すると、彼は悠貴に向かって素早く手を動かして見せた。手話だ。
何を言っているのか俺にはさっぱり分からないが、悠貴は、ごめんごめん、と苦笑して手刀を切ってみせた。
「大知くん、ブラックで良かった?」
「あ、うん」
「はい、どうぞ」
差し出された紙コップを受け取る。
「ありがとう、いただきます」
「どーぞ。…あ、眞白ごめん、ミルク忘れたわ」
悠貴が喋りながら、素早く手話もつけて伝える。
「ん、分かった。待っとってな」
取ってきてとでも言われたのか、頷くと悠貴はミルクを取りに再び席を離れた。
「ましろ、っていうんだね」
スマホに少し顔を近づけて言ってみる。スマホにテキストが表示された。
気づいたのか、眞白はスマホを手に取ると文字を打ち込み始めた。そっと俺の前に置かれたスマホの画面に、視線を落とす。
『雪村眞白です』
「……ゆきむら、ましろ」
呟くように名前を読む。彼の雰囲気に、よく似合う名前だと思った。
眞白は再びスマホを手に取り文字を打つと、今度は置かずに自分の顔の横にスマホをくっつけて画面をこちらに見せてきた。口元には笑みが浮かんでいる。
『桐谷大知くん、でしょう?』
「俺のこと知ってるの」
思わずそう言うと、眞白は画面を確認してから、こちらを見て頷いた。文字を打つ。
『ハルがいつもお世話になってます』
「あ……そっか」
自分の友だちが在籍しているグループのメンバーくらい、知っていてもおかしくないに決まってる。
「でも、すごいね」
言うと、眞白が小さく首を傾げたので、眞白が打ったテキストを指さした。
「名前、ちゃんと合ってる。よく漢字間違われるからさ」
大知、ではなく大地、に間違われることは少なくなかった。眞白が再び文字を打った。
『ちゃんと覚えてます。いい名前ですよね』
「……あ、りがとう」
思わず口が緩む。
「えっと、眞白も」
「お待たせー」
悠貴の声が割り込んできた。眞白の前にポーションを置き、向かいの席に腰かける。
「セルフで置いてあるところ、ちょうど無くなっちゃっててさー。出してもらってたら時間かかってまった」
「あ、そうだったんだ」
眞白はポーションをコーヒーの中に落としてマドラーでかき混ぜ、蓋をすると立ち上がった。
自分の鞄と上着を手に持ち、スマホに文字を打って俺に向けてくる。
『ごゆっくり』
「あ……」
眞白は、にっこり笑って俺に会釈すると、悠貴に向かって悪戯っぽい表情を作り、何か手話で伝えた。分かっとるわ、と悠貴が唇を突き出して見せる。
「何て?」
「勉強せな留年やで、って」
「あ、そうじゃん。今から試験なんじゃ」
「そうなんよ!やからこれ教えて、大知くん!」
慌てて悠貴が英語の教科書とノートを広げ始めるので驚いた。
「は、え?今から勉強?!」
「早く!試験始まってまう」
「嘘でしょ」
結局、試験開始の時間ぎりぎりまで悠貴の勉強に付き合わされる羽目になってしまった。
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