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2巻

2-2

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 俺は魔力を再び隠し、あーっとうなる。

「まぁ大丈夫だろう。うん。意味のある実験だし、女王様もそこまでは怒らないはず」

 それでは最後に、もう一度だけあのモードに戻ってお別れの挨拶をしなければなるまい。
 俺は良い子のみんなに向かい合うとニッコリ笑う。

「魔獣がどれだけ危ないかわかったかな?」

 手を上げてそう言うと、エルエルが同じように手を上げて返事をした。

「はい・わかりました・魔獣と出遭ったときは・武力で制圧・または・魔力を2000前後で威嚇いかくすれば・いいのですね?」
「うん! そうだね!」

 魔獣の対処法としてはちょっと物騒な気はするが、もうなんていうか、エルエルの身の安全が第一なので危なかったらガンガンやってしまいなさい。
 これで語るべきことは語り尽くしたので、俺は手を振ってお別れする。

「それではこれで、タローお兄さんの魔獣講座は終わりだよ! じゃあまったねー!」
「まったねーって、またやる気か!」

 カワズさんの悲鳴にも似たツッコミとエルエルの拍手に見送られて、俺はこの寸劇に幕を下ろす。舞台を降りた俺は、やり遂げた満足感にひたりつつ、お兄さんモードを解除して呟いた。

「ふむふむ、なかなか面白い実験だった。これでダンジョン計画も一歩進められるというもんだ。しかしー……やっぱりあのキャラはさすがに無理があったかな?」

 反省点はたくさんありそうだが、それを考えるのはまたの機会ということにしよう。
 今日の実験は、俺自身が魔獣について知るためだった部分も大きく、それが満たされたというだけでも成功だろう。

「え? もう終わり……なんですか?」

 だが撤収準備を始めようとすると、妙なタイミングで声が掛かる。
 その声を上げたのは、体操のお姉さん改めナイトさんだった。

「え? 終わりですよ、ナイトさん? それが何か?」
「いえ、あの……他にもゴブリンを捕まえてきているのですが」

 ああ、そういうことか。
 どうやらナイトさんは、俺がゴブリンを用意してきてほしいと頼んだもんだから、張りきってたくさん捕まえてきてしまったのだろう。そういえば、捕まえてくる数については何も言っていなかった。

「もう必要ないから、結界の外にでも逃がしてもらえればいいかな」

 妖精郷は一歩外に踏み出せば、魔獣が大量にはびこる樹海だ。ゴブリンが少し増えたところで、どうってことはあるまい。
 ところがどういうわけか、ナイトさんの表情は相変わらず引きつっている。

「いえ、あの……それはさすがにまずいと思います……かなり」
「え? なんで?」

 そう尋ねる俺に、ナイトさんは視線を泳がせて答えた。

「数が……多いので」
「……何匹くらい?」
「……ざっと三百匹ほど」
「さ! 三百!!」

 いくらなんでも張りきりすぎだった。
 俺は頭を抱える。さすがに三百匹は、まとめて野に放つわけにいかないだろう。

「えーっと……なんでそんなに?」
「いえ、魔法の実験に使うという話でしたので、数は多いほうがいいかと……」
「……張りきりすぎちゃったわけだ」
「はい……すみません」

 シュンと落ち込むナイトさんに掛ける言葉が見つからない。

「はっはっは、そうかそうかー……さぁって、どうするかなぁ」

 俺は笑う。
 そして、思い至った。
 確かにゴブリンたちをどうすべきかというのは問題だが、今の俺にはもっと優先すべき問題が差し迫っていると。

「ひとまず、今は用事があるから……ゴブリンのことはナイトさんに任せた!」
「え! いや! ……えぇ!」

 さっと両手を地面について、クラウチングスタートの体勢。
 できれば、あと少し言い訳を考える時間が欲しいところだ。

「さてと……とりあえず逃げるか!」

 背後から感じられたのは、女王様っぽい、まったく隠す気のない全開の魔力。それをひしひしと受けながら、俺は時間を稼ぐべく逃走した。


 後日、「異世界初! 子供向け動画!」ということで、魔獣講座を配信してみたわけだが、評判はなかなかだった。
 スケさんは体操のお姉さんについて熱く語っていたけれど、それは別として……がんばったお兄さんについてのコメントが皆無だったことだけは納得がいかなかった。




「……いやな予感しかしない」

 などと、パソコンの画面越しに呟いたのが、さっきのことである。
 こんな適当なチャットのやりとりを、俺はカワズさんに見せたわけだが、同時に出たため息は完全にリンクしていた。

「めちゃくちゃなことを言ってはこぬと思うぞ? リハーサルも大事じゃ。大事じゃとは思うが……のう?」
「そうなんだよなぁ。とんでもない頼み事はしてこないとは思うんだよ。うん」

 ただ結果的に、薔薇の君ことエルフのおさ、ムーンライト・セレナーデ様の手のひらの上で転がされそうな気がするだけだ。
 俺は考えの袋小路ふくろこうじにはまりそうになって、だが結局、深く考えるのをやめた。

「ま、考えたって仕方ないよね! そうだよリハーサル、俺に最も欠けていた部分だといっていい!」
「ふむ、まぁお前のことなんじゃから、好きにすればええとは思うけど……のう?」
「やめてくれないかな……その最後に妙な間を作っていくスタイル。本当にやめてくれないかな?」

 不安は不安だが、セレナーデ様を信用していないわけじゃない。
 まぁ何とかなるだろうと、俺は割り切ることにした。



   1


 雨が長く続くと憂鬱ゆううつになってくる。
 宿の一室で、勇者はそんな気分にひたっていた。

「どうしました? 勇者様?」

 心配そうな白い少女に、勇者は雨粒のしたたる窓際を見ながらぼんやりと呟く。

「……いや、よく降るなぁと思って」
「にゃはは! まぁこんなときもあるにゃ! 屋根があってよかったにゃ? 私は毛が濡れるのはあんまり好きじゃないにゃ」
「そうだね……」

 ネコミミが明るく笑うのを聞き流して勇者は思う。
 きっと気分が沈んでいるのは、雨だけのせいじゃなくて、冒険が思うように進まず立ち止まっているからだろうと。
 勇者は、自分がそんな悩みを抱えていることに、ほんの少し驚いた。

(昔は雨のときはすごく楽しかったんだけどな……)

 なんとなく幼いときのことを思い出してぼんやりしていると、窓の外がバシャバシャと騒がしいことに気がつく。

「なんだろう? 子供でもはしゃいでるのかな?」

 微笑ほほえましいなと、気まぐれに外の様子をうかがってみると――


「ヒャッホイ! 雨の日はやっぱり最高だな!」
「……恥ずかしいんじゃけど。帰っていいかわし?」
「そう言うなよカワズさん! たまには童心に返ろうぜ! ほら、水たまりバシャバシャ蹴ったりとか! 好きでしょ? 雨?」
「当然のように言うんじゃない! なんじゃ! カエルだからか!」

 そこには、傘も差さずにはしゃぐ太郎と蛙がいた。

「……」

 反射的に、勇者は両手で顔を覆う。

「……めちゃめちゃ知ってる大人だった」

 だが、すぐにハッと気づく。
 こんな、見るからに落ち込んだ様子を見せるのはまずい。
 案のじょう、視線を感じて振り向くと、旅の仲間たちがかわいそうな者を見るような目を向けていた。

「なんだか勇者様が思い悩んでおられるわ……おかわいそうに」
「最近大変だったからにゃあ……そっとしておくにゃ」
「……っ!」

 気を遣われている!
 これはまずいと、勇者は椅子から慌てて立ち上がった。

「ご、ごめん。少し気晴らしに行ってくるよ!」
「え? でも外は雨で……」

 そう言って白い少女が首をかしげると、そんな彼女の肩をネコミミがつかんで止める。

「行かせてあげるにゃ。溜め込むのが一番よくにゃいにゃ」
「そ、そうですわね……」

 やっぱりすごく気を遣われている!
 切ない表情を向ける彼女たちにどうにか物申したい衝動に駆られたが、今は何を言っても徒労に終わりそうだった。

「いや! ええっと! 一人で大丈夫だから!」

 今はひとまず、外に出る口実が欲しい。
 こうして勇者は、多少強引ではあったが、急いで宿の外に走っていった。


     ◇◆◇◆◇


「アッハッハッハッハッハ! やばいな雨! 俺は今フリーダムだ!」
「はしゃぎすぎじゃろ。もうダメじゃなこいつは……」
「なんだろうな……今、すっげー失礼なニュアンスじゃなかった?」

 カワズさんがいまいち乗りきれていないのに対して、俺、紅野太郎は傘も差さずに雨の日を謳歌おうかしていた。
 天高くから降り注ぐ雨の中、空を見上げてたたずむ俺。なんかいい!
 マントはビショビショで、足元はガポガポ音を立てているが、気分だけは爽快そうかいだ。
 俺たちがやって来たここは、ニンフという妖精たちが住む町である。
 人間の町じゃないからといってあなどるなかれ。文明などない人外魔境じんがいまきょうに思われがちなアルヘイムにも、人間の都会に負けないくらいの規模の町はあったりする。
 今いるここなど、二階から三階建ての建物なんかは当たり前、人口もかなり多そうだ。
 雨だということもあって人通りも少ないので、人目を気にする必要はないわけだが――とはいえ、いい加減体が冷えてきた。
 そろそろ雨にはしゃぐのをやめて異文化の町並みを堪能たんのうするのもいいだろう。だからこそ――今必要な物、それは傘である。

「さて、それじゃあ。おふざけはこのくらいにして、メインイベントに移るかな」
「心の底から楽しんでおったくせに」
「メリハリは大事さ。当然だろう?」

 俺はおもむろに一本の傘を取り出す。
 バン! と勢いよく開いた傘は、一見するとただのこうもり傘にしか見えない。
 しかし真っ黒なこいつは、俺が作り出したホビーアイテムの中でも、かなり遊べる一品である。
 もともとこれとは別に一つ、同じ物が作ってあって、それはとある人物にプレゼントしてあるのだが、自分も欲しくなってもう一本作ってしまったのだ。
 そして新しく作ったこいつには、まだ最後のテストが残っている。
 いや、せっかく傘を作ったんだから、きちんと雨を弾くか実験しておこうかと。
 そのついでに童心に返ってみたんだけど……こんな雨の日でも、俺みたいな変なやつを気に掛ける変わり者はいるらしい。
 建物の陰に手が見える。そしてその手は、なぜかこちらに向けて振られていた。

「なんじゃろあれ?」

 カワズさんが額に手をかざし目を細めてそう尋ねてくるが、もちろん俺に心当たりはない。

「……雨の日に出る妖怪じゃないか?」

 俺は思いつきでそう言うと、手の主のほうから飛び出してきた。

「違いますよ!」

 そうして現れた彼は、まぁ、知り合いだったわけだ。

「あ、カニカマ君だ」
「それも違いますよ!!」
「えー」
「こそこそしておった割には、ずいぶん迫力のあるツッコミじゃな」

 カニカマ君というあだ名もまだ駄目なのかーと、生暖かい視線を送る俺とカワズさん。

「そ、そうだった。とにかく、こっちに来てください……」

 叫んではまずかったのか、カニカマ君は周囲を見回してからなぜかまたこそこそしだし、俺たちを手招きしだした。

「なんだろうね?」
「さてなー。じゃが、なんか面白そうじゃな」

 ちなみにカニカマ君は、俺と同じ地球出身者で、勇者をやっている少年である。
 黒髪黒目という特徴は日本人そのものだが、そうとは思えないほど彫りが深く、美少年と言ってしまっていい顔立ちの男の子。
 そんなカニカマ君に従って路地裏に移動する。どうやら彼は怒っているようだ。

「雨の中、何やってんですか!」

 何をやっているんだと聞かれても、そのまま答えるのはさすがに照れてしまう。

「いやぁ、ついついテンション上がっちゃってね」

 そう言って頭を掻く俺に、カワズさんまでも冷ややかな視線を向けてくる。

「割といつものことじゃがのぅ」
「……え? いつもなんですか?」

 失礼な蛙が言わなくてもいいことを言ったせいで、カニカマ君に変な人と思われてしまった。しかしここでうろたえては、それこそ本当に変な人だろう。

「そんなことないって。いつもはもっと常識人目指してる」
「それじゃあ……なんであんなにはしゃいでたんです?」

 大人ぶってみたが、カニカマ君がすごく胡散くさそうに聞いてくる。
 俺は、はしゃいでいるところをばっちり見られていたことに少し落ち込みつつ、カニカマ君にとっておきの傘を見せることにした。

「実はさ、特別な傘を作ったんだ。雨の日に使ってみようと思って楽しみにしていたんだよ」
「……はい?」

 ザックリと説明はしてみたものの、理解を得られた手ごたえはない。
 自分で言ってみてなんだが、改めて今の台詞を吟味ぎんみしてみる。
 そして思った。まるで子供みたいな理由だなと。


     ◇◆◇◆◇


 勇者は、拍子抜けするようなことを聞かされ、逆に胸をなで下ろしていた。
 太郎のことである。何か非常識なことをしていると思ったけれど、取り越し苦労だったようだ。
 そして今、太郎は自慢の傘について饒舌じょうぜつに語っている。

「一見すると何の変哲もない傘なんだけれども、すごく遊べる感じに仕上がっているんだよ」
「……へぇ」

 ただ、説明を聞いているうちに、安心するのは早かったかもしれないと気づいた。

「でも、遊べるっていう割には、黒って地味じゃないですか?」

 なら、あえて死中に飛び込む! 
 そんなふうに勇者が話に乗ってくると、太郎はとびきり嬉しそうに頷いた。

「ま、男物だからね! でもその分効果は加減してない……だからこそ存分に楽しめると思う!」
「……加減?」

 またなんだか、不吉なことを言いだしてきた。
 勇者がそう思っていると、太郎は雨粒がぶつかる音がする傘を掲げて見せてくる。

「まぁとりあえず、傘としての機能は当たり前だとしてだよ」
「はい」
「これを開いて高いところから飛び降りると、こう……ふわふわっとなる」
「ふわふわですか?」
「なんて言うんだろうな? タンポポの綿毛を想像してみるといい。左右にゆっくりと揺れながら風に乗れるって感じ? どれだけ高いところから落ちても大丈夫な安全設計」

 よく意味がわからなかったが、太郎が手のひらでゆらゆらと動きを再現しているのを見て、ようやく彼の言わんとしていることが理解できた。
 この傘は、どうやらパラシュートの代わりになるらしい。
 そもそも太郎なら、傘ではなくパラシュートくらい簡単に作れそうだけど、そこはあまり問題ではないのだろう。

「はぁ……」

 またよくわからないことにこだわりを感じるなぁと、勇者は思った。
 そう言えば昔、傘で高いところから飛び降りたら減速できるんじゃないかと思ったことがある。でも大抵傘が裏返って、その手の妄想は木端微塵こっぱみじんに打ち砕かれるものだ。
 傘じゃ人間の体重は支えられない。小学生ですらそのくらいは知っている。
 今度は、太郎は傘を前に構えると、くるくる回して傘の後ろに亀のように頭を引っ込めた。

「さらにこいつは盾にもなるんだ! 何か飛んできたらこう、スイッチ一つでバッと開いて、バリアーを張る! ちょっときつめの水流くらいじゃ骨が折れたりしなーい!」
「……普通に盾を持てばいいのでは?」
「だがあえて傘でやるでしょ、そこは? まだまだあるぞ? こうやってきちんと折りたたんでだね、なるべく細くするんだ! すると布の部分が高熱と音を発して、まるでビーム剣のようになる! 暗闇では非常灯にもなる明るさだ! ……そそるだろう?」
「そそりません。そう言えば、よく子供が学校帰りにチャンバラして壊してますよね、傘って」
「それは仕方がない……! 棒状の物は人の心を動かすのさ! そのあたり、幼い子供のほうがわかっていると俺は思うね! ああでも推奨すいしょうしているわけじゃないぞ? 怪我すると危ないから!」
「はぁ」

 力説する太郎は、こう言ってはなんだが、子供のような瞳をしていた。
 それからも出るは出るわ、傘には謎機能が満載だった。
 開いて逆さに持つことで電波や音波を受けやすくする機能なんて、電波のないこの世界で何の意味があるのだろう?
 そもそもこの傘自体、何の役に立つのか疑問であるが、多彩な魔法の集大成であることは疑いない。
 話を聞けば聞くほど、勇者は呆れている自分を自覚した。

「――さらにさらに! 疲れたときには杖の代わりにもなる!」
「それは普通の傘でもできるでしょ!!」
「そうですけどー」
「……もういいです」

 ツッコミに疲れた勇者は、一周してなんだかムカムカしてきた。
 不真面目だ。とてつもなく不真面目だ。
 これだけの力があるっていうのに、どうしてこの人は力の使い方がこうもひねくれているのだろう?
 勇者はいつの間にか拳を握りしめていた。
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