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おっさんと海 4

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 浅黒い肌の二十台の前半ほどに見える若い男は、派手な南国の花柄シャツと短パンという格好だが、一般人というには妙に迫力がある。

 彼はなぜだか頭に金色の輪っかのアクセサリーを付けていて、それがずいぶんと印象的だった。

 がっちりとした体格はそれに見合ったパワーもある様で、先ほど店主が持っていた籠よりさらに二回りほど大きな籠に大量の魚を持ってきていた。

 入ってくるなり不機嫌そうな男はさっそくハッチーに文句を漏らす。

「ったく、いい加減にしろよ! 人をこき使いやがって!」

「あっ、ごめんごめん。でも今日はお客さん多いからさ、ちょっと多めに魚とってきてくれって言われてたから。なに? 重かったの?」

「重かったとかじゃねぇよ! だからってなんで俺が人間なんぞの食料調達に勤しまにゃならんのだ!」

「へぇ……そう言う事言っちゃうんだ? スケさんに電話しちゃおっかなー」

「おうおうやってみろ! あいつが来る頃にはお前の全身を氷漬けにしてやんよ!」

「はは! まぁでも助かったわ! ありがとう! 今晩はあんたの好きな海鮮シチューにするから、それで勘弁しといてよ」

「……鍋一杯だからな?」

「わかってるって! 私の豪快さ舐めんなよ!」

 だが話を聞いている限りだと、仲が悪いわけではないらしい。

 男はぶつぶつ言いながらも奥のスペースでひとしきり作業を終えると、思い出したように重大そうなことを言った。

「そういや今日、沖合で船を見たな。なんか帆に骨のマークが入ってた気がしたが」

「それって海賊?」

「ああ、たぶんな。なんかそんなだ」

「それなら海岸行って来てよ! 私が避難の放送入れるから」

「えぇー! 今帰って来たばっかなのにメンドくせぇんだけど!」

「つべこべ言わない!」

 尻を叩かれて、店の外に追いやられる男を目で追って、俺は一時遅れて、ようやく反応できた。

 ……え? いま海賊って言わなかったか?

 随分和やかに話しているから俺は何かの間違いかもしれないとハッチーに話しかけたくらいである。

「ちょ、ちょっと待ってくれ……海賊? あの兄ちゃん戦いに行ったのか? 何なら手を貸すが?」

 こいつは戦闘職の人間としては見過ごせないんじゃないかと、そんな提案をしてみたのだけれど、首をかしげた店主の反応はやはり適当なものだった。

「ああいいのいいの。大丈夫だから。なんならあんた達もあいつについてってみたら? 面白いかもよ?」

「面白い?」

 またわけのわからないことを言うハッチーである。

 どうしようかと決めあぐねていると、俺の袖口が引っ張られてふと傍らを見た。

 そこには何故か黙り込んでいた少年が呆然と立っていて、俺の袖を掴んでいたのだ。

「どうしたんだ?」

 ただ事ではなさそうなので尋ねる俺に、少年はあの人はやばいですと蒼い顔で言ったのだ。



 海岸にサイレンが鳴り響き、ガガッと乱れた音声が大きく海岸に響き渡る。

『あーあー。ただいま海岸沿いに海賊船が接近中です。海に入っている方はすぐに砂浜に避難してくださーい』

 どうやらこの放送とやらも、あのハッチーが行っているらしい。

 聞き覚えのある声で注意は浜辺中に聞こえる音量で鳴り響いていた。

 注意を促すと言うのはいいアイディアなのだろうが、あんな魔法を使える魔法使いはそうはいないだろう。

 俺達は結局あの面倒くさそうに海岸に向かった男に着いて行くことにした。

 ああは言われたが、賊が迫っていると言うのなら手伝えることもあるかもしれないからだ。

 だが非常事態だと言うのに、不思議とギャラリーに慌てる気配はないし、むしろ嬉々としてその場に留まっているようにさえ見えるのだから、理解不能だった。

「みんな落ち着いてますね……」

「うんまぁ、何なんだろうな、この変な雰囲気は?」

 この海岸には緊張感というものが欠如していた。

 普通ならこんなゆるい海岸は、あの手の輩には絶好の鴨だろう。

 何が起こるのかとひとまず様子を見ていると、ハッチーが走ってやってくる。

 そして海岸をひとしきり見て回り安全確認をした後、男の背をバシンと叩いていた。

「そんじゃ、もう一働きお願い!」

「まったくよぅ……いい加減にしねぇとホント喰っちまうぞ?」

「シチューにこないだ貰ったお酒も付けるから!」

「いちいち食い物で釣ろうとすんじゃねぇよ! 心配しなくても……縄張り荒らそうって輩はきっちり追い出してやるよ」

「お願いね! でも別に私は釣ろうとしてるわけじゃないよ。感謝の印だってば!」

「……ふん、どうだか」

 すると鼻を鳴らして男はずんずん波打ち際に向かって歩いてゆく。

 男はまだ遠くの海に浮かんでいる海賊旗を掲げた船を手の平で太陽を遮りながら確認すると、大きく息を吸い込み、胸を逸らした。

 独特の動作に疑問符が浮かぶが、そんなものすぐに吹き飛んでしまう。

 なぜなら男が大きく口を開くと、口元が眩く輝いて、青白い閃光が放たれたからだ。

 その瞬間、身も凍りそうな冷気が、男を中心にして渦を巻いた。

「……こいつは」

「……ひぃ!」

 俺は不意打ちで寒さのあまり腕を抱く。

 閃光は海をまっすぐ飛んで船を打ち抜くと、真っ白い霧が海を包んだ。

 男の口から放たれた閃光の威力は絶大で、海賊船は波ごと氷の柱に閉じ込められていたのだ。

 俺達はとんでもない威力に唖然としていた。

 ハッチーに視線で説明を求めてしまったが、驚いている俺達を見て彼女はぱちくりと瞬きをしながらあまりにも普通に言った。

「あれ? 言ってなかったっけ? あいつが噂の海竜だよ?」

「聞いてないよ!」

「……あ、あれが竜なんですか」

 少年の声は震えていたが、今なら俺にも少年がビビるのもよくわかる。

 今だ氷の上には冷気の霧が滑って流れていて、夏の海がそこだけ切り取ったかのように雪国みたいになってしまうのだから力のスケールが違いすぎる。

 少年は魔力にいいセンスを持っていて、きっと竜の膨大な魔力を肌で感じ取っていたのだろう。

 これだけのことをやってのけた竜はと言えば、ほんの雑事をこなした程度という風で腰に手を当てて満足げだった。

「はいよ、これでいいんだろ? お前、ホント酒忘れんなよ?」

 だがこれだけ非常識な光景を前にしても、目の前のハッチーは呆れたようにあくまでこの竜に対して強気なのである。

「いやいやよくないよ! やりすぎじゃん! この後全員縛り上げて憲兵さんに引き渡さなきゃなんないのに! あいつら生きてんの!?」

「知るかよ! そんなん! なんで俺が人間なんかを気遣ってやらにゃならんのだ!」

「人間じゃなくっても私達を気遣いなさいよ! もう! あんたも手伝ってよね!」

「だからなんで俺が!」

 なんだかテンポのいいやり取りが、一見すると痴話げんかの様に見えてきた。

 だから、俺は勘違いしてしまったのだろう。

「あ、あんたが、本当に竜なのか?」

 相手がまるで人間であるかのように話しかけてしまったわけだ。

 だが思わず声をかけてから、後悔することになった。

「あぁん? 口のきき方に気を付けな人間? 氷漬けにして食っちまうぞ?」

「……!!」

 軽く睨まれただけに過ぎない。

 だと言うのに彼の発する一言一言に体の細胞が委縮していた。

 少年など今にも漏らしそうな顔をしていて、こういう時は魔力なんてものを感じ取れなくてよかったとさえ思った。

「こら! もう! お客さん脅すなっていつも言ってんでしょ!」

「ぎやあああああ! 痛い痛い痛い痛いって言ってんだろ! お前な! 冗談だ! ちょっとからかってやるつもりだったんだ!」

 ……だと思ったんだが。

 いきなり頭を押さえてのた打ち回り始めた男を見ていると、勘違いんだったんじゃないかと感じてしまうけれども。

 状況が理解出来ずに固まる俺達に、ハッチーはにこやかに謝っていた。

「もう! ごめんね? こいつ人見知りが激しいから」

「ぐっ……くそ」

 ハッチーが視線を逸らすと頭を押さえていた竜は涙目だが比較的落ち着いて立ち上がる。

 彼がそうなった原因は明白だろう。

「何を……したんだ?」

 恐々、ハッチーが魔女だったらどうしようかと尋ねてみると、彼女はちょっと得意げに自分の鉢巻を指して言った。

「ああ、これ? ふっふん。すごいっしょ? このハチマキをしてると、あいつの金の輪っかをいつでも締め上げられるんだ。結構痛いらしいよ? おかげでハッチーが定着しちゃったけどね!」

「結構じゃねぇよ! アホほど痛いわ! 冗談じゃねぇんだからそいつを気軽に使うの本当にやめろよな!」

「それならあんたも一々お客に突っかかるのやめなさいよ。あんたがすごんだら冗談じゃ済まないんだからね?」

 まぁ確かに冗談じゃなかった。

 さっきの一撃を見た後ならなおさらだろう。少年も相当怖かったらしく小刻みに頷いている。

 だけどこの竜はじっと店主の顔を見て、呻いた後。

「……いやだ」

 不用意な事を言うもんだから、その後締められるニワトリみたいな悲鳴が響き渡ったのだった。



「ごめんねお客さん? なんかごちゃごちゃしちゃって。でも運がいいよ、こいつが戦うとこなんてなかなか見られないよ?」

「そ、そいつはラッキーだったカナ……?」

 いやいや、そう言う問題じゃないくらいとんでもないものを見ている気がするのだが。

 日常風景というやつは自分達ではおかしいと気が付きづらいものなのかもしれない。

 俺は思った。

 きっと触れない方がいいのだろう。というか触れたくない。

 何かの間違いでちょっとしたバランスを崩したら最後、俺もまた海の藻屑となりそうだ。

 そっと彼らの日常を傍観する態勢に入った俺達はしかし息つく暇もなく、次の事件に巻き込まれる。

「きゃぁああ!」

「動くんじゃねぇ!」

 俺達から少し離れた所でギャラリーから悲鳴があがっていたが、正直な話色々ありすぎてそのくらいでは動じなくなっていた俺がいた。
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