42 / 42
エピローグ
エピローグ
しおりを挟む
ラムセスの妻はサトラー一人。それは表向きだ。
結婚式からおよそ三年後、サトラーは逝去した。いつ、どうなるかわからないと思われていたのだから、三年は頑張ったと誰もが思った。
それほど彼女にとって、ラムセスと沙良との生活は幸福だったのだろう。
もう一つ、サトラーに生きる力を与えた存在がいる。
結婚式翌年に生まれたセティだ。産んだのは沙良だが、サトラーは溺愛した。
沙良の妊娠中は誕生を待ち遠しく思い、生まれたら一日でも長く一緒にいたい、その思いが彼女に強い命の炎を灯したのだ。
サトラーの死は近親者のみに共有され、表向き発表されなかった。以後は沙良がサトラーとなって、ラムセスの妻としてあり続けた。
そこから二十五年の歳月が流れた。
アイの統治期間はわずか四年であった。その後はホルエムヘブがファラオになり、二十一年が過ぎた現在は、エジプトはとても安定している。ホルエムヘブに従わない者たちは大将軍であるラムセスが徹底的に排除しているからだ。
ラムセスはその才をいかんなく発揮してホルエムヘブを補佐し、平和な世の礎を築こうとしていた。
だが、まだ大きな問題があった。
ホルエムヘブは王家の血を引くムトノメジットを妻に娶ったが、子をなさなかった。よって誰が次のファラオになるのか、どのようにしてファラオに就くのか、そのことで不穏渦巻く状態になっていた。
ラムセスはルクソール神殿の聖なる池の前に一人たたずんでいた。
視線は聖なる池に向けられているけれど、実際は見ていない。脳裏に浮かぶ多くの思い出を眺めていた。
結婚し、子どもができ、幸せを全身で感じた。だがサトラーが逝くと、周囲が激変した。翌年、ファラオ・アイが逝去し、ホルエムヘブが玉座に就く。目が回るほど忙しくなった。
母ラトゥタも逝った。サトラーの両親であるハリハラ夫妻も同様だ。
あっという間の二十五年だった。
そして、半年前、エジプトをまたもや疫病が襲った。
多くのエジプト人と周辺国から連れてこられた奴隷たちの命を奪った疫病は、ラムセスの最愛の女である沙良をも死の世界へ連れていってしまった。
(一人になってしまったな。いや、セティがいるから、一人じゃないが。バカ野郎が。俺はまだファラオになっていないぞ。雄姿を見ずに逝きやがって)
足音が近づいてくる。顔を向けると、息子のセティがこちらに向けて歩いてくるのが見えた。
「父上。連れて参りました」
「ああ、ご苦労」
セティの背後には筋肉隆々の男が二人立っている。ラムセスは彼らに向け、足元に置いている石箱を指さした。
縦横高さが五十センチくらいの正方形の石箱には、全面に細かなヒエログリフが刻まれている。
蓋の部分には大きな『ホルスの目』が描かれ、目玉の部分には青く輝くラピスラズリが埋め込まれている。またその周囲にはハトホルを示すマークが刻まれていた。
「これを『聖なる池』の底に運んでくれ」
「父上、中にはなにがはいっているのですか?」
横からセティが口を挟んだ。
屈強な男が二人かがりでないと運べないほどの頑丈で重い箱など、どんな宝が入っているのか、と思ったのだろう。
ラムセスはうっすらと笑った。
「お前の母がここに来た時に身につけていた服と、持っていた鞄だ」
「ええ!? 母上の?」
「ああ。サーラは時空を超えてこの地に来た。見たこともない生地の服を着て、とても信じられない精度の紙を持っていた。それ以外の所持品も、俺たちには理解できない代物だ。これは誰にも見せられないと思って、神々の力を刻んだ石箱の中に隠しておいたんだ。
その瞬間、セティの目が大きく見開かれた。
「父上、俺も見たいです」
「……ダメだ」
「父上」
「これは神の域だ。知らないほうがいい」
「母上の遺品ですぞ。見るくらい、いいではありませんか」
ラムセスは一瞬黙り込んだが、やはり顔を左右に振った。
「ダメだ。セティ、やめておこう。生まれてくる時代を間違えてしまったと、悔やむことになりかねない。俺たちはエジプトの未来のために命を燃やさねばならないんだ」
セティは唇を噛んだが、それ以上はなにも言わなかった。
「運んでくれ」
「はっ」
二人の男は石箱を二人で持ち上げ、ゆっくりと歩いて聖なる池に入った。大きく息を吸い、潜っていく。
ラムセスは潜水が得意な者を呼び寄せたのだ。
じっと待つこと、数分。やがて男たちがゆっくりと上がってきて、聖なる池から出てきた。
「ご苦労。このことはくれぐれも他言無用に」
「はっ」
二人にそれぞれ巾着を手渡すと、頭を下げて去っていく。ラムセスはその背を見ることなく、蒼天を仰いだ。
(寂しいな。俺はあと、どれくらい生きるんだろう。お前のいない日々をどれくらい送らねばならないのだろう。だが、まぁ、そう長々とは続くまい。お前は今、どこを飛んでいるんだろうな。お前の生まれた国、時代に戻ったか? 俺はまだファラオにならねばならんから、迎えはゆっくりでいい。だが、次は俺がお前の故郷に行く番だ。俺がお前を引き留めたように、今度はお前の世界に俺の魂を連れていってくれ)
熱い風がラムセスの体を撫で、吹き過ぎて行った。
終
結婚式からおよそ三年後、サトラーは逝去した。いつ、どうなるかわからないと思われていたのだから、三年は頑張ったと誰もが思った。
それほど彼女にとって、ラムセスと沙良との生活は幸福だったのだろう。
もう一つ、サトラーに生きる力を与えた存在がいる。
結婚式翌年に生まれたセティだ。産んだのは沙良だが、サトラーは溺愛した。
沙良の妊娠中は誕生を待ち遠しく思い、生まれたら一日でも長く一緒にいたい、その思いが彼女に強い命の炎を灯したのだ。
サトラーの死は近親者のみに共有され、表向き発表されなかった。以後は沙良がサトラーとなって、ラムセスの妻としてあり続けた。
そこから二十五年の歳月が流れた。
アイの統治期間はわずか四年であった。その後はホルエムヘブがファラオになり、二十一年が過ぎた現在は、エジプトはとても安定している。ホルエムヘブに従わない者たちは大将軍であるラムセスが徹底的に排除しているからだ。
ラムセスはその才をいかんなく発揮してホルエムヘブを補佐し、平和な世の礎を築こうとしていた。
だが、まだ大きな問題があった。
ホルエムヘブは王家の血を引くムトノメジットを妻に娶ったが、子をなさなかった。よって誰が次のファラオになるのか、どのようにしてファラオに就くのか、そのことで不穏渦巻く状態になっていた。
ラムセスはルクソール神殿の聖なる池の前に一人たたずんでいた。
視線は聖なる池に向けられているけれど、実際は見ていない。脳裏に浮かぶ多くの思い出を眺めていた。
結婚し、子どもができ、幸せを全身で感じた。だがサトラーが逝くと、周囲が激変した。翌年、ファラオ・アイが逝去し、ホルエムヘブが玉座に就く。目が回るほど忙しくなった。
母ラトゥタも逝った。サトラーの両親であるハリハラ夫妻も同様だ。
あっという間の二十五年だった。
そして、半年前、エジプトをまたもや疫病が襲った。
多くのエジプト人と周辺国から連れてこられた奴隷たちの命を奪った疫病は、ラムセスの最愛の女である沙良をも死の世界へ連れていってしまった。
(一人になってしまったな。いや、セティがいるから、一人じゃないが。バカ野郎が。俺はまだファラオになっていないぞ。雄姿を見ずに逝きやがって)
足音が近づいてくる。顔を向けると、息子のセティがこちらに向けて歩いてくるのが見えた。
「父上。連れて参りました」
「ああ、ご苦労」
セティの背後には筋肉隆々の男が二人立っている。ラムセスは彼らに向け、足元に置いている石箱を指さした。
縦横高さが五十センチくらいの正方形の石箱には、全面に細かなヒエログリフが刻まれている。
蓋の部分には大きな『ホルスの目』が描かれ、目玉の部分には青く輝くラピスラズリが埋め込まれている。またその周囲にはハトホルを示すマークが刻まれていた。
「これを『聖なる池』の底に運んでくれ」
「父上、中にはなにがはいっているのですか?」
横からセティが口を挟んだ。
屈強な男が二人かがりでないと運べないほどの頑丈で重い箱など、どんな宝が入っているのか、と思ったのだろう。
ラムセスはうっすらと笑った。
「お前の母がここに来た時に身につけていた服と、持っていた鞄だ」
「ええ!? 母上の?」
「ああ。サーラは時空を超えてこの地に来た。見たこともない生地の服を着て、とても信じられない精度の紙を持っていた。それ以外の所持品も、俺たちには理解できない代物だ。これは誰にも見せられないと思って、神々の力を刻んだ石箱の中に隠しておいたんだ。
その瞬間、セティの目が大きく見開かれた。
「父上、俺も見たいです」
「……ダメだ」
「父上」
「これは神の域だ。知らないほうがいい」
「母上の遺品ですぞ。見るくらい、いいではありませんか」
ラムセスは一瞬黙り込んだが、やはり顔を左右に振った。
「ダメだ。セティ、やめておこう。生まれてくる時代を間違えてしまったと、悔やむことになりかねない。俺たちはエジプトの未来のために命を燃やさねばならないんだ」
セティは唇を噛んだが、それ以上はなにも言わなかった。
「運んでくれ」
「はっ」
二人の男は石箱を二人で持ち上げ、ゆっくりと歩いて聖なる池に入った。大きく息を吸い、潜っていく。
ラムセスは潜水が得意な者を呼び寄せたのだ。
じっと待つこと、数分。やがて男たちがゆっくりと上がってきて、聖なる池から出てきた。
「ご苦労。このことはくれぐれも他言無用に」
「はっ」
二人にそれぞれ巾着を手渡すと、頭を下げて去っていく。ラムセスはその背を見ることなく、蒼天を仰いだ。
(寂しいな。俺はあと、どれくらい生きるんだろう。お前のいない日々をどれくらい送らねばならないのだろう。だが、まぁ、そう長々とは続くまい。お前は今、どこを飛んでいるんだろうな。お前の生まれた国、時代に戻ったか? 俺はまだファラオにならねばならんから、迎えはゆっくりでいい。だが、次は俺がお前の故郷に行く番だ。俺がお前を引き留めたように、今度はお前の世界に俺の魂を連れていってくれ)
熱い風がラムセスの体を撫で、吹き過ぎて行った。
終
0
お気に入りに追加
6
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
PROOF-繋いだ手を離したくない-
橋本彩里(Ayari)
ライト文芸
心から欲しいと思うからこそ、近づけない。離れられない。
やっと伝えた思いは絶えず変化し、時の中に取り残される。
伸ばし合った手がやっと繋がったのに、解けていきそうなほど風に吹かれる。
この手を離したくない。
過ごした時間の『証』を刻みつけたい。
「一年前の桜の木の下で」
そこから動き出した二人の関係は、いつしか「会いたい」という言葉に涙する。
タグにもありますが切ない物語。
彼らのピュアで尊い物語を最後まで見守っていただけたら嬉しいです。
表紙は友人の kouma.作です。
マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。
おいしいご飯がたくさん出てきます。
いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。
助けられたり、恋をしたり。
愛とやさしさののあふれるお話です。
なろうにも投降中
【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
逢生ありす
ファンタジー
女性向け異世界ファンタジー(逆ハーレム)です。ヤンデレ、ツンデレ、溺愛、嫉妬etc……。乙女ゲームのような恋物語をテーマに偉大な"五大国の王"や"人型聖獣"、"謎の美青年"たちと織り成す極甘長編ストーリー。ラストに待ち受ける物語の真実と彼女が選ぶ道は――?
――すべての女性に捧げる乙女ゲームのような恋物語――
『狂気の王と永遠の愛(接吻)を』
五大国から成る異世界の王と
たった一人の少女の織り成す恋愛ファンタジー
――この世界は強大な五大国と、各国に君臨する絶対的な『王』が存在している。彼らにはそれぞれを象徴する<力>と<神具>が授けられており、その生命も人間を遥かに凌駕するほど長いものだった。
この物語は悠久の王・キュリオの前に現れた幼い少女が主人公である。
――世界が"何か"を望んだ時、必ずその力を持った人物が生み出され……すべてが大きく変わるだろう。そして……
その"世界"自体が一個人の"誰か"かもしれない――
出会うはずのない者たちが出揃うとき……その先に待ち受けるものは?
最後に待つのは幸せか、残酷な運命か――
そして次第に明らかになる彼女の正体とは……?
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
夕陽を映すあなたの瞳
葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心
バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴
そんな二人が、
高校の同窓会の幹事をすることに…
意思疎通は上手くいくのか?
ちゃんと幹事は出来るのか?
まさか、恋に発展なんて…
しないですよね?…あれ?
思わぬ二人の恋の行方は??
*✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻
高校の同窓会の幹事をすることになった
心と昴。
8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに
いつしか二人は距離を縮めていく…。
高校時代は
決して交わることのなかった二人。
ぎこちなく、でも少しずつ
お互いを想い始め…
☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆
久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員
Kuzumi Kokoro
伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン
Ibuki Subaru
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる