106 / 183
連載
蛙の君
しおりを挟む
「ねぇねぇ! タロタロ!『湖畔の貴婦人』さんって誰か知らない!」
とある日、夕飯が終わりのんびりしていた時、唐突にトンボが出した話題の反応はまちまちだった。
太郎はキョトンとした顔でトンボに視線を送り、お茶を飲んでいたナイトさんは特に気にした様子もない。
カワズさんは一人黙々と怪しげな魔法陣をいじり倒していて、そもそもあまり聞いていないようだった。
「……知らないけど?」
太郎が答える。するとトンボは残念そうに肩を落とした。
「そっかー。って! タロ、パソコンの管理人でしょ! なんで知らないの!」
「いや……全部のユーザー把握とか、そんな事してないし」
太郎はパソコンを作り出した魔法使いとして名を知られている。しかし作ったからといって、プライバーシーの保護は必須である。
そこでようやくトンボは納得してあきらめたらしい。
「そうなんだー……。知ってたらみんな喜んだのに。最近友達にものすごく聞かれるんだ、『湖畔の貴婦人』さんって誰?って」
「へぇ? そんなに有名なんだ?」
またしても聞きなれない名前に太郎が尋ねると、トンボは大げさに手を広げて頷いた。
「うん! 好きな子結構いるみたい! お話を自分のブログで上げてるんだけど、正体は謎に包まれてるんだって!」
それはそうだろう、ブロガーは基本匿名である。
しかしブログに物語を上げるとは。
この世界では間違いなく画期的な部類に入る行為は、着実に注目を集めていると言うわけだ。
そんなことまで始まった異世界のネット事情に、太郎は感慨深げに頷いていた。
「おお~。ついにそんな人まで現れたか。そう言うことなら俺もちょっと気になるけど……カワズさんなんか知ってる?」
「ちょっと待て! 今いいところじゃから! 奥義 “蛙天昇波”専用魔法陣が完成するところなんじゃ……!」
「……カワズさんが一体どこに向かおうとしているのか最近俺にも見えないよ。なに? 世紀末覇者にでもなりたいの?」
カワズさんは、やはり言葉にしても胡散臭い研究の手が離せないらしい。
これはダメだと太郎は早々に諦めた。
この時カワズさんの頭には、実はある顔が頭をよぎっていたが、それだけだった。
「それで? どんな内容?」
「そうそう! それがね!」
太郎が仕切り直してそう尋ねると、トンボは楽しそうに話し始める。
しかしトンボが笑顔で発した言葉は確実に食卓に波紋を落とすことになった。
「湖の畔にひっそりと建つお屋敷の令嬢と、美しい騎士達のハイトク的な日々を綴ったお話!」
太郎は厳しく表情を変え。ナイトさんはお茶を噴き出す。
そしておもむろに最初に反応を示したのは太郎である。
「ほほう……背徳的ってトンボちゃん……そいつはエロイのかい?」
「まあ、エロイですよ。全部じゃないけど」
「……その質問は露骨すぎるのでは?」
ナイトさんの冷ややかなツッコミに太郎は若干狼狽えていたが、言い訳はトンボちゃんの演説にさえぎられてしまった。
「まぁでも。これが読んでみると面白いんだよねー。美しい騎士達は日々、命を狙われるお嬢様を守ってるうちにね? お互いに惹かれあっていっちゃったりするのね?」
「……うぉおい! エロってそっちかよ! まさか山なし、オチなし、意味なしとか言うんじゃないだろうな!」
「どれもあるんじゃない? だから面白いんだってば。特に女の子達の間で相当はやっててね! コメントも毎日すごいことになってるって!」
過剰反応する太郎にトンボは怪訝な顔をするが、太郎はもどかしそうにしばらく葛藤した後、ため息交じりに諦めたらしい。
「ぬぐ……腐ってやがる、早すぎたんだ。まぁ、なんつうかスケさんが中心で配っている手前、パソコンユーザーの女性率高めだからなぁ……」
こっそりと太郎が俺のせいじゃないと三度ほど呟いたのを、カワズさんは耳に入れていた。
「でもでも! ちゃんと男女の恋愛もあるから、男の子でも楽しめると思うよ? 基本、騎士はみんなお嬢様好きだし!」
「へー……。うん、まぁ新たな文化が芽吹くのは悪いことではないはず……いや、でも、しかし」
トンボちゃんのはずむ声を聴いているうちに、太郎は葛藤が見え隠れするものの新たなジャンルが開拓されるのは悪い事じゃないと開きなおったようである。
そんな太郎の態度に気をよくしたトンボちゃんはさらに饒舌になった。
「でもね、ちょっとわたし的に気になることがあるんだよね」
「何それ?」
「うん、それがね? お嬢様がピンチの時に必ず助けに来る『蛙の君』ってキャラクターがいるんだよね」
「蛙とはまたマニアックな……」
だがその名前を聞いた太郎は、ん?っと片眉を上げる。
カワズさんもピクリと「蛙」という言葉に反応した。
トンボは太郎の表情を確認してクククと笑い。矢継ぎ早にその『蛙の君』とやらの事を説明し始める。
「名前の通り大きなカエルみたいなキャラなんだけどね。最初はお嬢様も醜い蛙ってバカにしてたの。でも本当に危ない時には身を挺して自分を助けてくれる蛙の姿にちょっとドキドキしちゃったりしてるわけ!」
「へー……その蛙の君とやらは、なぜか重要ポジションを与えられているわけだ……ナンデダロウネ?」
「そうなんだよねー。作品最大の謎ダヨー」
とってつけた様な台詞が白々しい。
チラチラと太郎の視線が動く。
トンボのそれもだいたい似たようなものだった。
ナイトさんもなんとなく説明の意図するところを察したのか、さりげなくカワズさんに視線を送っている様だった。
カワズさんは視線を回避するため、いじっている魔法陣に没頭しようとするが、効率が上がったことで完成間近だった魔法陣は無情にも完成してしまった。
「……」
「とにかく美形の騎士そっちのけでいいとこかっさらうからね『蛙の君』。チャットで毎日論争だよ。さすがに蛙はないとか。でもこの蛙の内面に引かれているからこそ、周りの騎士達の誰に最終的になびくかわからなくなって面白い! とか。
うちの女王様はお嬢様のキスで蛙の君の呪いが解けて美少年に戻る展開を推してる」
「楽しんでるなぁ……ってか女王様多趣味だね」
「おかげで、未だかつてないほど妖精郷は活気にあふれてるよ?」
「そりゃあ結構な事なんだろうけど」
女王様の動向の方に食いついた太郎を、トンボちゃんはまぁまぁと両手で制す。
「まぁいいよ。このまま女王様の行く末について語らうのも面白そうだけど、今はいいよ」
「……ほんとに貴女は命知らずですね」
ただ自分達の女王を何の呵責もなく肴にするトンボに呆れるナイトさん。
どうやら都合の悪いことは聞こえないトンボは、腕を組んだままテーブルの上に着地すると、意味ありげに人差し指を立てて歩き回る。
「それよりはっきりさせたいのは『湖畔の貴婦人』さんの正体を知っているであろう人物だよ」
回りくどく本題に入ったらしいトンボに、太郎も相槌を打った。
「まぁ、スケさん達が配ってないのなら、俺達の誰かが知っているだろうね」
「そう……そして湖畔の貴婦人さんがこの小説を始めたのが割と最近だっていう所も大事だよね。最近タロは旅をしたかな?」
「いや、残念ながら。でも一台パソコン置いて来たって話は聞いた気がするなぁ」
誰に投げた言葉なのか、太郎のセリフは棒読みである。
するとトンボちゃんがピタリと歩みを止め、推理風に自分の額を指先で小突く。
絶妙なタイミングでガシャリと照明がトンボを照らしたのは、完全に悪ふざけ以外の何物でもなかった。
「わたしもね、女王様から情報をいただいては来ていたのさ。でもこういう画期的なネタを提供するのは誰かさんが一番有力なんじゃないかって説があったのがタロなんだけど……」
だがそう告げられた瞬間、スポットライトが消えてなくなってしまった。
割と鋭く聞きとがめたのは太郎だ。
「……ちょっと待った? 誰が誰だって?」
「だからタロが『湖畔の貴婦人説』がひっそりと囁かれていたのですよ」
「そ、そんなばかか! お、俺は女の人が好きだからな! 本当だからな!」
あらぬ疑惑にあまりに動揺しすぎた太郎は、何を思ったか近くにいたナイトさんに抱き着いた。
「~~~ぎゃぁ!!」
そして不意打ちを食らったナイトさんはいきなりの事態に完全に頭がショートした。
がたりと無理にその場を飛び退くと足を滑らせて、テーブルの角に頭をぶつけたのだ。
「ナイトさんが死んだ!」
「すんません! 大丈夫!?」
驚くトンボちゃん。
太郎も咄嗟に助けられなかったのは、悲鳴がショックだったからじゃない。
断じてである。
しばらく机に崩れたナイトさんは突っ伏したまま動かなかったが、そのまま数秒後、どうにか力なく手を振っていた。
「い、いえ。これしきのこと……大したことではないので、私の事は放っておいてお話をどうぞ……」
その手はどうか放っておいてほしいと言っているようだったので、トンボちゃんはやれやれ話を続けた。
「……そう言うわけで。さっきの感じからタロは白としよう。今の混乱具合でまた怪しくなっちゃったけど」
「……もう勘弁してくれ」
「まぁいいよ。で、第二の候補だよね。実はこっちがわたしの本命なんだ。ついこの間、女王様の所に文献を見せてくれと尋ねてきた人物。彼が持って行ったのは湖の文献。さらに言うならちょうどその文献を借り受けて冒険に行った前後から、この物語は始まった……」
「……もうなんかよくね? 蛙の君なんて露骨な名前付いてんだから、絶対カワズさんがなんか知ってるって」
「あぁん! もう! タロの意地悪ぅ!」
「さっきのお返しです」
ぺろりと舌をだしてトンボと戯れる太郎はその漫才を早々に切り上げる。
そして一転して二人で息を揃えると、今度は興味津々でカワズさんに詰め寄った。
「で?」
「どうなの?」
太郎とトンボは好奇心で輝く宝石の様な瞳であった。
カワズさんがちらりと振り返るが、相手にしたくない類のそれだとそう思うくらいには暑苦しい。
「……どうと言われてものぅ」
口元を押さえるカワズさんは悩んだ風に言葉を選んだ。
まぁここまでくればだいたい察しはつく。
実体験に基づいた物語はさぞかしリアリティがある事だろう。
だが誰かは察しがつくものの、なんで自分が『蛙の君』なんてことになっているかなど皆目見当もつかなかった。
何かインスピレーションの元になったのは確かだろうが……。
カワズさんの視界にはニヤニヤと下品に笑う二人組の顔が映る。
その表情は、まぁお世辞にも愉快にとはいかない顔だった。
カワズさんはそんな二人の顔を眺めた後、やっとすくりと立ち上がる。
「……えーっとのぅ、タローや? ちょっとそこに立ってくれるかの?」
「「うんうん!」」
「蛙天昇波!!!」
「ぬぐお!」
瞬間、不意打ちで恐ろしい威力を秘めた掌打が、見えないほどの速さで太郎に叩き込まれた。
衝撃を余すことなく伝え、体内で乱反射させる特殊な魔法を組み込んだ一撃は、常人には必殺の一撃となること請け合いだ。
もちろん実験台になった太郎には無駄だが、それでもその体を浮かせ、トンボちゃんを器用に巻き込んだ威力は申し分ない。
カワズさんはふぅと息をつき、破壊力に満足すると、懐のメモに『威力大、ただし使用は太郎に限る』と注意書きを書きこんでおく。
そしてさっと手を上げて感謝を告げた。
「実験台感謝じゃ! それと湖畔の貴婦人じゃったかのう? そのことはわしゃよう知らんよ? じゃあこの話終わりっつーことで!」
カワズさんがとった策は、『うやむやにして逃亡』の一手である。
「今のはやばいだろう! 俺じゃなかったら死んでたぞ!」
「……ちぃ、逃げられたか」
復活した太郎が文句を言った。
目を回したトンボはその逃亡する背中を見送ると、悔しげに唸っていた。
しばらくして洗い物が終わったクマ衛門が戻って来たが、そんな惨状を見て。
「がう?」
と、首をかしげたのも無理からぬ事である。
とある日、夕飯が終わりのんびりしていた時、唐突にトンボが出した話題の反応はまちまちだった。
太郎はキョトンとした顔でトンボに視線を送り、お茶を飲んでいたナイトさんは特に気にした様子もない。
カワズさんは一人黙々と怪しげな魔法陣をいじり倒していて、そもそもあまり聞いていないようだった。
「……知らないけど?」
太郎が答える。するとトンボは残念そうに肩を落とした。
「そっかー。って! タロ、パソコンの管理人でしょ! なんで知らないの!」
「いや……全部のユーザー把握とか、そんな事してないし」
太郎はパソコンを作り出した魔法使いとして名を知られている。しかし作ったからといって、プライバーシーの保護は必須である。
そこでようやくトンボは納得してあきらめたらしい。
「そうなんだー……。知ってたらみんな喜んだのに。最近友達にものすごく聞かれるんだ、『湖畔の貴婦人』さんって誰?って」
「へぇ? そんなに有名なんだ?」
またしても聞きなれない名前に太郎が尋ねると、トンボは大げさに手を広げて頷いた。
「うん! 好きな子結構いるみたい! お話を自分のブログで上げてるんだけど、正体は謎に包まれてるんだって!」
それはそうだろう、ブロガーは基本匿名である。
しかしブログに物語を上げるとは。
この世界では間違いなく画期的な部類に入る行為は、着実に注目を集めていると言うわけだ。
そんなことまで始まった異世界のネット事情に、太郎は感慨深げに頷いていた。
「おお~。ついにそんな人まで現れたか。そう言うことなら俺もちょっと気になるけど……カワズさんなんか知ってる?」
「ちょっと待て! 今いいところじゃから! 奥義 “蛙天昇波”専用魔法陣が完成するところなんじゃ……!」
「……カワズさんが一体どこに向かおうとしているのか最近俺にも見えないよ。なに? 世紀末覇者にでもなりたいの?」
カワズさんは、やはり言葉にしても胡散臭い研究の手が離せないらしい。
これはダメだと太郎は早々に諦めた。
この時カワズさんの頭には、実はある顔が頭をよぎっていたが、それだけだった。
「それで? どんな内容?」
「そうそう! それがね!」
太郎が仕切り直してそう尋ねると、トンボは楽しそうに話し始める。
しかしトンボが笑顔で発した言葉は確実に食卓に波紋を落とすことになった。
「湖の畔にひっそりと建つお屋敷の令嬢と、美しい騎士達のハイトク的な日々を綴ったお話!」
太郎は厳しく表情を変え。ナイトさんはお茶を噴き出す。
そしておもむろに最初に反応を示したのは太郎である。
「ほほう……背徳的ってトンボちゃん……そいつはエロイのかい?」
「まあ、エロイですよ。全部じゃないけど」
「……その質問は露骨すぎるのでは?」
ナイトさんの冷ややかなツッコミに太郎は若干狼狽えていたが、言い訳はトンボちゃんの演説にさえぎられてしまった。
「まぁでも。これが読んでみると面白いんだよねー。美しい騎士達は日々、命を狙われるお嬢様を守ってるうちにね? お互いに惹かれあっていっちゃったりするのね?」
「……うぉおい! エロってそっちかよ! まさか山なし、オチなし、意味なしとか言うんじゃないだろうな!」
「どれもあるんじゃない? だから面白いんだってば。特に女の子達の間で相当はやっててね! コメントも毎日すごいことになってるって!」
過剰反応する太郎にトンボは怪訝な顔をするが、太郎はもどかしそうにしばらく葛藤した後、ため息交じりに諦めたらしい。
「ぬぐ……腐ってやがる、早すぎたんだ。まぁ、なんつうかスケさんが中心で配っている手前、パソコンユーザーの女性率高めだからなぁ……」
こっそりと太郎が俺のせいじゃないと三度ほど呟いたのを、カワズさんは耳に入れていた。
「でもでも! ちゃんと男女の恋愛もあるから、男の子でも楽しめると思うよ? 基本、騎士はみんなお嬢様好きだし!」
「へー……。うん、まぁ新たな文化が芽吹くのは悪いことではないはず……いや、でも、しかし」
トンボちゃんのはずむ声を聴いているうちに、太郎は葛藤が見え隠れするものの新たなジャンルが開拓されるのは悪い事じゃないと開きなおったようである。
そんな太郎の態度に気をよくしたトンボちゃんはさらに饒舌になった。
「でもね、ちょっとわたし的に気になることがあるんだよね」
「何それ?」
「うん、それがね? お嬢様がピンチの時に必ず助けに来る『蛙の君』ってキャラクターがいるんだよね」
「蛙とはまたマニアックな……」
だがその名前を聞いた太郎は、ん?っと片眉を上げる。
カワズさんもピクリと「蛙」という言葉に反応した。
トンボは太郎の表情を確認してクククと笑い。矢継ぎ早にその『蛙の君』とやらの事を説明し始める。
「名前の通り大きなカエルみたいなキャラなんだけどね。最初はお嬢様も醜い蛙ってバカにしてたの。でも本当に危ない時には身を挺して自分を助けてくれる蛙の姿にちょっとドキドキしちゃったりしてるわけ!」
「へー……その蛙の君とやらは、なぜか重要ポジションを与えられているわけだ……ナンデダロウネ?」
「そうなんだよねー。作品最大の謎ダヨー」
とってつけた様な台詞が白々しい。
チラチラと太郎の視線が動く。
トンボのそれもだいたい似たようなものだった。
ナイトさんもなんとなく説明の意図するところを察したのか、さりげなくカワズさんに視線を送っている様だった。
カワズさんは視線を回避するため、いじっている魔法陣に没頭しようとするが、効率が上がったことで完成間近だった魔法陣は無情にも完成してしまった。
「……」
「とにかく美形の騎士そっちのけでいいとこかっさらうからね『蛙の君』。チャットで毎日論争だよ。さすがに蛙はないとか。でもこの蛙の内面に引かれているからこそ、周りの騎士達の誰に最終的になびくかわからなくなって面白い! とか。
うちの女王様はお嬢様のキスで蛙の君の呪いが解けて美少年に戻る展開を推してる」
「楽しんでるなぁ……ってか女王様多趣味だね」
「おかげで、未だかつてないほど妖精郷は活気にあふれてるよ?」
「そりゃあ結構な事なんだろうけど」
女王様の動向の方に食いついた太郎を、トンボちゃんはまぁまぁと両手で制す。
「まぁいいよ。このまま女王様の行く末について語らうのも面白そうだけど、今はいいよ」
「……ほんとに貴女は命知らずですね」
ただ自分達の女王を何の呵責もなく肴にするトンボに呆れるナイトさん。
どうやら都合の悪いことは聞こえないトンボは、腕を組んだままテーブルの上に着地すると、意味ありげに人差し指を立てて歩き回る。
「それよりはっきりさせたいのは『湖畔の貴婦人』さんの正体を知っているであろう人物だよ」
回りくどく本題に入ったらしいトンボに、太郎も相槌を打った。
「まぁ、スケさん達が配ってないのなら、俺達の誰かが知っているだろうね」
「そう……そして湖畔の貴婦人さんがこの小説を始めたのが割と最近だっていう所も大事だよね。最近タロは旅をしたかな?」
「いや、残念ながら。でも一台パソコン置いて来たって話は聞いた気がするなぁ」
誰に投げた言葉なのか、太郎のセリフは棒読みである。
するとトンボちゃんがピタリと歩みを止め、推理風に自分の額を指先で小突く。
絶妙なタイミングでガシャリと照明がトンボを照らしたのは、完全に悪ふざけ以外の何物でもなかった。
「わたしもね、女王様から情報をいただいては来ていたのさ。でもこういう画期的なネタを提供するのは誰かさんが一番有力なんじゃないかって説があったのがタロなんだけど……」
だがそう告げられた瞬間、スポットライトが消えてなくなってしまった。
割と鋭く聞きとがめたのは太郎だ。
「……ちょっと待った? 誰が誰だって?」
「だからタロが『湖畔の貴婦人説』がひっそりと囁かれていたのですよ」
「そ、そんなばかか! お、俺は女の人が好きだからな! 本当だからな!」
あらぬ疑惑にあまりに動揺しすぎた太郎は、何を思ったか近くにいたナイトさんに抱き着いた。
「~~~ぎゃぁ!!」
そして不意打ちを食らったナイトさんはいきなりの事態に完全に頭がショートした。
がたりと無理にその場を飛び退くと足を滑らせて、テーブルの角に頭をぶつけたのだ。
「ナイトさんが死んだ!」
「すんません! 大丈夫!?」
驚くトンボちゃん。
太郎も咄嗟に助けられなかったのは、悲鳴がショックだったからじゃない。
断じてである。
しばらく机に崩れたナイトさんは突っ伏したまま動かなかったが、そのまま数秒後、どうにか力なく手を振っていた。
「い、いえ。これしきのこと……大したことではないので、私の事は放っておいてお話をどうぞ……」
その手はどうか放っておいてほしいと言っているようだったので、トンボちゃんはやれやれ話を続けた。
「……そう言うわけで。さっきの感じからタロは白としよう。今の混乱具合でまた怪しくなっちゃったけど」
「……もう勘弁してくれ」
「まぁいいよ。で、第二の候補だよね。実はこっちがわたしの本命なんだ。ついこの間、女王様の所に文献を見せてくれと尋ねてきた人物。彼が持って行ったのは湖の文献。さらに言うならちょうどその文献を借り受けて冒険に行った前後から、この物語は始まった……」
「……もうなんかよくね? 蛙の君なんて露骨な名前付いてんだから、絶対カワズさんがなんか知ってるって」
「あぁん! もう! タロの意地悪ぅ!」
「さっきのお返しです」
ぺろりと舌をだしてトンボと戯れる太郎はその漫才を早々に切り上げる。
そして一転して二人で息を揃えると、今度は興味津々でカワズさんに詰め寄った。
「で?」
「どうなの?」
太郎とトンボは好奇心で輝く宝石の様な瞳であった。
カワズさんがちらりと振り返るが、相手にしたくない類のそれだとそう思うくらいには暑苦しい。
「……どうと言われてものぅ」
口元を押さえるカワズさんは悩んだ風に言葉を選んだ。
まぁここまでくればだいたい察しはつく。
実体験に基づいた物語はさぞかしリアリティがある事だろう。
だが誰かは察しがつくものの、なんで自分が『蛙の君』なんてことになっているかなど皆目見当もつかなかった。
何かインスピレーションの元になったのは確かだろうが……。
カワズさんの視界にはニヤニヤと下品に笑う二人組の顔が映る。
その表情は、まぁお世辞にも愉快にとはいかない顔だった。
カワズさんはそんな二人の顔を眺めた後、やっとすくりと立ち上がる。
「……えーっとのぅ、タローや? ちょっとそこに立ってくれるかの?」
「「うんうん!」」
「蛙天昇波!!!」
「ぬぐお!」
瞬間、不意打ちで恐ろしい威力を秘めた掌打が、見えないほどの速さで太郎に叩き込まれた。
衝撃を余すことなく伝え、体内で乱反射させる特殊な魔法を組み込んだ一撃は、常人には必殺の一撃となること請け合いだ。
もちろん実験台になった太郎には無駄だが、それでもその体を浮かせ、トンボちゃんを器用に巻き込んだ威力は申し分ない。
カワズさんはふぅと息をつき、破壊力に満足すると、懐のメモに『威力大、ただし使用は太郎に限る』と注意書きを書きこんでおく。
そしてさっと手を上げて感謝を告げた。
「実験台感謝じゃ! それと湖畔の貴婦人じゃったかのう? そのことはわしゃよう知らんよ? じゃあこの話終わりっつーことで!」
カワズさんがとった策は、『うやむやにして逃亡』の一手である。
「今のはやばいだろう! 俺じゃなかったら死んでたぞ!」
「……ちぃ、逃げられたか」
復活した太郎が文句を言った。
目を回したトンボはその逃亡する背中を見送ると、悔しげに唸っていた。
しばらくして洗い物が終わったクマ衛門が戻って来たが、そんな惨状を見て。
「がう?」
と、首をかしげたのも無理からぬ事である。
0
お気に入りに追加
2,040
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺と蛙さんの異世界放浪記~八百万ってたくさんって意味らしい~
くずもち
ファンタジー
変な爺さんに妙なものを押し付けられた。
なんでも魔法が使えるようになったらしい。
その上異世界に誘拐されるという珍事に巻き込まれてしまったのだからたまらない。
ばかばかしいとは思いつつ紅野 太郎は実際に魔法を使ってみることにした。
この魔法、自分の魔力の量がわかるらしいんだけど……ちょっとばっかり多すぎじゃないか?
異世界トリップものです。
主人公最強ものなのでご注意ください。
*絵本風ダイジェスト始めました。(現在十巻分まで差し替え中です)

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。