初めての愛をやり直そう

朝陽ゆりね

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――記憶、初めての恋2

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 それを見送る拓斗。

 固まりながらも少しずつ我を取り戻していく。やがて小さな息をもらすと、複雑なまなざしでテーブルを見つめ、膝の上でキュッと握り拳を作った。

(榛原がなにをしようと、俺には口を挟む権利はない。でも)

 おとなしいクラスメートだと思っていたのに、こんなところでバイトをしている事実がショックだった。しかも、あの格好。

(俺の勝手な思い込み……それにメイドカフェを悪く思うのは偏見だ。だけど……)

「ご主人様」
「……」
「ご主人様」

 声をかけられていたが、自分だとは思わなかった。アイスコーヒーが置かれたことに気づいて、ようやく自分が呼ばれていることを理解した。

「あ、はい」
「ご主人様、アイスコーヒーでございます。では、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
「ありがとう」
「なにかございましたら、ミューをお呼びくださいませ」

 もう一度引き攣った笑顔を見せ、茜はその場から立ち去った。

 一度奥へ下がり、また現れた時には、違う客に微笑みかけていた。

 どうやらなかなか人気があるようだ。テーブルを横切るたびに、「ミューちゃん」と声をかけられている。

 客に呼びかけられて微笑んでいる顔は、拓斗がいつも自席から眺めている彼女の表情とはまったく異なっていた。いつものなんだか物寂しげに窓の外を眺めている顔とはぜんぜん違う。

(別人みたいだ)

 その後、どうやって時間を過ごしたか覚えていなかった。

 居心地が悪かったことだけは覚えている。

 気がつけば家に帰っていて、テレビの前に座っていた。とはいえ意識はテレビには向いてはいなかった。夕方の茜の姿を思い出すばかりだ。

 どこにでもいる普通の女の子――そう思っていたが、メイドの衣装を着て接客する姿は溌剌としていて、なにより笑顔が可愛かった。

(女の子って、変わるんだなぁ)

 ミス学園・神野に比べれば確かに違う。しかしながら茜の笑顔は負けないと思うほど輝いていた。拓斗にはその笑顔のほうがかわいく思えた。

 が、その半面、誰にでも笑顔を振りまいているのは神野と同じではないか、とも思う。

(でも……)

 茜が向けた笑顔。

 自分だけに向けられた笑顔。

 その笑顔を思い出すと、心臓がドキドキと打った。

 この日から拓斗は茜の行動が気になって仕方がなくなった。

 二週間が経った。


 だが、今でもあの時のインパクトは薄れず、勉強が手につかない。

 気がついたらメイド姿の茜を想像している。

(ヤバい!)

 その繰り返しに本気で焦った。

 いそいそと帰っていく茜を追いかける。

 秋葉原には行かない様子だとそのまま家に帰り、そうでなければ追いかけ、カフェに入った。

 自分でもストーカーだなと思い、苦笑するばかりだ。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「アイスコーヒーお願いします」
「アイスコーヒーでございますね? かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 こんなやり取りを繰り返す。

 茜が微笑みかけると、拓斗の心臓はドキドキと早鐘を打った。と同時に、別の客に向かうと、たまらなくムカついた。自分の宝を取られたような感覚だった。

 その時、小さな事件が起こった。

 客の一人が茜の手を握ったのだ。茜は明らかに顔を強張らせ、それでも丁寧に放すよう促している。だが客は聞かなかった。

 そんな様子にキレかけた拓斗が思わず立ち上がろうとした時、事態が変わった。

 奥から中年の男が現れ、客に注意を促したのだ。なにを話しているのかはわからない。何度か会話を交わすと、客はおとなしく帰っていった。

(よかった)

 ホッと安堵する。しかしながら、すぐに言い様のない苛立ちが湧いてくる。

(こんなトコであんな愛嬌を振りまいたら、勘違いするヤツだっているだろう)

 茜は青い顔をしたまま奥へ下がっていった。

 拓斗のほうは精算を済ませて店を出た。

 そのまま歩道のガードレールに凭れて茜が出てくるのを待つ。

 なぜさっさと帰らないんだろう?

 自分に向けてそう思いながらも動けずにいる。

 二、三十分ぐらい経つと、勝手口から茜が出てきた。拓斗は思わず駆け寄った。

「島津君」
「送ってく」
「え?」

 茜の驚く顔を目の当たりにし、拓斗は苦いものを噛みしめるような気持ちを抱きながら、もう一度「送っていく」と言った。

「まださっきのヤツがいたらいけないから。俺はクラスメートだから、さっきのヤツよりかは安心だろ?」
「……うん」

 二人並んで歩きだす。

 何事もなく駅に辿り着き、電車に乗った。しばらく無言で過ごしていたが、茜の降りる駅に到着すると、顔を見合わせた。

「家まで送るよ」
「でも」
「今日だけだから」

 茜は拓斗の顔を見上げた。

「ちょっと、いい?」
「え? あ、うん」

 二人は駅のベンチに座った。

「島津君、最近よく通ってくれるよね」

 その言葉に拓斗の顔が真っ赤に染まった。

「どうして?」
「…………」
「あ、ヘンな意味じゃないの。あの、私、うれしかったから。会いに来てくれてたんでしょ? 私を目当てに通ってくれたって、うれしくて。ありがとう」

 拓斗は言葉もなく真っ赤になりつつ、ますます俯いた。

「神様ってひどいよね。神野さんみたいに、きれいでモテモテの人を作るくせに、私みたいなイマイチってのも作るんだから。ひどいと思うよ」

 拓斗は俯いたまま無言で茜の言葉を聞いている。

 心の中には、ぜんぜんイマイチじゃない、という言葉がグルグル回っている。

「私、ずーっと神野さんが羨ましくて、私もあんなふうに生まれたかったなぁって思ってたの」
「もしかしてさ、いつも窓の外を眺めているけど、そんなことを考えているの?」

 茜がうふっと笑った。

「まぁね。私もモテたいなーって。羨ましいじゃない。モデルのプロダクションに合格するんだよ? 羨ましいよ」
「…………」

 再び黙り込んだ拓斗を茜が下から覗き込んだ。

「島津君、いつもってさ、いつも私を見ていたの?」
「え!」

 茜の言葉に拓斗は飛び上がって驚いた。同時にますます顔が真っ赤になり、今にも爆発しそうになっている。

「あ、いや、それは!」
「あははは。なにボケッとしてるんだろう、授業も聞かずにって思ってたんじゃないの?」

 茜はもう一度クスッと笑い、今度は空を見上げた。

「ぐちゃぐちゃ悩んでた時、メイドのアルバイト募集の紙を渡されて、思わず『私なんかでもできるんですか?』って聞いちゃったの。そしたら絶対大丈夫って言われて、それが誰にでも言ってる言葉だってわかっていてもうれしくて、バイトすることにしたの」

「…………」

「誰だってモテたいじゃない。学校じゃごくフツーで、男の子になんか相手にされなくても、メイドカフェでメイドさんやったら、みんな笑いかけてくれて、喜んでくれる。私を目当てにお客さんがきてくれる。それがうれしくて、辞められなくなってさ。それにお客さんがついたら店の中でも鼻が高いの。メイドの中でも妙な競争というか、上下の意識があって、私ってば下のほうだから、島津君が通ってくれて、すごく鼻が高かった。しかも知り合いって顔しないから、みんな純粋に私目当てって思ってさ。ホントにうれしかったの。ありがとう。お礼、言いたかったの」

 茜は拓斗の無言に気落ちしたのか、話すトーンが下がった。

「わかってる。賢い島津君には、愚かだって思ってることぐらい」
「そんなことないよ」
「…………」
「そんなこと、ぜんぜん思ってないよ」

 拓斗は膝の上で拳を握った。

「俺、確かに最初は意外で、驚いて、興味本位もあって店に入ったんだけど、けど、榛原に笑いかけられて、ドキドキして……営業用だってわかってるのに、うれしくて。俺も同じだよ」

「……島津君」

「さっきの客、すごくムカついた。バイトは榛原の事情とかあるんだろうから辞めろなんて言えないけど、けど、できたらもう辞めたほうがいいと思う。うまく言えないけど、大勢の人にちやほやされるって、どうだろう? 誰か一人に大事にされるほうがいいんじゃないのかな?」

「島津君は女の子達にモテたいって思わないの?」
「……うぅん、思わなくはないよ。でも、今はあんまり思わない。俺、ここ数日ずっと考えて、一つだけど答えを見つけた」
「答え?」
「うん」

 拓斗は茜に顔を向け、まっすぐ見た。

「確かにたくさんの女の子にモテるって気持ちいいかもしれない。きっと気持ちいいと思う。けど、たった一人にじっくり想ってもらえるってのと比べたら、ぜんぜん比じゃないって思ったんだ。俺、まだ榛原のことなにも知らないけどさ、笑顔、一人占めしたいって思ったんだ。他の男に笑いかけてるのを見たら、すごくムカつくから……それが正直なところ」

 茜は驚いたように拓斗を見返し、やがて顔を真っ赤に染めた。

「でも」
「俺の気持ちを押しつける気はないよ。だって俺自身も、まだうまく言えないんだ。なんか、こう、アメーバみたいにぐにょぐにょしてて、形が定まらない感じ?」

 茜がいきなりプッと笑った。

「変な表現!」
「そ、っかな」
「さすが秀才、発想が違う」
「…………」
「うれしい。そんなふうに言われたことないもん。初めてだよ」
「俺もこんなこと言ったの、初めてだよ。ずっと勉強ばっかりだったから」
「秀才だもんね」
「あ、いや、それは」
「ホントだもん。そっちのほうじゃ、私にとっては雲の上の人だもん」
「…………」
「勉強に恋は邪魔じゃないの?」

 拓斗は思わず頭を掻いた。

「そりゃそうだし、これからも勉強第一だけど、でも気持ちとは別問題だと思う。想う気持ちは止められないし」

 茜がそっと拓斗の手を握った。

「じゃ、とりあえず、勉強の邪魔にならないようにしながら、特別な友達から始めよっか?」
「特別な友達?」
「うん。例えば、私に勉強教えてくれるとか」

 拓斗がその手を握り返した。

「いいよ」

 真っ赤な顔をした二人。

 恥ずかしそうに見つめ合い、やがてゆっくりと微笑みあう。

 それは二人にとって、紛れもない初めての恋だった。


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