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おっさんの冒険(下)

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 月明かりが照らす夜には夜の魔力が満ちているという。

 普段は草も生えず、ただ空虚な静けさが時を止めたように居座る荒れ地は、太陽が沈むと真の姿を浮かび上がらせる。

 土から一本、また一本と白い腕が飛び出すそれは、すべてが白骨だった。

 この土地は呪われている。

 古戦場だったと伝えられているその場所を訪れ、二人は不気味極まりない様子を覗き見る。

 俺は連れて来た今回の相棒を覗き見ると、顔色は青ざめ、尋常じゃない震え方をしていて、やっぱり失敗だったかもしれないとちょっとだけ思った。

「……なんですかあれは!」

 涙目でしかし小声で尋ねてくる少年は思ったよりも元気である。

 俺はそんな少年に小声で返した。

「まぁ、アンデットだなスケルトンっていう」

 アンデットとは、死者の魂が魔獣化した姿だと言われている。

 色々と種類もいるが、まぁ得体のしれない魔獣だ。

「それはわかりますけどぉ……」

 ビビりまくっているその気持ちはわかる。

 が、俺から言わせれば舌なめずりでもして嬉々として武器に手を掛けて欲しい場面だった。

「ここいらには何故か、満月の晩にこいつらが湧いて出る。だから滅多に人が近づかない穴場なのさ」

「……そりゃあ近づきたくもないと思いますけど」

 そこら中を徘徊してまわっている白骨を見てそう言う少年だが、その認識は間違いだ。

「おいおい、こいつらスケルトンは新人が経験を積むには悪くない相手なんだぜ?」

 俺がそう言うと、少年は露骨に信じていない顔だったが本当なのだ。

「……そうなんですか?」

「ああ。アンデットってのは死んだ生き物がなんやかんやで魔獣化したもんなわけだが、スケルトンは基本的に弱い。肉がないからな。パワーもスピードも普通の人間よりもかなり控えめだ」

 奴らは本来筋肉でやるそれを、魔法というか呪いで代用しているわけだが、見た目で分かる通り完全とは言い難い代物だ。

「で、でも。骸骨の恐ろしい化け物って結構聞いたことがありますよ?」

 少年の言う通り、確かにそう言う魔獣も存在する、だがそれはごく一部にすぎない。

「やばいのはそうホイホイいるもんじゃねぇよ。いいか? よく考えろよ? こいつらスケルトンは第一に数が多いのが厄介な所だ。いくらでもぞろぞろ出てくる。だが逆に言うと一体ずつ戦うように心がければ怖くないって事だ。次にスライム同様核になっている部分があるんだが、そこを突けば結構あっさり倒せる」

 もちろんリスクが高いことは認めよう。いうほど弱くはないしコツもいるが、その辺りは気合いでカバーだ。

 そんなおおざっぱな部分をなんとなく察したのか、少年は青い顔をしたままだった。

「……精神的な問題も多そうですけど」

「だろうな。だがあの強面相手に戦えれば勝負度胸がつくってもんだ。だからこいつは俺の秘密の特訓法なんだ。誰にも言うなよ?」

「自分で考えたんですか!?」

「そうだよ? でも絶対油断するな? 弱いといっても人くらい殺せる。恐怖に負けたらあいつらの仲間入りだぞ?」

「……それってまずいじゃないですか!」

「まずくない戦場はない。怖くなったなら帰ってもいいけどな?」

 さぁどうすると、俺は視線だけで尋ねる。

 すると少年は自分の剣を握りしめ、急に表情を引きしめると、自分を鼓舞するように言い切った。

「……全然! 大丈夫です!」

「……膝震えてるぞ?」

「武者震いです! 燃えてきます!」

「そうか……そいつはいい」

 ならば、上等である。

 精々地獄に首を突っ込んで、この苦境をバネに生き残って欲しい。

「受けた仕事ってスケルトンの討伐だったんですね。倒した分は僕の取り分にしてもらいますから!」

 飛び出す寸前、やけっぱち気味に少年が叫んでいたが、それは勘違いだ。

「いいや違うよ。仕事の内容は、ここいらで正体不明の魔獣が出たって噂を確かめてほしいんだと。実地調査って奴かね? 魔獣の情報ってのはこまめに調査しとかないと、やばいのが居ついたりするからな」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。つまりこいつら雑魚とは別に、親玉が待ち構えているかもしれないって事だな。ちゃんと余力を残しておけよ?」

「……残すほど、力あるでしょうか僕?」

 半泣きの少年だが、それだけ軽口が叩けるなら十分だ。

「ハハ! ないなら絞り出せ!……今回は手本を見せてやるからよ!」

 笑顔を引きつらせる少年をよそに、俺は今度こそ本気で踏み込んだ。

 身体は低く、虚ろな眼下を掻い潜り、一体のスケルトンがこちらに気が付く前にその頭蓋を叩き割る。

 この程度なら、身体強化など使わずとも事足りた。

 一薙ぎで粉々になった一体をさらに蹴り砕くと、音に反応し接近してきた二体を続けて薙ぎ払った。

 朽ちた木くずの様に砕ける魔獣を見て、俺は笑みを浮かべる。

 こいつらの防御力は骨だけに、ないに等しい。

 そして核のある部分を見定めてやれば、案外あっさりと止められる。

「よっしゃ! ……絶好調!」

 三秒弱で三体。

 まずまずの出だしだった。

 核を仕留め損ねれば何度でも蘇ってくるが、今更そんなヘマをするつもりもない。

 俺の後にくっついてくる頼りないおまけを目の端に捕えつつ、それをするのは骨が折れるだろうが、なに一人くらいならばどうという事はない。

 現にこうしてまだ口を開く余裕くらいはあるのだから。

「いいか、スケルトンどもは攻撃方法が人間と同じだ! 俺達の戦う相手は実は魔獣よりも人間の方が多い! 盗賊やら襲撃やらそんなだな! そしてだいたい新入りが死ぬのは相手が人間の時が多いんだ! 魔獣を平気で相手どれても、生き物ってのは同じ姿をした奴を攻撃するのに抵抗がある! そういう時は慣れている方が勝つからな!」

「なんか嫌です!」

「だろうな! だがいきなり本番よりマシだろ?」

「そうですかね!」

「わかんねぇけど!」

 だが戦っているうちに気が付いたことがある。

 腹を決めたおかげか、おまけが結構いい動きをし始めていたのだ。

 特技がいい感じに作用しているという事もあるのだろう。

 おおよそ頭か胸の辺りに核はあるが、それを的確に見極めている。

 動きも戦い始めてからは一気に良くなってきていた。

 俺は愉快にそれを確認して、もう少しだけペースを上げた。



 しかし無数の化け物がうごめく中、静かに眠り続けているものがある。

 暗い地の底に硬く封じ籠められ、乾ききったそれを突き動かすのは唯一与えられた欲だけである。

 食欲。

 最近はこの月夜の晩にだけほんの一時目を覚ます。

 怨霊達は渇きを癒すのに最も適した食物だった。



「……おかしい」

 俺は思わずそう呟いていた。

 アンデットは相変わらずそこにいる、しかしあまりにも数が少なすぎた。

「どうしたんですか?」

 少年が肩で息をしながらそう尋ねてこれた事が、すでにおかしい事の証明でもあった。

「いや……ここいらはもっと湧くはずなんだ。だけど今日は露骨に数が少なすぎる」

「そ、そうなんですか? ものすごく多かった気がしたんですけど……」

「いや。俺は何回かここに来たことがあるが、こんなもんじゃなかった。こりゃあ……あの噂、案外本当なのかもしれないな」

「……え? 掲示板にあるのに本当じゃないことがあるんですか?」

 少年は不思議そうだが、実際は誤りであることの方が圧倒的に多い。

「むしろガセネタの方が多いよ。俺も場所がここじゃなけりゃ受けなかった。噂って言うのは一人歩きするうちに大きくなっちまうもんだからな。お前さんはなんか感じないか?」

 例のスキル頼みで聞いてみると、しかし少年は首を振る。

「……僕の感覚はそんなに広くはないので。もう少し探ってみないと」

「……そうか。ならもうチョイ奥に行ってみるか。いつでも逃げ出す準備だけはしとけよ?」

「は、はい」

 ただ事ではない空気を感じたのかコクコクと首を振る少年。

 そして笑ってみてはいるものの、言葉以上に緊張している俺がいた。

 たまに湧き出したスケルトンを片づけつつ奥に進んでいると、何かが戦っているのかピリピリとした気配を感じる。

 嫌な予感がする。

 勘みたいなものだが、長年培ってきたそれを俺はそれなりに信用していた。

 硬い物が砕ける音がする。地面からはかすかだが振動もだ。

 何か巨大なものが暴れているらしく、それは俺達から見えない影になった場所で、ちょうど死角になっている。

 自分達が風下なのを確認して、俺達は目標がいるらしいポイントを探り当てた。

「いよいよらしいな……。さて何が出てくるか」

「……」

 いつしか後ろからついてきている少年の声もなくなり、息遣いだけが聞こえて来ていた。

 俺はその先に何があるのか、それだけに意識を集中させ、意を決して覗き込む。

 そこで岩陰にいたものを視界に収めて、ぞっと鳥肌を立てたのだった。



 獣の様な、人の様な化け物に俺は息を飲んだ。

 その化け物は群がるアンデットを端から喰っていたのだ。

 ぼりぼりと人型をむさぼるそれに、生理的嫌悪感を抑えられない。

「……なんだありゃ?」

 この辺りは割と回っているが、こんな奴は見たことがない。

「こ、こんなの……勝てるわけない」

 そんな歯の根の合わない声を聴いて振り返ると、少年の顔からは血の気が引いて真っ青になっていた。

 少年の感覚が本当なら、その生き物の持っている力に怯えているのだろう。

 少々迂闊すぎたかと俺は舌打ちしそうになってしまった。

 これで、あれがやばいことがはっきりしたと言っていいだろう。

 それはあまりにも巨大だった。

 それはあまりにもおぞましかった。

 さっきまでのスケルトンでさえかわいく見える。

 五体がある人型こそとっているが、生物として最低限の造形さえ持ち合わせていないのっぺりとしたその姿は、爛々と血の様に赤い目だけを光らせて、ひたすらに骨を、魂をむさぼっている。

 それは単純な『捕食』とそんな言葉がぴったりと来る光景だった。

 だがしかし……。

「……なんであれを見て笑っていられるんですか?」

 そんな風に少年から尋ねられて、俺は気が付いた。

 俺は今、笑っていたらしい。

「……なんでだろうな? だけどさ……あれはいったいなんだ? あんなの見たことがあるか?」

「……!」

 だがなぜ笑っているかなど考えるまでもない、口に出してしまったそれこそが、疑問の答えだった。

 未知。

 未知への憧れと渇望こそが、俺の原動力だ。

 長く。本当に長い事忘れていた、ゾクゾクと這い上がるような寒気を伴う興奮。

 その興奮は、若い頃は割と頻繁に感じていたものだった。

 それは恐ろしいながらも、俺をこういう場所に今でも留めている魔性の魅力を秘めている。

 そしてこの先にも、俺の焦がれていた物がもう一つあったはずだった。

 恐らくは死ぬほどの状況なのだろうが、この状況をいかにして乗り切るか、あまりにも弱いこの身一つで、しかし今まで鍛え続けて来たもので、どこまでやれるのか試したい。

 それは狂人の考え方だと理解しながらも、今晩は止められそうになかった。

「悪いな。……すまないがここで引き返してくれるか? 俺はもう少しアレを調べてみたい」

「む、無茶ですよ! 死んでしまいます!」

 そんな俺を必死に少年は止めようとしていたが、そうもいかない。

「言ったろう? 俺は引き受けたことは最後までやり通す主義なんだ……。ここまで来て相手の戦力も見極めないってのはどうもな。少なくても攻撃方法くらいは見ときたいね」

 頭の中では、すでに戦いの中に俺はいた。

 とりあえず様子見、牽制、保険で魔法は三発くらいにしておこう。

 俺程度の魔法じゃ、あいつにどれほどのダメージを与えられるかなんてわからない。

 しかし気を引くにしても、弱すぎては話にならないだろう。

 切り札は、俺の愛剣である爆炎の剣である。

 こいつの爆発なら相手が生き物である以上、ダメージを与えられないという事はないと思いたい。

 そこまで考えた時、俺の服が遠慮気味に引っ張られた。

 俺の服を引っ張ったのは少年だった。

 少年は逃げるそぶりも見せず、何かを決意したように俺の目をじっと見て言った。

「……僕もやります」

「はぁ? おいおい正気か? 死ぬぞお前?」

「それでもやります……。僕もここまで来て引きたくありません。僕だってアレがなんなのか知りたいんです」

 言うに事欠いて、それをここで言うのかという感じだった。

 呆れた俺は、思わず吹き出す。

「……おまえって俺よりバカだな」

「よく言われます」

 しかし心を決めてしまっているらしい少年には悪いが、俺はその申し出を断らないといけない。

 俺は引き受けたことは最後までやる主義なのだ。

「それじゃぁあ、お前はここで見てろ」

「でも!」

 少年はなおも食い下がろうとするが、これはこの場での俺の判断だ。

「いや勘違いするなよ? 見てろって言うのは観察して記憶しろってこった。あいつがどんな魔獣なのか、その辺りの事を調べるのが今回の肝だからな。お前さんがきちんとその辺りを把握していてくれてるなら、俺は一人の時より思いきれる。俺が死んだらそのまま逃げろよ? それが俺たちの仕事だ」

 有無を言わせないくらいに語気を強める。

 そんな台詞に少年は一瞬ためらっていたが、結局悔しそうに返事を返した。

「それは……はい」

 今回は悪いが、俺に譲ってもらうとしよう。

「まぁしょげるなよ。まだ新人にこのおいしい役はやれんのよ」



 それから俺達は飛び込む前に準備を整えた。

 装備を確認し、最後に酒瓶を開けて一口煽る。

「……いいんですか? こんな時にお酒なんて?」

「まぁ堅いこと言うなよ。俺の酒はこういう時はてきめんに効くんだ」

「ダメじゃないですか」

「まぁな。今日の所はこれで止めておくよ」

 俺は肩をわざとらしく竦めると、残りの酒を景気よく地面にふりまいた。



 呼吸を整える。

 焦りと迷いは、剣を鈍らせる。

 最初の一撃は当てること前提。

 まずは魔法だ。

 剣の他にはナイフが五本。

 装備の感触を触って確かめ、息を殺す。

 思えば最初から今日の俺はおかしいと自分でも思う。

 酒場でオヤジに嫌味を言われたからか?

 違う。

 あんなこと、昔から腐るほど言われてきた。

 自分と同じような事を言う若い奴にあったからか?

 違う。

 うれしくはあったがそれだけだ。

 死ぬにはいい、飛び切りの月夜だからか?

 違う。

 死ぬつもりなんてさらさらない。

 俺が命を懸けるのは、今この瞬間にしか思い出せないものを思い出せそうだったからだ。

 スケルトンを食うのに夢中な、そのでっかい背中に狙いをつけて、俺は物陰から飛び出した。

 音を消し、一足飛びに距離を詰める。

 まずは一撃あいつにぶちかます。

 俺は炎の魔法陣に魔力を籠めて、それを化け物の頭めがけて放った。

 しかし着弾前に俺は気が付いていた。

 攻撃が当たる直前、赤い瞳が俺の方をぎょろりと見たのだ。

 すでに炎の魔法を使っていたというのに、火の玉ではなく真っすぐに俺の方をである。

 爆音が響き、弾けてそのまま炎の魔法は命中する。

 だが俺は思わず顔をしかめていた。

 真っ赤な炎が弾けて燃え上がる顔面にダメージがないはずはないというのに、化け物はもがきもせずにゆっくりと立ち上がると、そのまま何事もなかったかのように俺の方に向きなおったのである。

「おいおい冗談じゃねぇ……!」

 このタフさはありえない。

 あの炎の魔法だって、ここら辺りの魔獣なら一瞬で燃やせるほどの威力だったはずなのだ。

 だが俺に怯んでいる暇などない。

 続いて息を吐く暇も惜しんで、素早くナイフを投擲した。

 真っすぐこっちに向かってくるそいつの、脚元と腕に一本ずつナイフを投げつける。

 ……オオオオオ

 唸る化け物はやはり避けることもせずに、ナイフをその身に受けながら腕を振り回してきた。

「……!」

 何とかそれを掻い潜りながら、俺は思考を止めない。

 刺さっている所を見ると、硬質化しているわけじゃない。

 単純に鈍いのか?

 しかしそれにしても鈍すぎる。

 生き物なら大なり小なり反応を示すはず。それなのにこいつは単純にダメージを恐れる素振りすらない。

 痛みを感じていないのか?

 俺はバックステップで距離を取り、さらにナイフを一本投げつけた。

 その尻にはロープを巻きつけている。

 やはり化け物は避けずにナイフは突き刺さるが、化け物に刺さると同時に俺はナイフを引き抜いた。

 体液の一つも出てくるかと思ったが、そうはならない。

 ナイフの抜けた部分はあっと言う間に塞がって、元の形に戻っていた。

 俺はそれを見て舌打ちする。

「すぐ回復してんのか? でも、それだけでもねぇなありゃ」

 あのでかい図体に騙されていたが、まだ見落としている部分がある。

 考察している間にも化け物は動き出す。

 こうやって何度も攻撃出来ていることからもわかる通り、こいつはそんなに俊敏じゃない。

 これならば何回だって避け続けられると俺はそう高をくくっていた。

 だが化け物はその巨大な腕をひときわ大きく振りかぶり、身体からキシリと鈍く軋んだ音がしたと思ったら。

 寒気が俺の身体を走り抜けていた。

「!!」

 咄嗟に直観に従って身をかがめ、避けたその位置を何かが通り過ぎる。

 腕が伸びた!

 腕の速度はぞっとするほどに常軌を逸していたのである。

 ゴクリと唾を飲み込み、そっと後ろを振り返ると――腕が通り過ぎたと思われる場所が大きく削り取られていた。

 視線の先には、信じられないが、あの一振りで地面には巨大な溝が出来上がっていた。

 それはまともに食らえば、生き物なんて血霞になって消えてなくなってしまうに違いなかった。

「おいおい、なんつう生き物だよ。まったく冗談じゃねぇ……」

 パッと見でも生半可な強化じゃない。

 今まで攻撃だと思っていたものは攻撃ですらなかったのだ。

 逃げることの優先順位がとたんに上位に繰り上がったのを感じる。

 だが、まだ早い。

「……まだだ。まだやれることは試させてもらうぜ!」

 呟くと同時に、俺は相手の懐目がけて飛び込んでいた。

 ちんたらやっている暇はなくなった。

 相手は逃げることは想定していたが、飛び込んでくることは考えていなかったのだろう。

 狙いを大きく外して、その腕を地面に叩きつける。

 はじけ飛んだ地面の欠片が俺の背を打つが、俺は前だけを見ていた。

 この一瞬にしか活路はない!

「いけぇぇぇ!」

 動きの隙をついて距離を詰めると、俺は脇腹から胴体を真っ二つにするつもりで剣を振り上げた。

 全身の筋肉が軋むほどの斬撃は威力に申し分ない。

 刃が化け物に叩き込まれたが、しかしダメージに無頓着な化け物は大した反応は見せなかった。

 肉を断つより遙かに手ごたえを感じない粘土を叩いたような違和感に、俺は確信した。

 ヤッパリそうか。こいつ、スライムなんかと同類なんだ。

 形があるからわかりづらいが、不定形の魔獣。

 そしてすべては予想通りの事だった。

 だからこそ俺はこの瞬間に剣を起動して魔法を使う。

 爆発って奴は中から使った方が効く。

 肉を巻き込み、炎が内側から焦すと、鈍い音がして破裂した。

 ぐるあおあああ********!!!!

 化け物の悲鳴も後半は爆音にかき消されて聞こえやしない。

 だがこの声は未だ目標が健在だという事を示している。

 俺は今、上空から不気味極まりない残骸を見下ろしていた。

 爆風に紛れて、俺はそのまま空に跳んだのだ。

 化け物の身体は四分の一ほど吹き飛んでいたが、再生するのはわかっていた。

 ここからが本当の勝負だ。

 俺は人生でも数えるほどの集中力を発揮していた。

 焦りを脇に捨て、観察だけに力を全て注ぎ込む。

 眼球はせわしなく動き回り、心臓は小動物の様に胸を叩く。

 俺の身体はその瞬間に完全に備えていた。

 再生が最も活発な部分を探す。

 経験上こういう魔獣は核の周辺から真っ先に再生する。そこが間違いなく、そして唯一この化け物の急所だとにらんでいた。

 そして蠢く肉の中から俺は恐らくここだと思われる一点を見つけ出すと、準備していたナイフを抜き、その部分目がけて投擲した。

 そしてもちろん、ただ投擲しただけじゃない。

 投げたナイフは尻に空になった酒瓶を括りつけた特別製だった。

「……こいつが最後の切り札だ。とっておきだからしっかり喰らっとけ」

 こいつにはちょいとコツがある。

 ナイフがちゃんと刺さる角度とタイミングを見極めなきゃならない。

 だがもしそれが出来たならどうなるのか?

 俺は魔剣のもう一つの力を使うそれは、遠距離のピンポイント爆破だった。

 酒瓶の中で十分な魔力を極限まで圧縮させて解き放ち、爆発。

 密閉空間で閉じ込められた爆発をエネルギーに変えたナイフは、投擲などより遙かに強力に貫通力を増して、目標を射抜いていた。

 刃のきらめきが化け物の体内に消えると、その変化は劇的だった。

 ギュオオオオオオオオオ!

 化け物の身体が形を大きく崩して蠢き、今までにない甲高い悲鳴を上げた。

 その時覗いた赤い核には間違いなく俺の短剣が突き立っていた。

 攻撃は成功。

 しかし俺が無事かと言われたら、そうでもなさそうである。

 今までは単純に、俺は食い物に見えていただけだったのだろう。

 だが生命を脅かした事によって、完全に敵とみなされてしまったみたいだ。

 赤い相貌が俺の正面に現れて、じっと俺を見ている。

 そこには明確な敵意が込められていた。

「へっざまみろ……俺の酒はテキメンに効いただろうが」

 だが悪い気分じゃない。

 俺は不敵にその危機的瞬間を笑って見せる。

 勝負は俺の負けだ。あの一撃で決められなければ詰みだった。

 もう終わったとそう思っていたのだが、何故か化け物の攻撃はいつまでたってもやってこなかった。

 そしてなぜか、落ち着きを取り戻していたはずの化け物が、再び体を崩して絶叫した。

 俺はその原因であるらしい無謀な奴に視線を移した。

「うわああああ!!」

 真新しい剣を化け物に突き立てる少年の姿がそこにはあった。

 そうか……こいつもちゃんと戦いを見ていたんだな。

 そして俺と同じ答えにたどり着いたんだろう。

 少年の特技はいかんなく発揮されて、その核を正確に貫いた。

 だがその後がよろしくない。

 攻撃にしか目を向けていない特攻は隙だらけだ。

 長年思考の瞬発力だけは鍛えてきた脳みそは、咄嗟にこの状況を天秤にかけていた。

 いつもは自分の身の安全が最も重い。だけど今日は少しだけ重みが違っていたのだ。

 ああこいつも俺と同類なんだな……。

 ふと心に浮かんだ納得のせいか、優先順位を無視して体が動く。

 最後に保険として残しておいた魔法の一発を、俺はこの場面で使っていた。

 背後で起こる爆破は、俺の身体を強制的に弾き飛ばす。

「……!」

 少年が何か叫んでいるようだが聞こえなかった。

 体が飛んだ先は、狙い通りに前途有望な少年の目の前だったわけだ。

「……付き合わせてわりぃな。ちょっと無茶しすぎたわ」

「……!」

 少年を突き飛ばしたとたん、熱が脇腹から全身に伝わる。

 俺は勢い余って地面を転がってから、あおむけに横たわった。

 化け物の最後のあがきは、俺をしっかり貫いたらしい。

 そんなに何度も奇跡は続かねぇか……。

 台詞の代わりにこみ上げてきたもので、口の中に鉄の味が広がる。

 幸い崩れてゆく化け物だけは確認出来たが、俺の力も抜けていて、最後に見た手の平は真っ赤に染まっていた。

 これから死ぬと言うのに、恐怖よりもどちらかと言えば胸を焼く様な悔しさが先に立つ。

 ああくそう。俺の冒険はここで終わりか。

 そして視界は暗転した。





「おいおいやべーよ……死人出ちまったよ」

「……急ごう、まだ間に合うかも。私はあっちの子の所に行くから、太郎は向こうの人をよろしく」

「了解っす……。しかしマジか? アレをたったこれっぽっちの魔力で倒したわけ? ……っと、とりあえず応急処置をと」

 薄れゆく意識の中で、見知らぬ顔が俺を覗き込んでいるのが分かったのは、それからどれだけ経った後かわからない。

 すぐの様でもあるし、かなり眠っていたような気もした。

 見知らぬそいつは、この場にそぐわないあっけらかんとした口調で、俺に話しかけてきた。

「どうも魔法使いです。いや悪いね。代わりに厄介ごとを解決してもらったみたいで」

「……あんたは?」

 そしてなぜか俺は話すことが出来た。

 話す力なんて残っていなかったと思ったのだが、最後の最後というのはこんなにも力が戻るものなのだろうか? 

 自分の身体だというのにわからないことはあるものだとそう思った。

 そんな死にかけのおっさんに黒髪の男は言った。

「だから魔法使いだよ。あの化け物はソウルイーターって言うらしい。ちょっと昔に魔族が造りだした、危ない魔獣なんだってさ。あいつは食った生き物の魂を体の中に溜めて、魔力として使うんだ。戦争のせいででかくなりすぎた奴をここに封印していたらしいんだけど、最近封印が解けかけていたらしくって、俺はそいつの始末を頼まれたんだけど……」

「……ははは。なんだかすごい話だな。死にかけの奴にする話か?」

 なんだか忘れてしまいそうだが、死にかけの俺に向かって講釈を垂れるそいつに思わず笑ってしまう。

 だけどそいつは思いの他、真面目な顔で続けた。

「だから説明しているんだってば。簡単に言うと、俺の頼まれごとを代わりにやってくれたようだからお礼がしたい。怪我を治すことも出来るけど、連れの話だとあんたの戦い方は自殺に近いくらい無謀だったんだそうだ。このまま死にたいんなら言ってくれ。痛みがないようにすることも出来る」

 言われている意味はよくわからないが、どうやら俺は自殺志願者と勘違いされているようである。

 まぁ確かに、何度死んでもおかしくないような戦いだったが、それはそれで心外な話だった。

 そして、そんな綱渡りにまったく意味がなかったわけではない。

「あんたはあいつを倒しに来たのか。……そいつがほんとなら俺は運がないね。いや、でもこんな気分になれたのはよかったよ」

 忘れていないようで、忘れていた一番大事な感覚を思い出せた。これは俺にとって何物にも代えがたい収穫だったのだ。

 全ての理屈を抜きししてもあの心の震えが忘れられないから、俺は未知の物を求めている。

 最後にそれを実感できただけでも、満ち足りる。

 しかし満足しかけた俺だったが、未知との出会いはまだ終わっていなかったらしい。

「いや、正確には倒しに来たのとは少し違うかな……?」

「?」

 きまりが悪そうにそいつが立ち上がり、両手を空に掲げると。

 化け物がいたはずの辺りから、青白い光がびっくりするくらい突然現れて、空へと飛んで行ったのである。

 その数はあまりにも多く、周囲を埋め尽くさんばかりだった。

 淡く、しかしどこか力強い光がゆらゆらと空中を漂う様はまるで踊っているようにさえ見えた。

 何が何だかわからないが、魂が震える。

 気が付けば俺は呆然とそんな光景に魅入られていた。

 そうだ、俺が冒険者にこだわる理由。

 そいつはもう一つあった。

 自分の出せるすべてを出し切った後にあるかもしれないこの感動だ。

 達成感とともに味わう最高の眺めは、あまりにも俺の胸を詰まらせる。

 そんな俺を振り返って、魔法使いを名乗るそいつは言う。

「こいつは魂って奴さ。あの化け物に縛られていたんだよ」

 だが俺に彼の台詞の意味を理解する余裕などない。

 そして口には出さないが強烈に思った。

 ああ世界は、こんな時になって、俺にこんなものを見せるのかと。

 知らない間に頬のあたりに熱い液体が流れ出ていた。

 ただただ目の前の幻想的な不思議に身震いを堪えながら俺は呟く。

「……わかったぞ? お前さん魔法使いとか言ってるが、死神か何かだろう?」

「まさか。至って善良な魔法使いだってば」

 男は憮然としていたが、絶対嘘だとそう思う。

 そんな胡散臭い奴に、俺は笑いかけると薄れゆく意識の中で最初の質問に答えていた。

「……俺みたいな弱い奴は、無謀の一歩先にしか活路がないんだよ。俺にはまだまだ見たいもんが沢山あるみたいだ」

 それは生きたいと言う意思表示。

 無駄だとわかっていても言わずにはいられない。

 俺の言葉を聞いた魔法使いはまるでほっとしたように笑って。

「了解。ありがとう。それを聞いて安心したよ」

 魔法使いが何に対して礼を言っているのか、俺にはさっぱりわからなかった。



「……!」

 俺は目が覚めた時、はっきりした時間の感覚などなかった。

 だがそこは馴染みの宿屋の天井で、俺はまだ生きているらしい。

「……」

 身体の痛みは……ない。

 状況を飲み込めずにいると、聞き覚えのある声が扉を開けて部屋に入ってくるところだった。

 少年は目を覚ました俺を見つけると、大げさに驚いて駆け寄ってきた。

「よかった! 気が付いたんですね!」

「……おお。お前さんも生きてたか」

 俺は少年が生きていたことを知って、ほっと胸をなでおろす。

 あれだけ無謀につき合わせてしまって、この上命まで落とさせていたらあの世でなんと詫びようかと思っていたが、どうやら心配は杞憂だったようだ。

「は、はい! おかげさまで! でもあの後、魔力の使い過ぎで気絶してしまったらしくて何が起こったのか何にも覚えてないんです。すごく綺麗な人を見た気がするんですけど……」

「ほんとかよ……俺もそっちが良かった」

「え?」

 思わず口をついたが半信半疑だった。

 それにしてもあの時起こったことは夢だったのか、なんだったのか?

 俺はあの夢以前に、黒髪の男をどこかで見た事があるような気がするのだが……まったく思い出せない。 

 うむ。まぁ気のせいだろう。

 そんな事よりも、今まだ体の中に残っている確信の方が俺にとっては重大だった。

「いや……なんつうかまだまだ世界は不思議に満ちてるって事かねぇ」

 俺は一連の出来事を反芻すると、大きなため息を一つ零す。

 それには少年も同感の様で、俺に合わせるように深く頷いていた。

 しばらく感慨深い沈黙が続いていたが、ふと目が合った少年に俺は言っていた。

「俺、怪我が治ったら旅に出るわ」

 唐突に口をついたそんな台詞に少年は身構える。

 そしてそんな彼に俺は尋ねた。

「……君はどうするよ? 少年?」

 すると一瞬、間こそあったものの、やたらと元気のいい返事が返ってくる。

「はい! お供させてください先生!」

「……先生はよしてくれ、おっさんでいいよ」

 ただそんな少年の好奇心いっぱいの顔を見て、俺もなんだか妙に楽しくなってきたのは確かな事だった。
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