1G+3

棗颯介

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1G+3

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 ———そんなに一人が好きなら、ずっと独りでいればいい!

 今はもう遠い記憶。その言葉を口にしたのは誰だっただろう。振り返っても遠すぎて思い出せない。
 でもきっと、あの言葉は僕にとって“呪い”だったんだ。

***
***
***

 人が生活できる重力の上限は4Gだと言われている。誰が言ったか知らないけど。地球に暮らす人にかかる重力は基本1Gだと思うが、実際にそれ以上の重力をかける手段があるのかどうかも僕には分からない。高校の進路選択は理数系を選んだけどあいにく物理は苦手だ。
 そんな物理に疎い僕にも、その誰が言ったか出処が不明の学説は正しいと自信を持って言える。
 なぜなら僕は、既に4Gの重力を受けて生きているからだ。

「よう、雨宮あまみや
「うん、おはよう」

 いつもの通学路で何人かの同級生が声をかけてくる。ブレザーの制服をラフに着崩し軽やかな足取りで僕より先を歩いていく彼らを見ていると、自分が昔話のカメになった気分になる。こっちは一歩を踏み出すのもやっとなのに。連中の顔を見て声を発するのすら膨大な体力が必要なのに。どうして彼らはあんなに楽しそうに僕より先を行くんだろう。あんなに楽しそうに生きているんだろう。
 いつの頃からか、僕の身体の動きは周りの人と比べてスローになっていった。スローどころか、ある時期はベッドから起き上がれないほどに身体が言うことを聞いてくれないときもあった。最初は発育が遅れていると思われていたけど、病院で検査を受けても僕の身体は筋肉量も骨密度も至って平均値を出していた。
 でも僕の身体は、腕一本振り上げることすらとてつもない体力を消耗した。学校の体育の授業でグラウンドのトラックを走ろうものなら、僕が一周走り終わる頃には授業が終わってしまう。まるで見えない水の中で必死に身体をバタつかせているように。周りの大人たちにこの苦痛を訴えても理解してもらえないことがひたすら辛かった。
 僕に普通の人の4倍の重力がかかっていることが判明したのは、僕が小学校5年生の頃だった。原因は現在も不明。治療法はなし。そもそもこれが医学で解明できる病なのかさえ分かっていない。

「あ、雨宮君。おはよう」

 やっとの思いで高校の校門前にたどり着くと、そこにはクラス委員の生天目なばためが僕を待ち構えていた。今日も不自然なくらいまっすぐで艶やかな黒髪を下ろし、他の女生徒と比べて幾分低い身長と、それに反比例するように主張の強い胸元が目を引く。
 健全で普通の男子高校生ならそうなんだろう。
 僕は年頃の女の子の黒髪も発育の良い胸にも一瞥もくれることなく素通りして昇降口の屋根をくぐった。

「あ、待ってよ雨宮君!」

 ———誰が待つか。

 生天目とは、所謂腐れ縁だった。
 最初に会ったのは中学の頃。確かあいつは他所からの転校生だった気がする。当時から無駄に真面目で勉強熱心で、集団の中で親切心をばら撒いてイニシアチブをとりたがる生天目のことを、僕は内心嫌っていた。あくまで僕の主観から見た生天目の評価だから他の人には違って見えるのかもしれないが、別にすべての人間は生天目という人間を嫌うべきだとまで主張してるわけじゃないからケチはつけないでほしい。
 中学時代の僕はと言えば今と大して変わらない。相変わらず身体が重くて体育の授業や体育祭は万年欠席、部活は帰宅部、アクティブになりたくてもなれない身体だから自然と思考や雰囲気は内向的になっていた。人前で空元気を見せるほどの力すら、当時も今も持ち合わせていないんだ僕は。
 そんな僕に生天目が甲斐甲斐しく世話を焼くようになったのは、きっと同情からだろう。でもその同情という親切心がどれだけ僕のプライドを傷つけてきたのか、今も生天目は分かっていない。
 
 昇降口で内履きに履き替えて校舎に入った後も、生天目は変わらず僕の隣で歩調を合わせながら甲斐甲斐しく声をかけてきた。

「雨宮君、階段辛くない?鞄、私が持とうか?」

 ———必要ない。階段くらい一人で昇れる。

「あ、雨宮君、鞄から何か落ちたよ?生徒手帳?」

 ———言われなくても気付いてる。もう拾ったから。

「雨宮君、せめて手すり掴んだ方が———」

 ———あぁ、五月蠅いなぁもう。

 耳元で発せられる雑音に耳を貸さないよう、僕はただ静かに、息を潜めるように耐え忍ぶことしかできなかった。一言『五月蠅い』と怒鳴りつけるような元気もなかったから。

***

「雨宮君、今から帰り?」
「………」

 あくる日の放課後、昇降口に出る途中の校舎の中庭。家に帰る前に中庭の自販機でジュースでも一杯飲んでいこうかと、僕にしては比較的珍しい行動をとったことが運の尽きだった。
 自販機から吐き出された炭酸飲料を取り出し、4Gの重みのかかった手でやっとの思いでキャップを外していざ口をつけようとしたとき、僕の視界に生天目が顔を出していた。珍しいのは向こうも同じで、体育の授業でもなければ身につけていない体操服姿だった。確か生天目は文化系の部活に所属していた気がするけど。

「………まぁ」
「そっか、一緒に帰らない?」

 そう言いながら生天目は僕の傍の自販機にどこからか取り出した硬貨を入れ、僕が今持っているのと同じジュースを買った。至極自然かつ赤子の手でも捻るようにペットボトルのキャップを開けている。何の当てつけだ。

「帰らない」
「誰かと待ち合わせでもしてるの?」
「まぁ、そんなところ」
「うそ、だって雨宮君仲のいい友達いないでしょ?」

 ———殺してやろうかこの女。

 別に友達がいないことは否定しないし僕自身そのことに後ろめたさを感じたりしているわけじゃない。
 なのに、まるで友達のいない僕が自分よりも可哀そうなヤツだとでも言うような憐れみを湛えた視線を生天目は送ってくる。
 やはり、この女は気に入らない。

「生天目に関係ないでしょ」

 それだけ告げて僕はできうる限りの急ぎ足で昇降口へ向かった。
 すぐに生天目に追いつかれてなし崩し的に一緒に下校する羽目になったんだけど、思い出すだけでムシャクシャするので割愛させてほしい。

***

「雨宮君ってさ、普通の人よりもかかってる重力が重いんだってね」

 中庭で生天目と鉢合わせた日から、さらに数日後。
 放課後の廊下でばったり出会った生天目にそんなことを言われて、一瞬だけ僕の心臓が高鳴った。ずっと警戒していた相手にとうとう自分の弱みを掴まれてしまった気分だった。もっとも交友関係の広い生天目なら、そんなことはとっくの昔に知っていたのだろうけど。

「それがどうしたの」
「別に。どんな気分なのかな~って」
「重いよ」
「身体が重いと気分も重くなるって?」

 何も面白くないんだよ。
 生天目はどこか嬉々とした表情で僕に一歩身体を近づけてくる。女の子の良い匂いが鼻につくが、その香りが思考を乱す前に僕は一歩後ずさった。

「なに?」
「ねぇ、触ってみてもいい?」
「触るって、何に」
「雨宮君の身体に」
「どうして」
「私にも雨宮君の重さ、伝わるのかなって」

 伝わるかどうかと言われれば、伝わる。特に小さい頃は身体も丈夫じゃなかったから、父さんや母さんに身体を支えてもらいながら生活することもままあった。子供らしい少ない質量にはおよそ似つかわしくない重量を背負わせて、当時の父さんと母さんには随分と苦労をかけてしまった。今の僕が極力他人の手を借りずに一人で生活しているのは、自分のせいで負担をかけてしまった両親の姿をさんざん見てきたからだと思う。
 自分が誰かに甘えれば、その人にまで自分と同じ“重み”を、苦労を背負わせてしまう。それが僕はたまらなく辛かった。
 でも、生天目なら。

 ———別に、生天目ならひどい目に遭っても大して心は痛まないか。

 そうだ、どうして今まで思いつかなかったんだろう。偽善を振り撒く胸糞悪いこの女を遠ざけるなら、僕を助けることがどれだけ辛いことなのかを最初から教えてやればよかったんだ。

「じゃあ、帰り道肩貸してくれるっていうなら、いいよ」
「ホント?うん、分かった」

 嫌っているとはいえ同じクラスの女子に肩を貸してもらいながら下校するというのは誰かに見られたら変な噂の一つでも立ちそうなものだが、どうせこの生天目という女はすぐに音を上げるだろうと高を括っての提案だった。

「じゃあ、失礼します」
「どうぞ」

 生天目はおずおずと僕の隣に立ち、僕の左腕をとって自分の肩に回した。
 僕の左腕に触れた瞬間、生天目が僅かに眉間にしわを寄せる様を、僕ははっきりと確認した。他の人の腕というのが一般的にどの程度の重さなのかは分からないが、多分僕の腕はスーパーで売っている10kgのお米の袋と同じくらいはあるだろう。若いとはいえ生天目のような小柄な女性には文字通り“荷が重い”だろうに。
 
「じゃあ、帰ろっか。雨宮君」
「……あぁ」

 自分からお願いした手前すぐには投げ出せないのか、生天目はやや表情を硬くしながらもいつも通りの口調でそう言ってみせた。

 ———まぁ、どうせすぐに悲鳴をあげるだろ。

 僕が自分で自分の身体を動かしている分、僕よりも負担は少ないだろうがそれでも常人の4倍の重力は、それまで1Gの重力に慣れきっていた普通の人に耐えられるようなもんじゃない。今も僕に肩を貸して昇降口までの廊下をゆっくりと歩いているが、その足取りはひどくフラフラで今にも倒れそうになっている。途中で何人かの生徒が僕達とすれ違い、ひそひそと何か喋っていたが僕は無視した。そもそも僕には最初から減るような友達なんていないんだから。

「ふぃ~、やっと外に出た……」
「あぁ」

 普通なら1分もかからない程度の校舎から昇降口までの道のりを、僕達は10分近くかけて外に出た。

「はぁ、疲れた」
「なんだ、もうバテたのか」

 僕は鼻で笑った。
 生天目の前で笑顔を見せたのはもしかしたらこれが初めてかもしれない。でもそれは穏やかで優しい笑みなんかじゃなくて、嘲る方の笑いだった。

 ———そら、見たことか。

「もうここまででいいよ、生天目」
「え、どうして?」
「今ので分かったろ?僕なんかの世話を焼くだけ無駄だって。疲れるだけだ」
「そんなことないよ、私まだ大丈夫だよ!」
「ついさっき自分で疲れたって言ったのもう忘れたのかよ」
「うっ、それはつい条件反射でというか……」

 生天目はバツが悪そうに視線を泳がせている。辛辣な言葉を吐いてやるならきっと今が好機なんだろう。
 いろいろと言ってやりたいことは溜まっているが、開口一番に漏れた言葉は、僕自身まったく自覚していない感情だった。

「……軽いんだよ」
「え?」
「お前は、軽すぎる」
「そりゃあ、雨宮君と比べればそうかもだけど。これでも体型には気を付けてる方だし」
「そうじゃない。お前の人付き合いが軽いって言ってるんだよ」
「え?」

 生天目は僕の言葉の真意を掴みかねているようだった。

「優しくしてれば、親切にしていれば誰とでも仲良くなれるって思ってないか、お前」
「なに?私が尻軽女って言いたいの?」
「あんたの異性交遊に興味はないけど、お前は軽々しく人に関わりすぎだ。人と関わるっていうのは、その人の何かを自分の中に抱え込むってことと変わらない。そういう意味でお前の人との付き合い方は軽率すぎるって話だ」

 僕が誰かに対してこんなまくしたてるように何かを話すことが今まであっただろうか。だがこのあたりで一度はっきり言っておいた方がいいのだろう。この生天目という女は多少強い言葉を使ってでも言ってやらないと延々自分に絡んでくる。
 
「そんなお前が、僕は気に入らない」
「……なによ、それ」

 生天目の顔に明確な感情が浮かび上がった。
 怒り。いや、嫌悪だったかもしれない。
 どちらにせよ、それはとても醜い感情だった。普段それなりに整っている生天目の顔が醜い。

「私はただ、雨宮君の力になりたかっただけなのに!」
「俺がいつそんなこと頼んだよ」
「そっか、分かったよ」

 生天目は地面に置いた鞄を乱暴に手に取り、口汚く叫んだ。

「そんなに一人が好きなら、ずっと独りでいればいい!」

 生天目は足早に去っていった。
 僕は仕切り直すように息を一つ吐くと、いつも通りの家路についた。スローで覚束ない足取りの中、僕はぼんやりと考えていた。

 ———他人は、重い。
 ———思うことも、思われることもだ。
 ———そんな相手、未成年の自分にはせいぜい家族だけいれば十分だろう?
 ———父さんと母さん。二人。二人分の重さ。2G。僕一人分と合わせて3G。
 ———僕にかかっている重力は4Gだから、残りは、あと1G。
 ———誰だ?
 ———僕は、誰を抱えている?
 
 もしかしたらずっと昔、僕は今の僕も忘れてしまっている誰かの思いを未だに抱え込んでいるのかもしれない。自分でも気づかないうちに、僕という人間を構成する一要素に他人に由来するものが混ざっている。
 はた迷惑な話だと思った。
 僕はただ心穏やかに、静かに生きたいだけなのに。

 ———なぁ、知らない誰かさん。あんたは僕に、何を残していったんだ?

 ふと、生天目が最後に叫んでいた言葉を思い出した。

 ———“そんなに一人が好きなら、ずっと独りでいればいい!”

「———いつだったか、昔同じようなことを言われた気がする」

 これから先も、僕は4Gの重みに足を引っ張られながら生きていくのだろう。
 それが、僕に与えられた“呪い”なんだ。
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