熱い風の果てへ

朝陽ゆりね

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19、誓い

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 その日が来た。

 沙良はラトゥタとともに、再びカルナック大神殿の奥にある『聖なる池』にやって来た。遠巻きにアメンの神官たちが眺めているが、まったく気にはならなかった。来た時と同じ服を身につけ、鞄を持っている。手にはカルトゥーシュが描かれたスケッチブックの紙を握り締めていた。

 ラトゥタが準備を整えていたが、池の水に触れた瞬間、顔を曇らせた。

「ラトゥタ様?」

 しばし無言で水を睨んでいる。それから持っていた杖の先を池に突っ込んだ。隙間なくヒエログリフが描かれ、至る所に青い石が散りばめられた神秘的な杖だった。

「サーラ」

 ラトゥタが張りつめた声で沙良を呼ぶ。沙良は只ならぬ雰囲気に生唾を飲み込み、返事をした。

「私は――大きな過ちを犯していました。今日は中止致しましょう。日を改め、執り行いたいと思います」

「どうしたのですか?」
「魔力がないのです」
「魔力?」

 ラトゥタが小さく頷いた。

「カルナックの敷地はそのすべてが神聖で、神官以外は自由に立ち入ることができません。ですから、この池については、まったく調べずにいました。私の過ちです。あなたが落ちたというこの池には、魔力が満ちていると考えていたのです。ですが――まったく気配がありません。このままでは、帰すどころか水死させてしまいます」

「それは、ここが単なる池だということですか?」
「そうです。あなたを引きずり込んだ時空の歪が存在しない以上、ナイルに飛び込むのと同じことです」

 ラトゥタはそう言い、池に視線を落とした。

「強引にこの池の中に時空の歪を作り出さねばなりません。そのためには、入念に準備を行い、最善の日を導き出す必要があります。引き延ばして心苦しいですが、今一度、私に時間をください。今日行えば、確実に失敗します」

 沙良はしばらく池を見つめていた。それから顔を上げ、真っ直ぐラトゥタを見た。その顔は清々しく微笑まれていた。


 四か月が経とうとしていた。当初、絶対的に有利だと考えられていたヒッタイトとの戦いは、開戦当初から苦戦を強いられた。

 ヒッタイトが取る三人乗りの馬戦車の戦術と、鉄の武器にエジプト軍はほとんど太刀打ちができなかったのだ。

 また敗北の文字が見え始めると指揮官たちが狼狽し、明らかな判断ミスを連発、ヒッタイトの思うままに翻弄される結果となった。

 戦況はみるみる悪化していった。たった四か月でエジプトは絶対的敗北を目の前にしていた。

 若い王子数名を討ち取ってはいたが、自軍の被害のほうが遥かに甚大で、特にラムセス率いる直轄隊以外の前線部隊は壊滅的となっていた。また、本軍を指揮するトルムテブ大将軍までもが大ケガを負い、慌ててテーベへ搬送を行ったが、その道中に息を引き取った。

 エジプトは短期間でアムカやカナンまで征服され、数多の捕虜を取られて絶望に包まれようとしていた。

 さらに追い打ちをかけるように大規模な疫病が発生した。この疫病はエジプト国内に最大の危機をもたらしながら、皮肉なことに戦争の大敗北から救う結果になった。

 ヒッタイトに連行された捕虜たちの中からこの疫病が発生、蔓延を始め、ヒッタイト軍内にて爆発的に広がったのだ。

 終焉は突如訪れた。ヒッタイト大王シュッピルリウマ一世が疫病によって絶命したことによってヒッタイトは全軍の引き上げを余儀なくされた。

 エジプト軍は多くの司令官を失った中、急ピッチで再編を行った。

 トルムテブ大将軍の後継、二人の将軍の後継をすぐさま決めることとなり、唯一残った将軍のホルエムヘブが家臣の手柄によって功績を認められ、大将軍に昇格した。またその手柄を立てた張本人であるラムセスも将軍に昇格した。

 ラムセスは深い疲労を顔に刻みながら、ようやく雑事を終えて館に帰ってきた。

「どうしてここにいるんだ!」

 それが帰宅後の第一声だった。
 彼を迎える者たちの中に沙良がいたからだ。

「帰ったんじゃなかったのか!?」
「いろいろあってね。でもラムセスが帰るべきだって言うなら、ラトゥタ様にもう一度お願いするけど」

 ラムセスが目を見開いた。そして大勢の前にもかかわらず叫ぶように怒鳴った。

「言うわけないだろ! サーラ! ここにいろ!」

 ラムセスが力任せに引き寄せ、抱き締めた。同時に、ワァ! と歓声が上がった。

 館中の者が声を上げ、拍手する。歓喜の中で二人はしばらくの間抱き締め合った。それからみなで祝宴を上げ、ラムセスの無事と昇格を祝った。

 真夜中になって、二人はようやく二人きりになった。
 館の屋上。

 満天の星のもとで座り込んでいた。ラムセスは後ろから抱えるようにして沙良を抱き締めながらナイルを眺めている。

「疲れているんじゃないの? 話なら、明日でいいよ」
「明日まで我慢できない」
「なに子どもみたいなこと言ってるのよ」

「相変わらず口が悪いな。だが、その軽口も今は心地いい。会いたかったんだ。帰ったとばかり思っていたからあきらめていたが、こうして再会できたんだから実感したい。しばらく動くな」

「……うん」

 ただ抱き締めるだけだ。それだけに想いの深さを感じられた。


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