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連載
閑話
しおりを挟む濃い霧の漂う深い森の中を、数人の人が進んでいた。
「気をつけろよ、この当たりはもう人間の領域じゃない」
「しっかし、なんでこんなところに俺らがこなきゃいけないんですかね?」
めんどくさそうに先に歩く男が言うと、真ん中を歩く男も渋い顔をする。
「仕方ないだろう。命令だ。魔物か魔族がいたらことだからな」
「そりゃそうですけど。こんな未開の土地まで入り込む意味ってあるんですか?」
「さぁなぁ。だが聞いた話じゃ、とんでもないバケモンがうろうろしているかもしれんのだとさ。
とは言っても、どういうものかなんてわからないだけどな。
なに、数日探索して何も出てこなかったら引き上げるさ」
「それにしたって、どこまで信用できるか怪しいですがね」
数は三人ほど。
鎧を着こんでいる事から、見るものが見ればどこかの兵士であることがわかるだろう。
彼らの顔には緊張が見られるものの、どこか面倒くさそうな雰囲気がにじみ出ていた。
兵士と言えど、この樹海に入り込んだら無事に出て来れる保障などどこにもない。
その癖、目標はいるかいないかどうかもわからない不確かな情報ともなれば、不平の一つもこぼれるのだろう。
しかし先頭にいた兵士が何かに気が付いて、足を止めた。
「ちょっと待ってください……、何かおかしい」
「どうした?」
真ん中の指揮官らしき男もまた声には出したが、怪しい雰囲気を感じ取り、その場に立ち止っていた。
「霧が……濃い?」
元々薄暗い森の中に、霞がかかっている。
気が付けばそれはどんどん霧は濃くなって周囲を白く染め上げていた。
「なんだ……なんだこれは!!」
「どうした!!」
困惑している男達だったが、すぐに警戒を強めて一箇所に固まろうとする。
しかし突然後ろを歩いていた男が叫び声を上げた。
指揮官の男は呼び止めようとするが、叫び声を上げた男の方は恐怖で表情を歪め、後ずさりする。
「おい……」
「うわあああ!!」
そしてとうとう、半狂乱になって逃げだしたのだ。
「どうした! いったい!」
呼び止めようとするがその手は届きはしない。
指揮官の男はあまりの事に舌打ちし、しかし濃くなった霧に動くことすらで出来ずに歯噛みする。
「この霧は聞いたことがある、妖精のテリトリーに入ると霧が精神を狂わせると」
しかし実際にその現象を目の当たりにして、血の気が引くのを感じていた。
「じゃあこの霧は……」
先頭の男は蒼白になって慌てて口元を抑えたが、どれほど効果があるものか。
だが指揮官の男は、職務を思い出し、どうにか自分を奮い立たせた。
「ああ、どうやら入ってはまずい所に入ったらしいな」
「に、逃げないと!」
「落ち着け! 馬鹿者! 気をしっかり持て! 慎重に今来た道を戻るんだ!」
しかしこの兵士達は知らなかった。
妖精の魔法は精神だけでなく感覚すら麻痺させることを。
それを水晶玉で眺めながらカワズさんは目を細めていた。
傍らにいる妖精の女王は満足げに微笑みを浮かべて、玉座の肘掛を指でなぞる。
ここは女王の玉座。
妖精達の間で「霧の大樹」と呼ばれている大きな樹木の中心だった。
つまるところ妖精達の居城である。
「素晴らしい」
「……それはどうも、気張ったかいがありましたわい」
玉座の間には複雑な魔法陣が描かれ、何らかの魔法が力を発揮していることがわかる。
その魔法陣の記号の中には、今では真新しく足され、改変されている部分があった。
そのすべてはカワズさんの仕業である。
最初は半信半疑だった女王も、今では上機嫌で新しくなった結界の出来栄えに心変わりするくらいだ、その効果が劇的なものであったことは間違いない。
「今までよりかなり魔力の消費が抑えられている。それでいて効果は増しているようだ」
「ええ、かなり使い勝手はよくなっておるはずですわい」
だがしかし、その効果が劇的である事が問題でもあった。
女王は冷たい瞳でカワズさんを見つめると、静かに肩に手をかける。
「……このようなこと一朝一夕に出来ることではあるまい? お前はいったい何者なのだ魔法使い?」
冷たく探るような声色で投げかけられた問いに、カワズさんは平然と、それどころか飄々と笑いながら、気軽に自らのことを話す。
「なに、魔法陣の効率を上げるのはわしの専門ですからな。当然と言えば当然のこと。
国では魔導書から太古の魔法の復活作業なんかもしておりましたよ」
「太古の魔法か……。この結界もまた太古の遺物であると聞いている」
女王もまた自分より遥かに前の代から伝わる伝承を思い出し、興味深げに微笑んだ。
太古の魔法。
その昔、神代の時代にあったとされる魔法文明の伝説は、長い妖精の寿命をもってしても遙か彼方の埃をかぶったおとぎ話でしかない。
「そうでしょう。よく出来た魔法でしたわい。わしも、そう手を入れたわけでもないのですよ」
ただ極稀に、このような直接的な魔法や、書物が残っており、その足跡を漂わせるのである。
満足した風に言うカワズさんに女王は頷くと、水晶玉に視線を戻して、今だパニックに陥っている人間達を指差した。
「それで? こやつらはどうする?」
「申し訳ないですが、このまましばらく惑わせてから、帰してやって下され」
その物言いが意外だったのだろう、女王は眉を寄せて不思議そうに言った。
「それは構わないが、しかし殺さずに行かせてよいのか?」
冷徹に聞こえるかもしれないが、異種族のテリトリーを犯せば、殺しこそすれ生かすことはまずない。
理由を求める女王に、カワズさんは軽く頷いた。
「そちらの方が、興味を失いましょう。危険な場所だということはすでに分かっていることですからのぅ」
兵士達には悪いですがと、小声で付け足し。しかしカワズさんは何かを思い出したように笑いを漏らした。
「くっくっく、まぁあれだけ派手に失敗すれば、足跡をたどってくる者もおるとは思いましたが、思いのほか早かったですわい。それなりに気を使ってはいたんですがな」
そんな台詞を聞いた女王は呆れたとその目が語っていた。
「結局はアレのためというわけか……しかし、わからぬな」
「何がですかな?」
カワズさんが問い返すと、女王はとたんに無表情になり立ち上がる。
そして水晶玉を持ち上げると、そのアレの間抜け面がぼんやりと映し出された。
だがその画像は鮮明ではない。
不安定な映像は、まるで何かに邪魔されているかのようだった。
「……汝は、なぜアレに肩入れするのだ? 恐ろしくはないのか?」
そう口にした女王に冗談を言っている雰囲気はなく、真剣に疑問なのだろう。
カワズさんもそれを察したのか、一度だけ静かに眼を瞑り、力なく声を出す。
その声は、太郎が近くにいれば夢に出てきた老人をすぐに思い出すことが出来ただろう。
「……そうですな。時に女王様、人が死を迎える時、悔いがないということがあると思いますかな?」
唐突なカワズさんの質問に意味を図りかねた女王は、それでもとりあえず口に出す。
「どうであろう? まだ死は経験してない故。しかし生きているのならば、気がかりは残るものかもしれん」
その答えを最後まで聞いてから、カワズさんは言った。
「……わしは、なかったのですよ。いや、絶望していたのかもしれませぬ。
わしは研究の中で魔法のなんたるかを覗き見ました。そしてこの身では魔法を極めるなどただの夢であると思い知らされたのですよ」
それは一人の、老魔法使いの告白だった。
「よくわからぬな。なにを見た?」
「ただただ、脆弱な己を。だがそれでもわしは魔法にしか夢を託せなんだ。
だというのに無駄だと思った試みは奇跡のように成功し、何の因果か本来なら見ることすらかなわなかったものを見る機会を得た。わしは偶然にしろ手に入れた時間を、些末な争いなどに使う気はさらさらないのですよ」
カワズさんの目に躊躇いはない、それどころか情熱のようなものが灯っているのに女王は気が付いていた。
「それで同族すら退けるのか? わからぬものだな」
「それもわずかな間ですわい。わしはアレに必要最低限のことを授けるだけです。しかしそれだけでアレを害することなど誰も出来なくなりましょう。だがそれがわしの責任だと思っております。そこから先は……ただのわがままですがのぅ」
「……だが汝の言う最低限を身に着けた時、本当の意味で何人もアレを止められぬぞ? アレは起こしてはならないものだ。だが今ならどうだ? 妾が直接手を下すとは思わぬか?」
女王は言う。
カワズさんはまっすぐにその目を見返しながら、若干の躊躇いをにじませた。
「……そうかもしれませぬ。だが私はどのような結果になろうとも、やめようとはせぬでしょうし、邪魔するのなら止めもしましょう。
まぁわしが何もせずともアレは飄々と生き長らえるような気がしますがな。
どうです妖精の女王様? この老いぼれの正気を疑いますかな?」
その言葉を最後に無言の時間がしばし流れていた。
それはほんの数秒だっただろう。
先にその沈黙を破ったのは、いたずら好き妖精の方だった。
「フフフッ……いや、人間がおかしな行動をとるのは昔からだ。
それにアレも生きている。生ある者がそこにいることに罪があることなどないのだ。
とすればアレにも何か役割があるかもしれぬ。
安心するがいい、こちらからは手を出したりはせぬよ。どう転ぶにせよタダではすみそうにないからな……それに、そちらの方が面白そうだ」
「そう言っていただけると、気が楽になりますわい」
「勘違いするな人間。お前の気を紛らわせる言ではない。いうなれば……気まぐれのようなものか。
最後に聞こう、汝が見たいものとは何ぞや?」
「……本物の魔法使いを」
「ふむ、ならばその本物とやらを拝めるその時まで、ゆるりと待つとしようか。
善きにしろ悪きにしろ、何かしらの結果が見られるだろう」
「ホッホッホ、本当に酔狂な女王様ですわい」
「ふん、そういうお前もかなりのものだ。人間とはせかせかと余裕の足らぬ種だと思っていたが、どうやら妾の勘違いだったようだ」
二つの種族の魔法使いの、他愛ない会話はそこで終わる。
その結果がどんなものになるかは、まだ誰も知る由もなく。
また結果に意味などない。
そこにはただ儚い夢があるだけなのだろう。
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とりあえず小休止です。
不定期になるかもしれません。
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