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第一話 優しいセンパイ
Chapter1
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ー怜二ー
始まり方がいい加減だから、終わり方もあっけない。
例えば急に電話が通じなくなるとか、会う約束をすっぽかされるとか。
「…出えへんな…。」
リダイヤルを押すのも何度目か。電話を諦めてメッセージアプリを起動し、『今どこ』と打ちかけてすぐ消した。
「…あほらし。」
かっこつけた俺の独り言も、巨大な駅のターミナルの喧騒の中へあっという間にかき消されてしまう。せめてもう少し利用客の少ない駅で待ち合わせればよかったと思うが、今更遅い。
何本もの路線が交差しているせいで半端じゃなく人出の多いこの駅は、初めて東京に来た時にどこへ向かえばいいか分からず大いに戸惑ったことを覚えている。連絡のつかない相手をやみくもに探そうなんて思うだけ無駄だし、そもそも、自分がそこまでして待ち合わせの相手と会いたいのかと聞かれれば、答えは”否”だ。
手の中で弄ぶように転がしていたスマートフォンをデニムのポケットに突っ込み、さっき通ったばかりの改札へ足を向ける。きっと今からご飯でも食べに行く約束でもあるのだろう、めかしこんだ人々が流れるように歩いてくる。ぶつからないように避けて歩きながら改札を抜け、乗車位置のしるしで足を止めたところで、ついスマートフォンを手に取って画面を表示させてしまう。
何の通知もない画面を切り、今度こそポケットの奥深くへスマートフォンを押し込んだ。
最寄りの駅から歩いてすぐの場所に借りている、1DKのマンションのエレベーターに乗り込んで「3」のボタンを押した。エレベーターが上昇する間に冷蔵庫の中の余り物を思い浮かべる。
エレベーターを降り、部屋のロックを解除してドアを開け、明かりをつけた。一人暮らしも大概長いが、誰もいない部屋の明かりをつける寂しさには未だに慣れない。元来寂しがりやの性格だから、余計にそう思ってしまうのかもしれない。
同棲した経験もある。けれど長く続かなかった。あの時は浮気されたことが原因で終わったけれど、今回は何が原因で”終わって”しまったのか―。
余計な感傷を振り払うように風で乱れた前髪をかきあげ、手を洗ってから冷蔵庫を開けた。簡単な物でも作ろうとしたけれど冷ご飯の余りを切らしていた。かと言って今から炊くのも面倒くさい。いやそもそも、今夜会う約束は結構前からしていたわけで、だから今日は冷蔵庫に余り物が出ないように本当は考えていたのにー。
「…はあ、もう。腹立つわ…。」
こうなるともう、何もしたくなくなった。
ミネラルウォーターのペットボトルを一つ手に取り、ひねって蓋を開けて口に含む。半分近く飲んだところで緩くふたを閉め、手に持ったままリビングのソファに寝転がった。尻の下に硬い感触を覚えてポケットをまさぐる。
惰性でつけた画面には、相変わらず何の通知も表示されないままだった。
***
「佐伯の弁当って、いつも凝ってるよな。」
コンビニで買ってきたらしいおにぎりを片手に、先輩の渡辺さん―通称・ナベさんが俺の弁当箱を覗き込んでくる。
仕事合間の昼休み。今日は外回りに出る予定が無い俺とナベさんは、人気のないオフィスのデスクで並んで昼ご飯を食べている。
「料理好きなの?」
「好きですよ。一人暮らし長いんで。」
「へえ、俺はいくら長くても上達しないわ。」
「ナベさん、そもそも食に興味ないでしょ。お腹が膨れればいいタイプ。」
「まあな。」
「彼女は手料理作ってくれないんですか?ほら、何て言ったっけ…」
春先に合コンした秘書課の女の子の名前を思い出そうとするけど、似たような顔の子が多かったせいもあってよく思い出せない。
「たまに作ってくれるよ。けど、さすがに弁当まではさ~。」
「ナベさん、弁当なんて作ってもらったら喜んで見せびらかしてきそう。」
「そりゃ男はさあ、彼女に手作りの料理食べさせてもらえたら嬉しいに決まってるじゃん。佐伯みたいに料理できる奴ならともかく。」
「はあ…」
そうやろか、と、ついこないだ切れたばかりの”元恋人”の顔を思い浮かべる。
何度か手料理を食べさせたような気もするが、それを喜ぶようなそぶりを見せてくれたことが、果たしてあったかどうか。
「戻りましたー…。」
「おう、お疲れー。」
疲れ切った声に応じるようにナベさんが片手を上げる。振り返ると、営業部に配属されてやっと半年経った新人の名木ちゃんが、若干ふらつきながら俺の隣のデスクに腰を下ろした。
「お疲れ、名木ちゃん。」
「お疲れ様です、佐伯さん…」
「…大丈夫なん?顔色悪いで。」
「ちょっと疲れちゃって…。」
力無く微笑むと、名木ちゃんは片手にぶら下げていたコンビニ袋から栄養ゼリーのパウチを取り出して蓋をひねった。
「ちゃんと食べなあかんで。」
「大丈夫です。今日は夜…その、約束してるし。」
「お、何だよ桃瀬とデートか?」
食べ終わってお茶を飲んでいたナベさんがにやにやしながら顔をこちらに向けた。分かりやすく名木ちゃんの頬がほんのり染まる。
「あ、そうなん?名木ちゃん。」
「えーっと、まあ。」
照れ隠しのように、乱れてもいない前髪に触る姿がいじましい。
「仲良くやってんだな、桃瀬と。」
「はい、おかげさまで。」
「あいつどう?元気?」
名木ちゃんの恋人の桃瀬さんはナベさんの高校時代の友人で、体が弱いらしい。
「元気ですよ。最近は調子良いらしくて。もう少し寒くなったら、紅葉見に行く約束してるんです。」
「いいね、そんな季節だよなあ。俺も行きてー。」
「渡辺さんも、デートしたらいいじゃないですか。」
楽しそうにそれぞれの恋話に花を咲かせ始めた二人に挟まれ、知らずため息がこぼれた。
「ええなあ、二人とも楽しそうで。」
名木ちゃんが驚いた様に俺を見た。
「佐伯さんて、彼女いないんですか?」
「こいつ、モテるくせに全然そういう素振り見せないんだよな。言わないだけか?」
絡んでくるナベさんに黙って苦笑を返し、止めていた箸を持ち直す。
「―お疲れ様です、戻りました。」
声がして顔を上げる。向かいの席に、得意先の社名の入った紙袋を重そうに置く、長身の影。
「お疲れ、三浦。」
「お疲れ様です。」
のんびりした低音ボイスで返事をして、名木ちゃん同様に疲れた様子で席に座ったのは三浦匠海。入社して一年目、名木ちゃんとは同期だ。
先月から、俺の仕事を少しずつ引き継ぐ形で取引先に顔を出させている。今日は初めて一人で外回りに行かせていた。
「ちゃんとやってこれたか?」
「緊張しましたよー…。」
男らしく整った眉尻を下げ肩をすくめる。モデルのような整ったルックスのせいで最初は近寄りがたく感じたが、話してみると意外にも天然で可愛い一面もある事が分かってきた。
俺より三浦と親しいナベさんに言わせると、『自分の体の大きさを分かっていない大型犬の子犬』みたい、らしい。
「昼はもう食べたんか?」
「まだです。午後からもう一社行く予定あるから、急いで食べないと…」
「そうやん。持って行く資料、ちゃんと用意したんか?」
「はい、ちゃんとここに…」
自分のデスクの下から紙袋を取りだした三浦の顔色が、目に見えて悪くなっていく。
「どないしたん?」
「佐伯さん…」
青褪めた顔で、三浦がそっと俺に紙袋の中身を見せてきた。
「さっき行ってきた取引先と、資料間違えたかも…。」
「え!」
三浦が差し出してきた紙袋の中身を確認する。確かに、午前中に行く予定にしていた取引先に渡すはずだった書類が入っていた。
「あーあ、やったな三浦。」
様子を見ていたナベさんが、同情と呆れが半々の目を向けてくる。
「こりゃ、始末書だな。」
「その前に、まず間違えたのを何とかするのが先でしょ。」
俺は食べかけの弁当を脇にどけると席を立ち、固まっている三浦の肩を叩いた。
「早く、さっきの取引先に行って資料取り換えてこな。」
「でも、次のアポイントの時間が…」
「俺が連絡して、代わりに行ってくるから大丈夫や。資料のデータの場所は?もう一部印刷したらええやろ。」
「えっと…」
焦る三浦に、大丈夫や落ち着け、とフォローを入れつつ、胸ポケットから仕事用のスマホを出して、午後の訪問先の会社の電話番号をタップして耳に当てた。
「もしもし、お世話になっております―」
始まり方がいい加減だから、終わり方もあっけない。
例えば急に電話が通じなくなるとか、会う約束をすっぽかされるとか。
「…出えへんな…。」
リダイヤルを押すのも何度目か。電話を諦めてメッセージアプリを起動し、『今どこ』と打ちかけてすぐ消した。
「…あほらし。」
かっこつけた俺の独り言も、巨大な駅のターミナルの喧騒の中へあっという間にかき消されてしまう。せめてもう少し利用客の少ない駅で待ち合わせればよかったと思うが、今更遅い。
何本もの路線が交差しているせいで半端じゃなく人出の多いこの駅は、初めて東京に来た時にどこへ向かえばいいか分からず大いに戸惑ったことを覚えている。連絡のつかない相手をやみくもに探そうなんて思うだけ無駄だし、そもそも、自分がそこまでして待ち合わせの相手と会いたいのかと聞かれれば、答えは”否”だ。
手の中で弄ぶように転がしていたスマートフォンをデニムのポケットに突っ込み、さっき通ったばかりの改札へ足を向ける。きっと今からご飯でも食べに行く約束でもあるのだろう、めかしこんだ人々が流れるように歩いてくる。ぶつからないように避けて歩きながら改札を抜け、乗車位置のしるしで足を止めたところで、ついスマートフォンを手に取って画面を表示させてしまう。
何の通知もない画面を切り、今度こそポケットの奥深くへスマートフォンを押し込んだ。
最寄りの駅から歩いてすぐの場所に借りている、1DKのマンションのエレベーターに乗り込んで「3」のボタンを押した。エレベーターが上昇する間に冷蔵庫の中の余り物を思い浮かべる。
エレベーターを降り、部屋のロックを解除してドアを開け、明かりをつけた。一人暮らしも大概長いが、誰もいない部屋の明かりをつける寂しさには未だに慣れない。元来寂しがりやの性格だから、余計にそう思ってしまうのかもしれない。
同棲した経験もある。けれど長く続かなかった。あの時は浮気されたことが原因で終わったけれど、今回は何が原因で”終わって”しまったのか―。
余計な感傷を振り払うように風で乱れた前髪をかきあげ、手を洗ってから冷蔵庫を開けた。簡単な物でも作ろうとしたけれど冷ご飯の余りを切らしていた。かと言って今から炊くのも面倒くさい。いやそもそも、今夜会う約束は結構前からしていたわけで、だから今日は冷蔵庫に余り物が出ないように本当は考えていたのにー。
「…はあ、もう。腹立つわ…。」
こうなるともう、何もしたくなくなった。
ミネラルウォーターのペットボトルを一つ手に取り、ひねって蓋を開けて口に含む。半分近く飲んだところで緩くふたを閉め、手に持ったままリビングのソファに寝転がった。尻の下に硬い感触を覚えてポケットをまさぐる。
惰性でつけた画面には、相変わらず何の通知も表示されないままだった。
***
「佐伯の弁当って、いつも凝ってるよな。」
コンビニで買ってきたらしいおにぎりを片手に、先輩の渡辺さん―通称・ナベさんが俺の弁当箱を覗き込んでくる。
仕事合間の昼休み。今日は外回りに出る予定が無い俺とナベさんは、人気のないオフィスのデスクで並んで昼ご飯を食べている。
「料理好きなの?」
「好きですよ。一人暮らし長いんで。」
「へえ、俺はいくら長くても上達しないわ。」
「ナベさん、そもそも食に興味ないでしょ。お腹が膨れればいいタイプ。」
「まあな。」
「彼女は手料理作ってくれないんですか?ほら、何て言ったっけ…」
春先に合コンした秘書課の女の子の名前を思い出そうとするけど、似たような顔の子が多かったせいもあってよく思い出せない。
「たまに作ってくれるよ。けど、さすがに弁当まではさ~。」
「ナベさん、弁当なんて作ってもらったら喜んで見せびらかしてきそう。」
「そりゃ男はさあ、彼女に手作りの料理食べさせてもらえたら嬉しいに決まってるじゃん。佐伯みたいに料理できる奴ならともかく。」
「はあ…」
そうやろか、と、ついこないだ切れたばかりの”元恋人”の顔を思い浮かべる。
何度か手料理を食べさせたような気もするが、それを喜ぶようなそぶりを見せてくれたことが、果たしてあったかどうか。
「戻りましたー…。」
「おう、お疲れー。」
疲れ切った声に応じるようにナベさんが片手を上げる。振り返ると、営業部に配属されてやっと半年経った新人の名木ちゃんが、若干ふらつきながら俺の隣のデスクに腰を下ろした。
「お疲れ、名木ちゃん。」
「お疲れ様です、佐伯さん…」
「…大丈夫なん?顔色悪いで。」
「ちょっと疲れちゃって…。」
力無く微笑むと、名木ちゃんは片手にぶら下げていたコンビニ袋から栄養ゼリーのパウチを取り出して蓋をひねった。
「ちゃんと食べなあかんで。」
「大丈夫です。今日は夜…その、約束してるし。」
「お、何だよ桃瀬とデートか?」
食べ終わってお茶を飲んでいたナベさんがにやにやしながら顔をこちらに向けた。分かりやすく名木ちゃんの頬がほんのり染まる。
「あ、そうなん?名木ちゃん。」
「えーっと、まあ。」
照れ隠しのように、乱れてもいない前髪に触る姿がいじましい。
「仲良くやってんだな、桃瀬と。」
「はい、おかげさまで。」
「あいつどう?元気?」
名木ちゃんの恋人の桃瀬さんはナベさんの高校時代の友人で、体が弱いらしい。
「元気ですよ。最近は調子良いらしくて。もう少し寒くなったら、紅葉見に行く約束してるんです。」
「いいね、そんな季節だよなあ。俺も行きてー。」
「渡辺さんも、デートしたらいいじゃないですか。」
楽しそうにそれぞれの恋話に花を咲かせ始めた二人に挟まれ、知らずため息がこぼれた。
「ええなあ、二人とも楽しそうで。」
名木ちゃんが驚いた様に俺を見た。
「佐伯さんて、彼女いないんですか?」
「こいつ、モテるくせに全然そういう素振り見せないんだよな。言わないだけか?」
絡んでくるナベさんに黙って苦笑を返し、止めていた箸を持ち直す。
「―お疲れ様です、戻りました。」
声がして顔を上げる。向かいの席に、得意先の社名の入った紙袋を重そうに置く、長身の影。
「お疲れ、三浦。」
「お疲れ様です。」
のんびりした低音ボイスで返事をして、名木ちゃん同様に疲れた様子で席に座ったのは三浦匠海。入社して一年目、名木ちゃんとは同期だ。
先月から、俺の仕事を少しずつ引き継ぐ形で取引先に顔を出させている。今日は初めて一人で外回りに行かせていた。
「ちゃんとやってこれたか?」
「緊張しましたよー…。」
男らしく整った眉尻を下げ肩をすくめる。モデルのような整ったルックスのせいで最初は近寄りがたく感じたが、話してみると意外にも天然で可愛い一面もある事が分かってきた。
俺より三浦と親しいナベさんに言わせると、『自分の体の大きさを分かっていない大型犬の子犬』みたい、らしい。
「昼はもう食べたんか?」
「まだです。午後からもう一社行く予定あるから、急いで食べないと…」
「そうやん。持って行く資料、ちゃんと用意したんか?」
「はい、ちゃんとここに…」
自分のデスクの下から紙袋を取りだした三浦の顔色が、目に見えて悪くなっていく。
「どないしたん?」
「佐伯さん…」
青褪めた顔で、三浦がそっと俺に紙袋の中身を見せてきた。
「さっき行ってきた取引先と、資料間違えたかも…。」
「え!」
三浦が差し出してきた紙袋の中身を確認する。確かに、午前中に行く予定にしていた取引先に渡すはずだった書類が入っていた。
「あーあ、やったな三浦。」
様子を見ていたナベさんが、同情と呆れが半々の目を向けてくる。
「こりゃ、始末書だな。」
「その前に、まず間違えたのを何とかするのが先でしょ。」
俺は食べかけの弁当を脇にどけると席を立ち、固まっている三浦の肩を叩いた。
「早く、さっきの取引先に行って資料取り換えてこな。」
「でも、次のアポイントの時間が…」
「俺が連絡して、代わりに行ってくるから大丈夫や。資料のデータの場所は?もう一部印刷したらええやろ。」
「えっと…」
焦る三浦に、大丈夫や落ち着け、とフォローを入れつつ、胸ポケットから仕事用のスマホを出して、午後の訪問先の会社の電話番号をタップして耳に当てた。
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