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“僕”が彼女に出会った日

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『……――イくん、レイくん?』

 誰かが名前を呼ぶ声で、ぼうとしていた意識がはっきりとしてくる。

『!?』

 意識がはっきりとしてくると、まず目の前に飛び込んできたのは“彼女”の大きな瞳。思わずびくんと肩を震わせた。“彼女”はというと、右手をひらひらと振りながら、心配そうな表情を浮かべていた。

 そうだ。“僕”はさっきの“彼女”の笑顔に見惚れて……。それで、どうやらそのまま惚けてしまったらしかった。

『ごめんなさい、少しぼんやりしてました』

 まさかそれを正直に言えるはずもなく、“僕”は曖昧に笑って見せた。先ほど見た“彼女”の笑顔が脳裏にちらつき、つい頬に熱を持った気さえする。どうしちゃったんだろう、“僕”……。

幸いにも辺りは暗く、それを“彼女”にはバレていないようだが。そんなことを思い、ほっと胸を撫でおろしていると

『今から、消毒液かけるね。ちょっと沁みるかもしれないけど、ばい菌を追い出すために大事なことだからね』

 “彼女”はそういって水とは別の容器に入った消毒液を“僕”に見せた。話題が変わり、これ幸いだとばかりに“僕”は『うん』と一つ頷いた。すると、“彼女”は“僕”が頷いたのを確認して、消毒液のふたを回して、“彼女”は、“僕”の傷口に数滴、垂らした。

その途端――……

『……っ……!!!』

膝に強烈な痛みが走った。悶絶しそうになる。予想はしていたが、幼い“僕”には刺激が強すぎた。思わず拳に力を込めると

『え?』

その拳に“彼女”の手がふわりと重ねられていた。見ると“彼女”は“僕”を安心させるように優しく笑っていて、“彼女”の手は温かくて、なんだかほっとする。“僕”は拳に込めた力を緩めた。

“彼女”は“僕”を治療する間、“僕”の気がまぎれるように色々な話を語り聞かせてくれた。

 例えば、花の話。

『もう少しすると屋敷の庭園に紫陽花の花が咲くのよ』
『それは咲くのが楽しみだね』
『うん。青色に、ピンク、それに紫。場所によって紫陽花の色が変わって、とても綺麗なのよ』
『素敵だね』
『紫陽花のあとは向日葵が咲いてね、黄色い絨毯が広がるのよ。あとは――……』

 そういって屋敷に咲く季節の花について“彼女”は、楽しそうに語っていた。

他にも星の話や街の話。本当に他愛のない話なのに、“彼女”は楽しそうに話す。“僕”は聞き入るように“彼女”の声に耳を傾けていた。彼女の優しい声色は耳に心地よく、コロコロ変わる“彼女”の表情は見ていて飽きない。

“彼女”の笑顔を見るたびに、胸が小さくドクンと音を立てる。両親、兄さんやお付きの執事、メイドに、周囲にいる令嬢たちと話してもこんな感覚になったことがない。初めての感覚だけれど、不思議と嫌な感覚ではない。“彼女”だけの感覚だった。

 『……――イ君?レイ君?』

 考え事をしてしまい再びぼんやりとしてしまっていたらしい“僕”は、“彼女”の声で現実に引き戻された。

『もう、消毒は終わったから、あとは包帯を巻くね』

気が付けば傷口は綺麗になっていた。コクンと一つ頷くと、“彼女”はポシェットの中をゴソゴソと漁っていた。包帯を探しているようだ。あと少しで治療が終わってしまう。何故だろう。それが名残惜しくてたまらなかった。それが何故なのか、“僕”は自分の“彼女”に対する気持ちを考える。

 窘めるように“僕”を正してくれた“彼女”の真剣な表情、そのあと『偉いね』と褒めてくれたとろけるような微笑み。他愛のないことを話していた楽し気で優しい“彼女”の声色。コロコロと変わる表情はどれも愛しくて……。愛おしい?

“僕”の“彼女”に対する気持ちが何故なのか、“彼女”の“今”、ふいにわかった気がした。

『なんだ……』

“僕”は包帯を探していた“彼女”が「あった」といってぱぁと嬉しそうに笑みを浮かべる“彼女”の横顔を見ながら微かに呟いた。思わず口元が緩んだのは今でもよく覚えている。

わかってしまえば、非常に呆気ない。

 “僕”がこの人の笑顔をずっと見ていたいと思うのも、
 “僕”がこの人の笑顔一つで胸が高鳴るのも、
 “僕”がこの人の心地いい声色をずっと聞いていたいと思うのも、
 “僕”がこの人と離れがたいと思ってしまうのも、全部――……。

【“僕”が“彼女”に恋をしているだけなのだと。】
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