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放浪の始まり
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わしという『人間』は確かにここに存在していて、消えゆく間際にわがままを押し通した。
まぁ、我ながらくだらない話である。その原因も所詮は自分本位な物に過ぎない。
例えば人生において、最も素晴らしい発見をしたとする。だとしても状況次第では悔やむ場合もある。わしの場合はまさにそうだった。
そいつが受け入れがたかったから、少し無茶をしてみたとそういうことだ。
この世界には神秘が存在する。わしらはそれを『魔法』と呼び、日々研究を重ねていた。わしの一生はまさに魔法の研究の日々そのものだったと言っても良いだろう。
そんなある日、わしはついに太古の記録を紐解くことで、ある真実にたどり着いた。
見つけたのはたった一つの『魔法』であった。
しかしまだ見ぬ神秘の発見は、震えるほどの歓喜と共に、わしにあまりにも強烈な無力感を突き付けた。
それは今まで自分が心血を注いできたものが、まだほんの入り口でしかないのだと知ってしまったという、最後の最後で間の抜けたオチであった。
どうにか埋め合わせようにも、命尽きようとしているわしには不可能で、もうどうする事も出来ない。
ある意味では己の到達できる最高の答えにたどり着いたともいえるのだが、それでも―――受け入れたからといって、その死に様まで潔くする必要もあるまい。
弟子達に託そうかとも考えたが、ある理由からそんな事をすれば悲劇が待っている事など容易く想像できた。
この際、受け入れる器があれば、誰でもよいのか?
それも駄目だ。
わし以上の実力を持つ者など人間にはそういないだろう。
いたとしてもそこに伸びしろはない。これから成長するにしても、到達点がわしと同じではまるで意味がないのだから。
わしは考えた末に、たどり着いた答えの先への可能性を残すことにしたのだ。
閃いたのは一つの禁忌であった。
こことは違う場所。俗にいう『異世界』には自分達以上に強大な魔力を秘めた者達がいると聞いた。
彼らなら、ひょっとするとすべてを受け止められる者がいるのではないか?
思えば無謀な試みだったと思う。すべては仮説でしかなかった。それでもすがってしまったのはこれまたわしの弱さゆえであった。
考えが至れば、時間もない。
なんとも押しつけがましいとは思いつつも、わしは最後のわがままを実行した。
なぜならばそう―――わしは神秘の一端を担う者。
魔法使いと呼ばれているのだから、最後まで神秘を見せつけてやらねばなるまい。
奇跡の技でそれを成せば、もう何を言う事もない。後は理に従い、潔く死を受け入れるのみ。
はっきり言って成功するかどうかなどまるで分らない賭けであったが、わしは魔法の発動を見届け、それなりの満足感を得て天に召されたはず……だったのだ。
「……とりあえず顔面から手を離さんか?」
「だよね」
次に意識を取り戻したとき、思わずパニックになって飛びかかってしまったのだが、いつの間にかわしの顔面鷲掴みである。
ゆっくりと手をどかされ視界が開けると、そこにいたのは、いまいち冴えない小僧じゃった。
「……」
いや待て。今重要なのはそんな事ではない。気にしなければならないのは、今自分を取り巻く状況そのものであろう。
この実感……生前、五百年という長い一生で、いやというほど慣れ親しんだものではないのか?
それすなわち生の実感。
しかしこいつは一度手放したものじゃった。
(生きている? バカな……あれで死なないなどありえるわけはない)
わしはこの身のすべての魔力を極限まで使い切ったはず。
魔法を無理に使い、魔力が枯渇すれば、すなわち即死を意味することは知られている。
わしが使った魔法はそうしなくては決して叶う事がない代物じゃった。
混乱して定まらない思考の答えをくれたのは、やはりこのさえない小僧だった。
「俺が生き返らせてみたんだけど、どうよ?」
事も何気に当たり前の様に聞かれた質問を、最初わしはポカンと聞いておった。
いや……どうよと言われても?
この非常識な言動のおかげか、単に冷静さを取り戻しただけか、わしもようやくこの小僧についてはっきりと思い出していた。
それもそのはず、自分のすべてを与えた相手だ。見覚えがないわけがない。
肉体をなくし、魂だけで出会ったからか、輪郭こそおぼろげだったが、確かに記憶という形でわしの中に存在している。
だからこそ、わしは不安がこみ上げて来て、声に出さずにはいられなかった。
「は? し、死者の蘇生じゃと? そんな非常識な魔法どうやって……?」
「いや、結構簡単だったよ? ちょろっとあの世に行って帰って来ただけだし。おお! そう言えば向こうで鬼に会ったんだよ! 魔力を上乗せしたらサービスしてくれてさ。ああいう和風なあの世を見せられると、俺も日本人なんだなって感じちゃうよね!」
「えぇぇぇぇぇ……」
何を言っとるんだこいつ? 一個も意味がわからんし。
わしが最初に思ったのは、こいつは本格的に頭がおかしいのではないか? だ。
むしろなにかしら問題が出ても無理はない魔法をこやつには施した。
魔法一つとっても普通ではありえない伝授をしている。本来ならしっかり知識として身に付けなければいけないものを、頭に焼き付ける様な所業は、相手にだって相当なリスクを伴うものじゃった。
わしは落ち着けと念じながら声をしぼりだした。
「ちょろっと行ってってお前……魔法を引き出すだけでも相当な労力じゃったじゃろうに?」
「あー、そうでもなかったと思うけど」
しかし小僧はあくまで真顔だ。
まぁ……少し整理してみるとしよう、少々混乱しているのはこちらも同じことだ。
もしこいつがわしの思惑通りに完成しているとしたら、特殊な魔法を持っていることはわしが一番よく知っている。
わしが蘇らせた魔法の名は『魔法創造』という。
この『魔法創造』は魔力さえあればどのような事も再現出来るという、想像を絶する魔法である。
発想を元に自信の魔力を対価に差し出すことで、世界から魔法を引き出すことができる。
失われた古代の魔法は元より、未だかつて存在すらしなかった魔法すら造りだせる技こそがこの『魔法創造』という魔法なんじゃ。
ただしこの魔法にも弱点はある。その弱点とはその『差し出す対価』についてであろう。
大それた効果の魔法でなくても、身につけるだけで膨大な魔力を必要とする。そこに難しい技術は存在しないが、単純に対価を差し出せるか否かが重要なわけじゃ。
かなりこれは致命的な欠陥で、わし程度の魔力では欲しい魔法があっても引き出すことすらままならんかったのだから、無念極まりない。
だというのに小僧がやらかしたのは死者蘇生だと言う。
すべてはわしの授けた『魔法創造』の恩恵であるとしよう。であってもそんな神にも匹敵しそうな奇跡、どれだけ魔力があれば使えるようになるのかなど見当もつかん。
「そんなバカな! それだけの魔力一体どこから? ……まさかおぬし虐殺でもやりおったな! なんとひどい……そのような者に我が魔力を渡してしもうたとは……善良そうに見えたのに!」
ではそれだけの魔力はどこから持って来たのか?
思いつく限りで一番現実的なのは魔石を集めてくるか、生贄を用意するかであった。
魔石と呼ばれる石には自分の魔力を溜めておける効果がある。同じく生物の魔力は然るべき手順を踏めば魔力として使用出来ると言うのも知られている事だった。
数を揃えて一度に使用出来れば、いちおうは自らの限界を超えた魔法が使用できる。
魔石が希少な事を考えると、後者が最も手っ取り早いか。
そこまで結論を出すと、絶望でわしの顔は青ざめた。
そうに違いない! きっとわしの優れた魔法の知識を求めて、やってもうたんじゃこやつ!
だが小僧の口から出た答えは、ある意味それよりもずっと衝撃的な台詞じゃった。
「人聞きの悪いこと言うなよ。全部自前だっつーの」
「……は?」
「だから全部自前。そんな物騒な事出来るわけないでしょうが」
え? それってどういう事じゃろう?
何度聞いても主張は変わらず、同時にわしにはある予感が湧いて出てくるのである。
まさかそんな馬鹿な事があるわけもないとは思いつつ……ごくりと生唾を飲み込む。
正直恐ろしかったが、わしは尋ねないわけにもいかんかった。
「……ちなみにおぬしの魔力ってどのくらいじゃね?」
「800万1000。この1000の所があんたの魔力じゃないかと思うんだけど」
わしはこれを聞いてとうとう完全に頭が真っ白になった。
なんというか……なんというか! 言葉にならない……!
このどうにも形容しがたい感情は何なのじゃろう? 言うべき言葉も見つからず、わしに出来たのはただぽっつりと呟く事だけじゃった。
「わしの五百年っていったい……」
「いやー、そんなに褒められても?」
「褒めとらんわ! ええ性格しとるのぅ! ってええい! 動きにくい! なんか体がおかしいんじゃが!? 失敗したんじゃあるまいな!」
「そうやっぱり?」
「……?」
八つ当たり気味に声を荒げるわしに、小僧はもう一つ、無視出来ない現実をつきつけてくる。
「死者蘇生の魔法には生贄がいるって言うからさ」
何じゃそれ?
「その辺で捕まえて来たんだよ……可愛そうなことをしたとは思うけどさ」
いったい何の話をしておるこいつ。
「でもあれだ、俺を拉致した件でチャラにしてくれたらうれしいんだけど」
「どういう事じゃ?」
わからないなりに不穏なものを感じて、わしは問う。
「ほら鏡! ……あんまり怒らないでね?」
小僧は歯切れ悪く曖昧に笑って、あらかじめ用意していたらしい鏡をこっちに突き出してきた。
わしが鏡を覗き込むと映っていたのは―――ありえないほどでかい蛙だった。
「んな……!」
絶句である。
鏡を食い入るように見つめても、それが鏡であると言う事は変わらない。
「いやーさすがに悪いと思ってさ! 寝ている間に肉体改造の魔法をダウンロードして? 何とか直せないもんかと色々頑張って見たんだけど……どうにもやっぱり蛙でさ! ああ! 髭も生やしたんだよ! 手足も自由に動くだろ? 二足歩行にも頑張ってしてみたんだ! 良かったよね手足のある動物で……」
何か小僧が色々言っておったが、ほとんど聞いてはいなかった。
自業自得というには突き抜けすぎていて数ある不幸と比較も出来ない。
この蛙はまさか……わしか?
気が付いた途端、特大の眩暈がわしを襲っていた。
「おがん!」
そのままわしはひっくり返った。
いや、冗談ではなく。……ところでダウンロードってなんじゃよ。
意識が戻っても蛙になった事は夢ではなった。
「まったく、いい加減な事をしおって……バカ。お前ホントバカ」
蛙になると言う異常な状況にも、どうにか我を取り戻したわしって結構すごいと思うじゃろ?
なんたって生き返った上、まさかの蛙に変身じゃからな?
「だからゴメンって、まさかまんま生贄の身体になるとは思わなかったんだってば。でもそっちだって俺を無理やりさらって来たんだし、あいこじゃない?」
だが笑顔でそう言ってくる大馬鹿者に、わしはいらだたしげに視線を向けた。
「何があいこじゃ! こっちは命まで懸けて贈り物をしてやったと言うのに……」
だと言うのに命がけの見返りが蛙……よりにもよってなんで蛙! もう少しなんかあったんじゃないかのぅ!
しかしわしの主張に、小僧は笑顔の上にビキリと青筋を浮かべて言った。
「それを言うなら俺だって。あの世で交渉して爺さんが魔法を使えるようにしてもらったんだし」
そう言われて、そこで初めてわしは譲ったはずの魔力が自分の中に存在することに改めて気がついたのだ。
わしの湧き上がる怒りは水をかけたように沈静化する。
「……むむ、確かに魔力を感じる。いったいどんな手を使ったんじゃ?」
「まぁ、それは……秘密で」
また目が泳いでおったが、どうせしょうもない理由に違いない。わしはそう確信した。
いまだにわけのわからない小僧だが、お互い言葉を交わせばこの小僧の人となりはなんとなく見えて来ていた。
極悪人ではないようだが、結構いい加減な奴らしい。情報交換としょうもない言い合いを続けながら、わしはこの理不尽の塊のような小僧について考える。
そもそも魔力800万? 何じゃそれ?
はっきり言って常軌を逸しているじゃろ?
想定外も想定外。規格外も規格外。
異世界人じゃし、人間は超えてくるとは思っていたが、精々わしの二・三倍くらいじゃと思っておった。
ところがどっこい、呼び出した異世界人は想像以上の化け物だったようだ。
独自の召喚法をとったのが間違いだったのか?
やっぱり異世界人の中でも強い魔力に狙いを定めたのがまずかったのだろうか?
こちらの人間では、どんなに強力な魔法使いであっても魔力が1000に届く者はほとんどいない。
いるとすれば人外の、それこそ人知の及ぶべくもない化け物ならばあるいは?といったところじゃ。
そんな常識など世界が違えばまるで通用しないという事か。
さらに加えて問題は……わしが与えてしまった『魔法創造』である。
『ダウンロード』なんて勝手に妙な名前まで付けおって、本当にふざけた奴だ。
こちらで魔法と言えば、基本である地属性、水属性、火属性、風属性、空属性の五つの属性。その派生の域を出る事も出来ず、あくまで戦闘技能という認識にとどまっている。
五大元素を操る魔法と言えば聞こえはいいが、実の所物を燃やすこと、水を操る事などは工夫すれば魔法がなくても出来ることだろう。
空に関してだけ少し変わっていて精神や魂を操ると言われているが、幻を見せるくらいが精々だ。
しかしこいつは魔法を使い、死人を生き返らせるなんて離れ業をやってのけたと言う。
これはすなわち、こいつの馬鹿魔力と魔法創造が合わされば、死すら恐れるに足りないと言う事実に他ならなかった。
こんな馬鹿な話はない……というか馬鹿ではないだろうか?
例え出来たとしても死人を生き返らせるなんて真似をするか、普通?
本人もこの蛙化については想定外の様で、いかに適当だったかもわかった。
……いや、現実逃避は止めろ、わし。わしが怯えておるのはそう言う事ではない。
わしがやらかしたわがままは、どうやらわしの想像を遙かに超えた化け物をこの世界に誕生させてしまった……そう言う事だ。
今にも罪悪感で挫けそうである。
でもよく考えろわし。
これは喜ぶべきことであって、悲しむことなど何もないのではないか?
わしはあくまで前向きに考えることにした。
そもそも死んでその後の事なんて考えてなかったわけじゃし、わしの渾身の大魔法は成功していたわけだ。
魔法創造を真の意味で使いこなせる者の手にきちんと託せたなんて願ってもないのではないか?
その上、見ることもないはずだった夢の魔法使いをこの目にすることまで出来たのだから、これ以上喜ばしい事もあるまい。
そうじゃ、すべては思惑通り。むしろ思惑以上。わしが温かい目で見ないでどうするのか?
死すら受け入れた今となっては受け入れられないことなどない。
乱れた内面を整理したわしは、仲直りという名目で色々と飲み込んだ。
「……ともかくお互い思う所はあるが、ここらで手打ちにするのが妥当じゃろ」
「……そだね。確かにお互い後ろめたい事は多々あるけど、このまま喧嘩し続けるのは不毛だし」
「うむ。それでこれからじゃが……おぬし、どうするつもりなんじゃ?」
ニュアンスはと言えば、この力をどう使うかというものだったが、小僧はまたもや意表をついた答えを返してきたのだ。
「まぁ、元の世界に帰ってみてもいいけどね」
「む?」
「魔法、使えばやれるんじゃないか?」
「……確かにそうじゃの」
……信じられないが本気で言っているらしい。
こんな力を手に入れて、なんでこんな答えが出せるのか? ここまで来ると逆に尊敬できる気がしてくるのぅ。
まだよくわかっていないからなのかもしれないが、判断のつかないこいつに、わしはなんだかどっと疲れた。
「……そうじゃな。そんなバカ魔力があれば不可能などあるまいよ」
「だろ? じゃあ帰るかどうかはともかく、いちおう検索してみるよ」
そう言って、目を瞑る小僧は『魔法創造』を今まさに使っているのだろう。この魔法は使用中は結構地味なんじゃ。
わしの場合、瞼の裏に本と目次が現れる。
落ち着かないわしは、小僧が目を開けた瞬間こちらから尋ねた。
「……どうじゃ?」
「マジでか?」
「……どうしたんじゃ?」
「やば……俺、帰れないわ」
小僧が唖然としてわしに告げた言葉は、わしにとっても衝撃的な事実であった。
常軌を逸したこいつの魔力でもまだ到達できない事があるのかと。
ちょっとだけ嬉しかったわけじゃけど……それよりも驚愕の方が上回った。
「なんでじゃ?」
「この魔法、引き出すだけで1000万だってさ……実際使うとなるともっとかも」
「い……」
ひきつる表情を止められない。笑えてくる。本当に笑えてくる話だ。
どうやら魔法というのはわしが考えていた以上にまだまだ先があるらしい。
わしは本当にうぬぼれていたのだなぁと、この時本当に悟ってしまった。
まったく生き返ってみるのもこうなってくるとよかったのかもしれんとさえ思ったほどだ。
「はぁ……どうやら俺は帰れないらしい」
一方、肩落とす小僧の反応を見て、わしは意外と冷静じゃった。
「……ふむ、鍛錬で伸ばすにも少々多すぎるか?」
「……魔力って増えたりするものなの?」
「ああ、もちろんじゃ。訓練すれば増えるぞい。限度というものはあるがな。わしも元々は100ほどじゃったが、五百年かけて1000まで伸ばしたのじゃよ」
アドバイスまで出来たのは我ながら上出来だろう。思ったよりも素直にこちらの言う事を聞く小僧にも、悪い気はせんかった。
しかしこの小僧も、やはり帰れない事実を自ら調べて確信すれば、さすがにのほほんとはしていられないようじゃった。
「帰還の可能性はゼロじゃないけど、限りなく低いか……ひどい話だ」
「ふむ、こちらの世界で暮らすと割り切るのが妥当じゃろうな。だが心配するな、おぬしの存在自体がわしの悲願でもある。こうなったら出来る限りの面倒は見てやるわい。ところでおぬしの名前を教えてもらえるかのう? あの時は聞きそびれてしもうたんじゃ」
「諸悪の根源がよく言うよ。……そういえば俺もあんたの名前を聞いていないかな?」
わしは小僧に笑いかけ、小僧もわしを見てふっと笑みをこぼす。
そうだ、まだ続きがあると言うのならすべてはここから始まる。
まさしく歴史的になるだろう第一歩だったはずなのだが―――ここでまた更なる誤算が出た。
結論から言うとどうやらわしが無茶をした弊害はやはりあったらしい。
よりにもよって不具合が出た翻訳の魔法に……もちろん小僧の視線はきつかった。
「するとなんだ……俺は人の名前を決して覚えられないかわいそうな子なったわけだな?」
「……まぁ要約するとそう言う事じゃな。だがわしの名前だけでも教えておこうかの……どれ」
とりあえず場当たり的に応急処置を施してみたのだが、無駄だったらしい。
「悪い、聞こえない」
「なに? ふむ、やはりちぃとやっかいそうじゃのぅ」
どうやら名前が雑音に聞こえてしまうらしい。
完全に魔法の失敗が原因だけに、わしとしても具合が悪い。
しかし小僧はと言えば、この事に関してはそう問題にしている様子もないらしいのが驚きである。
どうにか根性でこちら側の人間に小僧の名前を伝えられるようには成功したのだが、この『タロー』と名乗った小僧は、それで満足したようじゃった。
「……まぁいいか。俺の名前が通じるようになっただけ儲けものだと思っとくよ。元々人の名前とか覚えるの得意じゃなかったし……となると、毎度キャラ付けして、ニックネームで呼ぶようにしてみるとか?」
「ニックネーム?」
「そう。俺が勝手に名前をつけてそう呼ぶ。早速練習してみようかな? それじゃあ……爺さんの事、これからカワズさんって呼ぶから」
「カワズさん? なんだかそこはかとなくむかつく響きじゃのぅ」
「そんな事ないだろ。割とチャーミングだろうがよ」
「そうか?」
「うん」
「うむぅ……まぁええか。して、どういう意味なんじゃ?」
「蛙」
「よしわかった。表に出ろ」
さらりと嫌味を織り交ぜてくるタローと、わしは拳で語り合った。
よりにもよって蛙はないじゃろう! まんますぎるわ!
ひとしきり満足するまでやり合ったが意外に早くお互い冷静になった。
というかタローが先に力尽きた。
体力無さすぎじゃろうこいつ?
肩で息をしている弱ったタローを見て、罪悪感が湧いてきたわしは、とりあえずてっとり早く、こちらでの状況を良くしてやろうとある提案をした。
わしの提案はこうじゃ、わしの生前いた国にいったん身を置こうと。
「……なるほど。まぁ確かにそれが一番現実的だろうけど、却下で」
てっきりすぐさま納得するかと思いきや、ほとんど考える間もなく即答とはこれいかに?
もうこいつが何を考えているかなど、考えを巡らせるだけ無駄なのかもしれない。
「なんでじゃ?」
それでも呆れながら尋ねてみたが、帰ってきた答えも意味の分からないものじゃった。
「俺のファンタジー勘がささやくんだ、それは死亡フラグだぞ……と」
「なんじゃそら?」
無駄に手を組んでしたり顔なのが腹立つんじゃけど?
するといかにも何かありそうなタローは話を始める。
「いや……俺の世界に『魔法』はないけど、そう言う類のお話って結構あってさ。それをファンタジーモノとかって呼んだりするわけなんだが……その中でもベタなのが何も知らない主人公が時の権力者やら神様やらに目をつけられて巨悪と戦う。そして艱難辛苦を乗り越えながら人間的に成長し、最終的に敵を打倒すると言うストーリーってわけさ」
「ほ、ほぅ。まぁいわゆる一つの英雄譚じゃな?」
「そう、英雄譚。だけどそれこそがまずいんじゃないかと思うんだよ」
「そ、そうかの?」
「考えても見ろよ。俺ってば何でも出来ちゃうんだよ? それってかなり便利な奴じゃん?」
「まぁ……確かにな。だが悪くはないんじゃないかの? 大体普通、そういう主人公なんかに憧れちゃったりするもんなんじゃないかの?」
「おいおい馬鹿言うんじゃないよ。そんなもん体よく厄介ごと押し付けられに行くようなもんでしょうがよ? しかも本題に入るのは、お姫様に色仕掛けされたり、宝物をもらったり、豪勢に接待されちゃったりした後なわけさ。『ごめん、無理』なんて言えないくらい空気作りは万全なわけだよ。そして本人もだんだんその気になってきて、『この国のために頑張る!』とか『あの娘を幸せにするんだー!』なんて言っちゃうわけ」
「……随分ひねくれた見解じゃの」
「そうかもしれない。だが十分にあり得る。人間ってやつは、場の空気になかなかあらがえない生き物なのさ。そして一時の正義感と義理とテンションで突っ走り血みどろの殺し合いだの戦争だのに介入させられた挙句、一生消えないトラウマを植え付けられたり、死にそうな目に遭っちゃったり、実際死んで『伝説』とか『英雄』とか言われちゃったりするわけだよ。はっきりと言おう! 軟弱な俺にそんな事は出来ない! 俺はメンタルがすごく弱い! ちなみにあんたの様なアドバイザーがいなければ、こんな異世界じゃ普通に一週間で餓死する自信がある!」
ここまで聞いてようやく言いたいことはわかったが、なんというか……。
「なんというか……情けないのぅ」
さすがに自分の不甲斐なさを全面肯定しすぎじゃないだろうかこの小僧? しかも無駄に力強く宣言されても困るのだが。
指摘しようが、タローは後ろ向きに強気じゃった。
「いいの! 出来ないことを出来ると言うほど俺は勇猛果敢ではない! そもそも英雄になんぞ興味もない! だがしかし、俺にはだれにもまねできない武器がある! 魔法という武器がな! もらい物だけどね!」
「そうじゃのぅ……だから国に保護してもらえばええんじゃないか? 優遇してもらえるそうじゃと思うんだが?」
「いや……優遇してもらわなくても、なんでも出来るんだろ俺?」
たどり着いたらしい結論は、思いのほか豪快じゃった。
まぁ確かに保護してもらうと言う考え方は、自分の方が弱い場合にのみ発生する考え方である。
それにしてもあんまり賢そうな台詞には聞こえないが。
「……むむむ、おぬしは馬鹿じゃなぁ」
「呆れ顔で言われた! だがその通りです!」
「……そういう打たれ強さはなかなかのもんじゃと思うぞ。だがまぁ、確かに考慮する価値はある」
わしはとりあえず馬鹿にしておいたが、タローの主張にはそれなりに納得できる部分もあったわけじゃ。
それどころか提案自体はわし自身にもこの際都合がいいかもしれなと思いなおす。
「……そうじゃなぁ言われてみれば、戻っても面倒事が多そうじゃ。このまま行方をくらませた方が存分に魔法の研究に没頭出来るか……ふむ」
「え? マジで?」
「お前が言い出したんじゃろう?」
ふむ、考えて見れば悪くない。
魔力を感じ取れなければ、こやつは見た目はただのパッとしない男である。
このままわしの後継として人間社会にまぎれれば、危険性を理解も出来ずに近づいてくる馬鹿者がおるだろう。
わしの国とて言い寄ってきそうな馬鹿の顔は思い浮かぶのだ、それはぼぼ決定事項と言っていいじゃろう。
そんな連中のからめ手に、まだ何も知らないこいつがうまく立ち回れるだろうか?
わしはタローの顔をちらりと確認する。
「……」
まぁ無理じゃな。絶対無理。
最悪、暴走されたら世界が終わりそうじゃな。
となれば別の方法を考えねばなるまい。
そこで思い付いたのは生前ではありえない発想である。
ならば逆に魔力に敏感な者達の所に行けばいいんではないかと?
そんな都合のいい場所に、残念ながら心当たりがないわけではなかったのだ。
その場所はアルヘイムと呼ばれる、人外達の領域である。
人が本来容易く出入りすることも出来ない広大なその土地には、人間よりよほど魔法的に優れた種族が溢れている。
今なら、本来人間がおいそれとは入れない場所であっても、脅威たりえるだろうか?
またわしはちらりとタローを覗き見る。
「……」
問題ないな。間違いない。
何じゃこの魔力、本気でやばいわ。
ちょっと基本は教えにゃならんだろうが。それでも敵はないだろう。
わしもじっくり行って見たかったんじゃよなアルヘイム。
彼の土地には、人間の領土ではありえない神秘がまだごろごろ転がっているとも聞いている。
生前何度か立ち入った事はあるが、それでも数日間目的地に向かって帰ってくる程度の事しか出来なかった。
だがこのタローと一緒ならば観光気分で歩き回れよう。
わしはなんだかいつの間にか言葉にも活力が出て来たのを感じていた。
「ふむ、ええじゃろ。どうせ拾われた命じゃ、生き返ってまで律儀に生前と同じ事をする必要もあるまい」
「よし! 決定! じゃあどこに行こうか? 国外? 国内?」
「国内でいいんじゃないかの? いったん身を隠して国外に出るのはそれから考えんか? そうと決まれば急いだ方がええじゃろ! まっとれ! 今準備するからの!」
自分の提案が受け入れられたのがうれしかったのかタローの目は童の様に生き生きしていていた。かく言うわしも、胸が高鳴っていたことは否定すまい。
わしらが満場一致で出した結論は逃亡という事になったわけじゃ。
まとめた作戦はシンプルに、この小屋を魔法で吹き飛ばして足跡を消す。わしらはその間に姿を眩ませだけ。
小屋を吹き飛ばすのは魔法の練習もかねてタローの担当である。
これからどうあっても魔法は使わざるを得ないのだから、少しずつその感覚にも慣れてもらわねばならないじゃろう。
そしてわしの担当は自然に逃亡の準備となった。
この後は適当に行方をくらませ、魔法の基礎をタローの奴に叩き込んでから、ゆっくりアルヘイムに向かう、そう言う算段である。
わしはとりあえず足を用意しようと納屋に向かった。
納屋にはここに来る時に使用した馬車が依然としてそこにあった。
馬も当たり前だがそこにいて、大量に用意していたエサを食みながら、鼻を鳴らしている。
短い付き合いだが、この馬の手入れは一人さびしい山小屋生活の一時の清涼剤の様であったものであったのだ。
「ふむ、まさかまたお前の顔を拝むことになるとは思わんかったな」
そう言うと、馬はブヒヒンと大きな歯を見せて笑ったようだった。
足はこいつでいいだろう。
しかしアルヘイムは未開の土地だ、道があるわけではない。
秘境に馬車で突撃するわけにもいかないので、適当な場所で馬と馬車は処分することになる。
どちらにしても短い付き合いである。
思いもしていなかった展開であったが、あのタローという小僧とは長い付き合いになりそうであった。
「まったく人の気も知らんで言いたいことを言ってくれるわい、あの小僧め……」
あいつは色々とやらかしてくれたが、わしのわがままに無理矢理付き合わされたかわいそうな若者である。あ奴からしてみればわしのやったことは誘拐同然の所業で、恨まれても無理はない。
罪は罪であると弁えておくのは大切な事じゃ。こいつはわしが甘んじて受け止めなければなんじゃろう。
精々、不都合がないように取り計らってやらねば。タローにしてもわざわざ生き返らせた甲斐がなかろうというものである。
「その後は、まぁせっかく手に入れた余生じゃからのぅ……煩わしい事を考えずにのんびりやるのも良かろうよ」
こうなってくるとやりたいことも沢山あることだしのぅ。
口の中で笑いながら、密かに生前よりも遙かに充実しそうな生活に夢を膨らませていた時、それは起きた。
ゾクリとするほどに攻撃的な魔力の波動を外から感じたのである。
未だかつて感じたこともないほどの恐怖を感じて、慌ててわしは納屋の外に飛びだした。
外に転がり出ると、そこには家に狙いを付けているらしいタローの姿がある。
そして今まさに魔法へと変換されつつある、常軌を逸した魔力の嵐もであった。
わしはとにかく止めねばと叫んだ。
「ちょ、おま! 馬鹿か! そんなに込めたら―――」
「へ?」
だが間抜けな声のすぐ後にタローの指先から放たれた炎の魔法は、炎なんて生易しい威力ではなかったのだ。
「いやー、まさか山に穴が空くとか思わないだろう?」
反省というよりは現実逃避に近い台詞であった。
さっそくちょっとイラッっとしたわしも、御者台で握る手綱に思わず力が入ってしまった。
「……普通、山に穴をあけるような失敗はせん」
「……ですよねぇ」
山がなくなった。結果としてわしらはいきなり国外逃亡中の身の上となった。
考えて見れば、こんな常識はずれな奴に常識で物を語ったのが間違っていたことを今更ながらに実感する。
こいつはのんびりなんて言っておられんかったかもしれんのぅ……。
猛スピードで走る馬車の中で、わしは内心今更ながらに直面している問題に焦りを感じておった。
早急に魔力の使い方を教え込まねば、シャレにならないことになりそうだと―――。
うっかりタローが吹き飛ばした山を背に、わしは冷や汗を流す。
人生とはこうも奇想天外になるモノか。
人生を旅に例えるならずいぶんと長く放浪してきたが、まだまだ序の口であったようだ。
きっとここからさらに二転三転することは想像するまでもなく。
きっとこれから何が起こるかは想像することも出来ない。
ただわかっている事は、それでもわしは魔法に理想を追い求めるのだろうとそのくらいのことである。
まぁ、我ながらくだらない話である。その原因も所詮は自分本位な物に過ぎない。
例えば人生において、最も素晴らしい発見をしたとする。だとしても状況次第では悔やむ場合もある。わしの場合はまさにそうだった。
そいつが受け入れがたかったから、少し無茶をしてみたとそういうことだ。
この世界には神秘が存在する。わしらはそれを『魔法』と呼び、日々研究を重ねていた。わしの一生はまさに魔法の研究の日々そのものだったと言っても良いだろう。
そんなある日、わしはついに太古の記録を紐解くことで、ある真実にたどり着いた。
見つけたのはたった一つの『魔法』であった。
しかしまだ見ぬ神秘の発見は、震えるほどの歓喜と共に、わしにあまりにも強烈な無力感を突き付けた。
それは今まで自分が心血を注いできたものが、まだほんの入り口でしかないのだと知ってしまったという、最後の最後で間の抜けたオチであった。
どうにか埋め合わせようにも、命尽きようとしているわしには不可能で、もうどうする事も出来ない。
ある意味では己の到達できる最高の答えにたどり着いたともいえるのだが、それでも―――受け入れたからといって、その死に様まで潔くする必要もあるまい。
弟子達に託そうかとも考えたが、ある理由からそんな事をすれば悲劇が待っている事など容易く想像できた。
この際、受け入れる器があれば、誰でもよいのか?
それも駄目だ。
わし以上の実力を持つ者など人間にはそういないだろう。
いたとしてもそこに伸びしろはない。これから成長するにしても、到達点がわしと同じではまるで意味がないのだから。
わしは考えた末に、たどり着いた答えの先への可能性を残すことにしたのだ。
閃いたのは一つの禁忌であった。
こことは違う場所。俗にいう『異世界』には自分達以上に強大な魔力を秘めた者達がいると聞いた。
彼らなら、ひょっとするとすべてを受け止められる者がいるのではないか?
思えば無謀な試みだったと思う。すべては仮説でしかなかった。それでもすがってしまったのはこれまたわしの弱さゆえであった。
考えが至れば、時間もない。
なんとも押しつけがましいとは思いつつも、わしは最後のわがままを実行した。
なぜならばそう―――わしは神秘の一端を担う者。
魔法使いと呼ばれているのだから、最後まで神秘を見せつけてやらねばなるまい。
奇跡の技でそれを成せば、もう何を言う事もない。後は理に従い、潔く死を受け入れるのみ。
はっきり言って成功するかどうかなどまるで分らない賭けであったが、わしは魔法の発動を見届け、それなりの満足感を得て天に召されたはず……だったのだ。
「……とりあえず顔面から手を離さんか?」
「だよね」
次に意識を取り戻したとき、思わずパニックになって飛びかかってしまったのだが、いつの間にかわしの顔面鷲掴みである。
ゆっくりと手をどかされ視界が開けると、そこにいたのは、いまいち冴えない小僧じゃった。
「……」
いや待て。今重要なのはそんな事ではない。気にしなければならないのは、今自分を取り巻く状況そのものであろう。
この実感……生前、五百年という長い一生で、いやというほど慣れ親しんだものではないのか?
それすなわち生の実感。
しかしこいつは一度手放したものじゃった。
(生きている? バカな……あれで死なないなどありえるわけはない)
わしはこの身のすべての魔力を極限まで使い切ったはず。
魔法を無理に使い、魔力が枯渇すれば、すなわち即死を意味することは知られている。
わしが使った魔法はそうしなくては決して叶う事がない代物じゃった。
混乱して定まらない思考の答えをくれたのは、やはりこのさえない小僧だった。
「俺が生き返らせてみたんだけど、どうよ?」
事も何気に当たり前の様に聞かれた質問を、最初わしはポカンと聞いておった。
いや……どうよと言われても?
この非常識な言動のおかげか、単に冷静さを取り戻しただけか、わしもようやくこの小僧についてはっきりと思い出していた。
それもそのはず、自分のすべてを与えた相手だ。見覚えがないわけがない。
肉体をなくし、魂だけで出会ったからか、輪郭こそおぼろげだったが、確かに記憶という形でわしの中に存在している。
だからこそ、わしは不安がこみ上げて来て、声に出さずにはいられなかった。
「は? し、死者の蘇生じゃと? そんな非常識な魔法どうやって……?」
「いや、結構簡単だったよ? ちょろっとあの世に行って帰って来ただけだし。おお! そう言えば向こうで鬼に会ったんだよ! 魔力を上乗せしたらサービスしてくれてさ。ああいう和風なあの世を見せられると、俺も日本人なんだなって感じちゃうよね!」
「えぇぇぇぇぇ……」
何を言っとるんだこいつ? 一個も意味がわからんし。
わしが最初に思ったのは、こいつは本格的に頭がおかしいのではないか? だ。
むしろなにかしら問題が出ても無理はない魔法をこやつには施した。
魔法一つとっても普通ではありえない伝授をしている。本来ならしっかり知識として身に付けなければいけないものを、頭に焼き付ける様な所業は、相手にだって相当なリスクを伴うものじゃった。
わしは落ち着けと念じながら声をしぼりだした。
「ちょろっと行ってってお前……魔法を引き出すだけでも相当な労力じゃったじゃろうに?」
「あー、そうでもなかったと思うけど」
しかし小僧はあくまで真顔だ。
まぁ……少し整理してみるとしよう、少々混乱しているのはこちらも同じことだ。
もしこいつがわしの思惑通りに完成しているとしたら、特殊な魔法を持っていることはわしが一番よく知っている。
わしが蘇らせた魔法の名は『魔法創造』という。
この『魔法創造』は魔力さえあればどのような事も再現出来るという、想像を絶する魔法である。
発想を元に自信の魔力を対価に差し出すことで、世界から魔法を引き出すことができる。
失われた古代の魔法は元より、未だかつて存在すらしなかった魔法すら造りだせる技こそがこの『魔法創造』という魔法なんじゃ。
ただしこの魔法にも弱点はある。その弱点とはその『差し出す対価』についてであろう。
大それた効果の魔法でなくても、身につけるだけで膨大な魔力を必要とする。そこに難しい技術は存在しないが、単純に対価を差し出せるか否かが重要なわけじゃ。
かなりこれは致命的な欠陥で、わし程度の魔力では欲しい魔法があっても引き出すことすらままならんかったのだから、無念極まりない。
だというのに小僧がやらかしたのは死者蘇生だと言う。
すべてはわしの授けた『魔法創造』の恩恵であるとしよう。であってもそんな神にも匹敵しそうな奇跡、どれだけ魔力があれば使えるようになるのかなど見当もつかん。
「そんなバカな! それだけの魔力一体どこから? ……まさかおぬし虐殺でもやりおったな! なんとひどい……そのような者に我が魔力を渡してしもうたとは……善良そうに見えたのに!」
ではそれだけの魔力はどこから持って来たのか?
思いつく限りで一番現実的なのは魔石を集めてくるか、生贄を用意するかであった。
魔石と呼ばれる石には自分の魔力を溜めておける効果がある。同じく生物の魔力は然るべき手順を踏めば魔力として使用出来ると言うのも知られている事だった。
数を揃えて一度に使用出来れば、いちおうは自らの限界を超えた魔法が使用できる。
魔石が希少な事を考えると、後者が最も手っ取り早いか。
そこまで結論を出すと、絶望でわしの顔は青ざめた。
そうに違いない! きっとわしの優れた魔法の知識を求めて、やってもうたんじゃこやつ!
だが小僧の口から出た答えは、ある意味それよりもずっと衝撃的な台詞じゃった。
「人聞きの悪いこと言うなよ。全部自前だっつーの」
「……は?」
「だから全部自前。そんな物騒な事出来るわけないでしょうが」
え? それってどういう事じゃろう?
何度聞いても主張は変わらず、同時にわしにはある予感が湧いて出てくるのである。
まさかそんな馬鹿な事があるわけもないとは思いつつ……ごくりと生唾を飲み込む。
正直恐ろしかったが、わしは尋ねないわけにもいかんかった。
「……ちなみにおぬしの魔力ってどのくらいじゃね?」
「800万1000。この1000の所があんたの魔力じゃないかと思うんだけど」
わしはこれを聞いてとうとう完全に頭が真っ白になった。
なんというか……なんというか! 言葉にならない……!
このどうにも形容しがたい感情は何なのじゃろう? 言うべき言葉も見つからず、わしに出来たのはただぽっつりと呟く事だけじゃった。
「わしの五百年っていったい……」
「いやー、そんなに褒められても?」
「褒めとらんわ! ええ性格しとるのぅ! ってええい! 動きにくい! なんか体がおかしいんじゃが!? 失敗したんじゃあるまいな!」
「そうやっぱり?」
「……?」
八つ当たり気味に声を荒げるわしに、小僧はもう一つ、無視出来ない現実をつきつけてくる。
「死者蘇生の魔法には生贄がいるって言うからさ」
何じゃそれ?
「その辺で捕まえて来たんだよ……可愛そうなことをしたとは思うけどさ」
いったい何の話をしておるこいつ。
「でもあれだ、俺を拉致した件でチャラにしてくれたらうれしいんだけど」
「どういう事じゃ?」
わからないなりに不穏なものを感じて、わしは問う。
「ほら鏡! ……あんまり怒らないでね?」
小僧は歯切れ悪く曖昧に笑って、あらかじめ用意していたらしい鏡をこっちに突き出してきた。
わしが鏡を覗き込むと映っていたのは―――ありえないほどでかい蛙だった。
「んな……!」
絶句である。
鏡を食い入るように見つめても、それが鏡であると言う事は変わらない。
「いやーさすがに悪いと思ってさ! 寝ている間に肉体改造の魔法をダウンロードして? 何とか直せないもんかと色々頑張って見たんだけど……どうにもやっぱり蛙でさ! ああ! 髭も生やしたんだよ! 手足も自由に動くだろ? 二足歩行にも頑張ってしてみたんだ! 良かったよね手足のある動物で……」
何か小僧が色々言っておったが、ほとんど聞いてはいなかった。
自業自得というには突き抜けすぎていて数ある不幸と比較も出来ない。
この蛙はまさか……わしか?
気が付いた途端、特大の眩暈がわしを襲っていた。
「おがん!」
そのままわしはひっくり返った。
いや、冗談ではなく。……ところでダウンロードってなんじゃよ。
意識が戻っても蛙になった事は夢ではなった。
「まったく、いい加減な事をしおって……バカ。お前ホントバカ」
蛙になると言う異常な状況にも、どうにか我を取り戻したわしって結構すごいと思うじゃろ?
なんたって生き返った上、まさかの蛙に変身じゃからな?
「だからゴメンって、まさかまんま生贄の身体になるとは思わなかったんだってば。でもそっちだって俺を無理やりさらって来たんだし、あいこじゃない?」
だが笑顔でそう言ってくる大馬鹿者に、わしはいらだたしげに視線を向けた。
「何があいこじゃ! こっちは命まで懸けて贈り物をしてやったと言うのに……」
だと言うのに命がけの見返りが蛙……よりにもよってなんで蛙! もう少しなんかあったんじゃないかのぅ!
しかしわしの主張に、小僧は笑顔の上にビキリと青筋を浮かべて言った。
「それを言うなら俺だって。あの世で交渉して爺さんが魔法を使えるようにしてもらったんだし」
そう言われて、そこで初めてわしは譲ったはずの魔力が自分の中に存在することに改めて気がついたのだ。
わしの湧き上がる怒りは水をかけたように沈静化する。
「……むむ、確かに魔力を感じる。いったいどんな手を使ったんじゃ?」
「まぁ、それは……秘密で」
また目が泳いでおったが、どうせしょうもない理由に違いない。わしはそう確信した。
いまだにわけのわからない小僧だが、お互い言葉を交わせばこの小僧の人となりはなんとなく見えて来ていた。
極悪人ではないようだが、結構いい加減な奴らしい。情報交換としょうもない言い合いを続けながら、わしはこの理不尽の塊のような小僧について考える。
そもそも魔力800万? 何じゃそれ?
はっきり言って常軌を逸しているじゃろ?
想定外も想定外。規格外も規格外。
異世界人じゃし、人間は超えてくるとは思っていたが、精々わしの二・三倍くらいじゃと思っておった。
ところがどっこい、呼び出した異世界人は想像以上の化け物だったようだ。
独自の召喚法をとったのが間違いだったのか?
やっぱり異世界人の中でも強い魔力に狙いを定めたのがまずかったのだろうか?
こちらの人間では、どんなに強力な魔法使いであっても魔力が1000に届く者はほとんどいない。
いるとすれば人外の、それこそ人知の及ぶべくもない化け物ならばあるいは?といったところじゃ。
そんな常識など世界が違えばまるで通用しないという事か。
さらに加えて問題は……わしが与えてしまった『魔法創造』である。
『ダウンロード』なんて勝手に妙な名前まで付けおって、本当にふざけた奴だ。
こちらで魔法と言えば、基本である地属性、水属性、火属性、風属性、空属性の五つの属性。その派生の域を出る事も出来ず、あくまで戦闘技能という認識にとどまっている。
五大元素を操る魔法と言えば聞こえはいいが、実の所物を燃やすこと、水を操る事などは工夫すれば魔法がなくても出来ることだろう。
空に関してだけ少し変わっていて精神や魂を操ると言われているが、幻を見せるくらいが精々だ。
しかしこいつは魔法を使い、死人を生き返らせるなんて離れ業をやってのけたと言う。
これはすなわち、こいつの馬鹿魔力と魔法創造が合わされば、死すら恐れるに足りないと言う事実に他ならなかった。
こんな馬鹿な話はない……というか馬鹿ではないだろうか?
例え出来たとしても死人を生き返らせるなんて真似をするか、普通?
本人もこの蛙化については想定外の様で、いかに適当だったかもわかった。
……いや、現実逃避は止めろ、わし。わしが怯えておるのはそう言う事ではない。
わしがやらかしたわがままは、どうやらわしの想像を遙かに超えた化け物をこの世界に誕生させてしまった……そう言う事だ。
今にも罪悪感で挫けそうである。
でもよく考えろわし。
これは喜ぶべきことであって、悲しむことなど何もないのではないか?
わしはあくまで前向きに考えることにした。
そもそも死んでその後の事なんて考えてなかったわけじゃし、わしの渾身の大魔法は成功していたわけだ。
魔法創造を真の意味で使いこなせる者の手にきちんと託せたなんて願ってもないのではないか?
その上、見ることもないはずだった夢の魔法使いをこの目にすることまで出来たのだから、これ以上喜ばしい事もあるまい。
そうじゃ、すべては思惑通り。むしろ思惑以上。わしが温かい目で見ないでどうするのか?
死すら受け入れた今となっては受け入れられないことなどない。
乱れた内面を整理したわしは、仲直りという名目で色々と飲み込んだ。
「……ともかくお互い思う所はあるが、ここらで手打ちにするのが妥当じゃろ」
「……そだね。確かにお互い後ろめたい事は多々あるけど、このまま喧嘩し続けるのは不毛だし」
「うむ。それでこれからじゃが……おぬし、どうするつもりなんじゃ?」
ニュアンスはと言えば、この力をどう使うかというものだったが、小僧はまたもや意表をついた答えを返してきたのだ。
「まぁ、元の世界に帰ってみてもいいけどね」
「む?」
「魔法、使えばやれるんじゃないか?」
「……確かにそうじゃの」
……信じられないが本気で言っているらしい。
こんな力を手に入れて、なんでこんな答えが出せるのか? ここまで来ると逆に尊敬できる気がしてくるのぅ。
まだよくわかっていないからなのかもしれないが、判断のつかないこいつに、わしはなんだかどっと疲れた。
「……そうじゃな。そんなバカ魔力があれば不可能などあるまいよ」
「だろ? じゃあ帰るかどうかはともかく、いちおう検索してみるよ」
そう言って、目を瞑る小僧は『魔法創造』を今まさに使っているのだろう。この魔法は使用中は結構地味なんじゃ。
わしの場合、瞼の裏に本と目次が現れる。
落ち着かないわしは、小僧が目を開けた瞬間こちらから尋ねた。
「……どうじゃ?」
「マジでか?」
「……どうしたんじゃ?」
「やば……俺、帰れないわ」
小僧が唖然としてわしに告げた言葉は、わしにとっても衝撃的な事実であった。
常軌を逸したこいつの魔力でもまだ到達できない事があるのかと。
ちょっとだけ嬉しかったわけじゃけど……それよりも驚愕の方が上回った。
「なんでじゃ?」
「この魔法、引き出すだけで1000万だってさ……実際使うとなるともっとかも」
「い……」
ひきつる表情を止められない。笑えてくる。本当に笑えてくる話だ。
どうやら魔法というのはわしが考えていた以上にまだまだ先があるらしい。
わしは本当にうぬぼれていたのだなぁと、この時本当に悟ってしまった。
まったく生き返ってみるのもこうなってくるとよかったのかもしれんとさえ思ったほどだ。
「はぁ……どうやら俺は帰れないらしい」
一方、肩落とす小僧の反応を見て、わしは意外と冷静じゃった。
「……ふむ、鍛錬で伸ばすにも少々多すぎるか?」
「……魔力って増えたりするものなの?」
「ああ、もちろんじゃ。訓練すれば増えるぞい。限度というものはあるがな。わしも元々は100ほどじゃったが、五百年かけて1000まで伸ばしたのじゃよ」
アドバイスまで出来たのは我ながら上出来だろう。思ったよりも素直にこちらの言う事を聞く小僧にも、悪い気はせんかった。
しかしこの小僧も、やはり帰れない事実を自ら調べて確信すれば、さすがにのほほんとはしていられないようじゃった。
「帰還の可能性はゼロじゃないけど、限りなく低いか……ひどい話だ」
「ふむ、こちらの世界で暮らすと割り切るのが妥当じゃろうな。だが心配するな、おぬしの存在自体がわしの悲願でもある。こうなったら出来る限りの面倒は見てやるわい。ところでおぬしの名前を教えてもらえるかのう? あの時は聞きそびれてしもうたんじゃ」
「諸悪の根源がよく言うよ。……そういえば俺もあんたの名前を聞いていないかな?」
わしは小僧に笑いかけ、小僧もわしを見てふっと笑みをこぼす。
そうだ、まだ続きがあると言うのならすべてはここから始まる。
まさしく歴史的になるだろう第一歩だったはずなのだが―――ここでまた更なる誤算が出た。
結論から言うとどうやらわしが無茶をした弊害はやはりあったらしい。
よりにもよって不具合が出た翻訳の魔法に……もちろん小僧の視線はきつかった。
「するとなんだ……俺は人の名前を決して覚えられないかわいそうな子なったわけだな?」
「……まぁ要約するとそう言う事じゃな。だがわしの名前だけでも教えておこうかの……どれ」
とりあえず場当たり的に応急処置を施してみたのだが、無駄だったらしい。
「悪い、聞こえない」
「なに? ふむ、やはりちぃとやっかいそうじゃのぅ」
どうやら名前が雑音に聞こえてしまうらしい。
完全に魔法の失敗が原因だけに、わしとしても具合が悪い。
しかし小僧はと言えば、この事に関してはそう問題にしている様子もないらしいのが驚きである。
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「ニックネーム?」
「そう。俺が勝手に名前をつけてそう呼ぶ。早速練習してみようかな? それじゃあ……爺さんの事、これからカワズさんって呼ぶから」
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「うん」
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「蛙」
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さらりと嫌味を織り交ぜてくるタローと、わしは拳で語り合った。
よりにもよって蛙はないじゃろう! まんますぎるわ!
ひとしきり満足するまでやり合ったが意外に早くお互い冷静になった。
というかタローが先に力尽きた。
体力無さすぎじゃろうこいつ?
肩で息をしている弱ったタローを見て、罪悪感が湧いてきたわしは、とりあえずてっとり早く、こちらでの状況を良くしてやろうとある提案をした。
わしの提案はこうじゃ、わしの生前いた国にいったん身を置こうと。
「……なるほど。まぁ確かにそれが一番現実的だろうけど、却下で」
てっきりすぐさま納得するかと思いきや、ほとんど考える間もなく即答とはこれいかに?
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「なんでじゃ?」
それでも呆れながら尋ねてみたが、帰ってきた答えも意味の分からないものじゃった。
「俺のファンタジー勘がささやくんだ、それは死亡フラグだぞ……と」
「なんじゃそら?」
無駄に手を組んでしたり顔なのが腹立つんじゃけど?
するといかにも何かありそうなタローは話を始める。
「いや……俺の世界に『魔法』はないけど、そう言う類のお話って結構あってさ。それをファンタジーモノとかって呼んだりするわけなんだが……その中でもベタなのが何も知らない主人公が時の権力者やら神様やらに目をつけられて巨悪と戦う。そして艱難辛苦を乗り越えながら人間的に成長し、最終的に敵を打倒すると言うストーリーってわけさ」
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「そう、英雄譚。だけどそれこそがまずいんじゃないかと思うんだよ」
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「いいの! 出来ないことを出来ると言うほど俺は勇猛果敢ではない! そもそも英雄になんぞ興味もない! だがしかし、俺にはだれにもまねできない武器がある! 魔法という武器がな! もらい物だけどね!」
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わしの国とて言い寄ってきそうな馬鹿の顔は思い浮かぶのだ、それはぼぼ決定事項と言っていいじゃろう。
そんな連中のからめ手に、まだ何も知らないこいつがうまく立ち回れるだろうか?
わしはタローの顔をちらりと確認する。
「……」
まぁ無理じゃな。絶対無理。
最悪、暴走されたら世界が終わりそうじゃな。
となれば別の方法を考えねばなるまい。
そこで思い付いたのは生前ではありえない発想である。
ならば逆に魔力に敏感な者達の所に行けばいいんではないかと?
そんな都合のいい場所に、残念ながら心当たりがないわけではなかったのだ。
その場所はアルヘイムと呼ばれる、人外達の領域である。
人が本来容易く出入りすることも出来ない広大なその土地には、人間よりよほど魔法的に優れた種族が溢れている。
今なら、本来人間がおいそれとは入れない場所であっても、脅威たりえるだろうか?
またわしはちらりとタローを覗き見る。
「……」
問題ないな。間違いない。
何じゃこの魔力、本気でやばいわ。
ちょっと基本は教えにゃならんだろうが。それでも敵はないだろう。
わしもじっくり行って見たかったんじゃよなアルヘイム。
彼の土地には、人間の領土ではありえない神秘がまだごろごろ転がっているとも聞いている。
生前何度か立ち入った事はあるが、それでも数日間目的地に向かって帰ってくる程度の事しか出来なかった。
だがこのタローと一緒ならば観光気分で歩き回れよう。
わしはなんだかいつの間にか言葉にも活力が出て来たのを感じていた。
「ふむ、ええじゃろ。どうせ拾われた命じゃ、生き返ってまで律儀に生前と同じ事をする必要もあるまい」
「よし! 決定! じゃあどこに行こうか? 国外? 国内?」
「国内でいいんじゃないかの? いったん身を隠して国外に出るのはそれから考えんか? そうと決まれば急いだ方がええじゃろ! まっとれ! 今準備するからの!」
自分の提案が受け入れられたのがうれしかったのかタローの目は童の様に生き生きしていていた。かく言うわしも、胸が高鳴っていたことは否定すまい。
わしらが満場一致で出した結論は逃亡という事になったわけじゃ。
まとめた作戦はシンプルに、この小屋を魔法で吹き飛ばして足跡を消す。わしらはその間に姿を眩ませだけ。
小屋を吹き飛ばすのは魔法の練習もかねてタローの担当である。
これからどうあっても魔法は使わざるを得ないのだから、少しずつその感覚にも慣れてもらわねばならないじゃろう。
そしてわしの担当は自然に逃亡の準備となった。
この後は適当に行方をくらませ、魔法の基礎をタローの奴に叩き込んでから、ゆっくりアルヘイムに向かう、そう言う算段である。
わしはとりあえず足を用意しようと納屋に向かった。
納屋にはここに来る時に使用した馬車が依然としてそこにあった。
馬も当たり前だがそこにいて、大量に用意していたエサを食みながら、鼻を鳴らしている。
短い付き合いだが、この馬の手入れは一人さびしい山小屋生活の一時の清涼剤の様であったものであったのだ。
「ふむ、まさかまたお前の顔を拝むことになるとは思わんかったな」
そう言うと、馬はブヒヒンと大きな歯を見せて笑ったようだった。
足はこいつでいいだろう。
しかしアルヘイムは未開の土地だ、道があるわけではない。
秘境に馬車で突撃するわけにもいかないので、適当な場所で馬と馬車は処分することになる。
どちらにしても短い付き合いである。
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「まったく人の気も知らんで言いたいことを言ってくれるわい、あの小僧め……」
あいつは色々とやらかしてくれたが、わしのわがままに無理矢理付き合わされたかわいそうな若者である。あ奴からしてみればわしのやったことは誘拐同然の所業で、恨まれても無理はない。
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精々、不都合がないように取り計らってやらねば。タローにしてもわざわざ生き返らせた甲斐がなかろうというものである。
「その後は、まぁせっかく手に入れた余生じゃからのぅ……煩わしい事を考えずにのんびりやるのも良かろうよ」
こうなってくるとやりたいことも沢山あることだしのぅ。
口の中で笑いながら、密かに生前よりも遙かに充実しそうな生活に夢を膨らませていた時、それは起きた。
ゾクリとするほどに攻撃的な魔力の波動を外から感じたのである。
未だかつて感じたこともないほどの恐怖を感じて、慌ててわしは納屋の外に飛びだした。
外に転がり出ると、そこには家に狙いを付けているらしいタローの姿がある。
そして今まさに魔法へと変換されつつある、常軌を逸した魔力の嵐もであった。
わしはとにかく止めねばと叫んだ。
「ちょ、おま! 馬鹿か! そんなに込めたら―――」
「へ?」
だが間抜けな声のすぐ後にタローの指先から放たれた炎の魔法は、炎なんて生易しい威力ではなかったのだ。
「いやー、まさか山に穴が空くとか思わないだろう?」
反省というよりは現実逃避に近い台詞であった。
さっそくちょっとイラッっとしたわしも、御者台で握る手綱に思わず力が入ってしまった。
「……普通、山に穴をあけるような失敗はせん」
「……ですよねぇ」
山がなくなった。結果としてわしらはいきなり国外逃亡中の身の上となった。
考えて見れば、こんな常識はずれな奴に常識で物を語ったのが間違っていたことを今更ながらに実感する。
こいつはのんびりなんて言っておられんかったかもしれんのぅ……。
猛スピードで走る馬車の中で、わしは内心今更ながらに直面している問題に焦りを感じておった。
早急に魔力の使い方を教え込まねば、シャレにならないことになりそうだと―――。
うっかりタローが吹き飛ばした山を背に、わしは冷や汗を流す。
人生とはこうも奇想天外になるモノか。
人生を旅に例えるならずいぶんと長く放浪してきたが、まだまだ序の口であったようだ。
きっとここからさらに二転三転することは想像するまでもなく。
きっとこれから何が起こるかは想像することも出来ない。
ただわかっている事は、それでもわしは魔法に理想を追い求めるのだろうとそのくらいのことである。
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