熱い風の果てへ

朝陽ゆりね

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エピローグ

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 ラムセスの妻はサトラー一人。それは表向きだ。

 結婚式からおよそ三年後、サトラーは逝去した。いつ、どうなるかわからないと思われていたのだから、三年は頑張ったと誰もが思った。

 それほど彼女にとって、ラムセスと沙良との生活は幸福だったのだろう。

 もう一つ、サトラーに生きる力を与えた存在がいる。

 結婚式翌年に生まれたセティだ。産んだのは沙良だが、サトラーは溺愛した。

 沙良の妊娠中は誕生を待ち遠しく思い、生まれたら一日でも長く一緒にいたい、その思いが彼女に強い命の炎を灯したのだ。

 サトラーの死は近親者のみに共有され、表向き発表されなかった。以後は沙良がサトラーとなって、ラムセスの妻としてあり続けた。


 そこから二十五年の歳月が流れた。

 アイの統治期間はわずか四年であった。その後はホルエムヘブがファラオになり、二十一年が過ぎた現在は、エジプトはとても安定している。ホルエムヘブに従わない者たちは大将軍であるラムセスが徹底的に排除しているからだ。

 ラムセスはその才をいかんなく発揮してホルエムヘブを補佐し、平和な世の礎を築こうとしていた。

 だが、まだ大きな問題があった。

 ホルエムヘブは王家の血を引くムトノメジットを妻に娶ったが、子をなさなかった。よって誰が次のファラオになるのか、どのようにしてファラオに就くのか、そのことで不穏渦巻く状態になっていた。


 ラムセスはルクソール神殿の聖なる池の前に一人たたずんでいた。

 視線は聖なる池に向けられているけれど、実際は見ていない。脳裏に浮かぶ多くの思い出を眺めていた。

 結婚し、子どもができ、幸せを全身で感じた。だがサトラーが逝くと、周囲が激変した。翌年、ファラオ・アイが逝去し、ホルエムヘブが玉座に就く。目が回るほど忙しくなった。

 母ラトゥタも逝った。サトラーの両親であるハリハラ夫妻も同様だ。

 あっという間の二十五年だった。

 そして、半年前、エジプトをまたもや疫病が襲った。

 多くのエジプト人と周辺国から連れてこられた奴隷たちの命を奪った疫病は、ラムセスの最愛の女である沙良をも死の世界へ連れていってしまった。

(一人になってしまったな。いや、セティがいるから、一人じゃないが。バカ野郎が。俺はまだファラオになっていないぞ。雄姿を見ずに逝きやがって)

 足音が近づいてくる。顔を向けると、息子のセティがこちらに向けて歩いてくるのが見えた。

「父上。連れて参りました」
「ああ、ご苦労」

 セティの背後には筋肉隆々の男が二人立っている。ラムセスは彼らに向け、足元に置いている石箱を指さした。

 縦横高さが五十センチくらいの正方形の石箱には、全面に細かなヒエログリフが刻まれている。

 蓋の部分には大きな『ホルスの目』が描かれ、目玉の部分には青く輝くラピスラズリが埋め込まれている。またその周囲にはハトホルを示すマークが刻まれていた。

「これを『聖なる池』の底に運んでくれ」
「父上、中にはなにがはいっているのですか?」

 横からセティが口を挟んだ。

 屈強な男が二人かがりでないと運べないほどの頑丈で重い箱など、どんな宝が入っているのか、と思ったのだろう。

 ラムセスはうっすらと笑った。

「お前の母がここに来た時に身につけていた服と、持っていた鞄だ」
「ええ!? 母上の?」

「ああ。サーラは時空を超えてこの地に来た。見たこともない生地の服を着て、とても信じられない精度の紙を持っていた。それ以外の所持品も、俺たちには理解できない代物だ。これは誰にも見せられないと思って、神々の力を刻んだ石箱の中に隠しておいたんだ。

 その瞬間、セティの目が大きく見開かれた。

「父上、俺も見たいです」
「……ダメだ」

「父上」
「これは神の域だ。知らないほうがいい」

「母上の遺品ですぞ。見るくらい、いいではありませんか」

 ラムセスは一瞬黙り込んだが、やはり顔を左右に振った。

「ダメだ。セティ、やめておこう。生まれてくる時代を間違えてしまったと、悔やむことになりかねない。俺たちはエジプトの未来のために命を燃やさねばならないんだ」

 セティは唇を噛んだが、それ以上はなにも言わなかった。

「運んでくれ」
「はっ」

 二人の男は石箱を二人で持ち上げ、ゆっくりと歩いて聖なる池に入った。大きく息を吸い、潜っていく。

 ラムセスは潜水が得意な者を呼び寄せたのだ。

 じっと待つこと、数分。やがて男たちがゆっくりと上がってきて、聖なる池から出てきた。

「ご苦労。このことはくれぐれも他言無用に」
「はっ」

 二人にそれぞれ巾着を手渡すと、頭を下げて去っていく。ラムセスはその背を見ることなく、蒼天を仰いだ。

(寂しいな。俺はあと、どれくらい生きるんだろう。お前のいない日々をどれくらい送らねばならないのだろう。だが、まぁ、そう長々とは続くまい。お前は今、どこを飛んでいるんだろうな。お前の生まれた国、時代に戻ったか? 俺はまだファラオにならねばならんから、迎えはゆっくりでいい。だが、次は俺がお前の故郷に行く番だ。俺がお前を引き留めたように、今度はお前の世界に俺の魂を連れていってくれ)

 熱い風がラムセスの体を撫で、吹き過ぎて行った。



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